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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十五章 虎視眈々
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第一五九話 約束

・前回までのあらすじ

腕の負傷をカバーすべく用意された『強化外殻』の装備と検証を行う。演武は問題無く行われ、ヨハンとシャルルは一定の安堵を感じたものの、介添え人として仕合に臨むカトリーヌの胸中は複雑であり、不安を拭えずにいた。

 カーテンの隙間から、穏やかな朝の光が差し込んでいた。

 ダミアン卿が用意した来客用の寝室は心地良く、熟睡出来ずとも微睡む事は出来た。

 カトリーヌは身支度を整えると、濃紺の修道服に袖を通す。


 隣りのベッドで休息を取っていたエリーゼも、既に身支度を終えていた。

 小さな身体を包む衣装は、仕合用のタイトな白いドレス。

 化粧台の前に置かれた丸椅子に、腰を下ろしていた。

 白い背中では、銀色に煌めくロングヘアが揺れている。


 カトリーヌはエリーゼの背後に立つと、艶やかな髪を指で掬い、緩く絡める。

 絹糸の様に繊細な髪を、そのまま丁寧に編み上げて行く。

 仕合当日の朝、エリーゼの髪を編んで纏める事が、カトリーヌの役目となっていた。


 丁寧に、丁寧に、そして一つ編むごとに祈りを込める。

 無事に帰って来れます様に。

 深い傷を負いません様に。

 悲しい結末となりません様に。

 聖女グランマリーを地上に遣わした大いなる『神』に、この願いが届きます様に。


 三つ編みにした髪を、後頭部で二つに丸く纏める。

 仕合中に解けたりしたら大変だ、そんな事の無いようにきっちりと纏め上げる。

 鏡の中からこちらを見つめるエリーゼに言った。


「うん、しっかり結えたよ。これで大丈夫」


「ありがとうございます、シスター・カトリーヌ」


 エリーゼは謝意を口にすると椅子から立ち上がり、黒いショールを肩に羽織った。

 全ての準備を終えたのだ。


「それじゃ……行こう」


「はい」


 カトリーヌの言葉に、エリーゼは短く応じた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 シャルルの手配した蒸気駆動車にて『グランギニョール円形闘技場』を目指す。

 何時も通り、二台に分乗している。

 カトリーヌはレオンと共に、エリーゼと同じ車両で移動する。


 ショールを羽織ったエリーゼは軽く眼を伏せたまま、口を噤んでいる。

 黒いラウンジスーツを着込んだレオンは、車窓の外に視線を送っている。

 蒸気機関の駆動音だけが、静かな車内に響いている。

 誰も口を開こうとしない。

 カトリーヌも、何も言えない。

 本当は、色々な事を話したいと思っていた。

 胸の裡で、想いばかりが募っていた。

 だけど、言葉として紡ぐ事が出来ない。

 仕合を目前に控えたエリーゼの気持ちを考えると、何も言えない。


 窓の外に眼を遣れば、荘厳さを湛えた巨大建造物の連なりが見える。

 装飾が施されたその外観は、霞掛かった青い空を、複雑に、鋭角に切り取っている。

 駆動車は『特別区画』の中心へと差し掛かっていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 『グランギニョール円形闘技場』の通用門前で、駆動車が停まる。

 シャルルが車を降り、警備員に参加証を提示する、何事も無く入場の許可が下りる。

 仄暗く冷えた気配の漂う、闘技場の地下通路を暫く歩く。

 やがて『衆光会』のプレートが掛かった控え室に辿り着く。


 控え室に窓は無い。

 代わりに上質な壁紙と、風景絵画が彩りを添えている。

 天井ではシーリング・ファンが緩やかに旋回し、シャンデリアが明かりを灯す。

 革張りのソファとローテーブルが並ぶ有様は、さながら応接室を思わせる。

 しかし木製の間仕切りパネルで隔てられた部屋の奥には、簡易ベッドに診察用デスク、ロッカー、シャワールームが備わっており、オートマータの調整と整備に必要な空間として成立していた。


