綿柎開(わたのはなしべひらく)
「大変だ! サっちゃんが攫われた!」
息を切らせたユースケの叫びで、まだ眠気を引きずっていたチカも、さすがに目を覚ました。
向かいのソファに座っていたアマネも同じなのか、珍しく目を丸くしてユースケを見る。つい先ほどまでまだ眠たそうにしていたどころか、すぐにでも二度寝に入りそうだったにもかかわらずだ。
ここはチカとアマネの部屋である。そこへ狂おしく扉を叩いて飛び込んできたのがユースケだった。そして冒頭のセリフを聞かされるに至る。
「え? どこに? だれに?」
チカは未だにユースケの言葉を上手く呑み込めないでいたが、吞み込めていないなりに彼へ疑問を投げかける。
この“城”で暮らす七人は“城”の外へは出られない。過去の諸々の出来事から「絶対に」というわけではなさそうだが、詳しい仕組みは不明だ。少なくとも、チカは未だに仕組みを理解していない。
そんな“城”で「攫われた」となると、どこに攫われたのかが気になるのは、ごく自然な流れだろう。間違っても“城”の外ではないだろうとチカは思う。もしそうであればチカたちにどうこうできる領域を超えてしまっている。
そしてだれに攫われたのかも気になるところだ。とは言え、この“城”にはセキュリティーなどあってないようなものである。窓という窓は木の板で塞がれているが、剥がそうと思えば剥がせる程度のものだ。それから“城”は広いので、たとえば木板を剥がして“城”の内部にこっそりと侵入するハードルは、低い。
ユースケは肩で息をしながら答える。
「たぶんまだ一階にいる……」
「誘拐犯? と一緒に?」
「で、そいつはどんなやつだ?」
「…………布団」
いつもよりたっぷり間を置いて、若干気まずげにユースケが言う。チカとアマネがまったく意味を呑み込めず、思わずじっとユースケを見てしまったのは、致し方のないことだろう。
「そんなことはどうでもいいんだ」
「どうでもよくねえだろ」
ユースケの言葉に、アマネがツッコミを入れる。
それでもユースケは至極真剣な表情で、あせった声を出す。
「サっちゃんが攫われたんだ! 一緒に追ってくれ!」
「それはやぶさかじゃないけれども……布団?」
「白い綿布団だ」
「……その情報、いるか?」
「えーっと……布団に攫われたんだよね? ササが素直に捕まるとはまったく思えないんだけど」
ササは不器用な面が目につくこともあるが体を動かすことは得意で、棒を持たせれば無敵と言っても過言ではない。
そんなササが「布団に攫われた」とはいったいどういうことだろう? チカがそう思うのは当たり前と言えば当たり前だった。
ユースケはじれた様子でチカとアマネに言う。
「廊下に布団があって」
「うん」
「そこにサっちゃんが乗ったら」
「うん」
「攫われた」
説明をされてもやはり意味がわからなかった。
「ササはなにしてんだ? まさか、布団が包丁でも持ってるわけないよな?」
「…………寝てる」
「は?」
「寝てる。だから攫われたままなんだ」
「……ここで話を聞いていても埒があかねえ。ササを捜しに行くぞ」
「そうだね。ササのこと心配だしね」
ササはその白い綿布団の上で眠っているらしい。この一文だけでは矛盾はない。けれどもその布団がササを攫ったという文章を付け加えると、途端に意味がわからなくなる。
なぜ攫われたのか、なんのために攫われたのか。それがさっぱり想像もつかないので、一種の気持ち悪ささえある。
しかしここでぐだぐだとやり取りをしていても、攫われたらしいササを救出できるわけでもない。アマネのひとことに同意したチカは、棒を片手にユースケの先導でササを捜しに行くことにした。
「コーイチたちには言ったのか?」
「もう言ってあるし、向こうで準備できているはずだ。人手が足りないからお前たちを呼びにきたんだ」
「人手が足りない?」
「ああ。布団を捕まえる算段はつけてある。そこへ追い込むのを手伝って欲しいんだ」
混乱しきっているのかと思いきや、ユースケは存外冷静だった。
駆け足で廊下を行きながら、ユースケが説明する。
「簡単に言えば追い込み漁だ。廊下の片側に網を張って、そこに布団を追い込んで捕まえる。で、アマネとチカには追い込み役を手伝って欲しいってわけ」
そこまでひと息でユースケが説明したあと、前方に白い大きな影が見えた。
布団だ。真っ白で柔らかそうな綿布団が――廊下の上四〇センチほどに浮いていた。
そしてその布団の上には、見間違えようもないササがいる。ユースケの言った通り、瞼を閉じてすこやかに寝ているようであった。
「起きないのか?」
「それができたらとっくに起こしてる。でもどれだけ声をかけても起きないんだ。いつものサっちゃんはちょっと声をかければすぐに起きるのに……」
ユースケは悲痛な顔をするし、実際に非常事態である。しかし宙に浮く布団と、そこで眠る美少女と言う図はどこか牧歌的ですらある。なんとなく、シリアスな空気にならない。
「くそっ、忌々しい布団め……サっちゃんを下ろせたらズタズタにして燃やしてやる……」
チカは心の中で「こわ」と言った。口に出さなかったのは、そんなことをすればユースケにどやされるだろうと思ったからだ。
チカの隣にいるアマネなどは、もっとわかりやすく引いた表情をしていたが、幸いにもユースケは気づくことなく布団とササへ鋭い視線を送る。
「この廊下の先でコーイチたちが網を張っている。この布団をそこまで追い込む」
「……わかった」
「……追い詰めたらこっちに襲ってきたりしないよね?」
チカは布団に巻き付かれて窒息する己の姿を想像した。
ユースケは「だから人数を集めたんだよ」としれっとした顔で言う。チカはそれに納得して、棒をつかむ手に力を込めた。
……棒の先で突いた布団は柔らかかったが、綿の詰まった布団を押した感触ではなかった。まるで皮膚があって脂肪があって筋肉があって骨があるような――つまりは、人体を突けばこんな感触がするだろうというものだった。
これで布団が断末魔のひとつでも口――があるようには見えなかったが――にしていたながら、今日は悪夢を見たかもしれない。しかし幸いにもそういう結末はなく、六人が力を合わせた結果、無事にコトは終わったのであった。
捕獲された布団は網の中でもがいている様子だったが、その姿は端的に言って気味が悪い。くねくねうねうねとうごめくさまは、見知ったどの動物にも当てはまらないので、未確認生物感はじゅうぶんだった。
ユースケは眠るササを背負ったまま、満面の笑顔で言う。
「それはあとでズタズタに引き裂くから、そのままにしておいてくれ」
「俺はサっちゃんを部屋に送ってくるから」とユースケは言い置くや、ササをおんぶしたまま踵を返し部屋へ戻ってしまった。
残された五人は自然と布団へと目をやる。布団は、いつの間にか大人しくなっていた。しかし大人しくなっていようがいまいが、この布団の末路はすでに決まっている。五人は自然と布団に哀れみの視線を送るのであった。




