第一二三話 人形
・前回までのあらすじ
仕合の最中にエリーゼを牽引するワイヤーが唐突に切れた。ギリギリのところで回避するものの、この事に何かの兆候を感じ取ったのか、エリーゼは使用中のワイヤーを全て切断、新たなワイヤーに交換すると同時に、床の上に放置されていたダガーを確認する。一方、バルコニー席ではベルベットの勝利を信じるベネックス所長が、ベルベットの抱える謎の一端に触れるのだった。
エリーゼの白い背中に装備された特殊武装『ドライツェン・エイワズ』。
その本体は鈍い光沢を放つ、直径一〇センチ、厚さ三センチの金属円盤だ。
円盤にはバイオリンのネックにも似た精密な小型アームが八本、接続されている。
それら精密アームは仄かに蒸気を漂わせ、微かな駆動音と共に稼働していた。
アーム内部にて先ほど切断したワイヤー三本に、新たなフックを結びつけているのだ。
同時にエリーゼは、手にした血染めのダガーを打ち捨てる。
そして、両の腕を改めて躍らせる。
風切り音が響き、タイトな白いドレス姿の背後に、二つの光球が浮かび上がった。
大腿部に巻かれたダガー・ホルダーより、新たに抜き出された二本のダガーだ。
一〇メートル前方では、こちらを見据えるベルベットが、再び動き始めていた。
黒のワンピースドレスは、紅色の濃縮エーテルを吸い込み、手足に重く絡んでいる。
ベルベットの負傷個所は四か所、両肩に脇腹、そして左大腿部。
浅い傷では無い。
既に抜き去られているとはいえ、スローイング・ダガーが半ばまで突き刺さったのだ。
にも拘らずベルベットは、意に介する様子を見せず、こちらへ歩み寄って来る。
足取りも重くは無い、真っ直ぐに歩き続ける。
左右に垂らした両手には、冷たく煌めく二振りの小剣――グラディウス。
顔を軽く伏せ、眼鏡越しに、上目遣いに、口許には不穏な笑み。
歩みは小走りへ、徐々に身体を前傾させ、やがて疾駆へと切り替わる。
風を裂き、地を這う様な疾走だ、ダメージなど一切感じさせぬ速さだった。
相対する距離が五メートルを切ったところで、エリーゼは後方へと跳躍する。
低い軌道での急激な後方跳躍、ワイヤーによる牽引を選択していた。
同時に、背後で浮遊する二つの光球が、二筋の光線と化して前方へ伸びる。
距離を取りつつのカウンター攻撃だ。
流血の糸を引きながら、突撃するベルベット。
白い残像を残しつつ、後方へ逃れるエリーゼ。
二人の間を、ワイヤーに繋がれたスローイング・ダガーが閃く。
床面スレスレの低い軌道は、大きく弾き飛ばされる事を警戒しての事か。
「ふっ……!!」
ベルベットの携えたグラディウスが、空間を薙ぎ払う。
甲高い音と火花が二連続で弾け、エリーゼの放ったダガーは彼方へと飛ばされる。
ベルベットは、着地姿勢に入ったエリーゼの許へ一気に突っ込んで行く。
――が、疾走するベルベットの足元から、銀の光が跳ね上がった。
それは弾かれた二本とは別の、新たなスローイング・ダガーだった。
ベルベットが疾駆する直前。
エリーゼは血に塗れたスローイング・ダガーを打ち捨てた。
その際、密かに自身の足元へ未使用のダガーを一本、放置したのだ。
そして攻撃に用いたダガー二本――うち一本に、フック付きワイヤーを二本接続して使用、加撃寸前にワイヤー一本を解放、そのワイヤーにて放置されたスローイング・ダガーを捉え、下方からの不意打ちを行ったのだった。
反応すら困難な超至近距離からの攻撃。
更にグラディウスは振り切られており防御もまた困難。
思考する間も無く、危険な煌めきがベルベットの足元より襲い掛かる。
「しぃいいっ!!」
しかしベルベットは、その一撃を無視する様に、エリーゼ目掛けて飛び込んだ。
ダガーの一撃にて大ダメージを負うより先に、切っ先がエリーゼを捉えたなら良し。
そう判断したか。
とはいえエリーゼが、回避を放棄して待ち続ける筈など無い。
やはり後方へ既に、フック付きワイヤーを伸ばしていた。
全力にて飛び込みざまに、双剣を振るうベルベット。
左右より迫る白刃を、ワイヤー牽引にて大きく跳躍し、回避するエリーゼ。
必殺の閃きが疾走り抜ける。
「……っ」
が、振るわれた切っ先は僅かに届かず。
同時に鈍い音が響いた。
エリーゼの放った三本目のダガーが、ベルベットを捉えたのだ。
しかもその位置は左胸――致命傷だ。
にも拘らず。
「はぁあああああっ!!」
ベルベットは更に力強く踏み込み、跳躍する。
