凶刃
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◇ ◇ ◇ ◇
この夜、王都を訪ねた一人の男が居た。
彼は豪奢な身なりであるが、貴族ではない。冒険者だ。
王都の民は一瞥してそう悟った。
首より上はフードで隠されていて覗けないが、その出で立ちは注目を集めていた。
…………あの方、バルトから?
…………逞しいわ。あの装備、きっとすごい魔物の素材よ。
女性の声も所々から。
しかし、別の声も。
…………目立つ装備も珍しい。
直ぐ近くで。
その声を発したのは男と同じ冒険者だった。
「同じ冒険者だってのに、荒波立てるようなことを言うなよ」
男は声を掛けた。
だが、対する冒険者は意に介する様子もない。一応、声を掛けられたことに反応を返すぐらいはするが、そこに友好的な感情は欠片もなかった。
「先達からの助言だ。動きやすくて目立つ装備は避けた方がいい」
「……あん?」
「一目見て分かったが、確かに良い素材を使っているようだ。でも、死んでは元も子もない。腕の立つ冒険者なのだろう? だったら――――」
「黙っとけ、爺さん」
確かに声を掛けられた冒険者は初老である。
「…………だから、先達からの助言だって言ったろう」
が、そこに無下にしていい理由はない。
冷静に返した初老の冒険者はため息交じりに。
「では。先を急ぐからこれで」
「待てよ」
「どうした?」
「謝れよ。俺の時間を浪費させたんだからよ」
「…………」
「なんだ。謝れないのか?」
「確かに声を発したのは私だ。君が言うように老いた冒険者だし、余計な一言だったらしい。すまないな」
そっと、僅かに頭を下げて立ち去ってしまう。
だが、悪い気はしなかった。幾分か溜飲が下がったし、目立つのは大好きだから。それが異性からだと尚良くて、さっきのように称えられると最高である。
――――けれど。
今までのやり取りを見ていた者からしてみれば、それが大物か小物かは論ずるまでもない。
…………何処かのお坊ちゃんみたい。
…………カッコ悪い。
結局、言う方は好きにするだけ。
目立つ場所でしてしまえば、殊更に衆目に晒されるのみ。
ここで何を言われようと、致し方ない。
「気に入らねえな」
男の目は、去ったばかりの老いた冒険者に向けられる。
瞳に宿された感情は、逆恨みの一言であった。
――――男はそれから、巨大な鞄を手にして港へ向かった。
慣れない王都を歩き回り、ようやくたどり着いた先はムートンの鍛冶屋だ。
「すみませーん! ししょーってば、さっき起きたばっかりで寝ぼけてたんで、今、大急ぎで顔を表せてる最中でして……」
対応したエメメが例によって、工房の中にある大きな丸テーブルへ男を通していた。
男は椅子に腰を下ろし、鞄を乱暴に床に置く。
舐め回すように。視姦するようにエメメの全身を見て、下卑た笑みを浮かべたのもつかの間。
「お嬢ちゃん、俺ってばどんな冒険者だと思う?」
問いかけられたエメメは小首を傾げ、どう答えたものかと迷っていた。
「あー……えーっと……」
「俺みたいな装備の冒険者はあまり見たことがねえか?」
「な、ない……ですねー……」
「だろ? よかったら近くで見てもいいんだぜ」
と、手招こうとしたところへ。
奥の扉が開かれて、大きな欠伸をしながらやってきたムートン。
「悪いな、待たせた」
さほど悪いと思っていない口ぶりで言うと、彼はエメメの背を強引に掴んで距離を開けさせ、男が座る席の傍に腰を下ろした。
チッ、と男が舌を打つが、何のその。
ムートンは気にすることなく話をつづけるのだ。
「名前」
