小さな亀裂
アイティラは、大きな扉を後ろ手に閉めて廊下に出た。
片手には、封のされた手紙が一通。
「......」
この手紙は、伯爵に託されたものだ。
先日の調査で<民衆派>と名乗る集団に出会ったことを、全て伯爵に報告した。
すると、話を聞いた伯爵は、紙とインクとペンを取り出して何やら書き始めたのだ。
アイティラが後ろから覗き込むと、それは<民衆派>の代表に向けた手紙で、話し合いがしたいため指定の時刻にこの城に招待するといった内容だった。
手紙を書き終えると伯爵は封をして、アイティラに手渡してこう言った。
「すまないが、これをその民衆派の代表に渡してもらえないか?最近こちらも、戦の準備を進めているところであまり時間を取れなくてな。それと、わかっていると思うが、彼らとの軋轢は避けてほしい。......頼んだぞ」
そして、その手紙を手にしたまま、たった今伯爵の部屋から出て来たわけだ。
アイティラは手紙をひらひらと振りながら、いつ届けに行こうと考える。
今日でもいいが、どうせならレイラも連れて行きたいから明日にしようか。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、角のあたりまで差し掛かったところで突然人が飛び出してきた。
「おっと、すまない。これは僕の不注意だ」
飛び出してきた人物は、最近この城にやってきた第二王子を名乗る男だ。
アイティラは「気にしてない」とだけ言うと、その横を通り過ぎようとした。
だが、アレクはアイティラの横に並び立ち、顔を引きつらせながら話しかけて来た。
「急いでるとこ悪いんだが、この城の中に書庫はあるか知ってるか?そこまでの案内を頼みたいんだが...」
アイティラは内心面倒に思ったが、断る理由も特になかったため承諾した。
アイティラを先頭にして、その後ろをアレクが着いていく形で書庫まで案内する。城にある部屋は、暇だった時に探検したことがあるため大体覚えていた。
しばらく案内を続けていると、やっと目的の場所にたどり着く。アイティラは書庫の扉を開けると、アレクを振り返った。
「ここだよ」
アレクは扉を押さえると、部屋の中を覗き込んだ。
部屋は小さく、あまり使われていなかったためか、わずかに埃っぽい。光が差し込んでいないので真っ暗なため、備え付けられた魔道ランプにアレクが明かりをともした。それでも、部屋の角には暗い影が残っている。
「それじゃ、私は行くね」
部屋を覗き込んでいるアレクに声をかけると、アイティラはその場を立ち去ろうとした。すると突然、アイティラは腕を強く引っ張られて、部屋の中に引きづりこまれた。アイティラが驚いて固まっていると、アレクは扉を閉めてその扉に背をもたれかからせた。
「何のつもり?」
アイティラが鋭い声を出すと、アレクはわずかに眉間にしわを寄せた。
「もう少し言葉遣いに気を付けるべきだな。普通に不快だ...」
そこまで口にしたところで、アレクははたと動きを止めると、額に手を当てて頭を振った。
「...まあいい。少し手荒になってしまったが、警戒しないでくれ。ただ、話をしたいだけだ」
アイティラは動きを止めて、アレクの様子をうかがっている。その明らかに警戒している様子に、アレクは苦い顔をすると勝手に話を始めた。
「僕は、お前たちの邪魔をしようとは思ってない。むしろ協力したいんだ。だが、そのためには今の状況を良く知る必要があるだろう?」
「だったら、伯爵に直接聞けばいいじゃん」
アレクは言葉に詰まりながら、難しい表情で視線を横にそらした。
「確かにそうなんだが、伯爵は伯爵で忙しそうじゃないか。べつに難しい事を聞くつもりじゃないんだ。お前も、コーラル伯爵の助けになれるならうれしいだろう?」
「......」
アイティラは、わずかに考えるとアレクから距離を取ったまま「分かった。知ってることは答える」とだけ口にした。アレクの顔に安堵の色が現れると、早速とばかりに質問してきた。
「そうだな、まずお前は誰なんだ?伯爵とはずいぶん親しいみたいだが、伯爵の隠し子だったりするのか?」
アレクはアイティラの反応を確認するように見ている。だが、アイティラは身じろぎ一つしないまま淡々と答えた。
「私の名前はアイティラ。ここでは、ただの協力者」
「協力者?」
アレクは引っ掛かった部分を強調して繰り返した。協力者とは、一体何に対しての協力者なのか。だが、しばらく待ってもアイティラは一向に答える様子はなかった。焦れたアレクは仕方なしに次の質問に移った。
「そういえば、この都市には紅の騎士団が来たんだろう?紅の騎士団はどうなったんだ?」
「知らない。みんな死んだんじゃない」
アイティラから返ってきたのは、そんな言葉だった。アレクはその言葉を聞いて、やはりかと内心驚いていた。予想はしていたものの、実際に言葉として聞かされたことで、紅の騎士団が敗れたのは本当のことだと実感した。そして、さらに詳しく知るために、話を切り上げられないように慎重に言葉を選ぶ。
「そうか、まあそうだろうな。ちなみに、コーラル伯爵たちが倒したのか?」
「そう。半分くらいは」
この言葉に、アレクは驚いた。
(いま、こいつはなんて言った?半分?じゃあ、残りの半分はだれが...)
