第十一話 黄昏の選択
白黎と燕秋は、天衡流会所を離れ、山道を進んでいた。夏の黄昏は早く、空の端が赤く染まる。風は冷たく、乾いた草の匂いが混じる。燕秋は背後で静かに歩きながら、小さな笛を指で鳴らす仕草を見せた。「今日は、江湖の端で、少しややこしい案件が待っている。」白黎は無言で頷く。足元の石や山道の凸凹を、すべて計算するかのように視線を走らせる。
小道を曲がると、遠くに煙が上がっていた。集落の屋根から、赤く揺れる火の光が漏れる。燕秋が囁く。「ただの野盗じゃない。権力が絡んだ争いだ。」白黎は剣を鞘から軽く抜き、手元で確認する。黒影剣法の軌道が頭の中で反芻され、内功が静かに巡る。感情は出さない。ただ、意思を持った影として、行動の可能性をすべて測る。
現場に到着すると、村は荒れていた。家屋の柱は割れ、扉は壊れ、数人の武装集団が立ちはだかる。彼らは一見無秩序に見えるが、内功の気配は整っており、熟練者の所作が混ざっていた。燕秋が目配せする。「ここは正派・邪道・中立、三つ巴の痕跡がある。」白黎は観察を続け、敵の動き、位置、呼吸、意図を一瞬で把握する。
敵が村人を脅し、金品を奪おうとする。その瞬間、白黎は思考を巡らせる。阻止するのか、流れを読むのか。燕秋は後方で距離を取り、白黎に小声で情報を送った。「左側二名、内功の流れが少し乱れている。もし行くなら、最短で割れ。」白黎は呼吸を整え、内功を巡らせる。剣は重くない。だが、意思は確かに宿っていた。
一歩踏み出す。剣先は最小限に動き、敵の進路を遮断する。踏み込みもわずか、内功で軌道を補正する。敵が攻撃を仕掛けるが、白黎の動きに触れる前に連携は崩れ、群れはもはや群れではなくなる。燕秋も流れを引き、混乱の中で敵の連携を断つ。致命を避けつつ、意思で守る力を示す。
戦闘の後、村は無傷ではないが、被害は最小限に抑えられた。村人は息を整え、白黎を見上げる。感謝の声はない。だが、視線が意思を伝える。守った者として、白黎は初めて影から抜け、意思で結果を作ったことを自覚する。燕秋は微笑む。「影から出たな。」
夜、二人は野営地で休む。火の周りに座る白黎は、剣を膝に置き、無表情のまま星空を見上げる。燕秋が小声で話す。「江湖は、正義や道理だけじゃ動かん。力、影響、判断……全てを駆使しなきゃならん。」白黎は黙って火の揺れを見つめ、今日の行動を頭の中で反芻する。意思を持つ影として、何を守り、何を放棄するかの重さが胸に圧し掛かる。
翌朝、山道の向こうに新たな集落が見えた。情報によれば、正派の下級門弟が村を監視しているという。白黎は剣を握り、燕秋の横に立つ。「守るべきは、誰だ?」燕秋は肩をすくめる。「選ぶのは君自身だ。俺は影として、流れを見て補佐する。」白黎の瞳に、微かな意思の光が差した。守る者として、選択する瞬間が来たのだ。
集落に到着すると、武装した中立者が村を包囲していた。彼らは村人を避難させるでもなく、奪うでもなく、ただ監視する。正義か邪悪かは曖昧で、流れだけが支配している。白黎は剣を鞘から抜き、内功を巡らせ、最短で影響を与えるルートを計算する。燕秋は一歩後ろで待機する。
白黎の動きは静かだ。剣は大きく振らない。影のように動き、意思を持って村と村人を守る。中立者は少しずつ位置を変え、混乱が生まれる。燕秋も連携し、流れを操作する。殺さず、抑えず、守るべきものを守るためだけの力。黄昏の光が二人を包み、影と意思の交差が視覚化される。
戦いが終わると、村は守られ、敵は撤退した。白黎は剣を鞘に戻す。火照った体を整えながら、胸に芽生えた意思の感覚を確かめる。影として反応するだけでなく、守るために選ぶ意思。責任と力の重さ。江湖で生きるとは、こういうことなのだと、初めて実感する。
夜、二人は丘の上で静かに座り、星空を見上げた。燕秋が囁く。「選択したな、白黎。これからが、本当の江湖だ。」白黎は無言で頷く。意思を持った影として、彼の歩みはさらに深く、そして広く、江湖の歪みに踏み込んでいく。黄昏の空に、静かな覚悟が映った。




