第一四一話 怨敵
・前回までのあらすじ
コッペリア・アドニスvsシスター・マグノリアの仕合は、アドニス渾身の攻撃を受け切ったマグノリアの勝利で終わる。次戦へと駒を進めたマグノリアは、エリーゼに内蔵された『エメロード・タブレット』の奪取を行うべく、意思を固めるのだった。
スチーム・オルガンと管弦楽団の演奏に併せた貴族達の合唱が、円蓋天井に木霊する。
シャルルは揺れて波打つタキシードの群れを見下ろしながら、小さく息を吐く。
観覧席最上段に設けられたバルコニー席の個室。
オペラグラスを傍らのテーブルに置いたシャルルは、目頭を指先で揉む。
マグノリアとアドニスの仕合に見入っていたのだ。
『グランギニョール』とは、血で血を洗う凄惨かつ無残で無益な興行だ。
そう理解した上でなお、先の仕合からは何か、それだけでは無い物を感じた。
心が動いたというべきか。
「――エリーゼの次戦は『コッペリア・マグノリア』が相手か」
不意に背後から声を掛けられ、シャルルは驚いて振り返る――ヨハンだった。
ヨハンの隣りには、ダークグレーのワンピースドレスを纏ったドロテアもいる。
「入室の際に声を掛けさせて貰ったが……驚かせてしまい申し訳ない、ダミアン卿」
「いや、気にする事は無いよ、モルティエさん。気づかなかった俺が悪い」
謝意を口にするヨハンに、シャルルは軽く首を振る。
闘技場に気を取られ、全く気づけなかったのだ。
「ところで……エリーゼの様子はどうだった? 次の仕合にも参加出来そうか?」
「次戦も参加可能だ――とはいえ万全という訳にはいかない。インターバルが一週間しか無い、負傷箇所の完全な再錬成には時間が足りない……」
ヨハンはシャルルの質問に答えると、ドロテアにソファを示して座るよう告げた。
次いでバルコニーから闘技場を見下ろし、改めて口を開く。
「それに『コッペリア・マグノリア』は強敵だ。『マリー直轄部会』の懐刀で最高戦力という噂も信憑性を帯びて来た。言いたくは無いが……苦戦は免れないと思う」
ヨハンの口調は重く、眼差しも暗い、仕合の行方を憂慮しているのだろう。
それはシャルルにも理解出来る、今までマグノリアの仕合を観戦していたのだ。
畏敬の念を抱かざるを得ない戦闘だった、それでも敢えて異を唱える。
「しかしマグノリアは今の仕合で左腕を負傷した。エリーゼと同じく、万全の状態では次戦に臨めない、だったら互角だ、そうだろう?」
「ああ、そうだな……互角だと考えたい」
ヨハンは相槌を打つ――が、その表情は冴えないままだ。
何か思う所があるのだろうか。
その時、眼下の観覧席から盛大な歓声が湧き上がった。
第三仕合が開始していた。
◆ ◇ ◆ ◇
特別トーナメント本戦、第三仕合を執り行います――
司会者の高らかな宣言に対し、居並ぶ貴族達は狂喜乱舞で応える。
円形闘技場に満ちる熱気は高まり続ける一方だ。
「まずはっ……!!」
演壇の前に立つ司会の男が、伝声管に向かって叫ぶ。
増幅された大音声は、闘技場内を駆け巡り木霊する。
「西方門より出でし戦乙女っ! 血風巻き起こす破壊の戦斧! 死と暴虐を司る悪意の精霊! グランギニョール戦績十三戦一敗! ゲヌキス領守護兵団所属! ナァヴゥウウウウルゥッ!」
闘技場の中央に立つのは、漆黒のレザースーツを纏うナヴゥルだった。
一九〇センチに届く長身、短くカットされた黒い頭髪、赤光を放つ瞳。
両手に携えた得物は巨大な鋼鉄製の戦斧――ハルバード。
全長二・五メートル、重さは三〇キロ超、これを扱える人間など地上に存在しまい。
しかしナヴゥルは造作も無く悠々と打ち振るう。
鋼のワイヤーを束ねた様な全身の筋肉が、可能足らしめているのか。
レザースーツの上からでも確認可能な、腹筋と背筋のシルエットが凶悪だ。
にも関わらずナヴゥルの描く身体のラインは、艶めかしくも優美なS字を描いている。
暴力的で官能的な、危険な匂いのする戦乙女。
それがナヴゥルだった。
「そしてっ! 東方門より出でし戦乙女! ガラリアの治安を維持する鉄壁の守護者! 驚天動地の槍術にて護国を司る! その魂は天空を舞う翼・ハルピュイア! 『錬成機関院』所属! ルミエェエエエルゥッ!!」
引き締まった肢体に白金の軽鎧を装備した戦乙女――ルミエール。
グランマリーを讃える聖句が彫金されたバック・アンド・ブレストが輝いている。
前腕部には蛇腹構造の白いガントレット、足元を覆うのも同じく白金のグリーブだ。
その手に握られた得物は長大な鉄槍、長さにして二メートルといったところか。
ショートにカットされたブロンド、白く整った美しい相貌。
対峙するナヴゥルを、真っ直ぐ見据えて物怖じする様子も無い。
『グランギニョール』に於ける序列は第二位。
先に行われたエキシビジョン・マッチでは、『マリー直轄部会』に所属する序列三位・ジゼルを損壊寸前まで追い込み、その実力が伊達では無い事を示した。
