新たな目標。
次の話から次章になります。
アインはたった一人で港に居た。
日が昇って間もない、周囲に人が居ない静かな時間のことだ。
彼は桟橋で足をぶらつかせ、両隣に乗った双子の頭を優しく撫でている。
「んー……」
ここ数日、アインの気分はスッキリとせず、ひどく曇っていた。
夢、あるいは精神世界での、竜人とのあのやり取りが原因だ。
「……どうしたもんか、この感情」
聞くべきことを聞けなかったから――ではない。いや、それも無視することではないが、それ以上に敗北が尾を引いていた。
あれは言葉にするまでもない完全な敗北で、経験したことのない、力の差が歴然な戦いだった。
相手が余力を残したままで、自分は本気。
昔、マルコと戦う前にカインの手ほどきを受けたことはある。
ただし、あれは戦いではなかったという前提が付く。
そのせいもあって、はっきり言えば悔しすぎた。
「でも、神様だと思ってた相手だし」
と、本音では残酷に吐き捨てたいが、
「そんなんで割り切れるほど器用じゃないしなぁ……あー、もう!」
「グゥウ?」
「キュルゥ……」
「あ、あぁ! ごめんごめん、ちょっと色々あったんだ」
声に驚いた双子の額をそっと撫でる。
すると、双子は気持ち良さそうに目を細める。
そして数分も経たぬうちに寝息を立てた。
冬の海辺の風は肌を刺すように冷たい。
その冷たさが、アインが抱く火照りを癒すように頬を撫でる。
……双子を撫でていると、少しずつ気分が落ち着いてきた。
アインはおもむろに上半身を後ろに倒した。
うっすらと雪が積もった桟橋に転がって呟く。
「次の出会いに期待するしかないか」
もう一度挑戦だ。
だがこの前のことは偶然だったようだし、幸運が何度もつづくかと思うと半信半疑だ。
それでもアインは願う。
「どうか神様――次こそはあの竜人に勝て……って」
神を名乗っていたのは、竜人の彼女だったことを思い返す。
じゃあ誰に祈ればいいんだろう? 疑問に思ったときのこと。
「服が汚れちゃうわよ? 王太子殿下」
声を掛けたのはコートを羽織ったクローネだった。
腰をくの字に折り、アインの顔を覗き込んで微笑みを向ける。
灰色の空から雪が降りだしたのと同時に、海風でクローネの髪の毛が靡いた。
艶めく髪が光を反射する様子はダイヤモンドダストのよう。
「……居た」
アインは小さい声で言った。
「えぇっと……私のことかしら?」
「うん。居たみたい」
祈るべき相手がここに居たと、アインが心の内で呟いた。
一方のクローネは合点がいっていなかったが、アインの隣でしゃがみ込む。
「ここまで来てくれた女神さまに祈ってみてもいい?」
「どうして私を見てそんなことを言ってるのかしら……?」
「そりゃ、クローネが昔言ってたことだし」
「私が昔に?」
「うん。俺が海龍を倒しにマグナに行く前に言ってたよ」
城を抜け出す少し前、カティマの地下研究室を出てすぐだったはず。
アインはクローネと邂逅し、クローネがアインの頬に口づけをしたのだが、その際に彼女は言っていた。
「『女神の祝福』だ、ってさ」
「ど、どうしてそんな昔のことを持ち出すのよ……もう」
クローネがアインの頬を指でつつく。
彼女の頬は照れくさそうに紅が乗った。
二人はそれから笑みを交わし、立ち上がったアインがクローネの手を引く。
「双子にばいばいって言わなくていいの?」
「寝ちゃってすぐだし、起こさないでおこうと思って」
なるほど、クローネは同意してアインと腕を絡ませた。
身体を密着させ、身体を預けて歩き出す。
冷たい外気と、互いの腕のぬくもりの温度差が心地良い。
「港までは誰が付き添いを?」
「マルコよ。もう大丈夫って言って、先に屋敷に戻って行ったけど」
「あー、道理で一人だったわけだ」
「そういうことよ。それにしても、はぁ……吐息も一段と白くなったわね」
アインは楽しげに笑う彼女を見ていると、今抱きしめたらどうなるだろう――という衝動に駆られた。
(さすがに外だしね)
それはそれでどうかと思ったので控えたが、屋敷に帰ったら大丈夫だろう。
クローネはそんな衝動を知ってか、ほくそ笑んでから、さらに腕をぎゅっと絡めた。
「――それで」
「ん?」
「それで、今度は何を考えているのかしら。私にお祈りしたいことがあるのよね」
「あ、ああ……何て言えばいいのか迷うけど」
特に強く思うことはただ一つ。
「どうしても勝てない相手が居て、次こそは勝てますようにってお祈りしたかったんだ」
勝てば聞きたいことも聞ける。だから何よりも、アインは勝つことを最優先に祈りたい。
話を聞いたクローネは、唇に人差し指をあてて少しの間迷っているようだ。
「努力を重ねるのはダメなのかしら。例えば今までのように」
「うーん、重ねた結果がとんでもない敗戦だったしね」
「あら……そうだったのね」
クローネは、アインが負けた相手のことを聞かずに答えを模索する。
不意に雪がしんしんと降りだした。
数分も経たぬうちに、歩くと雪を踏むキュッキュッという音が鳴りだす。
「急いで帰ろうか」
