第三夜
スハル王子が大広間から去った後、嘆き姫はその場で泣き崩れました。
こんなにも酷い言葉を言われたことがないからです。
姫には王子の言っている言葉の意味がわかりませんでした。
みみずだって命はあります。痛いのは嫌だろうし食べられるのならなおさら嫌でしょう。
仕立て屋のことにしてもそうです。
王女である姫が舞踏会、それもデビューを飾る舞踏会に自分が仕立てたドレスを着るのと、貴族の娘が着るのとでは『格』が違いすぎるではありませんか。
貴族の娘がデビューで一日中着るよりは王女である姫が一時間でも着ているほうがドレスの注目度が違うことですし、それを作った仕立て屋にも箔もつき格もあがるというものです。
それに献上するとまでいわれたドレスを王様は購入したのです。せっかくの仕立て屋たちの好意を無にすることですし、献上したほうが仕立て屋たちにとってもよい宣伝にもなるだろうに―――――そして姫はその三着のドレスが手に入るはずでした。
「やはり王子様は間違っていらっしゃる」
私の考えのほうが理にかなってるし、仕立て屋たちを気の毒に思っても当然のことを思っているだけ。そのことを口にすることがか違っているとでも思ってらっしゃるのかしら。そうならば王子様はとんでもなく薄情でいらっしゃるのだわ。だから私のこの思いをご理解いただけないのでしょう。あれだけ端正なお顔立ちで立ち居振る舞いも完璧な王子様でいらっしゃるというのに、なんてお気の毒なことでしょう。
嘆き姫はスハル王子を思って静かに泣き始めました。
その一部始終を見ていた者がいました。
以前から嘆き姫の『お気の毒』という言葉にうんざりしている者でした。
嘆き姫はいつも誰かに『おかわいそうに』と声をかけられて慰められていましたが、その時いつも姫の口元が笑って見えるのがずっと気になっていたのです。
翌日の昼過ぎには、この話が城内中の噂になりました。
そうすると、なんと姫の嘆きに疑問を持っている者がつぎつぎに現れたのです。
そしてその者たちが今度は城下町に、そして城下町の者たちが国中にと話を広めていきました。
いつのまにか、嘆き姫の噂は二分化していったのです。
心が優しすぎていつも気の毒に思って憂いている『嘆き姫』と、誰かにいつも「おかわいそう」と言ってもらうために嘆いている『嘆き姫』。
人はよい噂よりも悪い噂のほうが好んで話すものですから、本当にあっという間にこの話はすそのまで広がり、人々に姫に対して不信感が植えられてしまいました。
『嘆き姫』の話は瞬く間に近隣の国々へと流れていきました。
数年後、見目麗しい女性に成長した嘆き姫に求婚者は後を絶たちませんでしたが、姫はどの求婚者にも心を奪われることがありませんでした。
どうしてもスハル王子の言葉が耳について離れないせいです。
王子の言うことは間違っていると思ってはいるものの、どうしても言葉が耳を離れません。
私はスハル王子が言うような酷い人間ではないわ
人の痛みや苦しみが、人よりちょっとわかるだけのことなのに
そんなある時、姫の国に国力なしと見定めた隣国が攻め入ってきました。
姫は城の一角で侍女たちとともに恐ろしさに震え、悲しみに涙していました。
どうして隣国はこんな意味のないことをするのかしら
こんな嫌な思いをしなくてはならないなんて、私たちはなんて酷い星の下に生まれてしまったのかしら
そう言って泣き崩れ、周りの者たちの同情を一身に集めておりました。
どかどかどかと力強く城を歩く音が聞こえてくると同時に、姫と侍女たちが隠れている部屋の扉が大きく開き、そこから光を背にした一人の男が何かを投げ入れて寄こしました。
その光を背にした男は、成長し、国の王となったスハルでした。
そして投げ入れられたものとは、父王の生首だったのです。
部屋のあちこちで恐怖に震えた声と悲鳴が上がりました。
そんな中、姫は恐れをしらないようにゆっくりと前に進み出て、その父王であった生首を両手で持ち上げて額にキスをしました。
「なんておかわいそうなお父様。このような姿になってしまわれて……」
はらはらと、姫のふせた目から涙がこぼれおちました。
それをじっと見ていたスハル王は、高らかに笑いだしました。
