一夜の夢の出来事
民衆派が城門前に押しかけた日から二日がたった。しかし、彼らを襲った赤剣隊の犯人は一向に見つかる気配を見せなかった。
そのため、日が落ちて夜の闇が滲みだしてなお、伯爵と赤剣隊の代表であるレイラと副隊長は城の一室で話し合いを続けている。
「赤剣隊から一時的に武器を回収するとのことだったが、どれほど進んだ?」
伯爵の問いに対して、副隊長は苦々しく顔をしかめて答えた。
「申し訳ありません。八割は武器の回収が進んだのですが、後の二割は未だ。赤剣隊は人数が多くなりすぎており、全てを回収するとなると後数日はかかるかと...」
「あと数日、それまでこちらの信頼が保てるのか」
「...厳しいでしょうね」
沈痛な表情を浮かべる二人に、レイラが恐る恐る発言する。
「は、伯爵様。犯人調査の件ですが、赤剣隊で北側の地区に住む人物を纏めました」
「人数は」
「四百八十人です」
「......そうか、感謝する」
三人とも、その表情に焦りが浮かんでいる。
その様子を、わずかに開いた扉の先からアイティラが覗いていた。
あの日からこの三人は、多くの対策を考えていた。だが、いい案は浮かんでいないようだ。
兵士を使おうにも、昼間には戦いが近頃あるだろうことを踏まえ、急ぎで訓練と準備を進めている。そのため、夜の都市を全て警戒できるほどの人数をそろえることはできない。だからこそ、少数を警護に当たらせているようだが、それでも毎夜死人が増える。
そのせいで、彼らの焦りと疲労はそろそろ限界に近づいているように見える。
「...」
アイティラは何かを決心したようにその場を離れると、自分の部屋へと向かった。
部屋に入ると、隅に置いてあるクローゼットの扉を開き、久しぶりに見る黒いローブを手に取った。
そのまま廊下に出ると、玄関に向かって歩いていく。
その途中、執事のパラードに出会った。
「お嬢さま、こんな夜更けにどちらに行かれるのですか?」
アイティラは答えた。
「久しぶりに身体を動かそうと思って。伯爵に聞かれたら、私は寝てることにして」
アイティラは赤い瞳を輝かせて言った。
***
月の薄明りはエブロストスに等しく差し込む。しかし、背の高いこの都市の建物は、道を月明かりで照らすことを許さないようだ。闇夜に包まれた道を、アイティラはその闇に紛れて移動する。
「!」
アイティラは振り返った。闇を見通す吸血鬼の瞳は健在だ。しかし、背後には誰もいない。
ここ最近続く、誰かに後をつけられている感覚にアイティラは不快気に目を細めて、再び前を向く。
そして、真っ暗な道を駆けだすと、小路に駆け込み翼を広げ建物の屋根の上に飛び乗った。
誰かが後をつける感覚が消え、アイティラは満足そうに翼を消すと屋根の上を歩き始める。
アイティラの目的は、民衆を殺す赤剣隊だ。今は、後ろを付いてくるあれを気にしている場合ではない。
屋根伝いに進んでいき、赤い瞳で道を見下ろす。噂がすでに広まっているのか、外に出るものは一人もいない。ただ静寂だけがあるのみだった。
眼下に広がるこの都市は、はるか遠くまで続いているように見える。この範囲を全て見るのは時間がかかりそうだ。アイティラは、歩いて探すのは時間がかかると考え、再び翼を出すと飛び上がった。
今は夜。誰も空を見上げるものはいない。だからこそ出来ることだった。
空から都市を見下ろすと、ちらほらと小さな明かりが見えた。どうやら少数だが、伯爵が見張りで送った兵士がいるらしい。それらを無視してアイティラは、怪しげな人物を探していく。すると、一つだけ不自然な動きをしている明かりがあった。突然止まったり、あらぬ方向に移動している。
アイティラはその場所まで飛んでいき、近くの屋根に降り立った。
「あれって...」
そこには、最近見たことのある二人の人物がいた。
それは民衆派のダルソンとケープだった。
二人は、ランプを布で隠しながらあたりをはばかるように進んでいる。
アイティラが探している犯人とは違うが、ずいぶんと怪しげな動きをしていた。
アイティラは彼らのことを、上から観察し続ける。
しばらくすると、彼らは突然立ち止まりランプを消した。
