異名
入学式を終え、早速職員室に呼び出された陽と男子生徒。先に仕掛けてきたのは彼です、と何度も訴えたものの、男子生徒が震えてまともに喋らなかったため、現場を見ていない教師からしてみれば陽がこっぴどく痛めつけたと判断するのも仕方のないことだった。最初から聞く耳を持っていない教師に対して呆れつつも、男子生徒に頭を下げる。男子生徒も同様に、深々と腰を折った。
今回は厳重注意ということでなんとか事なきを得たが、明日からの生活がひどく気がかりだった。入学式に喧嘩など、あまりにも非日常だ。きっと男子生徒は面白がって近寄らず、女子生徒は言わずもがな凶暴な人間だと判断して近寄って来ないだろう。近寄って来ないのはまだよかった。問題は、興味や注意の的になってしまうことだ。
あまりにも派手な一件となってしまったため、すでに他のクラスにまで話が及んでいるようだった。職員室を出た二人を歓迎したのは、いかにも野次馬といった様子の新入生の群れ。仮面を被ったような陽と、萎縮してしまった男子生徒を見た野次馬はどよめく。こんな弱そうな奴が同級生を半殺しにしたのか、などと早速尾ひれがついていた。やれやれとため息を吐く陽。一歩踏み出しただけで道ができる。いつの時代の不良なのかと苦笑した。
人垣の真ん中を悠然と歩く陽の前に、女子生徒が現れる。菜摘だった。心なしか表情が険しい。
「真中さん?」
菜摘はなにも言わない。ただ、陽をじっと睨みつけていた。なにを言われるか皆目見当がつかずに首を傾げる陽。菜摘は肺一杯に空気を吸い込み――
「このおバカ! 入学式早々なにやってるの!?」
廊下の端から端まで届くような声で、陽を罵倒した。あまりにも突然の出来事に呆然としていると、菜摘は陽を座らせた。正座だ。めまぐるしく変化する状況に、野次馬もついてこれていないようだった。菜摘はお構いなしと言わんばかりに陽を責め立てる。
「あのね、浮足立つ気持ちもわかりますよ。でもね、いくらなんでも喧嘩は駄目。聞けば半殺しにしたとか言うじゃないですか。経緯はわかりませんけど、物事には限度というものがあります。おわかりですか?」
腕を組んで敬語でまくし立てる菜摘に、陽はこくこくと頷くしかなかった。
「いいですか? あなたがどれだけ凶暴でも構いません。ですが、最初は猫を被るものではないでしょうか。なぜそれができなかったのですか?」
「ええと、深い事情が」
「話してみなさい」
陽はこれまでの経緯を簡単に説明した。男子生徒に絡まれたこと、反論したら殴られたこと、だから仕返ししたこと。菜摘はふむと顎に手を当て、しばし沈黙する。野次馬も二人の様子を固唾を飲んで見守っていた。陽も心臓がばくばくと音を立てている。魔童と戦っているときもこれほど緊張しなかった。
やがて、重々しく口を開く菜摘。
「喧嘩両成敗ってことですね。それならばなにも言いません」
安堵に胸を撫で下ろす陽。しかし菜摘は「ただし」と付け加えた。
「もう二度と喧嘩はしないと誓ってください」
「なぜ」
当然の疑問が口から漏れる。菜摘は陽の目を射抜いた。
「知り合いが傷を作るのは見たくありません」
「左様ですか」
それならば、喧嘩はもうやめよう。こうして大声を上げられるのも陽としてはたまったものではない。
菜摘は満足したように深く頷いた。直後、野次馬の一人が呟いた。
「あれ、もしかして“鬼童”?」
びくりと菜摘の肩が跳ねた。その呟きに反応する野次馬たち。
「確か幕之倉中学の女子バスケ部だったっけ」
「試合中、とんでもなく強引な切り込みで得点源として活躍してたんだっけ」
「チームメイトを殴って休部させられたんだっけ」
どうやら反応したのはバスケットボール部に所属していた女子生徒のようだった。菜摘の顔がどんどん青白くなる。触れられたくないことだったらしい。菜摘は陽の腕を掴んで強引に立たせると、そのまま引きずっていった。玄関までやってきたところで菜摘は足を止めた。沈黙する背中に、陽はなんて声をかけたらいいのかわからずにいた。
「……忘れて」
「はい?」
「さっきの。“鬼童”のこと」
「ああ……それでしたら大丈夫です。噂には尾ひれがつくものですし、鵜呑みにしていませんよ」
現に、喧嘩したことに関しても半殺しにしたなどという脚色がされていたのだ。噂話は噂話、信憑性なんてあってないようなもの。大方、菜摘のプレーが勇ましかったこともあって皮肉でつけられたものだろう。陽は信じてはいなかった。
菜摘はいまだ背中を見せ続けている。どんな感情かがわからない以上、陽から声をかけるのは憚られた。振り向く菜摘、表情は険しい。なにを言われるのかと身構える陽。
「それじゃ、あたしは先に帰るね! ばいばい、また明日! 一緒に行こうね!」
大股で去っていく菜摘。陽は終始圧倒されており、なにも言えずに手を振って見送るのだった。




