第70話 今日も新しい子が来た
翌朝、悟はいつもどおりの時間に起きた。
洗面台で顔を洗い、湯を沸かした。台所に戻るとレグが棚の上から降りてきて、朝の儀式のように悟の肩に乗った。温かかった。体重はほとんど感じない。それでもいるとわかる。いつものことだった。
「おはよう」
悟は言った。レグは首を少し傾けて、また前を向いた。
縁側の方からガッシュが動く音がした。朝になると日の当たる場所を探して移動するのが習慣になっていた。悟が引き取って2年以上経つが、この習慣は変わらない。起こしても仕方ないので、好きにさせていた。
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世話を一通りこなした。水換え、餌の確認、体調チェック。ムクが水槽の縁に張り付いたまま動かなかった。朝はいつもこうだ。飼育室の方ではリンが短く一声鳴いた。それがリンなりの朝の挨拶だとわかるのに、どのくらいかかっただろうか。ノートに記録した。昨日と変わりがなければ一行、気になることがあれば二行三行と書く。今朝はどちらも変わりがなかった。一行ずつ、静かに書いて終わった。
お茶を淹れて、事務スペースの椅子に座った。
今日の予定を確認した。午前中に一件、一時預かりの依頼が入っている。
手帳を開くと、昨日自分で書いたメモがあった。「ムクシール・蛸型・毒なし・初来訪」。ムクシールはテンタキュラスモールとは別の種だが、同じく蛸型の魔物だ。探索者のコメントに「人懐っこいかもしれない」とあった。ダンジョンで出くわしたとき、逃げるよりも近づいてきたそうだ。
「また初めての子か」
悟は呟いた。メモ帳を開いて、今日の観察項目を書き始めた。初来訪のときに確かめておくことはいくつかある。触れるかどうか、音への反応、食べ物への興味。慌てなくていい。まず見ればわかることがある。
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棚の前を通りかかったとき、認可書類が目に入った。
昨日、記録ノートの隣に置いたままだった。
悟は立ち止まった。棚を開けて、書類を取り出した。もう一度、最初のページを読んだ。
「まもの預かり所・さとる」。「国内第一号魔物保護施設として正式に認可する」。
二度目に読んでも、同じ言葉だった。当たり前のことではあるが、改めて読むと少し違う気がした。変わったわけではない。5年前に始めたことは今日も同じだ。ただ、その5年分が公的な言葉になった、ということだった。
悟はそれを棚に戻して、記録ノートの隣にまっすぐ並べた。
「うん」
だけ言って、棚を閉めた。
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縁側でガッシュが日向ぼっこをしていた。
悟はお茶を持って縁側に出た。ガッシュが一度こちらを見て、また目を閉じた。起こしに来たわけではないとわかったようだった。
朝の光が庭に落ちていた。秋が近くなっているのか、光の角度が少し低くなってきていた。夏の頃とは違う場所に影ができていた。ガッシュが日向を選ぶ位置も少しずつ変わっていく。それも毎年のことだった。
レグが肩から首の方に移動した。そのまま落ち着いた。
昨日のことを少し振り返った。久保田たちが帰ったのは夜の九時頃だった。田中が帰り際に「また来ます」と言っていた。来ればいい、と思った。来なければ来ないで、それはそれだ。
白石が「来るはずです」と言っていた。その確信がどこから来たのかは、今でもよくわからなかった。けれども確かに来た。5年分の記録ノートが並んでいて、そこに認可書類が加わった。それだけのことだった。それだけのことが、5年かかった。
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縁側から戻って、事務スペースでムクシールについての手持ちの情報を確認した。蛸型の魔物はいくつか記録がある。大型は力が強い。毒なしの個体は比較的落ち着いていることが多い。ただし個体差がある。これはどの種でも同じだ。同じ種でも、来てみれば違う。それが毎回わかることだった。
メモに追記した。「食性・不明。好む環境・不明。警戒度・低め(推定)」。
推定は推定だ。会ってみれば変わることもある。それでいい。まず会って、見て、そこから考える。5年前の最初の一匹から、それは変わっていなかった。
来訪時間まで、あと三十分ほどある。
悟はノートの余白に、今日の観察メモの見出しを書いた。日付、来訪者名、個体名、担当探索者名。初来訪の欄に丸印をつけた。
そういえば、最初の一匹のときも同じことをした。書き方が違ったのは当然だが、やることは変わらなかった。5年経った今も、初めての個体に対してやることは同じだった。書いて、見て、記録する。それが全部だった。
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ガッシュが縁側で少し動いた音がした。
日が少し移動したのかもしれない。悟は窓から外を見た。ガッシュは別の場所に移ってまた丸くなっていた。
レグがわずかに首を動かした。外の何かを見ているようだった。悟にはそれが何かはわからなかった。
静かな朝だった。
認可されても、施設の朝は変わらなかった。世話をして、記録をつけて、次の子の準備をする。それが今日もそのまま続いていた。
来訪の予約時刻が近づいた頃、悟はもう一度今日のメモを確認した。ムクシール、初来訪。人懐っこいかもしれない。何を食べるか、まだわからない。怖がるものも、まだわからない。
わからないことを、今日調べる。
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玄関のチャイムが鳴った。
悟は立ち上がった。レグが肩に乗り直した。
廊下を歩いた。玄関のドアに手をかけた。
頭の中で、今日最初に何を確認するかを考えながら、悟は言った。
「よし、まずどんな子か見てみよう」
ドアを開けた。
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(了)




