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風邪を引いた。
朝起きたら頭痛がして、体が怠い。風邪なんてもう何年も引いていなかったのに珍しい。異世界に喚び出された疲れでも出たのかな? 上手く回らない頭でぼんやりと考える。
学校帰りに突然喚び出されておじいちゃんと会って、付いて行った城で愚王と喧嘩して。乱入してきたラグと意気投合して魔の国に来た。
その後はダンジョン改造計画を立ち上げ、頓挫し掛かったところに都合よくやって来た魔王ズと一戦やらかし、お次はコアを取りに愚王の城へと蜻蛉返り。首尾よく取り返したコアを使って、一階層だけとはいえダンジョンを整えモンスターを生み出し迎撃態勢を整え帰還。今に到る。
その間わずか二週間ばかり。……おおう、我が人生ながら波瀾万丈だ。これなら風邪の一つや二つ引いてもおかしくない。
取り敢えず薬でももらいに行こうかと上半身を持ち上げると、あまりの目眩に起きていられず布団に倒れ込む。その衝撃で頭痛が倍増し悶絶。こりゃ無理だ。結構やばいやつだ。過去に例を見ないくらい酷い。起き上がれないほどの風邪なんて今まで引いたことがない。
助けを呼びに行きたくても起き上がることさえ出来ず。大声を出そうにも頭痛に妨害され。かといってこのまま眠って回復を待つのも結構辛い。……八方ふさがりだ。こんなことなら嫌がらずに専属のメイドさんでも付けてもらえばよかったか。後悔先に立たずだな。
どうしようもないので布団に横になったまま目を閉じる。うう、頭痛い。眠れたらよかったのだろうけど、こういう時に限って上手く眠れない。こんな時はあれだ、なにか楽しいことを考えよう。
楽しいこと、楽しいこと……。
今朝のご飯はなんだろう。最近は調理場の方でもわたしの好みを把握してきたのか、朝は毎回和食を出してくれる。しっかりと出汁を利かせ、薄味に仕上がった料理はどれも美味しい。味噌汁の具や漬け物に到るまで完璧だ。デザートに甘味まで付けてくるあたり配慮にも抜かりがない。
ああ、でも。この体調では今朝はちょっと食べられそうにない。うう、折角の朝ご飯が……。なんだか哀しくなってきた。おかしい、楽しいことを考えていたはずなのに。どうしてこうなった。
と、ここでノックの音。
「藤花様、よろしいでしょうか?」
お、この声はリリだな。会うのは昨日ぶりだ。城のメイド頭に預けられた後、どうしたんだろう?
「うん」
起き上がれないので頭痛を堪えて布団の中から小さく返事を返す。あ、声は普通に出た。嗄れていたりはしていない。そういや頭は痛いけど喉は痛くないや。
部屋に入ってきたリリはわたしを見て眉をひそめる。そういう顔をされると普段の三割増しで怖い。
「まだ寝てらしたんですか?」
まるで母親に叱られているようだ。
「風邪引いたっぽい……」
説明が言い訳っぽくなるのは不可抗力だろう。
「っ! それは……」
リリは慌ててわたしの側まで来ると、「失礼します」と一言断り額に手をあてる。
「熱は……ほとんどないようですね。でもだいぶ顔色が悪いです」
熱ないんだ。じゃあ頭痛がして怠いだけか。まだ初期症状で済んでるのかな。でもそれにしては辛い。
「とにかく、医者を手配してもらってきます。――と、その前に、なにか必要なものはありますか?」
よく気の利く子だと思う。わたしが八歳の頃はこんな気遣いは出来ていなかったと思う。それだけ異世界は厳しいということなのだろうか。
「水、ちょうだい」
取り敢えず今は、遠慮なく甘えさせてもらおう。風邪引きの特権だね。
「畏まりした。少々お待ち下さい」
「リリ」
軽く頭を下げ部屋を辞そうとする彼女を呼び止める。