 『小型差分解析機』を立ち上げたレオンは、音響測定にてエリーゼの状態を確認する。

 現時点で重大な問題が見つかるとは考えにくい、とはいえ万全であるとも言い難い。

 対応可能な問題があれば、ギリギリまで調整したいのだろう。


 その間にカトリーヌはエリーゼが使用する武具を、カバーが掛けられた簡易ベッドの上に並べる。

 八本ものスローイング・ダガーの納まったホルダー付きの黒革のベルト、これが二組。

 エリーゼの上腿に巻きつけて使用する。

 更に長さ一六〇センチを超えるロングソードが一振り。

 いずれもメイン武装である『ドライツェン・エイワズ』を用いて使用する武器だ。


 ただ今回の仕合では、肘と手首に巻いていた円盤付きの革ベルトと、全ての指に嵌めていた幅広の指輪は使用しない。肩から指先までを『強化外殻』で覆う為だ。

 『強化外殻』をエリーゼ用に調整したヨハンもその点は留意しており、外殻の肘と手首、そして指に、同様の形状を設けていた。


「俺は観覧席で仕合の進行具合を確認して来る。最終オッズがどう変動するのかも気になるからね」


 シャルルはレオンにそう伝えると、部屋を出た。

 二日前、エリーゼの『強化外殻』装着テストを行った後、レオンはシャルルと共に『喜捨投機会館』へと足を運んでいた。

 持てる資金の全てをエリーゼの勝利に賭ける為だ。

 

 レオン達に賭ける事の出来た金額は、報奨金もプラスして一億三八八〇万クシール。

 『ヤドリギ園』周辺の土地を買い戻す為に必要な金額は、四億八〇〇〇万クシール。

 エリーゼのオッズがおよそ三・五倍以上であれば、次戦勝利で目標金額に到達出来た。

 しかし『喜捨投機会館』の掲示板に表示された倍率は、期待に届かなかった。

 

 トーナメント準決勝・第一仕合。

 『枢機機関院所有・マグノリア』対『衆光会所有・エリーゼ』。

 『マグノリア=1.75』『エリーゼ=2.50』『引き分け=49.00』


 初めてエリーゼの不利が数字となって示された仕合だが、オッズは二・五倍。

 この仕合に勝利したとしても三億四七〇〇万クシール。

 目標金額にはまだ、一億三三〇〇万クシール足りない。

 必要な資金を得る為には、やはりトーナメントの決勝で勝利するしかない状況だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 エリーゼの音響測定と微調整を終えたレオンは、『強化外殻』の装着に取り掛かる。

