終章 戦士の帰還 下
セイジが珈琲を飲み始めて暫くもしないうちに、スウェンとも馴染みのある大佐の遣いがやって来た。彼らは、早々にアリスとマルクの保護を確認した事を、まずはスウェンとハイソンに報告した。
どうやらショーン・ウエスターが、先程スウェンから追って指示させた件について、後押しするような発言をしたようだ。それをかばう大佐の権限も効力を発揮し、マルクも丁重に保護され、先に病院へ搬送されたらしい。
スウェンは、今後について、早急に三人で話したいとの伝言も受けた。
「急ぎ話したい事ではあるけど、少し待ってくれないかい? まだログが起きていなくてね。彼の無事も確認しなきゃならないし、エル君についても、彼に直接訊かなきゃならない」
「はぁ。『エル君』とは、紛れこんだ民間人の事でしょうか?」
大佐の遣いである、スウェンより数歳年下の軍人は、立ち上がったスウェンをしばらく見つめ、困惑にひっそりと眉を寄せた。彼は、こちらの様子を見守るセイジをちらりと見て、奥に横たわるローランド・グローブへ目を止め、悩ましげに「ですが」と言葉を告げた。
「所長もすぐそこまで来ている状況です。大佐としては、他の者が動く前に『この件』について話し合いたいと申しております。ですので、彼らには目覚め次第、追って連絡を寄越してもらう形で――」
その時、奥の寝台で大きな物音が上がり、スウェン達は、何事だと驚いて一斉に目を向けた。
そこには飛び起きたログがおり、彼は目覚めて早々、身体に巻きついていた機器を勢いよく外し始めていた。その際に機材の一つが床に滑り落ちて派手な音を立てたが、ログは構わず「邪魔くせぇッ」と悪態を吐き、心拍などを確認する機器を強引に身体から引き剥がした。
普段にないぐらいに荒々しい。
何かあったのか……?
ログの様子に目を丸くしつつ、スウェンは「どうしたの」と声を掛けたのだが、ログは気付かなかったようだ。目覚めたばかりで身体のバランスがうまく取れないのか、壁に手をつきながら歩き出した。
少し歩いたところでようやく、ログは、ベッドに腰かけるセイジと、見覚えのある大佐の遣いと、それからスウェンに目を止めた。彼は仏頂面を更に顰めると、「お前、何してんだ」とスウェンに尋ねた。
スウェンは、ログの体調に大きな問題はなさそうだと見て、心の中で安堵した。『破壊の力』を行使した際には、腕に見える異常が現れる事もあるのだが、今のところ悪影響は出ていないようだ、とさりげなく確認した。
ログは目覚めたばかりで、状況を把握していないはずだった。しかし、スウェンが観察する間も、彼は怪訝な顔でラボ内をざっと見渡したかと思うと、元々興味がないと言わんばかりに、すぐにラボから出て行こうとした。
その様子を見て、スウェンは心配になった。エルがどうなったのかも聞かなければならないので、「ちょっと落ち着きなよ」とログの肩を掴んだのだが、「そんな暇はねぇ」と振り払われてしまった。
軍人特有の喧嘩に発展するのではないかと、ハイソンが慌ててスウェンとログの間に入った。ハイソンの後ろでは、傍観者を決め込んだクロシマが、セイジに向かって再度チョコバーのお菓子を勧めていた。
「ログさん落ち着いて下さいッ、すぐには動けないと思うので、少しだけでも安静に――」
「問題ねぇよ。ちょっと車を出すだけだ」
「運転する気ですか!? 無茶ですってば!」
「何だと?」
ハイソンが思わず悲鳴に近い声を上げると、ログが途端に鼻頭に皺を寄せた凶暴面で、自分よりも背の低い彼の胸倉を掴み上げた。ハイソンは、半ば足が浮いた状態で「なんでログさんは、こんなにも機嫌んが悪いんだ」と、今にも死にそうな顔をした。
スウェンが慣れたように仲裁に入り、ハイソンを解放させた。
「落ち着きなよ、ログ。エル君はどうしたんだい? まさか、最悪の展開になっているとかではないよね……?」
「あいつは無事だ」
その回答を聞いて、スウェンは胸を撫で下ろした。
「そうか。つまりホテルの彼が無事にあの子を助ける事に成功したから、君が迎えに行こうとしている、という事でいいのかな?」
