後
「俺は、辞めさせられるんですか」
「今のままだと、そうなるな」
「……せいせいする」
魔術師学校の個別面談室。カカの正面の椅子にまたがり、ケインは軽くため息をついた。
「少なくとも、君は自分の意志でここに入ったんだろ。ここは、魔術師を養成する学校だ。君は、何を望んでやってきたんだ」
「力をつけて、自分の力で、魔術師たちを黙らせるためです。でも、この学校の奴らも、俺が思っていた以上に腐っていた」
「何か、言われたか。……気づいてやれなくて、すまない。俺は君に、何をしてやれるのかな」
ケインはカカの瞳をのぞき込む。カカはほんの少し、毒気を抜かれた顔をした。
「俺の辛抱が足りなかった、それだけです」
カカの瞳に垣間見える知性の輝きを、ケインは心底惜しいと思う。
「シノ家を、再興したいのか」
「俺には、シノ家の汚名を雪ぐ義務がある」
「君に、『門番』が継げるのかい。今のままの君に、『不動』が手に入るのかな」
「……」
カカの顔が悔し気に歪む。
「でも、俺の家は、俺のせいで、滅んだんだ。俺の死んだ家族は今でもあいつらに、役立たずと馬鹿にされてる。俺はそれを許しちゃいけないんだ」
ユリ・シノを訪ねた時の会話を、ケインは思い出す。
「あの子の母は、あの子を産んだ時に亡くなりました。それが、あの襲撃の日だったのです」
ケインは思わず息をのんだ。
「『門番』の秘伝の術の求めるものは、ただ一つ。シノ家の血を引くものが、冥界と現世の間の『門』に、意識の閂をかけ続けることです。シノ家の秘術を継ぐ者たちは、幼少時より命がけの修練を課され、精神を平らかに保つすべを手に入れます。しかしあの日、父の意識は、妻の死によって、冥界の声に揺さぶられてしまった」
ユリの声は暗く平静だった。
「父の意識の揺らぎがどの程度のものであったのかは、今となっては分かりません。とにかく、父は冥府の門が開くことを許し、そして再び閉じることができないまま、斃れました。二人の兄弟も」
振り向いたユリの顔も、瞳も、静かなままだった。
「弟は、その咎が自分にあると、幼いころから思い詰めてきました。そして、精神を平らかに保つ特別な修行も、施されてはいない。シノ家の術の求める『不動』の精神を、あの子に望むことは、酷なことです」
ユリの唇に苦い笑みが浮かぶ。
「『門番』の術は、すでに絶えているのです」
「“俺のせい”、か。……俺の、誰にも言っていない昔話をしようか」
ケインの声音に、カカが意外そうな顔をした。
「15年前のあの時、王宮のあの場にいた魔術師の、俺は唯一の生き残りなんだ」
今でも、思い出すとケインの胸は苦しくなる。
「冥府の門が開いて、魔獣が現れた時、次の間にいてやっと気づいた俺は奥の間の扉を開いた。ナギ様は、それで注意がそれたんだ。俺だけが、あの場から逃がされた。もしあの時、俺が扉を開くのがもう少し遅ければ、あの人の防御魔法が奥の間の全員を救っていたかもしれない。もう少し早く扉を開ければ、俺が術をもう少し早く使えていたら、扉を開けたのが、俺でなかったら、結果は、違っていたかもしれない。俺のせいで、あそこにいた人たちは、死んだんだ」
今でもあの瞬間を、時々夢に見る。ケインはくしゃりを赤毛をかき回す。
「でも俺は、そのことで自分を責めることはしないと決めている。生き延びたなら、自分のできる最善を尽くす。それが唯一の、贖罪だろ」
ケインはもう一度、カカの茶色の瞳をのぞき込んだ。
「カカ。本当に、家を再興する気があるなら、君はお兄さんに会うべきだ」
*
その再会は、ケインにとっては意外な、そして不本意な形で果たされた。
