すべての国とすべての戦力より強い存在
今回から新章です。
少し、いや少し長い年月が経った。
数えると一年半で、アインが決心をした日からこれほどの日数が過ぎ去っていた。
この日、アインはシルヴァードに頼み込みイシュタリカを離れている。
頼みと言うのは早期の即位を告げられた夜、何かしておきたいことはないか? と尋ねられていたことへの願い事だ。
内容は誰もが驚くことであったが、結局は受理され今に至る。
――強烈な海風が島を通り抜けた後、辺りが暖かな陽気に包まれた。
天球の頂上から降り注ぐ昼下がりの陽光は、肌を浅黒く焼くのにちょうどいいぐらいだ。
二海里ほど離れた海上にでは、海龍艦リヴァイアサンが停泊している。
甲板に立つ一組の男女が居た。
二人の視線の先には無人島がある。
イシュタリカとハイムが会談を行った地で、アインがカミラを打ち取った島だ。
今日この島の周辺に、リヴァイアサン以外の船舶が接近することは禁止されている。理由はいくつかあるが、特に大きな理由は、安全を確保できないということにあった。
「クリスティーナ様、そろそろはじまるかと」
「マルコ……ええ、分かっています」
二人は簡素に言葉を交わす。
すると間もなく、島の上空にあった雲が真っ二つに切り裂かれた。
周囲の海面もまた大きく揺れる。
「団長――カイン様が剣を振り下ろしたようです」
天まで届く最強の剣士の証、デュラハン・カインの一振りは苛烈だ。
これまでにないぐらい、彼の一撃は勢いよく雲を切り裂いている。
「アイン様が求められたことは異常の一言に尽きます。不利な条件下にて、ハイム戦争の再現をすると言ってこられたのですから」
彼の不安げな瞳は真っすぐ島を射抜く。
一方で、隣に立つクリスには余裕すら見え隠れしていて、
「でも」
クリスは笑みを浮かべ口を開く。
「アイン様なら大丈夫ですから」
それから、波のように押し寄せる剣閃がカインの剣戟を覆う。
更に強大な力を見せている――と容易に想像がつく反撃を、二人は目の当たりにしたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ぬぅ……ぐ……ッ!?」
剣の技量はまだ追い越されていない。そんなことは分かっている。
が、基本的な部分に問題がある。
膂力や反応速度、戦うために大切な基礎が既に劣ってしまっていた。
カインが相対しているアインはそれほどまでに強い。
これより前に剣を交わしたのはいつだったろう?
確か黒龍が出現する少し前――一年半ほど遡るはず。
「ッ……伝聞として、そして召喚主のお前が強くなっていた事実は知っていたッ! だが何故だッ! お前はどうしてこうまで強くなっている!?」
「目標が出来たから……それだけです」
「ああそうか! さすがは魔王と言ったところだな……アインッ!」
魔物に差し向ける訳でもない、カインが放つ本気の剣劇。
強く、疾い。海龍すら一刀に伏せる力があったそのすべてが、目の前に立つアインただ一人に向けられる。勢いは増す一方で手加減なんてされていない。
だがどうだろう。
アインは受け止めるどころか、余裕すらある。
(……大丈夫だ)
いける。
最強の剣士を相手にしても膂力が劣っていない。
それを理解し、更に力を込めた。
「ぐっ……ぬぁぁぁああああああ――ッ!?」
横薙ぎ一閃でカインを吹き飛ばす。
周囲の木々もまた切り崩され、もはや島は荒野と化しつつあった。
木々のさざめきは既に聞こえない。響くのは地面が抉れる音と、凶悪な風が砂塵を舞い上げる音だけ。
天空では雷をはらみつつある黒雲が蠢く。
「あらら、綺麗に吹き飛ばされてきたのね」
吹き飛ばされたカインの耳元に、鈴を転がしたような軽やかな声が届く。
声の主は杖を振ってカインを空中で制止させた。
そこに居たのはエルダーリッチのシルビアで、彼女もまた、戦いに則した装備に身を包んでいる。
「……悪い、助かった」
「いいのよ。でも、随分と苦戦してるみたいね」
「ふんっ。まだ最強の騎士の座は譲っていないぞ」
「でもあの子は強いわよ?」
「さしずめ最強の生物と言ったところだ。アインは剣を剣士として扱っていない。例えるならば、龍が爪と牙で戦うようなもんだ」
ただ負けず嫌いを見せたんじゃない。
カインの冷静な分析にシルビアが頷く。