「あ?」
「だから、名前を教えろって言ってんだ。さぞ有名な冒険者様だろうしな。失礼があっちゃいけねぇ」
「お……おう……そうか」
だったらその態度は? と疑問に思ったが、毒気を抜かれた男が言う。
「ヴィゼルだ。家名はない」
「どうも。兄さんは俺と同じドワーフの血と、人間の血が入ってるらしいが。相方もそうか?」
「あ、相方? お前、どうして俺に相方が居るって知ってんだ? もしかして、俺の名前を知っていたから――――」
「違う。だいたい相場が決まってんだ。兄さんみたいな冒険者となれば、参謀っていうには大層なもんだが、作戦やら金策を得意とする相方が居るってな」
「んだよ……そう言うことかよ」
「それで、相方の名前は?」
「ロイ。純血の吸血鬼だ」
「そいつぁ珍しい。ま、教えてくれてあんがとよ」
ムートンの態度は変わらなかった。
むしろ、最初よりフランクになったぐらいだ。
そのことにヴィゼルは眉をひそめたが、実は足を運んだ理由が仕事の依頼とあって、あまり乱暴な態度を取る気もない。
苛立ちは抑え、深き呼吸した。
そこへムートンが尋ねる。
「仕事だろ。何を作ってほしい」
「素材を持ってきてる。これで俺の剣を作ってほしい」
「見せてみな。詳しい話はそれからだ」
ヴィゼルが鞄を持ち上げて、テーブルに置いた。
そこから取り出したのは二本の牙だ。
長さは小柄なムートンより更に短いが、陶器に似てくすみない純白が目を引く。
「これはかの有名な――――」「驚いた。こりゃガルムの牙だ」「――――さすが、王家御用達の鍛冶師だぜ」
イシュタリカでは大陸の西方。
以前、黒龍騒動が発生した地方にほど近い火山地帯や、周辺の瘴気窟に巣食うことがある獣型の魔物である。
体躯は一般的な船と比べても遜色なく、長躯。
深紅の体毛はガルムが魔力を放つと炎を纏い、雪のように白い牙はミスリルに勝る。
その危険度は、ギルドが認定する上級冒険者を数十人用意しても、すぐに全滅させるだけの実力を秘めた数少ないネームドである。
間違いなく、イシュタリカにおいても国宝級の素材に他ならない。
「エメメ」
それを見たムートンが片眉を吊り上げ、軽く上ずった声で。
「六番だ。急げよ」
「ッ――――りょ、りょーかいっす!」
エメメが慌てて部屋を出て何処かへ行く。
何かを頼んだムートンは笑っていた。
「どうだ、この仕事を受ける気はあるか?」
確信めいた声色で尋ねたヴィゼルはムートンの心が傾いていると感じた。
それもそのはず。ガルムの素材を加工したいと思っている鍛冶師は山ほどいて、依頼されることが名誉だからだ。
他の多くと同じで、ムートンもそのはずだと考えた。
「正直、驚いてるぜ」
「だろ?」
「一応聞いておきたい。兄さんはこれをどこで?」
「戦ってさ! 俺と相棒が倒し、素材を採って来たに決まってる!」
「ま、兄さんたちが素材を採ってきたってのは間違いねえな」
「ん? 含みのある言い方だな」
「俺のとこに連絡が届いてねえからだ。それに、ここ何十年かガルムが討伐された記録もない。となりゃ、兄さんたちが採ってきたってしか考えられねえ」
問題は、採りかただ。
ムートンは微かな声でそう添えて、頬杖を突いた。
「こいつぁ、知ってる鍛冶師も数人しかないだろう話だ」
「さっきから何を言ってんだ。勿体ぶるんじゃねえよ」
「良いから聞いとけよ」
ムートンが立ち上がり、出入り口の方に歩いていきながら。
何をするのかと思っていたヴィゼルの前で、何も言わず扉の錠をしたのである。
「ガルムってのは、牙にも魔力を流してる」
「それが何だって――――ッ」
