最終話
眠い眼をなんとかこじ開けると、王様の顔が目の前に超アップだった。間近で、整いすぎた彫の深い顔に青いガラス玉みたいな目が見下ろしてきてて、表情の動かない人形みたいでこっわー。背筋が…。暗闇を背景に無表情で怒るの、止めてほしいな。夢で見そう、もちろん悪夢ね。あの顔が追っかけてきたら、ずーっと追っかけてきたら…、怖いから考えるのは止め止め。
「どうかしましたか、陛下?」
すっかり目が覚めた状態で、返事をする。身動きはできない。大の男が乗っかっているのだから、動けるはずがない。
「どうして寝ている?」
凍りついたような状況から、解放される。声があると、顔が怖くてもまあなんとか。多少、ドスのきいた声であっても。陛下、不機嫌な様子。晩餐のときには、普通だったのだが。
「眠たかったですから。昨日も今日もすっごく疲れたんです。久しぶりに、よく働いたから」
一体、何が言いたいんだ、陛下。質問には答えるが、きっとこんなことが聞きたいんじゃないだろう。直球で聞いて欲しい、早く寝たいんだから。
私の返答に、やはり、ものすごい不満顔を返される。私も、陛下の欲しい答えじゃないとは思っているのだ。が、あからさまに『そんなことを聞いてるんじゃない』的な顔をされると、何も言いたくなくなる。私が口を閉ざすと、陛下もだんまりで、沈黙が漂う。
「起きていて欲しかったんですね、陛下?何か私にご用でも?」
仕方がないので、こちらが下手に出ることにする。最近、せっかく丸くなってきた性格が、また前みたいな横暴陛下にもどってしまうと困る。私の問いかけに、何かを口に出そうとしては逡巡する陛下。しばらくして、私の上から身体を横にずらし、私の耳元に顔を埋めた。
「王宮へ連れてきたことを、怒っているか?」
陛下はベッドの天井を見ながら、耳元でそう言った。どうやら、話がしたかったようだ。晩餐では話せなかったことを。口下手というわけではないのに、不器用なところのある人だと思う。
「怒っていませんよ。そんなふうに見えますか?」
「言葉が丁寧すぎる。他人行儀だ」
普段はマナーがとか言うくせに、マナーが完璧になっていくのは気に入らない、というのか。いや、完璧には程遠いが。ずっと、気安い話し方をしなかったから、私が怒っていると思ってた?私の機嫌を伺っている。
「夜は、普段通りの方がいいって?王宮にいるから、丁寧にしてみたのに」
「お前が丁寧だと、気持ち悪い」
耳元でボソボソと言われているので、くすぐったい。シェパードみたいな怖い大型犬に懐かれてるみたいな仕草だ。その言葉が、“気持ち悪い”なのが残念すぎるが。以前であれば、“今は普段通りにせよ”とかいう命令口調で言い放って終わりだったはず。でも、今は、歩み寄ってくれている。
「後宮にいたいわけじゃないから、住処はどこでもいいんですよ」
横に感じる陛下の体温が心地よく、すり寄っていきながら、つらつらと言葉を紡ぐ。私の髪を梳くように撫でていた陛下の手が、ゆっくりと頬かすめる。
「昨日までは、ただで居候だったけど、今日からは妃としてのお仕事があるみたいだから。働く分は養ってくださいね。できたら、老後用に積み立てをしておいて下さい」
「老後?」
「55歳までは真面目に働きますから、お仕事くださいね。その後は、積み立てたお金で生活するんですから」
「仕事はやる、いつまでも。ずっと傍におればよい」
「55歳まで、ですよ。その頃には陛下も老人でしょう?陛下も、息子にお仕事譲って、私と一緒に老人クラブしますか?」
「老人クラブ?」
「老後は毎日暇だから、遊ぶ仲間です。旅行したり、美味しいものを、食べに、行ったり…」
陛下の手がゆっくりと眠りを誘う。駄目だ、もう半分眠りの中にいる。もう夢の中にいるのかもしれない。温かい揺り籠の中にいるような。
「ずっと一緒に、生きていこう」
陛下の声が聞こえる。本当なのか夢の中の声なのか。でも、思いのほか穏やかな口調のその言葉が嬉しくて、夢でなければといいと思う。
「ナファフィステアっ」
耳元で怒鳴る大きな声に、ゆっくりと目を開ける。気に入らないことがあると、いつも怒鳴るように私の名を呼ぶ。今度は私の何が気に入らないというの。
目の前には、皺の増えた端正な顔立ちの、渋い初老の男性となった陛下の顔。
ああ、昔の夢を見ていたのか。懐かしい。
あれから30年が過ぎた。王妃になり、息子と娘を産み、孫ができ。
あっという間だったような気がする。
インフルエンザを患ったのか、高熱が下がらない状態が何日も続いていて、もう、何をする力もない。
「もうすぐ王位を譲るから、一緒に老人クラブをすると言ったではないか」
王様なのに、涙を止めることもしないで、私に縋り付く。
昔は表情を表に出さなかったのに。
私と共に歩んでくれた人。
今まで幸せな人生を過ごさせてくれたあなたに、全ての感謝をこめて。
この一言が、あなたに届きますように。
「愛しているわ、アルフレド」
~The End~
ここまで読んでくださいまして、本当にありがとうございました。
ご期待にはそえなかったかもれませんが、少しでも面白いと思っていただければ幸いです。
おまけ「いつか陛下に愛を (ある冬の日に)」があるので、どうぞ。