閑話 リリ 下
後日国はスラムの再開発に乗り出し、私たちは強制的に立ち退かされました。前々から再開発の計画はあり、魔王軍の襲撃はまさに渡りに船だったのです。
「おかげで手間が省けたな」
「ああ。魔王軍様々だ!」
焼け残った家屋を叩き壊し、逃げ惑う住人を追い回しながら楽しげに語っていた兵士達の声を聞き、私の憎悪はますます燃え上がりました。
住処を追われ生活の基盤を失った私は、もっぱら戦場荒らしをして日銭を稼いでいました。死人から追い剥ぎをするのは決して気持ちのいいものではありませんが、全ては生きる為ですし、そもそも今更です。奪う対象が、生者から死者になっただけのことでした。
ですが国は、それすらも許さず戦場跡に兵士を残し目を光らせるようになりました。代わりにもたらされたのが死体処理の仕事です。まず大きな穴を掘り、金目のものが完全に取り去られた死体を運び、投げ入れる。穴がいっぱいになると魔法使いが火を放ち、死体が燃え空いた空間に再び新たな死体を投げ入れる。日々その繰り返しです。
死後日数の経った死体は腐り、その身体には蛆が集っていました。人肉が焼ける臭いも酷く、嘔吐き、吐き気を堪えながらの気が狂いそうな作業です。実際何人もの人間が発狂していくのを見ました。そして、そこまでしても、得られるのはカビの生えた一欠片のパンのみです。しかし、生きるためには続ける他ありませんでした。
転機が訪れたのは、そんな作業に一月ほども従事した頃のことでした。魔の国攻略の為に派遣される軍の下働きが募集されたのです。魔の国がどのようなところかは知りませんし、軍にどのようなことをさせられるのかも分かりませんが、少なくともここよりはましだろうとわずかな希望を抱き参加しました。
しかし、その希望はあっという間に打ち砕かれました。国境を隔てるダンジョンの前に待ち構えていたのは、なんと魔王その人だったのです。
軍を率いていた将軍は、魔王の姿を見てあっという間に戦意を喪失し、私の所属する部隊に殿を命じると脇目も振らずに逃げ去っていきました。
私の所属する部隊は、部隊と呼ぶことすら憚られる、いってしまえば雑用係の寄せ集めです。魔王になど天地がひっくり返っても勝てません。戦いにすらならないでしょう。魔王もそれが分かっているのか、一斉に逃げ出した人間達を追おうとはせず、無表情に眺めていました。
その視線が、何故だか逃げる気にもらず棒立ちしていた私へと向けられます。
――ああ、死んだな。
目が合った瞬間、確信しました。そもそも魔王とこの距離で相対した時点で生き残る術など無いのです。遅いか早いかの違いでしょう。
ですが、魔王は私の想像もつかない言葉を発しました。
「……娘、死にたくなくば行くがいい」
一瞬、意味が理解出来ませんでした。行く? 行くとは、どこへでしょう。「行く」ではなく「逝く」という意味なのでしょうか? それにしては、「いく」の前に「死にたくなくば」と付いていたような気がします。
……ひょっとして、逃げろと言っているのでしょうか? ややして、ようやくそのことに思い至ります。
意図せず失笑が漏れました。どこへ逃げろというのでしょう。国へ戻ったところでスパイ扱いされ拷問のうえ殺されるだけですし、森を彷徨ったところで結果は見えています。飢え死にか、魔物に食い殺されるか、拷問されて処刑されるか。どれもぞっとしません。
「……む、そうだな。では、我と共に来るか?」
表情から事情を察したのか、魔王は新たな提案を示してきましたが、それは私をさらに混乱させるだけでした。共に来る? どこへ? ――魔の国に決まっています。何しろ相手は魔王なのですから。
一体この魔王は何を考えているのでしょう。私を殺したいのなら容易でしょうし、攫いたいのならそれもまた容易いはずです。にもかかわらず、私の意思を問うてくる。理解出来ません。ですが、冷静に考えればそれが一番生き残る可能性が高いことも事実です。
生きる為に、お婆様の仇ともいうべき魔王に従うか、わずかな生の可能性にかけて人間の王国へ戻るか。
