梅子黄(うめのみきばむ)
煮沸消毒した大瓶の中にころん、ころんと下準備をした青梅と氷砂糖を交互に入れて。
そうやって作った梅シロップが出来上がったので、チカは一緒に仕込んだマシロとササとひと足先に味見をすることにした。
と言っても水で割ってジュースとして飲むくらいだ。酒類は当然のようにない。マシロはアルコールを嗜んだ経験はないそうだが、ササはあるらしい。マシロ曰くチカも酒の味は知っているそうだが、まったく記憶にないのでぴんとこない。
「酒盛りしてみたくはあるけどね」
酒を飲んだことのないマシロからすると、そこには一種のあこがれめいた感情があるようだ。「酩酊感」や「二日酔い」などなど、小説に出てきてもイマイチ実感としてわからないということも、そのあこがれに似た感情を呼ぶようである。
酒の味なんて知らなくてもいいだろうにと思ってしまうのは、野暮だろう。チカは己の中に酒に対するネガティヴなイメージのほうが若干強いことを初めて意識した。
けれどもマシロの幻想をわざわざ壊すのははばかられる。ササもそう思っているのか定かではないが、直截な物言いが多い彼女にしては、珍しく「そうだな」とマシロの言に同意するにとどまる。
「酔うと別の一面が見えるって本当かな」
「それは……どうかな」
マシロが興味深げな顔をして聞くので、チカはやんわりと否定しておいた。
「マシロは『別の一面』とやらを見たい相手でもいるのか」
一杯飲み干し、新たに梅ジュースを作りながらササが言う。
マシロは「うーん」と自分から言い出した割には考え込むしぐさをする。
チカはマシロの言葉は恐らく小説などから得た知識に基づいているのだろうと考えた。推理小説かロマンス小説かジャンルは定かではないが、酒の席が登場したのを読んで興味を持ったのではないかと考えたわけである。
「一番見たい相手はアマネかな」
そんなマシロが予想外のことを言い出したので、チカは不意を突かれた。てっきり恋人であるコーイチかアオか、あるいは両方の「別の一面」を覗いてみたいとでも思って口にしたのだろうとチカは予想していたので。
それが唐突にアマネである。そう言うからにはチカの知らないどこぞのアマネさんではなく、彼女らのよく知るアマネのことを指しているのだろう。一瞬、別人説を考えたチカであったが、その考えをすぐに打ち消す。
「なんで?」
チカは思わずマシロにそう問う。マシロはぱちぱちとまばたきをしたあと、彼女にしては珍しいちょっと意地悪な笑い方をした。
「本心、知りたくない?」
「いや、別に……」
「えー? アマネがチカのこと、どう思ってるか知りたくない?」
アマネがチカのことをどう思っているか……。チカは思わず考え込んでしまった。
「アマネはあんまりだれかとつるんでるイメージないけどさ、内心ではいろいろ考えてるんじゃないかって」
「うーん?」
「つまりさ、内心ではチカのこと好き好き言ってるかもしれないじゃん。ちゅーしたいとか。とかさ!」
「う―――ん?」
なぜかマシロのほうがもじもじと恥ずかしそうにしている。
一方、言われたチカはあまりにぴんとこない内容だったので、小首をかしげるしかない。
しかし「ちゅー」か、とチカは思った。「ちゅー」……すなわちキスは、すでにアマネとしている。だが、あれは奇妙な力を持っていただろう“捨品”の魔力がなしたものだ。つまりはノーカウント。「事故ちゅー」というやつである。
あのときはアマネは珍しくあわてていて、口紅を落としたチカに謝った。なので、その一件はチカの中では済んだこととしてファイリングされているのであった。
そのことをマシロに言うべきか悩んだが、結局黙っていることにした。
アマネにとってはチカとの「事故ちゅー」など恥ずかしい出来事だろう。だから彼の恥をわざわざ他人に開陳するのは心情としてはばかられた。なのでチカはその事実を告げずに無難な答えを口にする。
「仮にそれを知ったとしても、なんもできないかなー」
「えっ、なんで?」
「酒の席で得た秘密だし。なんかそれをシラフのときに持ち込むのは、はばかられるっていうかさ……」
「ふーん……」
マシロはイマイチぴんときていないようだ。酒の席だろうがなんだろうが、マシロは関係ないと思っているのかもしれない。意外とそういうところはアグレッシブに行くのがマシロなのかもしれない、とチカは思った。
「まあ、アマネは私のことそんな風に思ってないよ」
それは偽らざるチカの本音だった。
同じベッドで寝ていても、なにも起きていないのがその証拠だ。同衾していても特にプレッシャーや邪な感情をアマネが発していないのが、なによりの証拠。アマネにとってチカは同居人以上でも以下でもないのだろう。チカはそう思っていた。
「それはどうかな」
「え?」
「他人の本心なんて、聞いてみないとわからないし場合によっては本人すら把握していないものだし」
どうもマシロはチカとアマネをくっつけたいようだ。ひとによっては「大きなお世話」だと迷惑に思うだろうが、チカは迷惑とも、その逆にうれしいとも思ってはいなかった。
ただ、困惑はする。もしかしたら記憶を失う前のチカは、アマネに気があったのかもしれない。だから、マシロはチカとアマネをくっつけたがっているのかもしれない。
しかし真相は闇の中である。六人のだれもが、あまり詳しく以前のチカについて話してはくれないからだ。その理由もまた、闇の中である。
暗中にいるが、模索は少し怖い。チカはそう思うからこそ、のらりくらりと日々を生きている。それでも困らないからこそ、放置できるという面もある。
「うーん……嫌われてないのは、わかってるよ」
好意があるかまではわからないが、アマネに邪険にされた記憶はない。それどころか助けてもらったことすらある。ならばアマネはこちらのことを嫌いというわけではないのだろう。それくらいのことは、チカにも簡単に推測できる。
マシロがじっとチカを見る。なにか言いたげではあったが、結局なにも言わずに梅ジュースを飲み干した。
次に言うとすれば、マシロはなんと言っていただろう。チカはそんなことを考えたが、結局具体的なセリフは思い浮かばなかった。
奇妙な沈黙が落ちたあと、ふと梅シロップの瓶を見れば半分も減っている。もとより口数が少ないたちであるササが、ずっと黙っていることを不思議に思いはしなかったが、どうやらひたすら梅ジュースを飲んでいたらしい。
「ササ、梅ジュース好きだよね」
マシロが若干呆れた声で言う。
話の先がそれたので、チカはこれ幸いとばかりにその尻馬に乗る。それでアマネとの話はうやむやになった。