「念のため教えてくれないかしら? あの子、本当に魔法や魔王の力は使ってないの?」
「戦うためにはな。ただ、身体が頑丈になってしまってるのは仕方ない」
「……そう。なら本当に」
「ああ。今のアインは剣だけを武器にして――ハイム戦争と同じ布陣を戦っている」
その言葉を聞きシルビアは息を飲む。
「訳が分からないぐらいね。アイン君ったら、何を求めてこんな戦いを?」
「詳しくは知らん。一つだけ聞いたのは、どうしても倒したい相手がいるからってことらしいが」
「で、その相手は私たち三人を相手にするより強いのかしら」
カインは声に出さず頷いて返す。
こんな戦いを求めたのだ。三人ひとまとめにしたより強い相手がいる、アインは密かにそう述べたのと同意であろう。
「アイン君には悪いけど小細工を仕掛けるわ」
「ほう?」
「さっきあなたにしたみたいに動きを止める。妨害してから攻撃に移ろうと思うの」
「悪くないな」
「あら、そんな戦い方は嫌だって言われると思ったのだけど」
「……三人がかりで負ける以上の事は無い」
と。彼はそう言って姿を消した。
――現れたのはアインからほど近くだ。
すでにアーシェもそこに居て、アインを相手に力を振るっている。
「私ッ……肉弾戦とか好きじゃない!」
「そう言うな。自分で思ってる以上に様になってるぞ」
「むぅ、嬉しくない……!」
現れたカインはアインの背後をとる。
真正面はアーシェで、挟み撃ちの形になった。
「どうだアイン、アーシェもなかなかやるだろうッ!」
「ええ! 纏ってる魔力が本当に面倒です!」
アーシェの魔力は普通ではない。
近くにいるだけで相手の体力を奪っていく、他にない特別な力だ。
それは常人であれば、数秒と経たずに斃れるほど強い。
数百年前、大陸イシュタルを混沌に貶めた力だ。
「あなたも早く負けちゃえばいい……!」
振り下ろされる腕、通り抜けた後の空気、向けられる視線。
全てがアインの身体に直接的な影響を与える。
しかし、一向にアインが疲れた様子を見せることはなく、何も変化した様子を見せない。
「いいえ、負けるつもりはないんです」
アインは彼女の攻撃を冷静にいなし、時に剣を振って反撃を繰り出す。
器用にも背後から届くカインの攻撃すら同じことで。
「ァアアアアアッ!」
本気の一振りをカインが放とうと、
「ば、馬鹿な――ッ!?」
キィン! 金切り声を思わせる金属音が響く。
視線を向けず、背に向けた剣で攻撃を防いだアインが居た。
「二人とも!」
不意にシルビアの声が届く。
すると、カインとアーシェが顔を見合わせ、新たな攻撃の支度に手を付けた。
これまでより強く苛烈な一撃をだ。
「これは……シルビアさんの魔法?」
全身が凍り付いたと錯覚するような魔法だ。
アインは身動きが取れず、直ぐ近くに立つシルビアに視線を向けた。
正面からアーシェ。
背後からカイン。
イシュタリカ中を探しても、二人ほど強い存在は他には居ない。
加えて、アインを拘束しているのはシルビアなのだ。
このような一対三の構図にありながら、アインの顔には少しの焦りもない。
「ここで負けるようじゃ」
竜人には勝てない。
どうして自分が努力して来たのか? その理由を強く反芻した。
こうしている間にも二人の攻撃が迫る。
「これで、お終い……ッ!」
「終わりだ! アインッ!」
「……違う。終わりじゃない。終わらせないッ!」
終わりじゃない。
ギ、ギギギ――手足は弱々しくも動く。
オイルが切れた歯車のようで動きづらいが、それでも動く。
「う、嘘でしょ……!?」
ふと、シルビアの額に汗が浮かんだ。
焦りから来るものではない。
仕掛けた魔法が強引にはがされそうとしている、その強さによるものだ。
彼女は必死になって魔力を込め、杖を握る手に力を込める。
だがそれでも。
「あぁぁぁああああああッ!」
咆哮。
頭上の天空の雲が飛び散って、アインの身体からガラスが割れるような音が響く。
その瞬間、シルビアは杖を握りなおす。
もはやアインを拘束できない。
彼女は即座に、攻撃魔法へと切り替えたのだ。
アインへと三人分の攻撃が注がれることになる。
前後からアーシェとカインが。
そして空中と左右からは、シルビアが放った黒い閃光がアインを襲った。
全方位からの攻撃は、一つ一つが千の命を奪えるであろう破壊力を秘めている。
