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ドグマの城  作者: やなぎ怜


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桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

 浴衣の柄が動いた。


『どうかそちらのお三方のうちひとりで構いませんから、わたくしを着ていただけませんでしょうか』


 おまけにしゃべった。


 チカの脳裏をよぎるのは先日の人語を解するタカのことであった。


 よって、マシロの手にあった淡い紫色の釣り鐘型の花――キリ()の花のツボミが描かれた浴衣を、思わずひったくったのは無理からぬことであった。


『あれれ~~~』


 チカの手に渡った浴衣が間の抜けた悲鳴を上げる。チカは己の手の中にあるそれを、今ここで引きちぎるか、台所まで行って火にくべるかどうか考える。


 浴衣は例によって“捨品”の中にあったものだ。“城”であろうが外であろうが、着るものと言えば洋服がスタンダードである中で、和服は珍しいものである。それがマシロたちの目を引いたのは、当然の流れだった。


 あまり見ない柄だったことも目を引いた理由のひとつだ。キリの葉の柄は縁起物としてよく見るが、それが花となるとなかなかなく、それがまたツボミであるのは珍しい。……というようなことをいつになく語ってくれたのはササであった。


 チカは素直に感心した。マシロも「じゃあ元の持ち主の趣味なのかな」と手にした浴衣に視線を落とす。浴衣がしゃべったのは、その直後の出来事であった。


『後生でございますから、なにとぞご慈悲を』


 人ではないのに人語を解する存在を恐ろしいと思うのは、おどろくほどおかしい感情というわけでもないだろう。


 特にチカは先日のタカの一件が確実に尾を引いている。人語を解する不気味なタカと、そのタカを相手に格闘する男性陣、そのそばで狂ったような笑いかたをしていたマシロの姿が脳裏をよぎる。


 自然、布地をつかむ手にぐっと力が入る。浴衣がまた『あれれ~~~』と間抜けな悲鳴を上げた。命乞いをしたいのか、相手の神経を逆なでしたいのか、わからない声であった。


 そんな浴衣を引きちぎらんばかりに力を込めるチカを止めたのは、意外にもササだった。


「見たところ仕立ても丁寧ないい浴衣だ。ひとつ話くらい聞いてみるのはどうだろう」


「仕立ても丁寧ないい浴衣」であるから「話を聞いてみよう」というのは、いささか飛躍している気がする。そもそも、浴衣はしゃべらない。服は、しゃべらないものである。だがそれがしゃべっている時点で、論理の飛躍もなにもないのかもしれない。


 チカはどうすべきか迷った。ここで提案したのがマシロであれば、先日の一件を引き合いに出して取り成しを受け入れなかっただろう。またマシロになにかあったら困るし、怖い。


 しかしササの感情をうかがわせない言葉にも、理があるわけではない。人語を解する浴衣の話を聞く義理は、チカにはない。


 であれば、ここで浴衣を引きちぎってしまってもいいのだが――。


「はあ……話を聞くだけだよ」

『ありがとうございまする! ありがとうございまする!』


 浴衣が感極まったように感謝の言葉を述べる。同時に、チカの手の中にあるキリのツボミの柄が、大きくうごめいた。それはちょっと気持ち悪かった。思わず手を放してしまいたくなるほどに。


『どこからお話すればいいのやら』

「最初から順序だてて話せばいいだろう」


 チカとしては省略しまくって概要だけ聞かせてくれればよかったが、ササが先にそう言ったので口を挟めなかった。


『では……』


 浴衣はそう言って己の成り立ちから話始める。それがひどく迂遠で冗長な内容だったので、チカは先ほど口を挟まなかったことを若干後悔した。だが話の腰を折るのも無粋だろうと思い、ぐっと我慢する。


 まとめると、浴衣は()る「お嬢さん」のために作られたそうなのだが、その「お嬢さん」は浴衣に袖を通す前に儚くなってしまったのだそうだ。その未練ゆえに成仏できず、浴衣はこうしてしゃべるようになった、と。


 ……一行で済むその話は、結末に行きつくまで延々一〇分かけられた。


「……なるほど? その『お嬢さん』の無念が浴衣に宿ってとかそういう――」

『いえ、お嬢さんはすでに成仏しておりまする。無念なのはわたくしでございまする』

「そっち?!」


 チカはびっくりした。マシロとササも少なからずおどろいているようだった。


 こういうときの定石は、持ち主の無念が物に宿って云々――ではないのかとチカは心の中で突っ込み続けた。


 しかし浴衣曰く「お嬢さん」とやらは特にこの世に未練など残さず成仏したとのことだ。しかし残された浴衣はそうではない。「お嬢さん」に着てもらうために仕立てられたのに、一度も袖を通して貰うことなく“捨品”行き。これではあまりにも報われない。


