初めてと再会
その夜、陽はふらりと外に出た。車の通りはまだまだ勢いを落とさず、仕事帰りであろうスーツ姿の男性が運転している姿が見える。最初は大きな通りに出た陽だったが、しばらく歩いてから住宅街の方へ戻った。
主婦が言っていた場所まではわからなかったが、彼女が見たというのであればこの近辺で間違いはないだろう。トートバッグに一哉の魔憑銃を忍ばせ、宛てもなく夜道をさまよう。そのとき、弾丸の姿に戻ったヤタが声をかけてきた。
『どーしたんだよ、心変わりでもしたカァ?』
「別に、ちょっとした恩返しだよ」
『義理堅いねェ』
カッカッカ、と笑うヤタ。
あの部屋に案内されてから間もなく、ヤタは姿を現した。最初は鬱陶しいと思っていたが、寂しいときも悲しいときもそばにいてくれた。陽にとって、大貫とは違った意味での恩人だった。人ではないが。
それならば、どこかしらで報いたい。そう思っての決断だった。それにあの事件からもう十年も経つ。美景の者と鉢合わせても、冷静になって話し合えばきっと理解してくれる。陽はそう信じるしかなかった。
職場の近くまで歩いてきた。現在、時刻は二十二時三十分。夜勤の時間だった。職場に寄っても仕方がないので、通り過ぎようとしたが、あれ? と高い声が聞こえてくる。
「七尾さん?」
「……真中さん?」
マンションの住人、真中菜摘がいた。手には買い物袋。どうやらコンビニで夜食でも買っていたらしい。陽の職場であることは知らないようだった。
「どうしたんです、こんな時間に。夜中に女の子が一人で出歩くのは危ないですよ」
「あはは、紳士的ですね。ありがとうございます。恥ずかしながら、ちょっと小腹が空いちゃって」
照れ臭そうに笑う菜摘。魔童についての噂は聞いていないのだろうか、どちらにせよ不用心だと思った。ヤタがひゅうと口笛を吹く。どうやって吹いたかは想像がつかない。
『家まで送ってやったらどうだ? こういうところでご縁を作っとくのも大事だぜ』
なにが大事なのかはわからない。だが、このまま一人で帰すのも忍びなかった。陽は小さく頷く。
「家まで送りますよ」
「え、いいんですか?」
「女の子が夜中に一人はなにが起こるかわかりませんから」
「しっかりしてますね。それじゃあお願いします」
そうしてマンションまでの道を辿る。その道中、菜摘の他愛のない話を陽が聞くという構図が生まれていた。菜摘の中学時代の部活――バスケットボール部だったらしい――の顧問や部員の笑い話や、得意な科目、苦手な科目、友達との関係など。お喋りな人だなと思った。
陽に話題を振ることもあったが、語れないことが多いため短い回答で区切ることとなる。多少印象が悪くなるかもと考えたが、どうせ大した縁でもないだろう。ヤタの言葉の真意がわからない以上、鵜呑みにするのは厳禁だと考えていた。
マンションが見えてくると、菜摘が数歩先に駆け出す。
「もうここまでで大丈夫です! ありがとうございます、話し相手になってくれて楽しかったです!」
「それならよかったです。では、お気をつけて」
手を振りながら走っていく菜摘の背中を見て、ヤタが語りかけてくる。
『愛想のねーやつだと思われたかもよ?』
「別にそれでもいいんじゃない」
『カァーッ、冷めてるねえ』
どこか残念そうなヤタを放って、踵を返したそのときだった。
背後から――マンションの方から悲鳴が聞こえた。すぐにわかった。菜摘のものだった。暴漢かとも考えたが、違う。それよりもっとおぞましいものと相対したときの悲鳴だった。陽はすぐに勘付く。
「魔童……!?」
『だろーな、急げ!』
再びマンションの方へ駆け出す。見れば、長く厳つい腕をした漆黒の影が菜摘を追いかけていた。主婦が言っていた魔童だろう。すかさず駆け出し、魔童を蹴り飛ばす。駐輪場に突っ込む影。陽は怯える菜摘を庇うように立つ。
「な、七尾さん……!?」
「早くエレベーターに乗ってください」
「でも」
「早く!」
陽の剣幕に圧されたらしい、菜摘は覚束ない足取りでエレベーターまで駆けていった。