 仕合開始時刻まで多少余裕はあるが、やはり念の為に確認と調整を行いたいのだろう。

 カトリーヌと手分けして、分割された『強化外殻』を装着する。

 前腕、上腕、肩口、背中に点在する複数の接続ソケットへ、外殻内側のコネクタを挿入、更に分割された外殻同士を適切に接続、固定してゆく。

 鈍く光る白銀の装甲が徐々に組み上がり、やがて指先までを完全に覆って完成する。

 『強化外殻』を装着し終えたエリーゼは、軽く指を開閉して感覚を確かめる。

 肘を曲げては頭上へと掲げ、そのまま緩やかに前方へと差し出す。

 ギアの噛み合う音が微かに響く、パワーアシスト機能が正常に機能している証拠だ。


 次いで『ドライツェン・エイワズ』を装備すべく、レオンは卓上のケースを開く。

 そこには直径一〇センチ、厚さ三センチ、重さ八キロの金属円盤が納まっていた。

 鈍く光る鋼鉄製であり、本体表面には重厚な強化ガラスが嵌っている。

 ガラス越しに見える本体内部には、十三機のウィンチが整然と組み込まれている。

 十三機のウィンチは、二〇〇メートル分の特殊ワイヤーを収納、その上で円盤側面に接続された四本二対、計八本の精密アームと連動していた。

 アームの先端には小さな滑車が備わっており、そこから紡ぎ出される特殊ワイヤーには、小型の金属製フックが設けられている。

 エリーゼはこの特殊ワイヤーとフックを用いて、複数のスローイング・ダガーを自在に操作、或いは自身の身体を強力に牽引しては移動するという戦闘スタイルを採っていた。

 レオンは専用の固定具を用いて慎重に、特殊武装『ドライツェン・エイワズ』を、エリーゼの小さな背中に取り付ける。

 ヨハンが用意した『強化外殻』と干渉する事は無い、既に調整済みだ。

 エリーゼの背に装備された『ドライツェン・エイワズ』は、緑色に淡く発光する。

 『神経網』と接続され、手足の如く自在に操作可能となった事を示していた。


 その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「俺だ、シャルルだ」


 短く告げたシャルルはドアを開けて入室すると、レオンの傍に歩み寄る。

 再び口を開いた。


「下位リーグの仕合が終わって本戦が始まった。そろそろ準備をと伝えに来たんだが、問題は無さそうだな」


「オッズはどうなっていた?」


 レオンの質問にシャルルは答える。


「良く無い、かなり下がっている。俺達だけで一気に一億三八八〇万クシールも突っ込んでいるんだ、それだけで変動してしまう、その動きで人も流れる。それにエリーゼの戦績も評価されているからな……最終オッズは『1・95』倍で確定だ」


 つまりこの仕合で勝利した場合の払い戻しは、二億七〇六六万クシール。

 必要金額には二億弱足りない。

 しかしレオンは表情を変える事無く応じた。


「……いや、変動前のオッズでも決勝で勝利するしか無かったんだ」

 

 言葉通りだった、途中で降りる事の出来ない状況に変わりない。

 ならばもう、仕合に備えて全力を尽くしつつ、細心の注意を払うしかない。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 腕時計を確認しながらヨハンは言った。


「そろそろ時間だ、レオン君」


「――はい」


 レオンは診察用の椅子から立ち上がる。

 全ての装備を整え終えたエリーゼも、ベッドの上に置かれた大剣を手に取る。

 カトリーヌは『小型差分解析機』を両手に携えた。

 

「僕はダミアン卿とバルコニー席へ行くよ。ドロテア、レオン君とシスター・カトリーヌのサポートを頼む」


 ヨハンの言葉に振り返ったドロテアは、軽く拳を固めて見せると頷き、口許に笑みを浮かべる。

 そのままレオン達は揃って部屋を出た。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 ヨハンとシャルルはレオンに声を掛けると、観覧席の方へ歩き出す。

 その背を見送り、レオン達も闘技場の入場門へ向かう。


 エーテル式水銀灯の黄色い明かりに照らされた地下通路を歩く。

 エリーゼとレオンが並んで歩き、後にカトリーヌとドロテアが続く。

 カトリーヌはエリーゼの後姿を見つめたまま歩き続ける。


 もうすぐ仕合が始まる。

 シスター・マグノリアと、エリーゼの仕合が始まってしまう。

 止める事なんて出来ない、何か言う事も出来ない。

 エリーゼの背中を見つめ、心の中で祈る事しか出来ない。


 無事に帰って来れます様に。

 深い傷を負いません様に。

 悲しい結末となりません様に。

 聖女グランマリーを地上に遣わした大いなる『神』に、この願いが届きます様に。


「――シスター・カトリーヌ」


 その時、透き通る声が静かに響いた。

 カトリーヌは思わず足を止めて顔を上げる。

 エリーゼもまた足を止め、振り返る。


「私はシスター・カトリーヌに対して、守れぬ約束を何度も繰り返して参りました」


「……」


 無事に仕合を終えて『ヤドリギ園』へ戻る事が出来なかった事。

 子供達の為に不殺を貫けなかった事。

 それらを指して言っているのだろう。


「それでも敢えて――私はシスター・カトリーヌに約束したいのです」


「……」


 儚げな白い美貌は、僅かに伏せられていた。

 紅い瞳もまた伏せられたままだ。

 桜色の唇が小さく動いた。


「シスター・マグノリアとの仕合……シスター・カトリーヌの望む形で終えてみせます」


「エリーゼ……」


 つまり再び、不殺を誓うという事か。

 しかしそれが、どれほどの難事である事か。

 エリーゼがどれほどの負担を背負う事になるのか。


 それでも、出来るわけが無い――などとは思いたく無かった。

 そうであれば良いと思う。

 本当にそうであれば良いと、願わずにはいられない。

 都合の良い夢想であっても、自身の我儘であっても。

 そんな我儘をエリーゼに背負わせてしまう。

 それでも。

 カトリーヌは掠れた声で言った。


「ありがとう……」

・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。

・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。

・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。

・シャルル=貴族でありレオンの旧友。篤志家として知られている。

・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。

・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。レオンのサポートを行う。

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