逆らいようのない慈愛
3巻が好評発売中です。
たくさんの方がお手に取ってくださったようで、オリコンにもランクインできました。
本当にありがとうございます。
書籍版も、是非引き続きよろしくお願いいたします。
近頃の慌ただしさもあり、日にちが経つ感覚がとても速い。
セレスティーナの件から二週間が経ち、城内には少しの落ち着きと、新たな高揚感が宿りだす。
王族の婚儀は、国中が祭り騒ぎになるのが常だ。
特にカティマは人気を誇っていたこともあり、相手が王太子付きで信用もあり、心からの祝福が向けられている。
アインは久方ぶりの休日だった。
不意に頬をくすぐった髪の毛。
ソファで転寝をしていた彼が目を覚ますと、後頭部を支える柔らかい感触。
「――――あれ?」
「あっ、起きちゃいましたか?」
「お母様?」
「ええ、私ですよ」
自分の顔を覗き込むオリビアの姿に、さすがのアインも状況把握に時間がかかった。
察するに、寝ていた自分を見て膝を貸してくれたのだろうが。
「勝手にお部屋に入ってごめんなさい。お部屋の扉が少し空いていたから、何かあったのかと思ったの」
思い返すとアインは、寝る前に朝の訓練をして大浴場に寄ってきた。
帰ってから部屋の扉をしっかり閉めていなかったようだ。少しのだらしなさにアインは自嘲する。
「しょうもない姿をお見せしちゃったみたいで……」
「ふふっ、大丈夫ですよ。いつだってアインは素敵ですから」
幼い頃からずっと、彼女はアインを無条件で愛し、称えるような言葉を口にしてきた。
それは今になっても同じこと。
と言うより、今では昔のそれと比べても更にである。
そっと頬を撫でる彼女の手の感触は、上質な絹よりも肌触りが良い。
オリビアの香りは相変わらず心を落ち着かせてくれるし、すべてを委ねたくなるような魅力に満ち溢れている。
容姿も以前と全く変わらず、人間離れした湛えんばかりの美。
アインが彼女の手元に目を向けてみれば、ツタが姿を見せてアインの身体に巻き付いていた。
「あれ、俺の身体からも」
「私が膝枕をしたら、すぐにこうなってましたよ?」
「……なるほど」
まぁ、仕方ないことだろう。と、アインは一人納得する。
近くに居たのがオリビアで根付いている相手なのだ。
アインにとってすべてを忘れ、無条件で甘えられるような相手であるわけで。
「お姉さまが、やっと所定の作業を終えたんですって」
「カティマさんが? お爺様とクローネからの課題を終えたんですか?」
「そうですよ、だから城下町に下りるーってお父様に宣言してたの」
「確実に拒否されましたよね?」
「ええ、他にも折衝事案だらけですもの。お姉さまったら、お父様に「新郎も頑張っておるぞ」って言われて、照れくさそうに我慢してました」
その言葉を聞いてアインは笑う。
微笑ましくて見守りたくなるような話だ。
「ドレスもそろそろ仕上がるんでしたっけ」
アインが言うと「しー」と、唇にオリビアの人差し指が押し付けられる。
「殿方が新婦のドレスについて語っていると、無粋だと言われてしまいますから」
「確かに。失言だったようです」
「…………そういえば、お姉さまが小さく謝ってました」
「えっと?」
「クローネさんを借りっぱなしで、すこーしだけ悪いニャって」
「ま、まぁ……うん」
借りっぱなしといわれると何か語弊がありそうだが。
「――――」
不意にオリビアは黙りこくった。
それまで微笑み交じりで、愛おし気にアインを見下ろしていた彼女がだ。
雰囲気もまた、違う。
どう違うのかと聞かれればアインは答えに困るが、少し違った。
依然として自分に向けられる絶対的な慈愛は感じるし、本質が変わったわけではない。
例えるならば。
(あの日のお母様みたいだ)
今はなきアウグスト大公邸宅。
離縁を心に決め、指輪を捨て去った時の彼女に瓜二つだった。
「どうしてお兄様の部屋に行っちゃったんですか?」
アインの胸が早鐘を打つ。
「お兄様って……それって」
刹那、アインはすべてを察した。
あの日に自分が叩いていた壁には、第一王子ライル・フォン・イシュタリカの部屋があったのだと。
自分はその理由を詰問されているのだ。
