第二三二話 魔法
・前回までのあらすじ
闘技場にて相対した『グランギニョール』序列第一位の『レジィナ』オランジュと、全身を『強化外殻』で覆ったエリーゼ。同一存在である二人は、二人にしか解らぬ己が魂の在り方を示し、共に必勝を誓うのだった。
仕合開始を告げる声が、円形闘技場内に響き渡る。
その声に合わせて観覧席の貴族達も、一斉に歓声を上げようとする。
が、それは叶わなかった。
エリーゼとオランジュ、対峙する二人のコッペリアが共に動かなかった為だ。
仕合開始の声を受けて、いずれも一気呵成に踏み込む事無く、静止している。
オランジュは左右の双頭双槍を構えつつも、ごく自然に起立したまま。
エリーゼに至っては、白銀の鎧に包まれた両腕を下方へ垂らしたまま。
まったく動こうとしない。
とはいえ、こういう状況が珍しいという事は無い。
命を賭けた必殺の仕合だ、慎重な立ち上がりになる事もある。
居並ぶ貴族達も、この状況を訝しみ、歓声を上げなかったのでは無い。
むしろ、動かぬ二人の間に満ちた苛烈な緊張感に圧倒され、黙しているのだ。
どの様なタイミングで動くのか。
互いに相手の隙を伺っているのか。
どちらが先手を取るのか。
様々な想いを孕んだどよめきが、観覧席に広がり始める。
どよめきに不満の色は無い。
濃縮された興奮が、漏れだしたどよめきの中に充満していた。
――と、その時。
エリーゼが静かに動いた。
両脚を揃えて立ち、背筋を伸ばしたまま、両の腕を左右に大きく開いたのだ。
早くも無く、遅くも無く。
その佇まいも相まって、白鳥が緩やかに羽根を開く様子を想起させた。
しかしそんな優美なイメージは、耳鳴りの如く幾重にも連なる風切り音が掻き消した。
高く低く不穏に響き、周囲に無数の矢が降り注いでいるのかと錯覚しそうなほどだ。
当然そうでは無い。
エリーゼの背中に装備された円盤状の特殊武装――『ドライツェン・エイワズ』。
その円盤に備わる八本の小型金属アーム先端部より紡ぎ出された、極細のフック付きワイヤーが、空間を縦横自在に駆け巡る音だ。
軽やかに踊るエリーゼの両腕と指先が、八本のワイヤーを操作している。
目を凝らせば、煌めく幾筋ものワイヤーの閃きが見える筈だ。
そして何時しかエリーゼの周囲には、輝きを帯びた半透明の球体が浮かんでいた。
数にして八つ。
それらはエリーゼの大腿部を覆う『強化外殻』のスロットより抜き取られた武装――スローイング・ダガーだ。八本のスローイング・ダガーを、八本のフック付きワイヤーで抜き取り、そのまま空中にてジャグリングの様に高速旋回させる事で、浮遊させていた。
◆ ◇ ◆ ◇
西側入場門脇に設けられた、介添え人達の為の『待機スペース』。
闘技場のエリーゼを見守るレオンは、自身の身体に負荷が掛かるのを感じていた。
鉛の様に重く冷たい掌で、両肩を抑えつけられている様な感覚だ。
理由は、はっきりしている。
エリーゼが初手から八本ものスローイング・ダガーを使用した為だ。
左義肢に内蔵された『知覚共有処理回路』を介して、神経に負荷が掛かっている。
とはいえ、これまでの様に、眩暈や吐き気を覚えるという事は無い。
背後のベンチに控えているドロテアとシスター・カトリーヌのおかげであり、そしてヨハンが用意した『強化外殻』のおかげだ。
二重、三重に施された対策によって、レオンに掛かる負荷は適切に制御されている。
また、エリーゼ自身に掛かる負荷も『強化外殻』を装備した事で軽減されている。
しかしエリーゼが仕合開始と同時に、八本ものダガーを用いるのは初めての事だ。
相対するオランジュが、それほどの相手であるという事か。
いや当然だろう、相手は一〇年無敗の序列第一位――『レジィナ』だ。
そして何よりも警戒すべきは、オランジュが有する特殊な『能力』にある。
『体内エーテル』の『錬成的概念』を利用し『時間』と『可能性』に干渉する――
この真贋定かならぬ恐るべき能力が、事実であるとするなら。
接近も交錯も危険であるという事だ。
故に八本ものダガーを用いた波状攻撃を選択したか。
確かに負荷は掛かるが、この選択が最良だろう。