カカ・シノが私闘を行い、4度目の拘束を受けた。その報を、ケインは王宮の執務室で、苦々しい思いと共に受け取った。
「……終わりだな」
さすがに、かばいきれない。相手のけがの程度を確認し、ケインは呻く。
「シノ家の三男坊か」
涼やかな声に振り返る。師匠である王宮最高位魔術師ナギが、書類の手を止めてケインを眺めていた。
「退学宣告に向かうのなら、私も同行しよう。シノ家の生き残りに、興味がある」
水の縄でぎっちりと拘束され、カカは無言で荒い息を吐いていた。
(毛を逆立てた、野良猫ってところだな)
そのぎらぎらとした瞳を見やり、ケインは胸に独り言ちる。
私闘のきっかけは、魔術師学校を訪ねてきた、シノ家の縁者を名乗る青年がカカ・シノに面会を求めたことだったという。正式な手続きのない訪問に、応対に出た日直の生徒は門前払いにした。その際、ぶしつけな訪問を謝罪し下げたユリ・シノの頭を、シノ家への暴言と共に小突いたところへ、現れたカカ・シノがその生徒に攻撃をかけ、半殺しの目に遭わせたらしい。
「カカ。不意打ちで、急所を狙うのは、いただけないな」
カカは無言でケインをにらむ。その瞳の奥に微かに悔恨があることが、今のケインには分かっていた。
「……君は、自宅謹慎だ。追って処分が通達される」
ケインは深く息をつく。退学処分は免れないだろう。
「あの、すいません。弟と、少し話していいでしょうか」
その時ふいに、静かな声が上がり、室内は一瞬静まり返った。
縛り上げられたカカの前に、ユリ・シノはひょこひょこと歩み寄る。
「カカ」
ユリの声はあくまで静かで、怒りも興奮もない。あるのは、ほんのわずかな哀しみの色だった。
「ごめんな。俺のために、怒ったんだろ」
ギリ。カカの噛み締めた歯が鳴る。
「誰がお前なんか」
「お前にとって、みっともない兄ちゃんで、ごめんな。でも、お前がひどいこと言われて、こんなにずっと傷ついてたと分かってたら、魔術が身に付かなかろうと、貧乏だろうと、俺はお前を手放さないで、一緒に暮らしたのに。……何にも知らなくて、ごめんな」
ユリの声には、弟の背をさするような響きがあった。ケインの胸が痛む。
「……そんなこと、どうでもいい。どこに居ようと、あいつらは、俺たちを馬鹿にし続ける」
「カカ。ほんとのこと、教えてあげようか」
カカを見つめるユリの目がきらめいた。
「カカ。兄ちゃんさ、あの人たちに馬鹿にされるの、全然辛くないんだよ」
カカの目が見開いた。
「嘘だ」
「本当だよ。人より勉強ができたり、魔術が使えたり、ケンカが強い方が偉いなんて誰が決めたんだ。頭を下げるほうより、下げさせるほうが偉いなんて、誰が決めたんだ。兄ちゃんにとっては、ほんとはそんなこと、どうでもいいんだよ」
ユリは悪戯っぽく笑う。
「誰も。王様も、最高位魔術師殿も、お前にだって。俺の中の俺の価値を変えることなんてできないんだ。兄ちゃんは、兄ちゃんにとってかけがえのない人間だ。お前がそうであるように。それさえ分かっていれば、誰に笑われても、何にも辛くなんてないんだよ」
カカの顔が歪んだ。
「それから。……シノの家のみんなが死んだのは、お前のせいじゃない」
ユリの声は海のように深く温かい。
「お前は何も、悪くないよ」
「でも、俺を生んで、母さんは死んだんだ。母さんが死んだから、父さんも、兄さんたちも死んだんだ。ユリ兄ちゃんは、俺が憎くないのか。全てを奪った俺が」
「俺は、全てを奪われてなんていないさ。お前がいる」
「……」
カカの嗚咽が部屋の空気を揺らす。