「その魔力は、ガルムが意図的に収めない限り消えねえんだ。消えねえとどうなるかって言うと、牙は血で染まったように真っ赤なままなんだよ」
「ッ…………そ、それが何だって言うんだよ」
「ガルムの牙を純白のまま手にする方法は一つだけだ。本当の親子のような信頼感を築き、無理に砕くしかない。牙は復活するからな。ガルムもそれを分かってるから、砕かせてくれるのに期待するだけってこった」
ここまで言われ、ヴィゼルは理解した。
錠をした理由だって、自分を逃がさないためのものであることを。
「兄さんが伝説級の魔物使いと仮定した話だ。もろもろの事情を抜かしてな。だが、そうなると兄さん、届け出の無い魔物を飼育するのは重罪だぜ」
「このっ……くそドワーフがァッ!」
「んなぁーっはっはっはっはッ! 兄さんにも同じ血が流れてるだろうが!」
さっさと逃げなければ。
慌てたヴィゼルは席を立ち、腰に携えていた剣を抜いた。
ついでに、もう一方の手に短い杖を持つ。
「魔法も使えんのか。器用なこった」
対するムートンは長い柄の金槌を手に距離をとる。
彼は冒険者ではないが、それでも力はあるし、自分で素材を取りに行ったこともあるから、そこいらの中堅よりは戦えた。
――――これを自覚していたのが、油断だったのだ。
「…………な…………にが…………?」
横っ腹に風穴があいていた。
いつの間にか、小さな甲虫が工房内を何匹か飛び回わっていた。耳障りな翅音はムートンの身体の上で止まり、逞しい腹筋に牙を立てる。
「て、てめぇが悪いんだからな! 俺は悪くねえ……悪くねえぞッ!」
ヴィゼルはそう言い残し、錠を剣で砕いて立ち去る。
その装備の内側から、甲虫の羽を何枚か散らして。
力なく腕を伸ばしたムートンは喘ぎ、脂汗が瞳を濡らす。
やがて、気を失って目を閉じた。
「ッ――――ししょー……? 師匠ッ! 師匠! 起きてください……ッ!」
いつしか、エメメが慌てて工房の扉の前まで飛んできていた。
彼女はムートンの腹筋に食らいついた甲虫を見て、一瞬だけ止まる。しかし、ムートンの危機を前にその足が中に足を踏み入れようとしたところで。
「私が行きます」
彼女の肩に手を置いて、一人、先んじて足を踏み入れた金髪の佳人。
クリスが神速の踏み込みを以て足を踏み入れ、ムートンの腹に食いついていた甲虫をあっという間に切り伏せた。
それから、すぐに何人かの近衛騎士が足を踏み入れる。
「師匠は……師匠は大丈夫ですか……ッ!?」
「――――大丈夫。失血はひどいですが、すぐに治療をすれば何とかなります」
身体を確認したクリスの声を聞き、胸を撫で下ろしたエメメが翼から力を失ってじべたにすわりこんでしまう。
すると、その音を聞いてムートンが目を開けた。
「うるせえぞ……焼鳥にでも……なりてぇか……ッ!」
「師匠……? ししょー!?」
「だから……うるせえっていってんだ……ッ! だいたい、さっきみたいに、ちゃんと師匠って言えるなら……普段からそうしと……け……ッ!」
「ムートン殿。どうかお静かに。すぐに治療が出来る場所へ運びますので」
「お、おう……悪いな……姉ちゃん……」
やってきた近衛騎士に簡易的な治療を施されたムートンはすぐに運ぶ支度をされた。担架に乗せられれば一番いいが、都合よくそんなものを持っているわけもない。
結局、近衛騎士に背負われたのだが、そこでムートンがエメメを見て言う。
「暗号を忘れてなかったのは……上出来だぜ……! いい子じゃねえか……!」
彼は息も絶え絶えに言い、また目を閉じてしまう。
褒められたことに喜びを覚える暇もなく、エメメは近衛騎士に着いてこの場を離れた。