離れた位置での攻防に徹したなら、オランジュの『能力』を制限出来るかも知れない。
レオンは鉄柵を掴んだまま、エリーゼの姿を見つめていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「それがお姉様の編み出した『魔法』――」
エリーゼの前方六メートル。
ダークグレイのドレスを纏ったオランジュが呟く。
左の双頭槍を肩に担ぎ、右の双頭槍を背に沿わせ、その構えは脱力している。
「――『伝承』通りなら、お姉様は『魔力』のみで大軍勢を討ったのだとか」
微笑みを口許に湛えたオランジュは、構えを解く事無く、ゆっくりと歩き始める。
ドレスの裾が僅かに波打つ程度の、春の野原を行くかの如き軽い足取りだ。
「でも『この世界』でそれは叶わない……何故なら『伝承』を実現する術が無いから」
不意に、鮮烈な風切音が響いた。
音はオランジュの言葉を断ち切るかの如く、高く、低く、不穏に流れる。
見据える先では白銀の鎧を纏うエリーゼが、両腕を大きく躍らせている。
羽ばたく様に腕を撓らせ、慰撫する様に指を波打たせている。
気づけばエリーゼの周囲に浮遊していた八つの光球は、八本の光る帯と化し、空中に危険な刃のラインを描き上げていた。
次の瞬間。
八本のラインは一斉に、歩み寄ろうとするオランジュ目掛けて殺到した。
最初の一本は胸元へ。
次いですぐに眉間へ。
更に左右から弧を描いて三本ずつ、脇腹と大腿部目掛けて放たれていた。
ごく僅かずつタイミングがズレているのは、纏めて薙ぎ払われぬ為か。
いずれにせよこの攻撃は、身体の八か所へ立て続けに撃ち込まれる光線に等しい。
かつて対戦した相手は、エリーゼの多重波状攻撃に対し、いかに対処したか。
ナヴゥルは周囲に漂わせた『エーテル』を利用して、ダガーの動きを把握していた。
グレナディは圧倒的な『視覚』を武器に、飛来するダガーを全て弾き飛ばしていた。
シスター・マグノリアは研ぎ澄まされた『勘』と『経験則』を以て捌き切っていた。
ならば『レジィナ』オランジュは、どの様に対応するのか。
オランジュは、背に沿わせていた右の双頭槍を半回転させると、前方へ差し出した。
決して素早い動きでは無かった。
ただ、驚くほどに正確な動きではあった。
その先端で、小さく火花が散った。
オランジュの胸元へ向けて放たれたダガーに、穂先で触れたのだ。
刹那、オランジュの周囲で立て続けに火花が飛び散り、後方へと流れて消えた。
火花の数は八つ。
いったい何が起こったのか。
その様子を、エリーゼの眼は全て捉えていた。
まず、胸元を狙うダガーに槍の穂先が差し伸べられた。
切っ先と穂先が接触するや否や、ダガーは火花と共に上方向へと弾けた。
勢い良く弾け飛んだダガーは、眉間を狙って飛来する二本目のダガーに接触する。
硬質な音が響き、火花が明滅し、接触した二本のダガーは左右へ弾け飛んだ。
弾けた先には左右より三本ずつ――計六本のダガーが迫っていた。
――が、これらダガーに弾けたダガーが接触。
その接触が呼び水となり、更に二本、三本と接触が連鎖する。
途端に複数の火花が飛び散ると、ダガー六本の軌道が次々と逸れてゆく。
つまり放たれた八本のダガーは全て如何ともし難く、飛散したという事だ。
右手の槍を前方に差し伸べた姿勢で立ち止まったオランジュには、掠りもしない。
一連の流れはドミノ倒しの様でもあり、しかし有り得ぬほどの偶然に彩られていた。
そう――狙って行える事柄の上限を超えた現象だ。
つまりはこれが――
「――解るかしら? これが『伝承』を実現させた私の『魔法』なの」
オランジュは愉しげに告げた。
その美貌には、穏やかな木漏れ日の如き微笑が浮かんでいた。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンよりアーデルツを預かっていた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・マルセル=達士アデプト、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。




