12-4.在原業平の意見
今上の帝は、惟喬親王の隣に座わると、
二人はすぐに打ち明け話をしている様子になった。
蛍の方は、ぼんやりした表情で、庭木を背にして立ち尽くした。
摂政の娘はそちらに近づいて行った。
在原中将、紀雅楽頭、源左大臣、和琴の方、春日野の姉妹が、立って団茶を配る二条の方を取り囲んだ。
彼らは政治から距離を置きたいと考えているらしい。
桜花の方は、皮肉めいた口調で、蛍の方に向かってそう評し、さらに言い添えた。
「官位あるものが政治を顧みないのは、本来赦されることではありません。ですが、父親のやり方は、横暴が過ぎると、わたしも考えています。帝を連れ回してまで、彼らに釘を刺して置きたいのでしょうか」
蛍の方は、何と返すべきか分からなかった。
けれども、今上の帝と惟喬親王の親しげな様子を見ていると、
政治ばかりが二人の関係性を保っているのだとは思えなかった。
「今上の帝は、」 と蛍の方は訊ねた。
「藤原本家とは、血縁がないと聞いております。御本人も不遇の人生を送ってきたと、ほのめかしておられました。惟喬親王との会見を望んだのは、御自身の意思なのではないでしょうか?」
菊花の方が答えた。
「貴女、なかなか心の機微に鋭いようですね。御二人は古くから親交がありました。帝は機会があれば、出家した惟喬親王に会いたいとお考えだったのです。この祝宴が開かれることを、どこからか聞きつけた基経卿に合わせる形で、こちらにいらしたのでしょう。お手柄でしたわね、桜花の姫君」
「とんでもありません、菊花の姫君」 と桜花の方が応じた。
「もしも、わたしから父親に祝宴のことを知らせていたのなら、あのような無礼な振舞いを父親に許すことはなかったでしょう」
蛍の方は、自分の発言のせいで気まずい雰囲気になってしまったのを感じ、好きでもない団茶を受け取りに行った。
「頑張っているわね、蛍」 と二条の方は云った。
「あの二人の姫君がいがみ合っているのは、貴女のせいではありませんよ。何かにつけて、いつもあのようになるのです。同じ氏族で、年齢も近いとなれば、お互いに意識せざるを得ないでしょう。悪意のない女性同士で、まだ良かったと考えておきましょう」
在原中将が近づいてきて、付け加えた。
「菊花の方は、貴女を褒めていましたよ」
「まさか!」 と蛍の方は言った。
「あの美貌の姫君は誰なのか、わたしとどういった関係があるのか、繰り返し質問して来ました」
そして在原中将は、笑いながら云った。
「あの自信家な菊花の姫君を動揺させたのだから、大したものですよ」
蛍の方は、半信半疑だったけれども、不意に胸を刺すような痛みに襲われるのを感じた。
「在原中将は、彼女とずいぶん親しいのですね。ずっと前からお知り合いなのでしょうか?」
「さほど、ですね。先帝の退位が決まってから、菊花の姫君のほうから親しくして頂きました。しかし、短い期間にしては相当に頑張っておられます」
そういうと、在原中将は耳元にささやいた。
「すでに何度言い寄られたことか。菊花の方は、男性の弱みをよく理解しておられる。使える手は何でも使おうという気概にあふれています。しかし、まだまだ葵いですね」
蛍の方は、顔を赤らめて、
「それはまたどうしてなのでしょう?」 と訊ねた。
「ある夕食会の日に、最も素晴らしい花は何か、議論することがありました。やはり、梅か桜を支持する人がほとんどでした。和琴の姫君は、雪の中でも美しく花を咲かせる梅の思想性を讃美し、陸奥の姫君は、桜の無常な咲きぶりを故郷の塩釜の景色と重ねて推挙しました。そこで、わたしはほんの悪戯心から、白菊と言ってみることにしたのです。秋の寂しい風の中でも、凛とした佇まいでいる白菊こそが、最も素晴らしい花なのだ、と。そしたら、大変なことになりましたよ。三日に一度は手紙が来るし、またその内容がひどく挑発的なのです。菊の花の色が変わったのを折って、手紙と一緒に送って来たのですが、その中には、こんな非難の言葉がありました。"貴方はたいそう色好みな方と聞いておりましたが、この霜が降りたように真白な菊を染め上げようという素振りを全くお見せにならない"、と。なんと危険なことを仰るのかと驚きました。本当に魅力的な女性だとお思いになりませんか?」
蛍の方は、「そうですね」 と頷いただけだった。
「また、歌合をはじめるとしましょう。貴女の名歌に期待しておりますよ」
在原中将は、そう言い残すと去って行った。
「本当に嫌味な男だと思いません?」 と二条の方が言った。
「あれは貴女への当てつけなのよ。貴女が他の男性と楽しそうにお喋りするのが、気に入らないのでしょう。いつも平然としているようで、肝心なところではむきになって、全部だめにしてしまうんだから」
在原中将が、歌合の再開をつげたので、二人の話しはこれきりになってしまった。
桜花の方は、世間をあざ笑うような明るい一首を詠み、気持ちの良いはじまりとなった。
蛍の方は、在原中将が菊花の方と、隣り合っているところから目を離さなかった。
詠懐の最後の響きが消え入るや、藤原摂政基経は、身を乗り出して口を割った。
「素晴らしい一首だ。文句のつけようもないだろう。しかし、少々悲壮というものが足りないように思う」
摂政基経は、惟喬親王のほうに向き直ると続けた。
「俗世というのは、確かに詰まらないものでございます。どんな夢や理想も、大切なところでわたし達を裏切ってしまうのが、俗世というもの。俗世の一切は、本物ではありません。わたし達を酒のように酔わせはしても、実際は神経にこたえるばかりで、翌朝になれば虚しい想いばかりを心に残す。しかし、俗世は楽しくもある。そこから離れるためには、並々ならぬ決心が必要となりましょう。その点も、和歌に込められるべきであったと、お思いになりませんか」
惟喬親王は、「そうかも知れない」 とつぶやいただけで、ほとんど微笑で応じた。
摂政基経の言葉には、棘子のある悪意が巧妙に隠されており、それだけに人びとの心を暗くした。
このようにして敵対心する人間の心を折り、自らの言葉に従わせて行くのが、彼のやり方なのだろうか。
全員が俯向くなか、抑えきれない激しい口調で意見が飛び出した。
「それならば、貴殿はなぜこの祝宴に参られたのでしょう。都での生活を楽しむなり、出家なさるなりすれば、宜しいのではありませんか。なぜこの曖昧な立場の人間しかいない場に参られたのか」
在原中将の目にぎらぎら光る怒りに、蛍の方は驚いた。