「誰か」
クリスが近衛騎士を呼んだ。
「急ぎ、王都中に連絡を」
「はっ!」
「ムートン殿が目を覚まされるまでは、エメメさんに話を聞いてください。犯人の特徴、名前、性別、分かることをすべて聞いてきなさい」
命令を下された近衛騎士はクリスの下を離れて散り散りに。
一人残ったクリスは、さっき切り伏せた甲虫を見て、顔をしかめた。
これは、魔物だ。
深い森に巣を張る魔物で、女王とされる存在を守るべく生まれる戦士である。
そんな魔物が人を守るなんて聞いたことがない。
状況から察するに、実際にそうなったのだからすべて嘘と一蹴することはできないのだが、普通ではあり得ない事態に違いはない。
「騎士の目を盗んで魔物を連れ込むなんて……一体、どうやって連れ込んだの――――?」
方法は分からない。
でも、彼女の脳裏を掠めたことがある。つい先日、バルトで聞いたばかりの、とある騒動のことだ。
◇ ◇ ◇ ◇
――――。
――――――――一方で、逃走の最中にあったヴィゼルは。
彼は、王都の裏路地を必死に駆け、騎士が到着するより先に逃げていたことのアドバンテージを必死に生かしていた。
「はっ……はっ……おいおい……ヴィゼルよぉ……! やっちまったぞ、やっちまったんだぞッ!?」
自分自身に問いかけ、引き攣る笑みに汗が伝う。
「盗みもしたことないってのに、据わってるじゃねえか……ッ!」
高鳴る胸から伝わる緊張感は不快なものから、いつしか心地良く。
過剰に分泌された脳内麻薬が気を大きく、同時に、彼の心に不可思議な落ち着きをもたらした。
「くそ親父に捨てられてもまっとうに生きてきたんだぜ……ッ!? だってのに……ハハッ! 何してんだ俺ぁ……ッ!」
やがて、王都を飛び出し海を泳いだ。
何十分も何十分も泳いだ挙句、岸に戻ると王都が良く見える丘のすぐ傍。
濡れた服を絞り、荒れた呼吸を整えながら。
その足で向かった丘の上に座ったところへと――――。
「どうした。早速、足元でも救われたのか?」
つい数十分前に揉めた、年老いた冒険者の声がした。
振り向くと、彼はヴィゼルを見下ろして立っていたのだ。
「なんでここにいるんだッ!?」
「仕事に向かう途中なだけだ」
ヴィゼルの心に宿ったのは焦りだった。
まさか、俺を追って?
普段の判断が出来なかった彼は、立ち上がると同時に年老いた冒険者の前に立つ。
不可解そうにしていた彼を見るや否や、ギョロッと血走った瞳を向け、甲高い声で「一人も二人も、同じだろ」と。
次の瞬間、年老いた冒険者の胸から血潮が舞った。
「はぁ……はぁ……ハハッ……ハッハッハッハッハッ……ッ! やった! 一瞬で! こいつが何もできないうちにッ!」
何も言わず、驚いた表情を浮かべたまま絶命。
自分より経験がある冒険者を。そして、苛立つ言葉を投げかけてきた冒険者を。
いとも容易く、あっさり葬ってしまったことに対し、ヴィゼルの心から焦りが消え、捕まることへの恐怖が失せた。
――――そこへ。
「それが人の輝きだよ。ヴィゼル」
声を掛けたのは銀髪の男である。
ヴィゼルは男の美しい瞳を眺め――――いや、その瞳に魅入られる。
「儚く、醜く、そして――――美しい」
「…………俺が、か?」
「ああ。それは眩しくて尊いんだ。私の心を富ませてくれる、かけがえのない唯一の財産なのさ」
一歩進み、銀髪の男の前へ。
左右の手のひらを広げ、半ば夢心地のままに。
「自由ってのは、こんなにも気持ちいいものだったんだな」
こう、口にしたのである。
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