気付かれたのかと思ったが、どうやら違うようだ。彼らはそこから動こうとしない。
それからしばらくすると、道の向こうから誰かが二人のもとに近づいて来た。
アイティラはその人物の姿を見て驚いた。
その人物は、赤い帯を結び付けた剣をその腰につけていた。そう、見慣れた赤剣隊の姿をしていたのだった。アイティラは屋根上から鋭く睨みつける。
こんな事件が起こっているのに、赤剣隊が夜中に出歩くのはおかしい。
アイティラは、今すぐ屋根を飛び降りて姿を現してやろうと身を屈める。
しかしその時、不意にアイティラの視界に入ったもう一人の人物がいた。それは、建物の隙間からアイティラと同じように彼らを観察していた。
「...」
アイティラはしばらく待ってみることにした。
***
石畳が鳴らす足音に、ダルソンとケープの二人が顔を上げた。暗くて良く見えなかったが、おそらく目的の相手だと二人は判断する。
「誰かにつけられてないだろうな」
ダルソンが声を抑え気味に言った。
「大丈夫だ。そこは気を付けてるぜ」
顔も見えない相手から、そんな声がかかる。それと同時に、その相手は奇妙な動きをした。その場で足をそろえて、握りこぶしを胸に軽く当てたのだ。
その様子をみてか、ダルソンとケープは明らかに安心した様子で、その人物と同じ動きを行った。
その動きは、まるでどこかの敬礼のようだった。
「それよりもだ、わざわざ会って話したいなんてどうしたんだ。お互い、干渉は控えろって命令だろ?」
後から来た謎の人物がそう言った。
するとケープが、その人物に一歩近づいて言った。
「ええ、ええ。そうでしたね。しかし、貴方にも伝えといたほうがいいと思いまして。連絡があったのですが、もうすぐこの都市に到着されるようです」
「へえ、ついに動くのかい。ようやく重い腰をあげたってことかぁ」
謎の人物は楽しそうな声音でそう言った。
すると今度は、それとは対照的にダルソンが険しい声で言った。
「だからその時に、お前には次の命令が伝えられるだろう。それまでは絶対にバレるなよ。何だったら、これ以上殺すのはやめてしばらく大人しくしておいた方がいいだろう」
「あー、そうなるのか。でもよぉ、もう少しで赤剣隊と都市の連中を仲たがい出来そうなんだよ。赤剣隊のやつら、疑われているのが面白くねえみたいで不満も出てきてるんだ」
「だったら後は、こっちが民衆派を焚きつけて上手いことしておく」
ダルソンが、仏頂面で答えた。
それに対して、謎の人物は顎に手を当てて考え込む。
そして、その人物は納得したのか「じゃあ、今夜で最後にしよう」と言って笑った。
その時、彼らの近くから物音がした。続けて足音が闇にこだまする。
三人はその音に気づき、一瞬にしてその顔が強張った。
「誰だ!」
ダルソンの大きな声が響いた。次いで、消されていたランプをケープがつけた。
突然の光に三人は目がくらむ。しかし目が慣れてくると、向かって来るその人物の姿が見えて来た。
「ダルソン、ケープ。これはどういうことだい。説明してくれ」
「...ラファイエット?」
ダルソンが戸惑ったように声をこぼす。
そこにいたのは、民衆派の代表ラファイエットだった。
ダルソンとケープはそのことに気づき、顔を強張らせた。
赤剣隊の恰好をした人物はラファイエットのことを知らないのか、眉を寄せて静かにしている。
その様子に、ラファイエットは声に怒りを滲ませながら近づいてくる。
「最近の君たちは、やけに伯爵と敵対しようとしていたね。確かに、仲間が殺されたことに僕も怒りを感じている。だが、民衆派の誓いを破ってまで争おうとするのはおかしいと感じていた」
「......」
ダルソンは何も答えないまま突っ立っている。
「なぜ、赤剣隊と会っている。まさか、民衆派を裏切ったのか?」
ラファイエットは、彼らから距離をとったところで立ち止まった。そして、怒りとわずかな希望を残して問いかける。
「答えてくれ。これは裏切りなのか?仲間を殺した赤剣隊は、もしかしてそいつなのか?」
ダルソンはしばらく俯いていたが、顔を上げると小さなため息をついた。
