祖父の願い
発売から一週間が経った4巻です!
以前からお伝えしていたのですが、内容は冒険者の町バルト編で、マルコとの戦いも描かれる一冊となります。
五万文字を超える書下ろしと、改稿を何度も重ねて仕上げました。
web版で物足りなかったところは構成から見直して、物語をぎゅっと凝縮しております。
こちら、web版でお付き合いくださってる方も是非読んでいただけると嬉しいです。
重版したコミックス1巻とあわせて、どうぞよろしくお願い致します。
目を覚ましたばかりのアインが城内を歩いていた。
まだ婚儀の最中とあって、日が昇って間もないというのに人が多い。給仕も執事も、そして騎士もまた今日の予定の確認にいそしんでいたのだ。
アインは皆を邪魔しないように歩いて、城の屋上へ足を進めていた。
ふと、カティマの研究室へつづく道で立ち止る。
「――――何してんだろ」
地下の方が騒がしい。
一体全体、あの研究室の主は何をしているのだろうか。
軽くため息をついてから歩き出すと、地下につづく石の階段を降りていく。
ガタンッ! ドン……ギギギッ!
城には似合わない騒音だ。
何か工事でもしてるのかと思うほど騒がしい。
パリィイイン! と何かが割れる音の後。
『ニャァァアアアアアアッ!?』
もう既婚者となった駄猫の悲鳴が耳を刺す。
昨日まであんなに淑やかで王女らしい姿を見せていたというのに、この落差はどうしたものか。いや、どうしようもないのは分かっている。
取りあえず、研究室の前に立ったところで扉を叩く。
「入るよ」
返事を待たずに中に入ると、それはもう雑多な室内が視界いっぱいに広がった。
今までも整然とした室内だったとは言えないが、今日は特にひどい。地面に転がって割れたフラスコ。本は何冊も床に広がり、革張りのソファに切れ目が入っている。
後はうっすらと煙が充満しているぐらいか。
「カティマさん……何してたのさ」
「けほっ……けほっ……! に、荷物を纏めてたのニャ! 新しい屋敷に持っていく物がたくさんあるからニャ」
「ん? この研究室ってもう使わないの?」
「なーに馬鹿言ってるのニャ。使いまくるに決まってるのニャ。ただあれだニャ、今までと違ってふらっと足を運べなくなるからニャー」
今度からカティマは、ディルと住む屋敷から通わなければならないからだ。
少し手間になるのは言わずもがな。
「私は明後日にでも城を出ることになるニャ。寂しいかニャ?」
「何度も言ったけど、ディルに迷惑をかけないようにね」
「はぁーこれだニャッ! まったく! 素直じゃない甥っ子なのニャッ!」
何度目か分からない似たやり取りにアインは笑う。一方でカティマは不平を口にしながら表情は明るく、上機嫌だ。
「どうせほぼ毎日会えるじゃん」
「ニャ? そりゃー城に来るから当然だニャ」
じゃあどうやって惜しめというのだろう。
アインは頭を抱えそうになるのに耐え、天井を見上げた。
「そういえばさ、マーサさんたちからの呼び方も変わるのかな」
「実は難しい所なのニャ。私は嫁ぐわけニャけど、何だかんだ言っても第一王女なのニャ。つまり、時間がいい塩梅に解決してくれることに期待してるのニャ」
「……棚上げ?」
「うむ。なるようになるニャ」
二人は顔を見合わせて、それも手だと視線を交わす。
「あ、いいものがあったのニャ。ほりゃ、あげるから使うといいニャ」
「何この本。中身は……白紙みたいだけど」
カティマに渡されたのは、アンティーク調で高級感の漂う一冊の本だ。ただ、本と言ってもアインが口にしたように中が白紙で、タイトルすら書かれていない。
「一冊ぐらい豪華な装丁の日記を書こうと思ったことがあるのニャ。でも結局使わなかったから、あげるニャ。だから書け」
