第一六一話 開始
・前回のあらすじ
闘技場にて対峙するエリーゼとマグノリア。マグノリアは決死決着を口にするが、エリーゼはカトリーヌの想いを告げ、死を以ての決着を避けたいと提案する。しかしマグノリアはそれを拒否、死を以ての完全決着に強い決意を滲ませる。
「――トーナメント戦に於ける決着のルールは三つ! 損壊沈黙即敗北! コッペリアによる敗北宣言! ならびに介添人による敗北宣言! この三つを以って決着とします!」
演壇の伝声管に向かって司会進行の男が叫ぶ。
観覧席に群れ集う貴族達は、闘技場中央で向かい合う二人のコッペリアに釘付けだ。
純白のドレスと白銀に煌めく鎧を纏った、新進気鋭の小さな美姫――エリーゼか。
漆黒の修道服を纏った蛇の女王、伝説に彩られたかつてのレジィナ――マグノリアか。
「可能ならば――」
再びエリーゼが口を開く。
六メートル先に立つマグノリアに向けて言った。
「――シスター・カトリーヌの望みを叶えたいと思うのです……『決死決着』では無い道を……」
「くどい」
断絶を示す一言を以て、マグノリアはエリーゼの言葉を遮る。
両脚を肩幅に開いた仁王立ち。
右手には長さ三〇センチの針。
顔は伏せられているが、漆黒の瞳は真っ直ぐにエリーゼを捉えている。
無造作な立ち姿に見えるが、微塵の隙も無かった。
「それでは、お互いに構えて!」
司会進行を務める男の声が、闘技場内に反響する。
同時に、観覧する貴族達が徐々に声を潜め始める。
仕合開始直前――その緊張感を愉しんでいるのだ。
エリーゼが、ゆっくりと顔を上げる。
冷たく光る紅い瞳が、黒衣のマグノリアを改めて捉える。
そこには憂いの色など、微塵も無かった。
冷酷なまでに研ぎ澄まされた視線だった。
その視線をマグノリアは、臆する事無く受け止める。
鈍く光る黒曜石の如き瞳に、紅色の瞳が映り込む。
エリーゼは背筋を伸ばして足を揃え、真っ直ぐに起立している。
過去三仕合と同様の無構えだ。
――が、この日は違った。
手にしたロングソードを、おもむろに鞘から抜き始めたのだ。
白々とした刃の煌めきが、徐々に革製の鞘から解き放たれて行く。
タイトな純白のドレスが揺れ、腕を覆う白銀の鎧から仄かに蒸気が立ち昇る。
ゆるりと抜剣するエリーゼの姿に、貴族達は見入る。
光る長針を右手に立つマグノリアの姿に息を飲む。
白と黒のコッペリアが二人、皆が固唾を飲んで見守っている。
ひりつく様な静寂が、観覧席に広がって行く。
空気が怖いほどに、張り詰めて行く。
鋼のワイヤーが、ギリギリと音を立てて千切れそうな感覚。
そして次の瞬間。
「始めぇ……っ!!」
仕合の開始が高らかに宣言された。
◆ ◇ ◆ ◇
宣言と同時に動いたのはエリーゼだった。
後方へ一歩、二歩、三歩。
素早く、大きく、バックステップを重ねて距離を取る。
更に四歩め、その四歩めでエリーゼは、地を蹴りざま後方へ身体ごと回転、跳ね上がった。
同時に幾筋もの光線が、風切り音と共に弧を描き、エリーゼの周囲を走り抜ける。
『ドライツェン・エイワズ』に備わる金属アームから放たれた、フック付きの特殊ワイヤーだ。
大腿部のベルトより複数のスローイング・ダガーを抜き出し、辺り一帯を薙ぎ払ったのだ。
後方旋回しつつ跳躍したエリーゼは、縦横に飛び交う特殊ワイヤーとダガーが閃く向こう側へ、爪先にロングソードの柄頭を捉え、鋭い切っ先の一点にて着地した。
逆立つロングソードの上に起立するエリーゼは、川面に立つ白い水鳥を思わせる。
いや――むしろその身に魔を宿した鳥、何か不吉な魔鳥を髣髴とさせる。
重力を無視した立ち姿を取り囲む様に、チリチリと光を乱反射させる半透明の球体が漂う。
数にして四つ。
特殊ワイヤーにて操作され、空中にて高速旋回を続けるスローング・ダガーだ。
過去の仕合に於いてもエリーゼは、剣の上に立つという独特の構えを見せていた。
しかし仕合開始と同時に、この構えを取るのは初めてでは無いか。
観覧席の貴族達はざわめきと共に、その意味を考察する。
