乃東枯(なつかれくさかるる)
「ウツボグサ」の「ウツボ」とは海の魚であるウツボのことを指しているのではない。……ということが真っ先に思い浮かんだチカであったが、どうやらその送り主は恐らく魚のウツボと勘違いしていたのであろうと解釈する。
足元をさらうのは海の波。“城”の内部は暗いので、その“城”の中に広がる海も透明感などとはほど遠く、黒々とした海面を披露している。
一帯にはざざーん、ざざーんと波の音が響き渡り、壁に当たった波は白いしぶきを上げる。
その一番奥には、穂に紫色の小さな花をつけたウツボグサが立っている。
「なんでこんなことに?」
「いやがらせ……じゃないかなあ」
寄せては引く波に足を突っ込んだままチカがつぶやけば、マシロがそう答える。
撥水加工がされていない白い靴は、あっという間に海水を吸い込んで足に不快な感覚をもたらす。
視界の端でササが靴を脱ぐのが見えた。ばしゃり。足をいきおいよく海に突っ込んで、ササは水しぶきを上げる。それでササのワンピースが濡れた。あとでユースケが渋い顔をする姿が目に浮かぶようだった。
このウツボグサは“捨品”の中にあったものだ。“捨品”にもいろいろと種類があるが、今回は本当に「捨てたい品」であったらしい。
マシロの推測の通りであれば、この“捨品”を持ち込んだ人間はチカたちにいやがらせをしたかったか、あるいはすでにいやがらせの被害者であろう。そのあたりはどうしたって闇の中である。チカは早々に考えることをやめた。
とにもかくにも、奥に立つウツボグサが元凶であることには違いない。貰った“捨品”を倉庫へと運んでいる最中にこれである。あっという間に波に押し流されて、廊下の端へと追いやられてしまった。
「あーあ、他の“捨品”もずぶぬれ。しかも海水だから洗うの大変そー」
マシロはそうぼやきながら靴を脱ぐ。ひっくり返した靴からは、海水が流れ落ちる。
いつまでも足元が不愉快なのはチカとてイヤであったので、マシロにならいチカも靴を脱いだ。
波に押し流されたものの、服への被害は裾が濡れたていどだ。靴と同じように脱ぐほどではなく、また多少濡れ鼠になっても、今の季節であればすぐに風邪を引くということもないだろう。
もっとも、仮に風邪を引いたとしても、日を跨げば健康体になるのだが。
「あのウツボグサを引っこ抜けばいいのかな」
「わかんない。けど、やってみないと“城”が水没しちゃうかも」
「それは困るな」
ウツボグサからはこんこんと海水が湧いているようである。「ようである」と言ったのは、それなりに距離があったから、よく見えないのだ。“城”の内部は暗く、この距離ではランタンの光を向けても上手く先が見通せないのであった。
しかしマシロの言う通り“城”が水没するのは困る。“城”の不可思議な機構を考えれば、そういうことはありえないとも言い切れなかった。
必然、チカが言ったように元凶たるウツボグサを引っこ抜いて、折ってちぎって灰にするくらいはしなければならないだろう。
三人は一度空き部屋に入って、そのホコリの積もった机の上に“捨品”を置いたあと、ウツボグサを引っこ抜きに行くことにした。
その作業は困難と言うわけではなかったものの、しかし容易とも言い難かった。
三人とも子供であり、男よりは力の弱い女である。寄せては返し、引く波に揉まれつつの道程は、決して楽なものではなかった。
おまけにどんどんと水位が上がってくる。三人がえっちらおっちらと歩みを進め、ウツボグサにたどりついた頃には、白いワンピースは胸まで濡れて、下着までびしょびしょになってしまった。
濡れた布が体にくっつく感覚は、非常に、不快である。海の中にいるあいだはともかくも、元凶であるウツボグサを引っこ抜いて、予想通りに海水がどこぞへと引いたあとは、もう最悪だ。
「はあ~。やれやれだよ」
「本当にね……」
おまけに海水だったから体のあちこちがべたついて仕方がない。髪が濡れなかっただけまだいいほうだが、体のほとんどは潮まみれだ。
チカは引っこ抜いた途端枯れてしまったウツボグサを手にしたまま、深いため息をついた。
――と、そこに先に倉庫へかさばる“捨品”を運びに行っていた男性陣があわてた様子でやってくる。おおかた床が海水で濡れたのを見て、異変を察知したのだろう。
チカは先ほどとは違う、安堵のため息をついて、足音がしたほうを振り返ろうとした。
「――待って! ダメ!」
そして気がついてしまった。海水をたっぷりと含んだ白いワンピースが――思いっきり透けて、下着が見えていることに。
しかしチカのセリフはちょっと遅かった。男性陣が持つランタンの光が、無情に三人を照らし出す。
チカは思わず自身の惨状を見た。水色のブラジャーに、白いパンツを身に着けているのが丸わかりだった。下着が見えてしまったことも恥ずかしいが、上下がそろっていないことがより恥ずかしさに拍車をかける。
マシロはド派手な花柄の下着だったし、バストもヒップも豊かなササの、海水を吸った服が張り付いている姿は煽情的である。
――せめて、黒いワンピースだったならばこんな惨状には……。
とチカは思ったが、白い服を着るのは“城”で暮らす際のルールであるから、結局悲劇は回避できないのであった。
「あっ」
と言ったのはだれだったかはわからない。ただ四人とも、女性陣の下着を目撃してしまったことはたしかだろう。
アマネはすごい勢いで目をそらした。
コーイチもアマネほどではなかったが、目を見ても視線がまじわらない絶妙な方向をむいている。
アオは興味深げにこちらを見ているのがわかった。一発殴ってもいいかもしれないとチカは思った。
ユースケは顔を赤くしたり青くしたりと大忙しで、そのあと大急ぎでササのもとに駆け寄った。
「サっちゃん?! どうしたの?!」
ユースケの言葉は叫びに似ていた。
「どうしたもこうしたも」
どうしたもこうしたも、“捨品”のせいである。
「こうして見てみるとマシロ、マジで絶壁だな」
アオは通常運行でデリカシーのない発言をして、コーイチとマシロに頭を叩かれていた。
アマネはランタンを前に掲げたまま、ひとことも言葉を発しなかったし、こちらを一瞥すらしない。
チカはそんなアマネの態度に若干救われたが、しかし下着――しかも上下が揃いでない――を見られたことには変わらず、ひどい辱めを受けた気をしばらく引きずることになったのであった。