「お前、何か知ってんのか?」
「そこで僕を睨まないでくれるかな。詳細はあまり知らないけど、ホテルの彼が悪役を演じつつも、色々と手を回してくれていたみたいだと、そう推理出来たところだよ」
スウェンとログのやりとりを茫然と見守るハイソンが「『ホテルの彼?』」と首を捻った。クロシマが「『ナイトメア』だったら面白い展開っすよね」と、安易な憶測を口にした。
後ろで行われるやりとりを聞き流し、スウェンは、まずは荒ぶる部下を落ち着けようと説得を続けた。
「ホテルの彼がハイソン君達に指示して、既にエル君が戻ってくる可能性のある現場に人を向かわせている。アリスとマルクは、さっき無事が確認された。もしエル君が無事であるのなら、君は安心してここで待っているといい」
じきに発見の連絡があると思うよ、とスウェンは宥めるよう説明したが、ログの眉間に更に深い皺が入るのを見て「おや?」と首を傾げた。
「あいつを人に任せておけるか。お前はさっさと上にいるジジィ共の相手をしろ」
「ジジィ共って……まぁこれからそうする予定だけど、ログは少し休むべきだよ。仮想空間内とはいえ『能力』を使ったのだから、疲労で身体もろくに動かせない状態のはずだろう?」
「じゃあ、お前が車を出せ。今すぐだ」
「今日はまた随分と反抗的だなぁ。だから、僕は大佐達とも話があるから見動きが取れないんだってば」
その時、ラボに設置されている電話が鳴り響いた。ハイソンがシャツの襟を整えつつ、その場の全員が聞こえるよう、電話の通話回線をオンに切り替えた。
スピーカーから流れてきたのは、国際通りで特徴に一致する少年を発見した、という報告だった。しかし、何故か、報告する男の声は酷く疲弊しきっていた。
発見した時、黒いロングコートの少年は泣いていたという。派遣員達は、丁寧な日本語で話しかけたのだが、その子供は黒服スタイルの異国人の男性集団を警戒でもしたのか、何故か一通り全員、もれなく叩きのめしてしまったのだという。
少年は少し怪我をしており、疲労してもいる様子なので保護したいのだが、近づくと接近戦に持ち込まれて全く手も足も出ない。少年は、今も壁際に腰を降ろして泣き続けており、どうしたらいいか、と男が電話越しで指示を仰いできた。
報告内容を聞いたクロシマが口笛を吹くかたわらで、ハイソンは「民間人だよな……?」と唖然として呟いてしまった。迎えに向かわせたのは、大佐に直属する部隊の人間だったはずだ。そんな彼らが、手も足も出ない状況というのが予想外すぎる。
すると、ラボにいる者達が「どういう事?」と困惑したように囁き始めた。セイジがぎこちなく宙を見やり、「全員やられたとなると、本物のエル君だろうなぁ」と困ったように呟いた。
スウェンは、「しまった」と頭を抱えた。
「僕とした事が、その展開を予測出来なかったなんて……」
実際にエルの戦いぶりを見た人間であれば、外見が未成年である華奢なその日本人が、どれだけ手ごわい敵となるかは容易に想像が付けるが、スウェン達の他はその現状を知らないのだ。
思い返せば、スウェンは仮想空間にいた際、それをハイソン達に報告していなかった。その件に関しても、これから大佐達には伝えるつもりではあったのだ。偶然にしては不自然な点もあるので、エルを育てた『おじさん』についても早急に調べ、所長であるショーン・ウエスターにも確認するつもりでいた。
「増員を頼んだ方がいいですかね……?」
そんな事情を知らないハイソンが、困ったようにスウェンへ目を向けた。スウェンは溜息を一つこぼすと、思案するように額に手をあてた。
「……全く、あの子は期待を裏切らないね。応援を寄越したとしても、体術戦じゃ敵わないだろうし――とはいえ、武器や薬を持ち出したら、そいつらを僕が殺してやる」
ハイソンは、初めて見るスウェンの殺気立った冷酷な横顔を見て、本能的に後ずさりし「じゃあどうしろと!?」と思わず素で叫んだ。
その時、ログが不敵に笑った。