どうしてライルの部屋に行ったのですか? と。
だが。
「あっ……勘違いしないでいいんですよ? 私がこのことを聞いたのは、マーサから聞いてって頼まれたわけじゃないの。それに、すでに気付いているであろうお父様からでもないんですから。私はアインがそうしてたのを知っていただけですもの」
そりゃ、第一王子の部屋だった場所となれば騒然とする。
しかしその誰から頼まれたわけでもないという。
「知っていた……ですか?」
しかしオリビアは答えようとせず、艶美に笑んで更に尋ねる。
「セレスにはなんて言われましたか?」
「……あの!」
「それとも、彼女は最期まで彼女の言葉を発しなかったのかしら」
「い、いえ! お爺様にも報告しましたけど、仮初がどうのとか……望まれた証がどうのとか……」
いつにもまして、オリビアに勢いがあった。
口をはさむ隙がない。
「そう……だから後はお兄様が、ってことなんですね」
オリビアは目を伏せ、静かに言う。
口元は隠しきれない歓喜により綻んでいて、形のいい唇が艶美。
彼女の神秘性にアインは口を閉じる。
何か、意味深な態度について尋ねたいところだった。
しかし、どうにも口を開けない。
思い返せば、昔からオリビアにはこうした一面があった。
全てを見透かすような、いや、最初から知っていたような振る舞いだ。
まさに話がころころと変わる今、脈絡はあまり感じられない。
ただ一人、オリビアだけが納得した様子で、アインには彼女の考えが伝わらなかった。
ページの欠けた本を読んでいるみたいで奇妙だが、そこを強引に補うような力がオリビアにある。特にアインにはよく効くのだ。
「――――さて、と。些細なお話はこのぐらいにして」
すると、また彼女が纏う気配が変わる。
アインはころころ変わる様子に思わず身体を起こし、オリビアの隣に座ったまま様子を窺う。
巻き付いていたツタは、いつの間にか姿を消していた。
何をするのかと思いきや、彼女は唐突にアインを抱きしめる。
満面の笑みで、心の底から堪能するように。
「え、ちょっ……え!?」
ほどなくして言葉を発せられなくなる。
身体全体が抱きしめられたというよりも、顔が無理やり胸元に埋められたからだ。
甘い香りに脳まで溶かされそう。
「ふふっ、久しぶりのアインを補充しないと」
正直言って照れくさいが、拒否できるわけもない。
そもそも、拒否するつもりもない。
幼い頃にハイムを出てからというもの、二人の間の絆は深まるばかりだった。
例によってアインからしてみれば、オリビアのすべてを母と感じることは出来ていない。
やはり都合のいい言葉は親戚の姉と言うべきか、少しはにかんでしまう感覚だ。
「あ、首筋に傷が残ってますよ?」
(……返事できない)
「あとは……髪の毛はサラサラだし、お風呂上がりのいい匂いですね」
首筋に顔を埋めたオリビアの呼吸。
五感をくすぐる彼女の魅惑に、頭がくらくらしてしまいそうだ。
(お願いします。やっぱり少しこのままでいてください)
これは決してこのまま甘えたいから! という意思の下ではない。
じゃないと、真っ赤な顔が見られてしまうからだ。
どうせオリビアは知ってるだろうが、直接見られるのと見られないのでは話が違う。
(まぁ――――)
喜んでくれているのだから、たまにはこんな休日も悪くない。
アインはそう自分を納得させ、この状況への理由をつくる。
ただ、オリビアが喜んでいるのは、アインにとっても最善なことに違いはない。幼い頃からずっとそうで、今までも、そしてこれからも変わらないだろう。
数分と経たずにアインは平静を取り戻す。
が、それ以降も、オリビアによる強制的な慈愛の波は収まらず。
きっとつづいても数分だろう、というアインの予想はまったく当たらず、結局、体勢を変えオリビアにいじられること数十分が過ぎた。
初夏の涼しげな風に頬を撫でられ、なんとも心地良い。
意図せず得た触れ合いの時間を、アインとオリビアは日が暮れるまで堪能した。
正直、流れうんぬんを抜かせばオリビアの話はもっと書きたいんですよね……。
今日もアクセスありがとうございました。