ナヴゥルは戦斧を右手で保持し、そのまま肩に担ぎ上げる。
軽く顎を上げ、半眼にてルミエールを見遣ると唇を歪めた。
「ふーっ……作法を踏まえよう。我が名はナヴゥル。前世は暴虐と死を司る悪意の精霊『ナクラヴィ』。敵対者全てを蹂躙する、ゲヌキス氏族の守護者なり――貴様も名乗れ」
「――私はルミエール。救国の白き精霊『ハルピュイア』は、神聖帝国ガラリアに仇成す破戒者を断罪する雷なり」
澄んだ声音で応答すると、ルミエールは手にした鉄槍を旋回させる。
右手で柄を握り直すと、そのまま背中に沿わせる形で静止させた。
トーナメント決着のルールはみっつ、損壊沈黙即敗北、コッペリアによる敗北宣言、介添人らによる敗北宣言。このみっつを以って、決着とします――司会の男が観覧席に向けて声を上げる中、ナヴゥルとルミエールは対峙したまま睨み合う。
その距離およそ六メートル。
「それでは、お互いに構えて!」
司会の男が告げると、ルミエールは左半身を前に鉄槍を構えた。
対するナヴゥルも、ルミエールと同じく左半身を前に戦斧を構える。
両者共に腰を落し、膝に溜めを作り、必殺の瞬間に備える。
そして観客達の熱い視線が降り注ぐ中。
演壇に立つ司会の男が、高らかに宣言した。
「始めぇっ……!」
◆ ◇ ◆ ◇
絶叫が響く中、先に動いたのはルミエールだった。
穂先を前へ、低い姿勢のまま石床の上を滑る様、真っ直ぐに距離を詰めた。
ナヴゥルを鉄槍の射程に捉えんとする、一気呵成の突進だった。
対してナヴゥルは腰を落したまま待ち構える、出方を伺おうという事か。
否。
ナヴゥルが手にした戦斧は、鉄槍より射程が五〇センチほど長い――故に。
「はァッ……!」
ナヴゥルは大きく一歩踏み込むと、全力にて戦斧を突き出した。
二・五メートルという長さを極限まで活かした、激しい突きだ。
放たれた右手の中で鋼鉄の柄が滑り、瞬く間に射程が伸びる。
ナヴゥルの戦斧にはスピアヘッドが設けられており、槍の様に使用する事も可能だ。
鋭利極まる戦斧のスピアヘッドが、鉄槍を構えたルミエールに吸い込まれて行く。
高速の突撃も相まって、距離感を見誤らせる見事なカウンターだ。
――が、その刺突をルミエールは、手にした鉄槍の穂先にて弾き飛ばし、横へ逸らす。
流れに任せてそのまま前へ、留まる事無く深く踏み込む。
カウンターに対し、カウンターを被せたのだ。
「……っ!」
一切躊躇の伴わぬ、死の一突きがナヴゥルの顔面へと迫る。
回避は間に合うのか。
いや、戦斧を弾かれた衝撃で、ナヴゥルの姿勢は僅かに崩れている。
僅かな崩れだが、瞬きほどの刹那にあっては重大なタイムラグだ。
決死決着かと思われた次の刹那。
ナヴゥルの左手――ガントレットの装甲部から、鋭い鉤爪が勢い良く撃ち出された。
対エリーゼ戦でも使用された、仕込みの武装だ。
耳を劈く甲高い音が響き、火花が飛び散る。
槍の穂先を、ガントレットから撃ち出された鉤爪が、強烈に弾き飛ばしたのだ。
更にナヴゥルは、右腕一本で支える戦斧の柄を捻ると半回転させる。
次いで一気に手元へと引いて戻した。
「ふんっ……!」
横に張り出した巨大な斧刃。
重厚かつ冷徹な輝きが、鉄槍を握るルミエールの後頭部を襲う。
ルミエールは致死性の高い背後からの一撃を察し、左腕を跳ね上げた。
とはいえ、ガントレットを装備した左腕のみで防げる威力とは思えない。
殺意の籠ったナヴゥルによる反撃だ。
しかし次の瞬間。
跳ね上がったルミエールの左腕――その左肘から、仕込み刃が力強く飛び出し、戦斧の柄を弾いた。
これは先のエキシビジョンで、シスター・ジゼルにも使用した武装だ。
「ふっ……」
火花が尾を引きながら、身を屈めたルミエールの頭上を超えて行く。
ナヴゥルは引き寄せた斧刃が回避されたと見るや、背面に旋回しつつ身を翻すと、戦斧の柄で逃れたルミエールに追撃を仕掛ける。
「はっ……!」
この追撃に対しルミエールは、跳ね上がったままの鉄槍を縦に大きく旋回させた。
更に石突にて床面を打つと、棒高跳びの要領で、後方へ飛び退いたのだ。
改めて互いに得物を構え、対峙する。距離にして四メートル。
「――さすがは序列二位と言ったところか」
「……」
ナヴゥルは低く囁く、呼吸に僅かほどの乱れも無い。
ルミエールは応じず、ナヴゥルを見据える。
「しかし我は、我が怨敵と再び相まみえんが為、此処に在る……貴様には散って貰うほか無い」
突き出した戦斧を、徐々に側面へ振り被りながら。
ナヴゥルは口許に、酷薄な笑みを浮かべた。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。篤志家として知られている。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ルミエール=『錬成機関院』所属コッペリア。グランギニョール序列二位。