「なんでしょう?」
振り向き、首をかしげるリリに向けて、
「ありがと。その服、似合ってるよ」
感謝と賞賛の言葉を贈る。
リリが着ているのはメイド服。紺地、ロングのワンピースにシンプルな白のエプロン。頭にカチューシャを乗っけている。濃い紺色の髪に白いカチューシャが映えている。日本の某所で大量発生している俄とは一線を画した正統派だ。そもそも、魔改造されすぎたあれをメイド服とはわたしは断固として認めない。
わたしの言葉に虚を突かれたように動きを止めたリリは、ややして渋面をその顔に浮かべた。
「からかわないで下さい。これは仕事着です」
ぴしゃりと言い放ち、やや乱暴に障子を閉じるリリ。
でも。その頬に朱が差していたのを、わたしは見逃さなかった。
リリが出て行き暫し。どたどたと慌ただしい足音を立て、ラグが飛び込んできた。
「師匠! 風邪を引かれたというのは本当ですか!?」
大声で捲し立てるので頭に響く。心配してくれてるのはわかるし嬉しいんだけどね。
「お莫迦」
時と場合を弁えなさいよ……。
「何故ですか師匠!?」
「煩い。頭に響くから静かにして」
「っ! それは失礼を」
ラグは慌てて口を押さえ、部屋の中はようやく静かになった。まったく、病人の部屋で騒ぐなよ。
「して、師匠。お加減の程は……?」
恐る恐る、といった体で尋ねてくるラグ。せっかくお見舞に来てくれたのに、あまり手ひどく扱うのも悪いから素直に答えることにする。
「頭痛い。身体だるい。起き上がろうとすると目眩する」
「師匠ー!?」
この世の終わりのような声を上げるラグ。
「…………」
反って心配させてしまったようだ。言葉選びって難しい。っていうか少し落ち着け、ラグ。焦ったってどうこうなるもんでもないだろう。あと叫ぶな、頭に響く。
「お気を確かに。今リリが医者を呼びに行ってますゆえ……」
「うん」
「それと、水をこちらに」
リリの代わりに持ってきてくれたのだろう。お盆に乗せたコップと水差しを枕元に置いてくれる。
「ありがと」
ついでに起こしてもらって水を飲ませてもらう。うう、いくら風邪引き中とはいえ、これではラグにおんぶにだっこだ。さすがに少し恥ずかしい。
「師匠、少し顔が赤いですぞ。熱が上がってきたのでは?」
ラグに顔を覗き込まれ、ますます赤面するわたし。違う! これは羞恥だ! なんて言えるはずもなく。
「……平気」
そう答えるのが精一杯。間近にあるラグの顔を直視出来ない。今更だけどラグは男であって、そのラグにこうして抱きかかえて起こしてもらってるんだって考えると、心臓の鼓動が激しくなった。しかもこんなに顔を近づけて。この体勢って、まさかキ――。
そこで強制思考停止。この先は絶対考えちゃいけない気がする。わたしにはまだ早い。っていうかなんでラグはこんなに落ち着いてる上に手慣れてるんだ。実は魔王じゃなくてすけこましだったのか。こんなことを何度も経験しているかのような手つきだ。
……あ。そこでふと思い至る。経験、してるんだろうな。妻子持ちだし孫までいるらしいし。うう、すけこましじゃなくて年の功だったか。
そんな下らないことを考えている内に、わたしは再び布団に寝かされていた。顔が離れてほっとする。
「師匠、本当はお側に着いていたいのですが、今日はどうしても外せない会議があるのです。申し訳ありませんが、これにて」
どこのお父さんだと言いたくなるような言い分けを残して部屋を出て行くラグ。子供じゃないんだから一人でも平気だよ。……風邪引きのとき特有の人恋しさは確かにあるけどさ。
ラグはあれで、結構いいお父さんなのかもしれない。
そんな発見とともに過ぎていく風邪引きの朝だった。




