第四十一話 決死
前回までのあらすじ
ナヴゥルはエリーゼの発言と行動から慢心を感じ、能力を更に研ぎ澄まし、攻撃を重ねる。
しかしエリーゼは、ナヴゥルの能力を完全に把握しており、逆にナヴゥルの思い込みに付け入り、大打撃を加える。
『衆光会代表・エリーゼ』対『ラークン領守護兵団所属・ナヴゥル』の一戦。
予感はあった。
『アデプト・ピグマリオン・マルセル』が、宿敵を評した男。
マルセルの血を受け継ぐ男。
その作品が、あの『エリーゼ』なのだ。
対戦相手が、あの『死と暴虐を司る精霊・ナヴゥル』であっても。
この仕合が消化仕合で終わる筈など無い、その予感にオッズも動いていた。
そして今、その予感が現実の物となりつつあった。
円形闘技場内が、熱狂と興奮で煮え滾っていた。
観覧席を埋め尽くす数多の貴族達が、眼前の光景に釘付けとなっていた。
ハンケチを握り締め、オペラグラスを震わせ、汗みどろで絶叫していた。
シャツが皺に出来ようと、化粧と白粉が流れようと、一切構う様子など無い。
身を乗り出しては仕合に見入り、声の限りに聖歌を叫んだ。
恐れを知らぬ勇猛な魂よ、聖戦の果てに昇天する意思よ!
我らが聖女・グランマリーの御許に還り給え!
新たなる叡智の礎となりて、再び我らの元へ戻るその時まで!
痛みは再生の源、死は安息、練成の奇跡に現れし戦乙女よ!
眠れ眠れ、永久に! 眠れ眠れ、恐ろしくはない!
眠れ眠れ、永久に! 眠れ眠れ、恐ろしくはない!
それは鎮魂歌であり、祈りの言葉であり。
人造乙女・ナヴゥルに対する侮辱の言葉だった。
ナヴゥルは思う。
闘技場にて、この歌を耳にする時。
相手は常に膝を屈し、血に塗れ、慈悲を乞う様に、こちらを見上げていた。
私はそんな、脆弱な者を叩いて潰し、贄と捧げて来たのだ。
グランマリーなどという下らぬ偶像にでは無い。
我が主に捧げたのだ。
我が主……ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークンに捧げたのだ。
私の全ては主の為に。私の全てを主の為に。
功を成し、名を轟かせて、主に尽くす、それが私の使命であり存在意義だ。
醜悪な存在であった私を、慈悲の心で愛でて下さった主の恩義に報いる。
その為に闘い、勝利し続ける姿を、私は主に示すのだ。
にも拘らず、私は今、醜態を晒している。
血に塗れ、膝を着き、敵を見上げる様な無様を晒している。
こんな私の姿を見た主は、何を思うのか。
苦痛を感じているのでは無いか。恥じ入っているのでは無いか。
考えたく無い、我が主に苦痛など、憂悶など、感じて欲しく無い。
にも拘わらず、私は感じ取ってしまう。
我が『能力』故に、我が主を感じてしまう、観覧席に在る、我が主を。
苦悩の表情で汗を流し、呼吸を乱し、歯噛みする主の姿を。
席から立ち上がり、欄干を両手で掴み、身を乗り出されて。
ああ……こんなにも、憔悴されて。
私が。私がこんな醜態を晒したが為に。
「敗北を宣言をすれば助かります」
五メートル前方。
剣の上に立つ、血塗れのドレスを纏った小娘が、私を見下ろしのたまう。
「逆転の目は、もうございません」
涼やかな声音で――否、何の感情も籠らぬ声音で。
私を見下ろしながら。私を見下しながら。
我が主の前で、私を見下しながら。
――ふざけるな。
終われるか。このまま終われるわけが無い。
終わるのは、コイツの首を捥ぎ取り、勝利する時のみだ。
屈辱、憤怒。力の入らぬ身体を突き動かす物は、激情だ。
「――この命は、我が主のものだ」
ナヴゥルはゆっくりと立ち上がる。
更に左右の甲冑籠手から、鈍く光る隠し爪を起ち上げる。
籠手の前腕部から生え出す鋼鉄の爪は、長さにして三〇センチ程。
戦斧には劣れど、殺傷力は低く無い。
「我が主が折れぬ限り……」
ナヴゥルは萎える事無く、紅い瞳を殺意に燃やす。
そのまま姿勢を低く、上体をゆっくりと前傾させる――改めて突撃の構えだ。
戦斧を構えていた時よりも更に低い。
血みどろの左腕を下へ伸ばし、手を床へと添える。
目標までの距離は六メートル。
ナヴゥルの身体能力であれば、近接と言っても良い距離だ。
が、エリーゼの周囲には、迎撃用のダガーが四本、空中にて旋回している。
何より、切っ先を下に直立するロングソードが危険だ。
それらがどの様に動くのか。
しかしもはや『能力』は、あてにならない、使えない。
使う事が仇となる以上、使うわけにはいかない。
ならば、使わずに征く。
征く以外の選択肢など無い、勝利以外に求める物など無い。
我が主の為に、我が身と引き換えてでも、勝利する。
「その剣たる我も折れぬっ……!!」
低い姿勢より解き放たれたナヴゥルの突撃は、血飛沫に彩られていた。
全身を覆う黒のレザースーツが、筋肉の隆起に引き攣れ、張り詰める。
深手を負ったコッペリアとは思えぬ、運動能力。
いや、確実に身体能力の限界値を超える高速が、叩き出されていた。
血と粉塵を撒き散らし、ナヴゥルは疾駆する。