「急すぎでしょ」
「何でもいいから書くのニャ。生まれてからの生き様とか自分についてとか……何でもいいニャ」
「まったく必要性が――――」
「あるニャ。いつか国の財産そのものになるからニャ」
ここだけは真剣な瞳を向けられ、アインは「なるほど」と頷いて返した。
それから、受け取った本を懐にしまい込む。
何か書くのもいいかもしれないな、と納得したところで振り返り、扉に向けて足を進めた。
「邪魔しちゃ悪いし、俺はそろそろ行くよ」
「分かったニャー!」
◇ ◇ ◇ ◇
どうしてこんなところに来たのか分からない。
もしかしたら虫の知らせのように、何か理由があって足を進めたのかもしれない。
少し冷たい風を浴びるアインは、城の屋上から城下町を見下ろしていた。ここは屋上と言っても、手すりすらない屋根の一角だ。
つまり多少危険なのだが、アインからすれば関係のない話である。
遠く、神隠しのダンジョンの方角を見る。
するとそこには依然として、結晶状の塔がそびえ立っている。
すぅ――――っと。
身体を抜けるような風が吹く。
アインは何度かまばたきを繰り返すと、城下町に向けていた目をゆっくりと閉じてしまった。風に乗り、自分のではない呼吸に耳を澄ませて、彼女が屋根に腰を下ろしたところでアインは口を開く。
「聞きたいことだらけなんですけど」
「ほう! 儂に聞きたいこととな!」
「なんでそんなに元気なんですか……で、教えてくれます?」
「はっはっはっ! 嫌じゃ!」
本当にいい性格をしてる、アインは眉をひそめながら息を吸う。
「じゃあ何しに来たんですか」
「大したことではないのだがな、儂の目的が予定より順調なのじゃ。つまりそう遠くないうちに、儂はこのイシュタル諸島を離れるために海を渡る。予定より早くな」
だから報告に来ただけなのだと暗に言っていた。
「だったら尚のこと教えてもらわないと」
「知らん。儂は約束を守っておるし、他には約束をしておらんぞ」
「……まぁいいや。じゃあ逆に聞きますけど、どうすれば教えてくれます?」
「前も似たような問答をしたと思うが、そういうのは力づくで尋ねるべきじゃな」
「――――なら」
と。
前触れもなしに剣を抜いたアインが竜人に肉薄した。
しかし。
「どうした、そのまま剣を振れば儂の肌に刃が届くぞ」
アインの手は止まっていた。
あと数センチも前に動かせば竜人の柔肌に刃が届くところで、氷のように固まって動きを止めていた。不意に剣と肌の間に現れた黒い糸に目を向ける。
「糸……?」
「切ってもよいが、お主は意識を手放すことになる」
糸を切るだけでそんなことができるのだろうか。
疑問符を抱くと同時に、アインの脳裏を、彼女ならそれが出来ても不思議ではないという考えがよぎった。
薄っすらと。
アインの額を伝う汗と共に、彼の服の袖から一冊の本が零れ落ちた。
「む、なんじゃそれ」
ついさっき、カティマから貰った何も書かれていない本だ。
もう仕切り直しとはいかない。
毒気を抜かれ、問い質す気を失ったアインは剣を収める。
「日記とか書いてみろって、伯母から貰ったってだけの本ですよ」
「儂もそういうのは嫌いではない。それでそれで、タイトルはどうするんじゃ?」
「だから、さっき貰ったばっかりなんですってば。思いつくはずないじゃないですか」
「つまらんのう……」
そう言うと竜人はアインに背を向けた。
「次に会うのは別れの時じゃ。恐らく、今生のな」
忽然と。最初からいなかったかのように気配が消えた。
ふっと呼吸をするように、静かにどこかへ消えてしまったのだ。
「――――馬鹿なんじゃないの。どんだけ強いのさ」
ありったけの力をぶつけたわけではない。
だがどう想像しても自分が勝つ姿が見つからず、アインはわだかまりを抱えて屋根に横になった。