「ううん。たまにはこんなお散歩もいいじゃない。それに、アインにまだ答えらしい答えを言ってないわ」
「屋敷でも聞けるし大丈夫。急がないと身体を冷やしちゃうってば」
「今日は二人とも休日なんだもの。ゆっくりしましょう?」
「……風邪を引いたら困ると思うよ?」
「そんな日に港で黄昏ていたのはアインよ。私はお迎えに来ただけで、傘を忘れてしまっただけ」
不満げに頬を膨らませたクローネが、ずいっとアインに顔を近づけた。
眉を潜めていたが、迫力よりも甘えたい感情を隠しきれていない。
「帰ったらゆっくりお風呂にでも入りましょう。そうすれば風邪なんて引かないわ」
「あれ、一緒にってこと?」
「当然じゃない。背中も流してあげるから、一緒にゆっくりしましょうね」
アインは突然の魅力的な誘いへと、拒否するだけの精神力を持てなかった。
「というわけで、話を戻すわね」
と、クローネが話を戻す。
「私は良く知らないのだけど、アインがその相手に負けたのは何回ぐらいなの?」
「うーん……一回?」
それを聞いたクローネがアインの腕を抓る。
「痛いッ!?」
「ぜんっぜん思いつめるような話じゃないわよね?」
「いやいやいや! 俺にとってはすごく大きくて、全く無視できな――」
「違うわ。自分で大きい問題にしようとしてるだけね。私の予想で申し訳ないのだけれど、久しぶりに完膚なきまでに敗北してしまって、余りの実力差に呆然としてしまった……とかかしら?」
「ぐ、ぐぅっ……」
「ふふっ、図星みたい」
クローネは上機嫌に微笑み、さっき抓ったアインの腕を優しくさすった。
「今のアインが出来る事は二つだと思うの」
「二つ? それってどんなこと?」
「一度は敗北した事実を全部受け止めて努力することと、あと一つは、もう勝つ事を諦めることよ」
アインの胸が高鳴る。
「それは……後者なんかは最悪だろうね」
「今までのアインは前者を選んできていたはずなの。あっ、その、今のアインが逃げてるとかではなくて、少し悩んでいるってことだからね?」
彼女はアインを慰めるように指を絡める。
「今のアインは少しだけ戸惑ってしまってて、どう頑張ればいいのか迷っているだけなんだと思うの」
そして、彼女はアインの答えを待つことなくつづきを言う。
「でも大丈夫。いつだってアインは頑張っていて、どんなことからも逃げ出さなかった。――私が全てを捧げたいと思った貴方は、誰よりも尊くて素敵な人よ」
「……言い過ぎだよ」
「そんなことないわ。私のアインはそんな人よ」
力強く言い切ったクローネは顔を上げ、アインの頬に口づけをした。
「コレがアインにとって、女神さまの祝福になるといいのだけれど」
さすがにその一言は照れくさかったのだろう。
困ったように笑ったクローネは、アインからさっと顔を反らした。
「――元気出て来た気がする」
そうだ、クローネが言った通り。
これまでも多くの難敵と戦ってきたし、多くの壁を乗り越えて来た。
(もう一つ壁が出来ただけだ。また超えてしまえばいい)
と考えてみると不思議なことに、これまでの不快感が消え去ったどころか、逆にやる気で満ち溢れてくる。
今から訓練をしたい! と心が躍り出した。
だが今は、腕を掴む彼女への想いが強く前に出た。
「明日から頑張ろうかな」
「じゃあ……今日はどうするの?」
「ゆっくりしようかなって」
「ふぅん、一人で?」
そんなこと言わなくても分かるだろう、アインは照れくさそうに苦笑したが。
「ねぇ、誰と一緒に過ごすのかしら? 教えてくれないの?」
楽し気で、アインをからかう言い方はクローネの魅力だ。
不意にクローネは、強くアインの腕を引いて顔を近づける。
二人の瞳は数センチの距離にあり、互いの吐息まで感じられた。
引かれた腕に両腕で抱き着かれ、アインが気が付いたときには指もすべて絡まっていた。
もはやクローネは全力で甘えようとしているのだと。
しかし、たまにはこういう日も悪くない。
「それはね」
だからアインは腕を伸ばしてクローネを抱き上げた。
「ッ――ア、アイン!?」
「もう屋敷の近くだし、この辺りに住んでる人なんて他に居ないよ」
「だからって……ッ! もう……!」
言葉では不満を言いつつも、彼女はアインの胸板に顔をこすりつける。
そんなことをされてはアインからしてみても、何時にもまして彼女が愛おしくてたまらない。
同時に、クローネの髪に付着した多くの雪に気が付いた。
(クローネは大丈夫って言ったけど、早く戻った方がいいか)
抱き上げたこともあって調度いい。
アインは歩く速度を上げ、彼女を抱き上げたまま屋敷へと戻る。
(またあの人と会える日が来るかもしれない。なら俺は、その日に向けてもっと強くなろう)
単純な答えながら、たどり着くのに寄り道してしまった。
胸元でじゃれつく想い人への感謝の念は止まることを知らない。言ってしまえばずっと前から感謝してばかりだったが、今日また新たに感謝した。
アインは新たな決意と目標を胸に、晴れやかな表情で空を見上げた。
竜人の話が終わった時が一区切りって感じでしょうか。