「そら見ろ、他の連中じゃ無理だ。ハイソン、向こうの連中には、俺が行くから手は出すなと伝えておけ」
ニヤリとして言い切ったログの表情は、どこか誇らしげで、すっかり機嫌も良くなっていた。
スウェンは、どうやらログが、自分以外の男では相応しくないと見て勝手に満足しているらしい、と察しつつ、彼を止めようとした。しかし、少し佇んでいる間に身体が動くようになったのか、こちらが止める間もなく、ログは勝手に研究室を飛び出していった。
心配したセイジが立ち上がり、スウェンに「私も行ってくる」と告げて続けて駆け出した。こちらも、スウェンが声を掛ける暇もなかった。
腹部を片手で押さえたハイソンが、電話越しに指示を伝えるそばで、一連の様子を見ていたクロシマが、ふと「面白そうっすね」とニヤリとした。彼はハイソンが電話の対応に気を取られている隙を逃すまいと、スウェンに向かって挙手した。
「スウェン隊長。自分が車を出しますよ、手が空いているんで」
「君、車は持っているのかい?」
「ありますよ。大丈夫、大男二人ぐらい余裕で乗れますんで、どーんと任せて下さい」
どこか溌剌とした爽やかな笑みを浮かべたクロシマが、指を二本揃えて「じゃ」とスウェンに合図を返して踵を返した。電話を終えたハイソンが、それに気付いて「待てクロシマッ」と青い顔で呼び止めたが、クロシマは「何も聞こえないっす~」と律儀に返事をして、ラボを飛び出していった。
あっという間に、三組分の足音が遠ざかって聞こえなくなり、スウェンは、ログがエルに向けているらしい想いを考慮して、迎えに行く件については譲歩する事にした。
スウェンとしても、信頼している部下二人が迎えに行く方が安心出来るし、クロシマという運転手が付いているので、多分大丈夫だろう。
改めて大佐の部下と向かいあったスウェンが、「じゃ、僕らは大佐のところに行こうか」と声を掛けた時、ハイソンが「ちょっと待って下さいッ」とスウェンを引き止めた。なんだろう、と振り返ると、頼りなさそうなハイソンの丸い目と合った。
「あの、ログさんは大丈夫でしょうか……?」
「まぁ体力は底をついちゃう可能性はあるけど、丈夫で回復力も高いのも彼の強みだからね。ログとしても、一番に駆けつけて、格好良いところを見せ付けたいんでしょ」
そこで、スウェンは気掛かりを覚えて、思わず視線をそらして口の中で呟いた。
「何があったのかは知らないけど、あれは確実に、自分の気持ちに気付いた後だよね。もう冗談抜きで本気なんだろうけど、僕としては、エル君がすっごく心配でもあるんだよなぁ……」
不器用で鈍いログは、ああ見えて一途に走るタイプではあるので、恐らくエルを怯えさせるような事はしないだろうとは思うが、猪突猛進というか、恐らくこれまでの反動もあって、愛が超ド級に重くなる可能性も……
そもそも、仮想空間内で彼の妄想を聞いた後なので自信がない。
ログの野獣っぷりを考えると、更にスウェンの「大事にするはずだから、きっと大丈夫」という自信は萎んだ。仮想空間内では五感は完全ではない。生身の身体でエルを見て、触れたログが、どう反応するのか猛烈に気になってきた。
「――うん、ここは僕がしっかり頑張るしかないね。これからは僕とログが暮らす家に、エル君を住まわせる訳だし、所帯を持っているセイジを呼ぶわけにもいかない。いや、そもそも、そういった話にセイジを巻き込むのもなぁ……うーん、実に悩ましい」
「あの、話がよく見えないのですが……?」
「ああ、独り言だから気にしないで」
ハイソンの存在を思い出して、スウェンは思考を切り替えた。
「でも良かったよ。僕としても、あの二人になら安心してエル君を任せられるし、君のとこのクロシマ君が運転してくれるっていうから、助かるよ。さすがのログも、あの身体で運転までは出来ないだろうからね」
そのスウェンの言葉に、ハイソンは、クロシマの行動を思って気が重くなった。確実に、キリキリと胃の辺りに鋭い痛みを感じる。ひとまずは、運転手を買って出たクロシマが、新たな問題を起こさないよう祈るしかない。