その突撃に呼応し、エリーゼは剣ごと後方へ跳躍しつつ、両腕を躍らせる。
ワイヤーが音を立てて風を裂き、空中で旋回するダガーをフックにて捉える。
ダガーはワイヤーに繋がれたまま、大きく波打ち、鋭い曲線を空間に描く。
四本のダガーは切っ先をナヴゥルへ向け、四方から襲い掛かる。
対するナヴゥルは、眼前で両腕を交差させる。
急所である頭部と胸部を、甲冑籠手と爪でカバーしたのだ。
しかし飛来するダガーの狙いは、頭部でも無ければ心臓でも無かった。
四本共に脚部――脚へと攻撃を定めていた。
動きを制限し、下段からの斬撃にて仕留める思惑か。
ナヴゥルの両脚、左右の太腿に、四本のダガーが深々と突き刺さる。
ナヴゥルは姿勢を崩す、僅か程の回避行動も取っていなかったが為、直撃だ。
しかし止まらない、突撃の勢いは全く衰えない。
夥しい流血が、後方へ糸を引く。
剣のままに着地したエリーゼは、次いで流れる様に、上体を背面へと大きく反らす。
下段からの斬撃に繋がる動きだ。
ナヴゥルは交差させた両腕を用いて、刃を弾き逸らす腹積もりか。
否。
ナヴゥルの狙いは、斬撃を弾く、逸らすといった防御に無い。
元より弾力性のあるロングソードを、甲冑籠手で逸らすという回避は危険だ。
下手に弾けば刀身が撓み、懐まで刃が滑り込んで来る可能性もある。
これは甲冑小手と鋼鉄の爪を弾頭に、全身を武器としたタックルなのだ。
狙いは組みついてからの殴打、或いは刺突。
如何に優れた技術があろうと、コイツの筋力は決して高く無い。
ならば組打ちに持ち込む。密着した状態での肉弾戦へと引き摺り込む。
腕の一本でも、脚の一本でも、事ここに至っては、くれてやっても構わない。
代わりに命を毟り取る。
エリーゼの身体が機械仕掛けの様に、後方へ沈み込む。
裸足の爪先――足指は、柄頭と握りを掴んだままだ。
が、その動きは、先に見た後方旋回では無かった。
後方旋回の途中で、身体を捻ると、刀身ごと大きく右へ倒れ込んだのだ。
小さな火花を散らし、剣の切っ先が床面を横へ滑る。
伸ばした両手が床を捉えた時、エリーゼの全身は弓形に反り返っていた。
足指によって引き絞られた剣は、緩やかに撓りつつ、力を溜めた状態にある。
研ぎ澄まされた切っ先は、床に敷かれた石板同士の僅かな溝――その微細な側面を捉え、静止していた。
ナヴゥルが射程距離に踏み込んだ、次の刹那。
ロングソードの鋭利な刃が、石板の溝に沿って火花を散らし、撃ち出される。
疾風の如き一撃は、強烈な曲線を描きつつ、波打ち弾けた。
床面に対し、浅い角度で跳ね上がる軌跡。
逆袈裟と横薙ぎ、その半ばを辿る軌道。
ナヴゥルの低空タックルを、容赦無く薙ぎ払う斬撃だった。
ナヴゥルは自身に向けて放たれた一閃を、真正面に見据えていた。
全てを捨てた正面突撃だ。
ならば、正面から止めるしか無い距離であり速度だ。
この場、この位置への斬撃を、ナヴゥルは半ば理解していた。
刺突であれ、斬撃であれ、攻撃個所は正面と限定されていた。
しかし迫り来る刃は、あろう事か不規則に波打っている。
籠手や爪で、これを確実に止める事は至難だ。
弾く事も、逸らす事も危険であり、儘ならない。
故に、ここから打倒必殺へと繋ぐ一手は。
「おおおっ……」
ナヴゥルは左手の五指を伸ばした状態で、前方へと突き出した。
揺らめき飛来する高速の剣を、まさか掴み取ろうというのか。
そうでは無い。
蛇腹構造の金属甲冑に覆われたナヴゥルの五指は『侵徹』を許さぬ角度を以て、突き出されていた。
ぶれる刃は撓みながら指に沿って流れ、掌の中心へと滑り込んで行く。
直後ナヴゥルの左手は、親指の付け根から肘まで、一気に斬り裂かれていた。
夥しい量の濃縮エーテルが、辺り一面に飛び散る。
生身であれば、肩まで容赦無く、斬り飛ばされていただろう。
が、ナヴゥルの前腕は、分厚い強化外殻の装甲に覆われているのだ。
容易く斬り裂けるものでは無い。
エリーゼの刃は、ナヴゥルの左前腕に深く食い込み――止まった。
ナヴゥルは裂かれた左手を強引に動かし、刀身に指を絡ませる。
更に捻り上げつつ、全力で横へ払った。
剣を絡め取り、投げ捨てたのだ。
斬撃を止められ、剣も奪われたエリーゼは、姿勢を崩し着地する。
両手を床に着き、片足を引いた状態で、ナヴゥルと向かい合う形だ。
そこへ、ナヴゥルが猛然と突っ込む。
裁ち割られた血塗れの左腕を引きざまに、振り被った右の拳を振るう。
鋼鉄の爪が、唸りを上げて風を引き裂く。
全身全霊、執念の刺突が、エリーゼの顔面目掛けて撃ち込まれた。
◆登場人物紹介
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。戦闘用の身体では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・レオン=医者。孤児院「ヤドリギ園」維持の為に莫大な金を賭けている。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




