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柴犬は分かる

 十九歳の夏。俺は、顔を失くした。

 自分の顔の話じゃない。いや、自分の顔も含むのか。

 親の顔、友人の顔、医者の顔。そして鏡の中の男の顔——この世の顔という顔が、あの夏、俺の世界から一斉に退場した。


 そして、代わりに入場してきたのが、光る点だった。

 順を追って話そう。


  ※


 葛西湊、汐見大学経済学部一年。

 経済学部を選んだ理由は「なんとなく」だ。高校の担任に「シオ大の経済とか、どうだ。成績的には、頑張ればワンチャンあるぞ」と言われたから。我ながら主体性のかけらもない。

 将来の夢は「未定」、得意科目を訊かれたら「特にない」、物理は高校時代から赤点すれすれで、数学は「解答を見れば何とか分かる」。

 要するに、日本中の大学にまんべんなく生息している、ごく標準的な文系の一年生である。


 あれは前期試験の初日が終わった夕方だったから、七月十八日のことだ。

 試験の出来は、訊かないでほしい。ミクロ経済学の答案に描いた需要曲線が、途中からどう見ても放物線になっていた。

 そんな男に、このあと世界がどんな課題を出してくるか、俺には知る由もなかった。


 帰り道、商店街のたこ焼き屋「蛸八」に寄った。

 無口な大将が、焼き台で千枚通しを閃かす。

 ソースとかつお節と湯気が放つ香り。

 鉄板をカツンと叩くときの音色。

 手元の雄弁さと、無口のコントラストが渋い。

 十二個入り、四百五十円である。


 俺はたこ焼きを熱いまま食えない。猫舌なのだ。だが、どうせなら主義だと言ってみようか。熱々を頬張って悶絶するくらいなら、冷めるのを待って、味だけを静かに受け取りたい。だから蛸八からの帰りは、家に着く頃に、ちょうど食べごろになるようにする。


 堤防の上の道を、自転車でゆっくり、ジグザグに進む。

 タイヤと砂粒のプチプチ音をBGMに、汐見川の水面は、夕日でオレンジに燃えている。穏やかな夕暮れ。


 だがそこに……白黒の猫が飛び出してきた。やばい。

 俺はハンドルを切った。

 砂利の上のタイヤが、急ハンドルでスリップした。世界が九十度回る。

 そして、俺と、自転車と、十二個入りのたこ焼きパックは、堤防の斜面をそれぞれ別々の軌道で転がり落ちていった。

 最後に見たのは、ひっくり返った夕焼け空と、汐見川。綺麗だった。

 護岸のコンクリートが後頭部に来たのは、その直後だった。

 がつん!


 猫は無事だったそうだ。よかった。心からそう思っている。

 だが聞くところによるとあの白黒は、転がり出た俺のたこ焼きをつまみ食いしようとして、ぴっ、と猫舌をびびらせていたそうな。親近感は湧くが……いつか一言申し上げたいものである。


  ※


 目覚めると、白い天井だった。


 消毒液の匂い。左腕に点滴の管。

 窓の外で蝉が鳴いていた。

 事故から六日が経っていた。頭蓋骨にひびが入り、脳が少し腫れて、俺は六日ぶんの夏を寝て過ごしたのだ。

「湊? 湊、分かる?」

 母の声だ。

 俺は声のほうを見た。そして、固まった。


 顔がなかった。

 いや、目はある。鼻はある。口もある。耳も、眉も、全部ある。

 全部あるのに、なぜか顔がない。

 うまく言えない。当時の俺にも言えなかったし、正直、今でもぴったりくる表現は思いつかない。

 この奇妙さを、いったいどう説明したものか。

 読書の内容がまったく頭に入ってこない日があるだろう。感覚的にはあれに近い。目とか鼻とか、一文字ずつは分かる。だが読んでも、全体として何を書いてある文なのか、ちっとも意味が分からない。