そこまで考えたとき、ふと気付きました。あの日お婆様を見捨てたスラムの住人も、助けを求めた私を殴りつけて嘲笑った兵士も、それを指揮する国王も、全ては仇だということに。魔王と彼らとの間に、何の相違もないのだということに。
ならば答えなど決まっています。どちらも仇なら、生き残る可能性の高いほうへつく。
黙って頷いた私に魔王は言います。
「そうか。ならば暫し待て。もうすぐ師匠がお戻りになるはずだ」
相変わらずこの魔王の言うことは理解に苦しみます。師匠? 魔王のくせに? それとも師匠とは先代魔王のことなのでしょうか。
どちらにせよ待てというなら待つほかありません。ここで機嫌を損ねて殺されるのも莫迦らしいですし。心情的に近くに居たくなかった私は、魔王から少し離れた岩の後ろに座り込みました。
そうして待つこと暫し。上空から一匹のドラゴンが舞い降りてきました。
「お疲れ様でございます、師匠」
魔王は恭しくドラゴンに語りかける。どうやら師匠というのはこの水色のドラゴンのことのようです。と、思ったら――なんとそのドラゴンから人間が降りてきたではありませんか。十三四歳前後に見える女の人です。
「……お疲れ様」
その人は魔王相手でも謙ることなく、どこか気だるげに答えを返しました。
「ラグ。あの子、なに?」
そして私に目を向け問いかけます。
「あの者は、その……なんと言いますか……」
それから交わされる遣り取りはまるで漫才のよう。かろうじて理解出来たのは、どうやらあの人間の女の人のほうが、本当に魔王より立場が上らしいということだけでした。
「ですのであの娘は、我が魔王城で保護します」
「話、聞こえてたでしょ。一緒に来る?」
それは魔王が連れ帰ると言っているにもかかわらず、わざわざ私に確認してくることからも窺えます。
「……なんで人間が魔王と一緒に居るんですか」
とりあえず答えを保留し、一番気になったことを尋ねてみました。
「成り行き」
返ってきたのは人を食ったような答え。ようするに、
「正直に話す気はないってことですね」
まあ聞かされたところでより反応に困るだけなのかもしれませんが。
「師匠! 我と師匠の出会いは成り行きなどではなく運命ですぞ!!」
「信じる信じないは自由。で、どうするの?」
魔王の発言を軽く聞き流し、返答を促してきます。どうやら本当に、私の意思を尊重してくれるようです。
「……仮に付いて行った場合、私はどうなるんですか?」
「どうなるの?」
「……どうしましょうか?」
相変わらずのコントのような遣り取り。本当に、この人達は一体何なのでしょう。人間を師と呼ぶ魔王と、それを当然と受け入れる人間。理解の範疇を超えています。
「――はあ」
思わず溜息が漏れました。ですが、ここまできた以上結論は一つです。毒を食らわば皿まで。
「城でメイドの見習いとして雇って下さい」
もうこの二人に着いていくほかありません。
「一緒に来るの?」
「はい。どのみち私の居場所はもうこの国にはありませんから」
これが、籐花様と魔王様との出会い。
その後私は、お婆様と暮らしていた頃に勝るとも劣らない日々を魔の国で過ごしました。楽しかった、と思います。お婆様が死んで以来、初めて笑う事も出来ました。
でも。
いくらそんな日々が続いても。
どんなに毎日が楽しくても。
私の心に燃える火は、決して消えることはありませんでした。
むしろ、日々が楽しければ楽しいほど、嬉しければ嬉しいほど、その火は激しく燃え上がり、私を苛みました。
お前は一体何をやっているのだ、目の前に居るのは仇だぞ、と。
どんなに努力しても、私はとうとう最後まで、その火を消すことが出来ませんでした。
ああ、だから。
ごめんなさい。
ごめんなさい、籐花様。
ごめんなさい、魔王様。
優しくして下さらなくて結構です。
叱って下さい。
蔑んで下さい。
どうか、早急に私を見捨てて下さい。
私は、あなたたちを許せません。
この気持ちを、抑えきれません。
だから。
だからいつの日か。
私は――
私は、あなたたちを裏切ります。
完結です。ご愛読ありがとうございました。