そんなハイソンを見て、スウェンは「今回の事件について心配しているのか」と考え、込み上げた笑いを滲ませて彼の肩を軽く叩いた。
「心配しないでよ。今後の事については僕と大佐の方でも上手くやるし、君のところの所長にも、活躍してもらうつもりでいるから」
「はぁ、いえ、その、それは心強いのですが……。心配なのは、クロシマが協力を申し出て、ログさん達について行った事なんですよ。あいつ、うちで一番のトラブルメーカーでして……」
「とりあえず時間がないし、先に面倒事を片付けてしまおうじゃないか。早く済めば、それだけ早く打ち上げも出来る。――じゃ、後でね」
スウェンはハイソンの不安事を聞き流し、後ろ手を振って歩き出した。すると、言われた言葉を遅れて噛み砕いたハイソンが、「え」と目を丸くして、さっとスウェンの背中へ目を向けた。
「飲み会、ですか?」
「うん、そう。ログが第一提案者なんだけどね」
「『後でね』って、つまり、また後でこちらに…………?」
「それ以外に何かあるのかい? とりあえず、とっとと向こうの話を終わらせて、ここに戻ってくるよ。その時にまた話そう」
心持ちは何だか軽かった。レッテルを一方的に張るのは、結局のところ自分自身の問題なのだろう。
実際に話してみないと分からない事もあるんだなぁと、スウェンは後ろから聞こえてくるハイソンの「ッまた後ほどです!」と、どこか嬉しそうな声に、そんな事を思いながら、肩越しに手を振り返した。
※※※
大佐の遣いである男と共に、研究所を出たスウェンは、ログの愛車ハマーが、荒々しい運転でゲートへ向かっているのが見えて「おや?」と首を捻った。
どうやらクロシマは、自分の車を出さないまま、ログに勧められて彼の愛車を運転する事になったらしい。ログが他人に愛車を運転させるのも珍しいので、そこでも、ログの機嫌の良さが窺えた。
スウェンは迎えの車の前で、しばし立ち尽くしていた。
クロシマという男がハンドルを握る、不慣れな運転の様子が窺えるハマーの行方を、なんとなく目で追っていると、隣に控えていた軍人が双眼鏡を渡してくれたので、スウェンはピントを調整して中を覗き込んでみた。
ハマーの運転席には、微塵の躊躇もなく悪戯好きの目を輝かせ、ハンドルを握るクロシマの姿があった。助手席には持ち主であるログが、クロシマと同じタイプの不敵な笑みを浮かべて、豪快な指示を出している様子が見て取れ、窓の開いた後部座席には、顔を蒼白させたセイジの姿がある。
……なるほど、こういう事か。
スウェンは、ハイソンの心配事についてようやく理解に至った。恐らくクロシマは、かなりの愉快犯なのだろう。
ログの愛車の行方を目で追ったスウェンは、思わず「あ」と声を上げた。同じようにその方向を見ていた軍人も、「えッ」と肩を跳ねさせた。
改良されて装甲車並みに頑丈な造りをしているログのハマーは、スピードを落とす事なくゲートまで突き進むと、出入り口を破壊して国道へと飛び出して行った。運転手の躊躇のなさが、押し潰されて歪んだ金網からも見て取れた。
「…………」
「…………」
スウェンは双眼鏡から目を離すと、ふぅっと息を吐いた。
うん、とりあえず後で考えよう。
もしくは、ついでに大佐にでも押し付けておくか、と彼は考えて車に乗り込んだ。きっと、それぐらいに早くエルを迎えたいだろうログの気持ちも分からないでもなく、もしかしたら、仮想空間で別れる際に「一番に迎えに行くから」とでも約束したのかもしれない。
何があったのかは分からないけれど、多分、そういう事なのだろう。
とりあえず、一旦こっちに戻ってるように伝言を頼んでおこう。ログからも話を聞かなければならないが、スウェンとしても、エルの無事を自分の目で確認したい。車が走り出す中、彼は、車内に搭載されている電話機へと手を伸ばした。
今日いっぱいは特に忙しいだろうな、と思案するスウェンの口許には、ログやクロシマと同じ、どこかすっきりとした清々しい笑みが浮かんでいた。