起き上がる影――猿の魔童。陽はトートバッグから魔憑銃を取り出す。初めての実戦、しかもいつ人が集まるかもわからない場所だ。あまり長くは戦えない。狙うは短期決戦、ヤタの声が響いた。
『こめかみにオレを撃ち込め! そうすりゃ憑魔化できる!』
「やってみる……!」
ヤタの声に従い、銃口をこめかみに当てる。引き金に指をかけ、引いた。ガン、と衝撃が頭に走る。体の中になにかが入ってくるのがわかった。美景の己影“八咫烏”の力で満たされていく。肩甲骨の辺りが熱を帯びる。ぞわりと音を立てて、漆黒の翼が生えた。変化はそれだけに留まらない。肘の部分が音を立て、骨のような肢体が生えてくる。これが美景の力、“八咫烏”。己影と契約者の融合を、ヤタは憑魔化と呼んだ。
「成功した……!」
『ボケッとすんな! 来るぞ!』
猿の魔童は剛腕を振り回しながら肉薄する。殺意を伴った突撃に、陽は足が竦むのを感じた。すかさずヤタが叱咤する。
『飛べ!』
一体化したヤタの意志が怯えた体を動かす。陽は翼をはためかせ、地面を蹴った。夜の空に漆黒の影が浮かぶ。重力に抗う動きに戸惑う陽だが、ヤタの意志が介在しているおかげで不自由はしなかった。
『空中に出ちまえばこっちのもんだ! 撃つぞ!』
陽はわけもわからず右手をかざす。狙いは、こちらに向かって威嚇する猿の魔童。背中の翼が呼応し、黒い羽根が舞う。それらは空中で停止すると、猿の魔童目掛けて飛んでいった。羽根なんかに攻撃力があるかは疑問だったが、そこは己影の力。羽根は硬質なものとなっており、さながら矢のように猿の魔童に降り注ぐ。猿の魔童はそれを防ぐこともできず、文字通り蜂の巣となった。だが、まだ倒れない。
「くっ、魔童ってこんなに頑丈なのか……!」
猿の魔童が吼えた。近くに転がった自転車を片手で担ぎ――陽へ向かって投げつけた。堂々とした攻撃に陽の反応が僅かに遅れる。ヤタの意志で体を逸らしたものの、右側の羽根に直撃した。均衡を崩した陽はきりもみしながら地に堕ちる。受け身の取り方も知らない陽は、無様に背中を打ちつけた。
「ぐう……!」
『ヒナタ! しっかりしろ!』
猿の魔童が迫ってくる。陽は体勢を整えながら手をかざした。黒い矢が腕を貫き、引きちぎる。しかし止まらない。絶体絶命かと思われた、そのときだった。
陽の背後から何者かが飛び出し、バットのようなもので猿の魔童を薙ぎ払った。原型を残さずバラバラに弾け飛び、闇に溶けるように消えていった。
脅威が去ったと安堵したのも束の間、陽は気づく。常人にできる芸当ではない。間違いなく憑魔士の仕業だった。逃げようと試みるが、上手く体が動かない。突如現れた影はバットのようなものを振る。するとそれは黒い粒子をまき散らしながら掻き消えた。直後、影は懐から小さな箱を取り出した。中から短い棒を引き抜くと、口に咥える。一瞬、明かりが灯ったかと思えば甘い匂いが漂った。煙草の匂いだと気づくのに時間はかからなかった。
影は陽に歩み寄り、顔を覗き込む。女性だった。鋭い眼差しが陽を射抜く。そうして、恐れていたことを口にする。
「あんたが陽?」
魔童との戦闘現場を見られたのだ、言い訳はできない。陽は覚悟を決めて頷く。すると女性は「やっぱりね」と呟いた。
「僕を、捕らえに来たんですか?」
当然の疑問だった。もはや確信と言ってもいい。これから憑魔士本部へ連行され、然るべき処罰を受ける覚悟もできている。ところが女性の反応は、陽が想像していたものと少し異なった。
「まずは話を聞いてから。昔馴染みのよしみよ、陽」
「……あなたは、いったい……?」
昔馴染みという言葉の真意がわからない。首を傾げる陽に、女性はため息を吐いた。
「覚えてないの? あたしよ、二葉。美景二葉。美景一哉の妹で、あんたの姉貴分だったんだけど」
二葉、という名前を反芻する。そうして、思い出す。美景に拾われて間もなく、親しくなった少女がいた。名は二葉。天真爛漫で、ませた言動をする少女だった。その少女がいま、憑魔士の女性として目の前に立っている。
思いがけない再会に、陽の目は丸くなるばかりだった。