すると。
「こんなところで何をしておる」
竜人と入れ替わりに聞こえてきたのは、シルヴァードの声だ。
「お爺様こそ、どうしてここに?」
「娘が嫁ぐ前である。少しぐらい気分転換をしたいと思ってな」
彼は感傷的になってしまったのかもしれない。
窓から身体を乗り出すと、バルコニーからアインがいる屋根にやってくる。
危ないですよ、とアインは言わない。身体能力の低下を感じさせない老躯は軽快に隣にやってきて、腰を下ろしたのだ。
「近頃は余がここに来ることを咎める者しかおらん」
「普段なら俺も咎めてますけどね」
「だが今は咎めていない。それでよいのだ」
「……もしかして、昔はしょっちゅう来てたんですか?」
「王太子時代は毎日のようにな。バルコニーが封鎖され、また別のバルコニーから上る鼬ごっこを繰り広げておった」
とんだやんちゃ坊主だとアインは笑った。
「しかし良い気分だ。幸せそうに笑うカティマを見ることが、これほど夢心地に浸れるとは」
「毎日城に来るって言ってましたよ」
「だとしてもよ。良き夫を得て新たな門出を迎える。素晴らしいことであろう」
シルヴァードは心の底から喜んでいるようで、見たこともないほど上機嫌で声が弾んでいる。
雲一つない蒼穹を臨み、朝の風を一身に浴びる。
揺れる灰色の髪の毛とヒゲが、彼の高揚した気分を表しているようだった。
「カティマの姿を、あの馬鹿息子にも見せたかったものだ」
ぽつり、と言葉が漏れた。
「お、おっと……今のは聞かなかったことに――――」
「ライル様のことですか」
「……聞かなかったことにはならんな」
「気にしないでください。ここにいるのは俺とお爺様だけですから」
だから気にせず吐露してくれと。
祝いの日に湿っぽい話は似合わないかもしれないが、漏れ出す気持ちもあるだろうから。
「余は退位の後、あの馬鹿息子の消息を探そうと思っている」
「ッ――――!?」
「とは言え、アインの統治が落ち着いてからだ。何の心配もなくなったところで、余はロイドと共にライル、セレスといった二人を探しに行こうと思っている。そうさな……何も思い残すことがない、余生の過ごし方としてな」
ひしひしと伝わる親心と、イシュタリカの未来が落ち着いたらという国王としての言葉だ。
「亡骸が残っておるかも分からんが、もし残されているのなら……余だけでも、あの馬鹿息子を抱きしめてやるぐらいは許されるであろう」
「ロイドさんは、そのことについて何と?」
「あ奴と話したのは何時だったか……アインが海龍討伐を成し遂げた後、なんてことのない夜のことだった。酒の席で言葉を漏らした余に対し、ロイドから提案してくれたのだ」
「……道理で」
「何か名残でもよい。服でも装飾品でも……何かあの馬鹿息子と分かるものが欲しいのだ」
その声の後、二人の間に静寂が漂った。
シルヴァードは目を閉じて、一方のアインは空を見上げて。
ここでアインが思うのはたった一つだけ。隣にいる祖父の願望は、達成できないであろうという確信だった。何故なら神隠しのダンジョンの性質が原因だ。
かの地は内部が自在に変わり、多くの魔物が存在している場所である。
そもそもとして、あの二人が死んでいるのかというと……恐らくこれは違う。
このすべてを知るのはただ一人で。
(それは俺にしか調べられないことだ)
彼女に尋ねるべき適任は、自分だけであると。
多くを聞かず、すべてを流れに任せてもよかったはずの問題に、無視できない行動理由が宿ってしまった。
例によって年末は仕事が増えてくるため、今年ももしかしたら更新が減るかもしれません。その際はどうかご了承ください。
(減っても週一とかですが)
今日もアクセスありがとうございました。




