煩悩を祓うのは座禅とタライ、なのです(笑)
翌日、俺は約束どおり水涼さんのところへ向かうべく支度を調える。
トレーニングがてら走って行くためと、これまでの経験上、水に濡れても良いように適当なシャツとジャージパンツで行くことにした。
どうも神様ってのはどいつもこいつも俺を濡らしたがるみたいだから、対策しておくに越したことはない。念には念を入れて、替えの衣類も持って出ることにした。
この日は曇り。日が差さないのはここ最近では珍しい。外に出ると幾分かいつもより気温も低めだ。肌を焼く熱線がないというのは体力の消耗が押さえられて正直助かる。
まずは御台所清水を目指す。距離にして約四キロ、二十五分くらいの時間をかけてじっくりと走ろう、と頭の中で計算をする。
昨日帰ってから、真愛からLINEで『無事に帰った』という連絡が入ったので、ひとまずは安心した。
だが、うかうかもしてられない。いつ玻雀が真愛に手を出してくるか分からない。ただやつも騒動を起こしたばかり、馬鹿でもない限りすぐに行動を起こすとは考えにくい。だが不安は拭えず、焦りが募る。早く、玻雀の力の正体を掴まなければ。
俺の走るスピードは自然と速くなり、気がつくと御台所清水に到着するのに二十分を切っていた。
ほどよく汗もかいて、体は準備万端だ。水涼さんは清水の石段に腰掛けて俺を待っていた。
「水涼さん!」
水涼さんが俺の声に反応して振り向く。相変わらずおっとりとした表情で俺を迎えた。
「おはようございます、一途さん」
「ああ、おはよう。待たせちゃったかな」
「いいえ、そんなことありませんよ。私、時間を潰すのは得意ですから」
それはつまり待ってたってことなんじゃないか。だが水涼さんのことだ、ほっといても一人でいつまでも遊んでいられるタイプのようだから、彼女には待ったという感覚はないのだろう。
「早速だけど、その今日会うっていう神様のところに案内してもらっていいかな」
俺ははやる気持ちを抑えきれず、水涼さんに申し出た。
「はい、もちろんです。今日は諏訪清水に一緒に来てもらいます」
「え、諏訪清水?」
それは昨日、あの玻雀との一件があった神社の側にある清水だ。ここからはあまり離れていない。歩いてもせいぜい十分かからないくらいだ。
「はい、昨日はそこの神様と一緒に一途さんたちを見てました」
水涼さんも俺の表情を見て察したのか、そう口にした。
「そうか、見てたなら話は早そうだな」
「というよりは、あの方のほうが今回の件についてはよりお詳しいですよ」
「え、そうなの?」
一体、俺は今何に巻き込まれているんだろうと、ふと疑問が浮かぶ。
自分自身ではただの自分磨きとして水涼さんにお願いをしただけのはずだったのだが、なんだか知らないうちにどんどん変な方向に向かっている気がしてならない。俺は今、何と戦っているんだろう。
「あの方は神様の中でも、特に長い歴史を見ておいでですから。私たち若輩者とはわけが違うんです~」
「若輩者って……水涼さんでも三百年って言ってたけど、それより長いってことだよな」
「はい、ざっと千年は越えているかと」
「せ、千年!」
途方もない話だ。そんなに長く生きたら(死んではいるけど)どんだけ人生のスケールがデカいんだ。一体、神様っていつからいるんだろう。
「ではここで話していても仕方ないですし、行きましょうか」
「お、おう」
次は何だかとんでもない神様が待っていそうだ。千年越えなんて、老獪な神様とか、あるいは神々しくて眩しすぎる神様とか、そんなのばかり頭に浮かぶ。これはかなり心してかかる必要がありそうだ、装備を充実させておいて良かったぜ……。
いろいろとそんな心構えをしている俺をよそに、水涼さんは鼻唄を歌いながらてくてく歩いて行く。俺もその後を付いていった。
空を見上げると、家を出たときよりも光を遮る雲の厚みが増していた。
***
再び、昨日の神社の境内に立つ。
わずかに風が吹いており、木々の揺れる音が周囲に漏れる。陽が入りにくく、しかも今日はずっと曇りのため、この場所は夏にしては肌寒く感じた。
夜市はあと二日間続くため、町の中にはところどころに屋台が残っていた。一部は昼からでも焼きそばやたこ焼きなんかを売っており、その香りが辺りを漂って、遠くからは肌寒さと真逆の熱気のようなものを感じた。
「こちらです、一途さん」
俺は水涼さんに促されるように、裏手にある諏訪清水へと歩を進める。
諏訪清水はこの町の最も古い神社であるこの諏訪神社にある清水で、古くは『一心清水』とも呼ばれていた。
隣に伊勢堂川という川が流れており、その川を一として、また点在する四つの清水が合わさって心として読めることからその名で呼ばれたそうだが、諏訪神社のそばにあるということから、いつしか一般的には諏訪清水と呼ばれることになった清水だ。
周辺には竹やケヤキ、紅葉に杉とさまざまな種類の樹木が生い茂り、休憩所として長椅子が設けられている。その上に覆い被さるように梅の木が生えており、なんとも緑豊かで神社の雰囲気も相まって和の情緒を感じられる場所だ。
今も静かにせせらぎの音を聞かせる諏訪清水。周囲には人の気配も、神の気配も感じられない。
「なあ、諏訪清水の神様ってどんなやつなんだ?」
「会ってみれば分かりますから」
水涼さんはそうとだけにっこりと返す。そして彼女は清水に向かって呼び掛けた。
「一心さーん! 来ましたよー」
清水のせせらぎに水涼さんの声が溶け込んでいく。辺りはしんと静まりかえっている。
やがてぽわっと、両手に収まるくらいの水球が清水より浮かび上がり、輝きを放った。
「うわっ、眩しい――」
閃光のように光を放ったそれは、俺から視界を奪う。やがて光が収まり、ゆっくりと目を開けると、そこには何の変化もなかった。神様が現れた形跡もなく、風景も数秒前となんら変わりは見られなかった。
「あれ、誰もいないぞ?」
周囲を見回してもただ緩やかに川が流れるだけ。木々も変わらず風に乗って葉擦れの音を奏でている。今のは一体、何だったんだ。
「――ここにおる」
不意に聞き慣れない声が聞こえた。
ぎょっとして声の出どころを探すと、それは俺の顔のすぐ真下だった。そこにはまだ年端も行かぬ小さな女の子が立っていた。十歳にも満たないと思われるその女の子。黒くて長い髪が印象的で、着物を着ている。着物というよりは平安装束といった感じだ。身長は百あるかないか。これは、まさか……幼女?
「き、君はどこから来たの? 迷子かな?」
幼女がこちらに鋭い視線を向ける。しかし幼女、怖さよりは可愛さのほうが断然勝っている。
「あ、あの~一途さん。この方は諏訪清水の神様で~」
水涼さんが少しおろおろしたように説明する。は、だって幼女でしょ。
「聞こえんかったか、うつけが」
「う~ん、どこで覚えたのかな? そんな言葉」
信じたくはないが、この態度を見れば分かる。この幼女は神様だ、そしてこの感じは、まさか――
「儂がこの清水の神、名は一心。水涼よ、昨日も思ったが、えらく間の抜けた阿呆を引き入れたものじゃな」
ロリババァ、きたこれ天使アビリティ。