そして全身を捻り上げながら、猛然と双剣を振るった。
二筋の光と化した刃が追い縋る。
その攻撃をエリーゼは、左方向へ更にワイヤーを伸ばして牽引、回避する。
僅かに刃は届かない。
代わりにベルベットの全身から溢れる濃縮エーテルが、辺り一面に飛び散った。
その飛沫を避ける様に、エリーゼは身体を丸めてガードする。
ベルベットの濃縮エーテルは、腕に、首筋に、純白のドレスに、点々と紅い染みを作る。
返り血に塗れながら、エリーゼは着地し、ベルベットは脚を止める。
「はぁ……はぁ……」
立ち止まったベルベットは振り返り、肩越しにエリーゼを見遣る。
グラディウスを握った右手を胸元へ伸ばし、指先でダガーを摘まむと引き抜いた。
ドロリとした鮮やかな紅色が左胸から溢れ出し、足元に垂れて落ちる。
硬い音と共にダガーは投げ捨てられ、ベルベットはエリーゼの方へと向き直った。
その様子を確認しながらエリーゼは立ち上がる。
背後に浮遊する光球――スローイング・ダガーは無い。
先ほどと同じく使用したワイヤーを切断し、ダガー三本を放棄したのだ。
大腿部のホルダーに納まるダガーの数は、残り六本。
「――過去に、あなたと似た構造のオートマータと仕合った記憶がございます」
向かい合う二人の距離は五メートルほどか。
エリーゼは静かな口調で囁く様に言う。
「それは『オートマータ』というより、原初の『ゴーレム』に近しい存在。内部骨格を駆動させ、血肉は『人』としての体裁を整える為の素材にして燃料。故に人としての急所は存在せず、心臓、肺、動脈、臓器、それらも半ば意味を成さぬ、装飾の様なもの」
ベルベットの血に紅く染まったエリーゼの両腕は、未だ下方へ垂れたままだ。
臨戦の姿勢では無かった。
そんなエリーゼを見つめるベルベットの口許には、狂喜の笑みがへばりついている。
気づけば、乱れていた筈の呼吸すら整っている。
左右のグラディウスを握り締めたまま、姿勢を低く沈め始める。
またもや突撃を掛けようというのか。
「ですが生物としての構造を無視した『ゴーレム』に、柔軟かつ俊敏な挙動は困難、にも関わらずあなたは、俊敏自在な挙動を示す」
ふと、エリーゼは自身の右腕を示す様に、前方へ差し出す。
返り血の飛沫に染まった右腕だ。
「加えてこの腕に付着したあなたの『血液』……ここにも特殊な機能が与えられている、云わば『毒』に等しい機能が。これらの特異な機能が、あなたの強みと言えましょう」
「……次は逃しません」
小鳥の囀りを思わせる心地良い声が、エリーゼの言葉に応じた。
狂暴な牙を有した口許から零れる声は、無垢な童女のものとしか思えなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
『待機スペース』のベンチに座るカトリーヌは顔を上げ、レオンを見遣る。
『蒸気式小型差分解析機』――スチーム・アナライザー・アリスよりタイプアウトされる計測数値が、徐々に悪化し始めた為だ。
鉄柵に手を掛けたまま闘技場を臨むレオンの立ち姿に、大きな変化は無い。
しかし今、レオンの身体は、何らかの不調に蝕まれている筈なのだ。
専用用紙に打ち出された数値が正しければ。
レオンの両腕、首筋、胸元には、火傷にも似た痛みが広がり始めている。
それはつまりエリーゼにも同様の――否、それ以上のダメージが広がりつつあるという事だ。
焦燥と恐怖が背筋を走り抜ける。
余りの熱気に汗が染み出す闘技場にあって、カトリーヌは肌が粟立つのを感じた。
それでも。
「……っ!」
カトリーヌは『蒸気式小型差分解析機』のキーを、一心不乱にタイプする。
レオンに神経に掛かる過剰な負荷を、アナライザーの音響機能で軽減する為だ。
一瞬、傍らに座るドロテアへ視線を送る。
ドロテアはベンチに座り、俯いたまま動かない――先ほどと変わらぬ様子だ。
いや違う、微動だにしない。微かな呼吸音だけが規則的に聞こえる。
機能をフル稼働させ、レオンの負担を制御しているのかも知れない。
いずれにせよ、ここが正念場だ。
怖くても、震えても、乗り切るしか無い。
不安も迷いも全ては後回しに、今出来る事を、そう誓って此処に来たのだ。
カトリーヌは全力で調整作業を続けた。
※来週11月13日【土】は更新お休みとなります!
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。レオンのサポートを行う。