「お嬢さん」と同じ年頃の少女に一度だけでいいから着られたい――。その思いが浴衣に不思議な力を与えた。……ということであるらしい。チカは頭が痛くなった。


 しかしその「不思議な力を与えた」のは十中八九“城”であろう。摩訶不思議な“城”パワーが浴衣に謎の力を授けた。そういうことは、十二分にありえる。チカは頭を抱えるしかなかった。


『後生でございますから、どうかわたくしめに一度袖を!』


 浴衣の痛切な叫びに、しかしチカは「いやー……」と煮え切らない声を出すしかなかった。


「いやー……そうは言いましてもね」

「着ればそれで満足するんだろう。ならそうすれば解決する」

「とは言ってもリスクがね」

「ならわたしが着る」

「いつになくやる気だね……?」


 なぜかやる気満々のササ。一方のマシロは先日の一件があるからか、ひとことも言葉を発さず大人しく成り行きを見守っているようだった。


 そんなふたりの顔を見比べたあと、チカは深いため息をついた。


「……私が着る」

「なぜだ?」

「いや、だって、もしなにかあったら後が怖いじゃん」


 チカの言葉にササは首をかしげるしぐさをする。本気でわかっていないらしい。


 チカからすればササのバックにはユースケが、マシロのバックにはコーイチとアオが控えているわけである。もしこのふたりになにかあればそのバックが怖い。直接詰められるようなことはないと信じたいが、怖いものは怖いのだ。


 特にマシロは先日の一件がある。コーイチとアオもまだピリピリしていてもおかしくはない。


 となれば、生贄となるにふさわしいのは己以外にいないだろう。それがチカの考えだった。


『ありがとうございまする! ありがとうございまする! ……では、さっそく』


 いつも着ている白いワンピースを脱ぎ、渋々チカはキリのツボミ柄の浴衣に袖を通した。通した、が。


「……私、着付けとかできないんだけど」


 頭の中を探してみても、チカが浴衣を着た記憶はない。そして和装にはとんと縁がない。となれば着付けなど当然、できないわけで。


「マシロはできる?」

「無理」

「だよねー」


 チカとマシロが困っているとササが帯を片手に戻ってくる。恐らく、“捨品”の中にあったものだろう。


 すっとチカの前に立つと、ササは手慣れた様子で浴衣の合わせ目を整え始める。


「ササは着付けできるの?」

「……昔取った杵柄というやつだ」


 そのままテキパキと浴衣の着付けをあっという間に済ませたササに、チカとマシロは羨望のまなざしを送る。


 浴衣は大喜びで、声を震わせながら感謝の言葉を述べる。


「わ」


 その瞬間、浴衣の柄がまだ動いた。ツボミがほころび、キリの花が咲いたのだ。大人しい印象だった浴衣が、一度に華やかなものとなる。


「わーすごい」

「見事だな」


 感心した様子のマシロとササに釣られるように、チカも腕を上げて浴衣の袖を見た。


 しかしハッと我に返り、浴衣に話しかける。


「これで満足した?」

『後生でございますから、今日一日は着ていてくださいませんでしょうか……。それで! それでわたくしの無念も晴れまする!』


 このまま要求がエスカレートしないだろうな……とチカは内心でため息をつきつつも、結局浴衣の願いをかなえてやることにする。己も大概お人好しだと自嘲せざるを得ない。


「本当は“城”じゃ白い服しか着ちゃダメらしいんだけど……」

「じゃあ、今日だけの秘密ってことで」

「“捨品”の受け取りももう終わっているしな。浴衣姿を見れるのはわたしたちだけだ」


 そういう話になり、その日一日、チカは浴衣姿で過ごすこととなった。


 アマネには当然、呆れられた。


「お人好しにもほどがあるな」


 ため息まじりにそう言ったアマネは、そのあとしばらく沈黙する。その沈黙をチカが不思議に思っていると、アマネが蚊の鳴くような声を出した。


「……でも、似合ってる」


 耳まで赤くなっているのがわかった。


 チカはそんなアマネの珍しい言葉と表情に不意打ちされて、なんだかつられて気恥ずかしくなってしまった。


「あ、ありがとう……」


 チカも蚊の鳴くような小さな声で返す。


 そのあと、一日が終わるまでふわふわといい気分だったのは言うまでもないだろう。


『ありがとうございまする。わたくしの願いを叶えてくださり、感謝してもしたりませぬ』


 浴衣はそう言ったきり、なにも話さなくなった。見事だったキリの花も、なぜか枯れてしまった。だが、あとには茶色っぽいキリの実が残っていて。


「来年も咲くのかな」


 どうやら、“城”の摩訶不思議なパワーにあてられて、浴衣も不思議な力を手にしたらしい。


 その浴衣はササが丁寧に“城”の倉庫にしまった。


 今度は春にでも出そう。そんな話をして。

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