「裏切りではない。こいつは赤剣隊の恰好をしているが事件とは無関係だ」
ダルソンはそう言いながら、一歩一歩ラファイエットに近づいてくる。
「これは勘違いだ。共に歩んできた仲間を疑うのか?」
ラファイエットはじりじりと後ろに下がっていく。
「なぜ下がるんだラファイエット!」
「!」
ラファイエットはダルソンに意識を向けていて気付かなかったが、いつの間にか赤剣隊の恰好をしたやつが消えていた。慌てて横を見ると、ラファイエットの視線から外れるようにしてその人物が移動してきていた。ラファイエットがまずいと感じて逃げようとするも、そこから十歩と走ることなく捕まり押さえつけられた。
「ダルソン!ケープ!本当に裏切ったのか!」
「おい、黙らせろ!」
ラファイエットが抵抗しようとすると、赤剣隊の恰好をした男が剣の鞘で頭を殴った。意識が一瞬遠のき、思考が混濁する。
ラファイエットの身体が浮き上がった。ダルソンが、ラファイエットを担ぎ上げたからだ。そして、建物の壁に乱雑に叩きつけた。
ラファイエットはうまく働かない思考のまま、声を振り絞った。
「お前たちは...だれの...みかただ?はくしゃくの...みかたでもないだろ...」
ダルソンはラファイエットを壁によりかからせるように立ち上がらせた。
「ああそうだ。だが、お前が知るべきじゃない」
それだけ言うとダルソンは後ろに下がり、代わりに赤剣隊の恰好をした男が近づいて来た。男は赤い帯の付いた剣を鞘から抜くと、ラファイエットに見えるようにちらつかせた。
男の後ろから、ダントンの声が届いた。
「あんたは民衆派の星だ。そんなあんたが殺されたなら、民衆派の奴らの怒りはどれほどだろうな」
「な...に...」
「伯爵は赤剣隊を使って民衆派の代表であるあんたを殺した。あんたの仇は俺たちがとってやろう」
赤剣隊の恰好をした男が、もういいかとダルソンに目配せする。ダルソンは頷いた。
ラファイエットは歯を食いしばってうめいた。
「くそ...」
その時、ラファイエットは見た。遠くの屋根から何かの影が落ちてくるのを。
そのあとに、遠くの方から足音が聞こえて来た。石畳の上を歩く音だ。
ダルソンと赤剣隊の恰好をした男が振り向く。ケープがランプをその音の方に向けた。
「またかよ。今度は誰だぁ」
ラファイエットが目を凝らしてよく見ると、それは黒いローブを纏っていた。背丈は小さく、ローブの裾が地面に届きそうだ。
その人物は一定の歩みでこちらに近づいてくると、ランプの光で顔が照らされ、見覚えのある顔が浮かんだ。ラファイエットは明滅する視界の中、声を振り絞る。
「にげろ」
ラファイエットは大きな声で叫んだつもりだったが、声はかすれて出なかった。
ダルソンも相手が見たことのある人物と気づいたようで、不快気に顔を歪めた。
その人物は歩みを止めず、ついに十分な距離まで近づいて来る。
なぜ逃げない!ラファイエットは、混濁した思考でそう叫んだ。
「おい!そいつも捕まえろ!」
赤剣隊の恰好をした男が叫び、それを聞いたダルソンがその人物。見覚えのある少女を捕まえようと動き出す。
ラファイエットは、咄嗟に叫んだ。
「逃げろ!」
今度こそ声に出せた。しかし、少女は逃げようとしない。
それどころか、その闇に浮かぶ赤い瞳を細め、その口元を歪めていた。
そして、その少女は間違いなくこういった。
「これでやっと解決だ。伯爵もレイラも楽になるよね」
少女は不気味な笑い声をあげた。
ラファイエットは、その一部始終を見ていた。
いくら頭が混濁していたとはいえ、あれが夢や幻覚ではないと確信している。
だが、それを証明するものは一つもない。あの三人の死体も、あの幻のような少女が持ち去ってしまったからだ。
それでも、頭に響くあの声は、あれが現実の出来事だと伝えていた。
「私は今部屋で眠っているの。あんまり心配させるのもよくないからね。だから、後のことはあなたがやっておいてよ。とりあえず、まずは伯爵を安心させてあげて」
空が白み始めた。もうじき朝が来る。
夜の不思議な出来事に考えるのも疲れたラファイエットは、目を閉じて静かに眠った。