これまでのエリーゼは、仕合が佳境を迎えると剣の上に立ち、反撃に転じていた。
その経緯を考えるならこれは、初手から全力を尽くさんという事か。
或いは万全の構えを取りつつ距離を大きく取り、相手の出方を伺おうという構えか。
それはつまり『見』に回ると同時に、何時でもカウンターが取れる態勢を整えたという事か。
「……」
対するマグノリアは動かない。
後方へステップし、更に背面へ跳躍して構えるエリーゼを、不動のまま見送る。
両手を下方へ垂らしたまま、エリーゼの姿を、動きを、凝視している。
だが、それも束の間だった。
何の前触れも無く、マグノリアは歩き始めたのだ。
黒衣の裾を軽く翻し、歩を進める。
どうという構えも取らない、右手の針も下方へ垂れたままだ。
互いの距離は一五メートル。
その距離故に、攻撃を苦にしていないという事か。
そう思えるほどに無防備な接近だった。
ゆっくりと近づくマグノリアを、剣の上に立つエリーゼは、静かな眼差しで見据えている。
白銀の鎧に包まれた左右の腕は、特殊ワイヤーを繰るべく波打つ様に踊り続けている。
タイトな白いドレスに包まれた小さな身体の周囲では、四つの光球がゆらりと浮遊している。
その有様は、古の伝承に登場する小さな妖精――ピクシー達を想起させた。
――と、次の瞬間。
宙を舞うピクシー――光球のうち二つが、残像の帯を引き閃光と化した。
そのまま歩み寄るマグノリアへ襲い掛かる。
銀色の軌跡が稲妻の如き苛烈なラインを、空間に描き上げる。
鋭い切っ先が不規則な挙動を示しつつ、二方向から黒衣に迫る。
一本は、左斜め上空から肩口へ。
もう一本は、後方斜め下から腰部へ。
無造作に歩くマグノリアは、この光速かつ変則な攻撃をいかに凌ぐか。
対応は、僅か半歩だった。
足を止めたマグノリアは、僅かに半歩のみ退いた。
その半歩にて半身となり、肩口への攻撃を紙一重で、しかし余裕を以て回避する。
同時に後方から腰へと跳ね上がるスローイング・ダガーが、火花と共に弾き飛ばされる。
いったいどの様に弾いたのか――答えはマグノリアの左手だ。
腰に装備したククリナイフを、抜刀していた。
半身のままに刃を振るい、背後から迫るスローイング・ダガーを弾いたのだった。
「……ふんっ」
抜き放たれたククリナイフは、更に青白い残光を伴って閃く。
流れる様な身のこなしから放たれた、マグノリアの一閃。
流麗極まるその一閃が、再び空中に火花を生み出していた。
打ち据えられたのは、黒衣の脇腹へ密かに滑り込もうとしていた、スローイング・ダガーだ。
それは最初の攻撃にて使用されたダガーだった。
最初の攻撃――つまり肩口を狙ったスローイング・ダガーを、紙一重で回避した直後。
そのダガーが空中にて軌道を変化させ、再度マグノリアに襲い掛かったのだ。
本来なら有り得ぬ挙動だ、しかしフック付きの特殊ワイヤーで繋がれたダガーは、ワイヤーを操作するエリーゼの思うがまま、空中での強烈な挙動変化が可能だ。
しかしそんな死角から襲い来る二度目の攻撃も、マグノリアは的確に反応、防いでいた。
彼方へと弾かれた二本のスローイング・ダガーは、床の上に弾けて転がる。
――が、いずれのダガーも、意志を有した生き物の様に跳ね上がり、再び宙を舞った。
長剣の上に起立するエリーゼが、特殊ワイヤーを用いて引き寄せたのだ。
再びエリーゼの周囲に、四つの光球が浮遊する。
その状況は、仕合開始直後と全く同じだ。
ただ、二人の距離のみが僅かに縮んでいる――凡そ一〇メートル。
観覧席から大歓声が湧き上がった。
一瞬の交錯に対する賞賛と興奮がもたらす歓声だった。
そんな歓声の中にあっても、エリーゼとマグノリアの表情は僅かほども変わらない。
ただ――マグノリアが小さく呟いた。
「……どこからが詐術か、悩ましいものだな」
再び歩き始めた。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属のオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