「何がおかしいのです。父王をこのような姿にかえた者が」
「いやなに。そなた、かわらぬな。年を重ねて少しは変わったかと思うておったが、情けないほどに昔のままの『嘆き姫』よ」
あの舞踏会で味わった冷たい眼差しよりもさらに見下され、わなわなと屈辱に震える姫にスハル王は話しかけました。
「そなたが少しでもその愚かしさから成長しておれば、このような日も迎えることはなかっただろうに」
聞き捨てならない言葉に、父王の生首を落とした姫が笑うように叫んびました。
「私?私のせいとでも?」
「そう言っているのだが、そのように聞こえぬか?」
「私は何もしてなどおりません!」
「そう。そなたは何もしてなどおらぬよ。ただ、そこにいて何かの愁いを見つけては自分の徳になるように話を紡いで嘆いているのみ。そして周りの者から『おかわいそうに』と慰められて、もてはやされては悦にはいっているだけであろうよ」
「そのようなこと―――!」
「ない、と申すのか?ではそこにいる侍女に確かめてみてはどうだ?そやつは今視線を外したではないか。その後ろにおる者もそうであろうよ。我に怯えるのではなくそのことを指摘されることに怯えているではないか」
姫が後ろに控えている侍女たちをちらと見ると、スハル王の言うように二人とも姫と視線を合わせようとはしませんでした。
「それにこの首の王がかわいそうだといったな?本当にかわいそうなのはいったい誰かわらぬか」
スハル王は王の首を落としたばかりの血糊のついた刀を姫に向けて、必ず答えるように促すと
「……父を亡くした私、ですか……」
「馬鹿なこと!そなたなどかわいそうであるわけがなかろう。やはり『嘆き姫』のあだ名は伊達や酔狂ではないとみえる。誰がかわいそうか。それはこんな愚かな王と不愉快な姫を仰がなければならなかった国民よ。王が昔のままの王であったなら、そなたが少しでも心入れ替えたのならば、このような戦火の渦に巻き込まれなくともすんだものを」
「なにを……!戦争を仕掛けておいて何を戯言をいわれるのですか!」
「仕掛けたとも。今が勝機。愚かにも娘の性分に惑わされ、国民の信頼が遠のいた王室など、もろい。この国の国民が流民となって我が国に流れ込んできているとゆうに、そこの娘にも見放さされた床に転がる王は何もせぬ。動かぬ。だからこそ我が国が動いたのだ」
スハル王の見る先には、さきほど嘆き姫の手からこぼれ落ちた父王の首がありました。
父王の澱んだ瞳はまるで自分を責めているように見えた姫は、思わず両手で顔を覆いました。
「そなたがそのような性分だからこそ、この国の王まで近隣諸国から見下されるのよ。そなたの性癖を直すことも、国民を二分化するほどの噂を沈静化することもできぬ王に、国を動かす正当な判断ができるはずもない。近頃ではこの国の王は子煩悩に目がくらんだ愚か者として名高いことを、そなたは知っているのか?」
初めて聞く話に驚いた姫は、真のことかと周りを見回してみても、誰も姫に返答する者はいませんでした。それどころか誰一人姫を見ようとはしなかったのです。
それほど姫は周りの者から信頼されていなかったということに今さらながらに気付いたのですが、それはもう遅すぎたのです。
姫の嘆きによって、職を追われた者がいました。
姫の嘆きによって、質素な生活を余儀なくされた者がいました。
姫の嘆きによって、人とかかわることに恐怖を覚える者がいました。
権力があるものがその時ばかりに耳触りのいい言葉を紡いだおかげで、悲惨な目に会う人がどれだけ多かったことか。
スハル王は、最後に一言言いました。
「嘆き姫よ。その名の通り嘆き悲しめ!」
そうして父の血が乾かぬうちに、同じ刃で姫も父の後を追いました。
スハル王は、血をぬぐうために大きく刀を振り上げて、一振り下ろしました。
刃の先には父王に添うように嘆き姫の醜く歪んだ顔が並んでおりました。
そうしてまたスハル王は舞踏会の時と同じように、二度と振り返ることなく部屋を出ていきました。
どうして主人公である嘆き姫が殺されなければならないか?ということをテーマにして書きました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。