「カカ。シノの家の誰も、お前に自分を抑えつけて、無理に魔術師なんぞになって欲しいとは思わないだろう。……でも、お前が本当になりたいのなら、止めはしない。それなら、力を、良いことに、使うんだ。自分を好きになれることに。お前は本当は、優しい子だ。人を傷つけることで、一番傷ついてるのはお前だろ」
ユリの声には、不思議な響きがある。聞くものの内面を鎮めるような声だ。
「なるほど、貴殿が『外の門番』殿か」
ふいに凛と、愉快そうな声が響いた。
現れた王宮最高位魔術師の姿に、その場にいた魔術師たちが一斉に頭を垂れる。
「こちらからご挨拶に伺わねばならぬところを、失敬した。しかし、貴殿はまれにみる不動のお方だ」
「……痛み入ります」
ユリ・シノは、平然と立ち尽くしたまま、王宮最高位魔術師、ナギを見返す。
「しかし、我らの不見識な同胞が、貴殿や貴殿の弟殿に、無礼を働いていたようなのは慙愧に絶えぬ。今更、あなたのお力を、私共魔術師に貸していただくことは、厚顔なお願いだろうか」
「……そうですね」
ユリ・シノの声は揺ぎなく淡々と響く。
「閂をかけ続けるのは、こう見えて、結構面倒で。俺のやり方は相当手抜きで、ボランティアの気楽なものだけど、15年続けるのは、まあまあしんどかったですよ。できれば、俺の代で、終わりにしたいところですけれど……」
ユリの目が、うつむいて震える弟を見やる。
「弟は、俺と違って、きちんとシノ家の誇りを受け継いでいるようで。この子が望んでこれから死ぬ気で修練すれば、いずれお役に立てるでしょう」
*
「冥府からの道が素通しになっていないのは、ひとえにあの方の力のおかげだ。彼が不在であったならば、15年前から、ここは地底と変わらない、魔物どもが跋扈する世界となっていただろう」
ぞっとするようなことを平然と言い、ナギは居並ぶ王宮魔術師たちを見回した。
高位魔術師の定例会議。本日は、魔術師学校の生徒の処遇が議題のひとつとなっている。
「魔力などとは比べ物にならない、貴重な力だ」
「どうしてそれほど貴重な方を、あんな扱いのまま放置していたのですか」
ベスの疑問はもっともだ。
「知らなかった。あの場で姿を見て、初めて悟った」
全員が絶句する。
「どんなものにせよ、事が起こってから解決する役回りは、目に見えて分かりやすい。事を未然に防ぐ役回りは、そちらの方が何倍、何十倍も有効で重要なことが多いが、評価はされにくいものだ」
土の属性の魔術師たちが、深くうなずく。思うことがあるらしい。
「カカ・シノの魔力は、用途を防御に限って、使用を許可する。身柄は王宮預かりとし、私と、ユリ・シノがその教育に当たる」
ナギは静かに宣告する。異議を唱える声はなかった。
*
「ケイン先生。お世話になりました。気にかけてくれて、うれしかった」
真っ赤な顔でぼそぼそとあいさつする少年の頭に、思わずケインは手を乗せる。
「……修行、頑張れよ。多分だいぶ大変だろうけど……」
このけんかっ早い少年が、本当に不動の精神を手に入れられるのか、ケインは今でも心配だ。
「辛い時は、時々遊びに来いよ。息抜きに、東の通りっていう楽しいとこに連れてってやるから……」
「お前の教育は、結局そこか」
「『不動』と真逆の方向性だろうが」
背後のロベルト、ソシギ両教官から、すかさず突っ込みが入る。
「……先生の背中の荷物も、いつか軽くなること、願ってます」
大人びた瞳に見つめられ、ケインは自分がうまく笑えているのか、自信が無くなる。
「ありがとな」
ポンポン、と頭を叩くと、少年は満面の笑顔を見せた。
誰も皆、多かれ少なかれ、背中に荷物をしょっている。小さくなる背中を見送りながら、彼がその重みを生の実感とできることを、ケインは静かに祈った。