 それとちょうど似たようなことが、顔に起きていたのだ。


「……母さん?」

「そう、そうよ。ああ、よかった……」

 声は母さんだった。髪型と、俺の手を握る力の加減も。

 顔だけが、記号の寄せ集めのようで、どんなに見つめても、まったく意味を結ばなかった。


  ※


 主治医は、真壁先生といった。白衣の胸ポケットのボールペンを、考えるたびにカチカチとノックする癖がある。

「相貌失認ですね。後頭部の打撲で、脳の、顔を顔として組み上げる係、紡錘状回の周辺が——」やられたらしい。

 視力は正常。ものは見えるし、文字も読める。

 人の顔だけが、分からない。

 ブラッド・ピットが同じ症状だという。顔を区別できず、知り合いを無視しているように誤解されてしまう。

「治りますか」

「治るかもしれませんし、治らないかもしれません。葛西さんの場合は、頭部への衝撃が原因と思われるので、一時的な機能障害の可能性は考えられます。ただし症例が少ないため、はっきりと申し上げにくい。まあ半々より、やや悪いくらいに思っておいてください」

 カチ、とペンが鳴った。医者というのは正直な生き物だ。言葉を包むオブラートを、医学部で回収されるのではなかろうか。

 検査もした。写真の顔だけを見せられて、誰だか当てるやつだ。

 一枚目。中年男性。分からない。「総理大臣ですか」と答えたら「惜しい。県知事です」と言われた。完全な別人である。惜しくはない。

 二枚目。国民的俳優。これも分からなかった。答えを聞いたら、好きな俳優でショックだった。

 三枚目。「あ、たぶん分かります」「ほう」「うちの母です」「正解です。どこで分かりました?」「顎のほくろです」。真壁先生は「なるほど」と言って、カルテに何か長い文を書いた。

 最終問題は犬だった。

「柴犬」即答すると、真壁先生が身を乗り出した。

「犬は分かるんですね」

「犬は分かるんですよ」

 なぜだろう。医学的にはたいへん興味深いらしいが、あまり役には立たない。今後の社会生活を柴犬とだけ営むわけにもいかない。


  ※


 初めて一人で洗面所まで歩けた日、鏡の前で、知らない男と出くわした。病院着の、痩せた、眉の太い男。

 俺は反射的に会釈をした。向こうも会釈をした。

 三秒後に、理解が追いついた。

 俺か。


 自分の顔までもがこれほど分からないというのは、ほとんどアイデンティティの危機であった。

 だが分からずとも顔はついており、洗わないと汚れもする。

 洗った顔をタオルで包むと、鏡のなかの顔はほとんど隠れているのに、むしろ「俺が映っている」実感があった。


 顔がなくても、人には情報が山ほどある。髪型。声。歩き方。眼鏡。名札。

 看護師の五十嵐さんは、高い声。真壁先生は白衣、ペンのノック。

 人間は、顔以外でもだいぶ喋っている。

 ただこの方式は、変更に弱い。

 ある日、五十嵐さんを、新しく入った人だと思ってよろしくお願いしますと言ったら、「葛西さん、私です。髪を切っただけですよ」と言われた。


「五十嵐さんだったんですか。髪の毛を切ると別人みたいですね」

「ええ、そうでしょうね」

 よくお似合いですよ、なんて言っても仕方がない。顔が分からないことは、お互い分かっている。

「よくお似合い、でしょうね」と俺は言った。「つまり、声とか、背格好とか、雰囲気から察するに」

 五十嵐さんは点滴を調整する手を止めた。

「じゃあ、褒めてもらったことにします」と言った。

 声が笑っていた。


  ※


 このやり取りで、気づいたことがある。


 俺は、五十嵐さんの顔を——顔があるはずの場所を——まっすぐ見て喋っていた。

 それは俺が、十九年間できなかったことである。


 いつも、床ばかり見て生きてきた。

 人と話すとき、俺の視線は必ず逃げ場を探していた。人の顔を見て話すのが苦手なのだ。

 目を見なければと思うほど、目から遠ざかっていく。

 それが今、一切なかった。

 それもそのはずだ。俺の相貌失認は重症だった。

 相手が呆れていようが笑っていようが分からない。だが、おかげで逃げる要素もない。

 顔を見ているふりで、別のところを読む。今の俺には、それができる。

 俺はそのことに、このとき初めて気づいたのだった。


 努力で克服したわけじゃない。

 情けないが、正直に言っていいだろうか。

 俺は嬉しかった。

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