アレクは、動揺を顔に出さないように取り繕った。
「そうなのか?伯爵もなかなかやるじゃないか。それで、後の半分はどうなったんだ?」
「それは...」
アレクは息を呑んで聞き入った。
(どうなんだ?そこが一番重要だ。紅の騎士団を倒せる何かがあるから、僕はこの賭けに乗ったんだ!)
アイティラはアレクの顔をまじまじと見て、答えを悩んでいるようだった。
「やっぱり私も知らない。質問には答えたから、私は戻るね」
アイティラはそう答えたものの、先ほどの反応から見て、アイティラは確実に何かを知っている様子だった。少なくとも、アレクの目にはそう映った。ならば答えなかったのは、何か言えないようなものなのだろうか。
だが、アレクとしてはそれをどうしても知りたかった。アレクにとってそれは、自分の命を預ける命綱だからだ。
だからこそ、アレクは扉を開けて出て行こうこうとするアイティラを引き留めようと急いで手を伸ばす。
しかし、アイティラは今度は捕まらなかった。アイティラは小さく身をかわしたのだ。
その時だった。
アレクの伸ばした手は、アイティラが避けたことによって、胸についていた赤いブローチにぶつかってしまった。
赤いブローチが、澄んだ音を響かせて床に転がった。
「あっ、悪い。わざとじゃないんだ」
アレクは身を屈めて、ブローチを拾い上げる。落ちたブローチには、中央に赤い石がはめ込んであった。しかし、落ちた衝撃によってかその石にはひびが入っていた。
「あー、ひびが入ってしまったか。だが、見たところこの石は宝石というわけでもないな。後で、似たものをーーー」
そういいながら、アレクはブローチを手に顔を上げると、そこには俯いて肩を震わせているアイティラの姿があった。
「おい。大丈夫か」
アレクがアイティラに触れようとすると、アイティラはアレクの手にあるブローチを強引に奪い取って、伸ばされた手をはねのけた。アレクは伸ばしていた手を引っ込め、腕を押さえると痛みに顔を歪めた。そして、怒りのままに怒鳴りつけた。
「何をする!僕に向かってーーー」
だが、その時に見えてしまったアイティラの表情に、アレクの怒りは消えてしまった。アイティラは、その真っ赤な瞳で、今にも射殺さんばかりに睨みつけていた。アレクが呼吸も忘れて固まっていると、アイティラは葛藤したのち、扉を勢いよく開けて出て行った。
大きな音を立てて閉まった扉を前に、アレクは尻餅をついて倒れこんだ。
***
「...アイティラ嬢?元気がないようだが、大丈夫か?」
食卓の席で、アイティラが一向に食事に手を付けないため、伯爵は心配そうに問いかける。
アイティラは、覇気のない声で答えた。
「伯爵。あの第二王子を追い出そうよ。情報が洩れるかもしれないから、追い出した後に私がこっそり殺しておくから...」
突然語られた内容に、伯爵は驚きに動きを止めた。
伯爵はかける言葉を探すように黙り込んでいたが、しばらくするとアイティラを真っすぐ見据えて言った。
「それは避けたい。王都側の情報が、これからの戦いに大きく関わってくる」
「......」
アイティラは、何を言うでもなくじっと椅子に座ったままだ。
その様子に伯爵は眉を寄せると、アイティラを気にかける口調で問いかけた。
「殿下と何かあったのか?」
「...やっぱり何でもない。今のは忘れて」
アイティラは、ぽつりとこぼすと食事に手を付け始める。
カチャカチャと食器が鳴らす静かな音が食卓に響き渡った。
このとき扉の外で遠ざかる足音があったことには誰も気づかなかった。