アインもまた剣を振りかざす。
――強烈な力の破裂が、島全体を包み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
砂塵と旋風、漂う魔力の煌めきが収まったのは数分後のこと。
巨大なクレーターと化した戦場に立つのは一人。
「はぁ……はぁ……」
アインは荒くなった息を整えつつ、凄惨な周辺を見渡す。
二メートルほど離れたところに膝をつき、剣で身体を支えているのがカインだ。
体躯が彼ほど逞しくないアーシェはと言うと、十数メートル先で大の字に倒れこんでいる。
最後にシルビアだが、彼女はカインの背後数メートルで座り込んでいる。恐らく、カインが守るように立ちはだかったのだろう。
更に数十秒が経つ。
カインが苦笑いを浮かべて言う。
「最強の剣士、最強の魔法使い、そして……覚醒した魔王の三人だ。この三人を相手に、まさか身体の力だけで勝利してしまうとはな」
当然、アインは自分でも驚いていた。
「俺はもう限界だ。シルビアもそうだろう。アーシェ! お前はどうだ!」
「わ……私はまだ大丈夫……! だけどもう勘弁して……ッ!」
今日という日までの訓練は無駄ではなかった。
日に日に強くなっていったアインは、その成長速度が尋常ではない。
もし、もしもあの日クローネに相談していなかったら――確実にアインは、今ほどの強さを身に着けていなかっただろう。
「俺が認めてやる」
「えっと……何をですか?」
するとカインは立ちあがった。
足元は若干おぼつかないが、それでも意地を見せ立ち上がったのだ。
「今のお前なら、イシュタリカの全戦力を相手にしても勝利を収めるだろう。エウロにロックダム、バードランドにハイム自治領……そのすべてを合わせようと答えは一緒だ」
「そ、それはさすがに」
「言い過ぎではない。今回の戦いはアインだけが不利な戦いだった。魔王としての力を使わず、身体の強さと技量だけで戦い切ったのだからな」
そこに魔王の力が加われば――なんて、考えるまでもない。
名実ともに最強の生物になったと言えよう。
「最後に教えてくれ。アインが口にしていた相手だ。それは今のアインよりも強いのか?」
アインは目を白黒させた後、あの日の戦いを思い出す。
何もできなかった。
実力はどこまでも隠されており、その本性を暴くまでの段階に無かったはず。
今の自分でどこまで戦えるだろう? アインは空を見上げた。
「ええ。強いです」
少なくともカインの想像の範疇に無い。
だがアインの言葉に嘘は感じられず、彼の純粋な瞳に宿る闘志は美しい。
そしてそれ以上のことを尋ねることをせず、カインは立ち上がりシルビアを抱きかかえた。
「俺たち三人を鏡に使ったんだろう? 今の自分がどれほど強いか、そして考えている相手とやらに対抗できるか否かを図るために」
「……バレましたか」
「当たり前だ。とは言え別に不快なわけではない。俺は俺でまた剣を振る」
穏やかで晴れやかな声で言い、カインは一足先にこの場を立ち去る。
すると、アインの背中にアーシェがもたれかかった。
「ねぇ、おんぶして」
「……はい?」
「疲れた。歩きたくない。あなたのせいでこんなに疲れたんだから、少しぐらい私に甘くしてくれてもいいと思う」
「なるほど、そういうことでしたか」
特に抵抗もせず、彼女を背中に抱えた。
「はぁ……そう言えば、どうしてこんな時期に、こんな戦いをしたいなんて言ったの?」
「今を逃すと俺の即位の支度とかで、一年以上かけて忙しい時期になりそうなんで」
ふぅん、アーシェは頷いて体重を預けた。
体格から分かっていたことだが、彼女は体重を感じないぐらいには軽い。
「先にディルの婚儀とかもありますし、今がギリギリのタイミングだったんです」
「ふむ……じゃあ寝てもいい?」
「あ、はい。イシュタリカに着いたら起こしますから」
しかしマイペースな魔王だ。
いや、それを言うと二人してマイペースな魔王ではあるが。
ところで、アーシェは内心で驚いていた。
アインがケロッとした様子で、疲れた顔一つ見せないからだ。
「なんか、ずるい」
ボソッと呟いた声からは、密かに宿った負けず嫌いが息づいていた。
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