立つ鳥跡を濁さず
LINEで繋がった課長から、有休消化中の私に状況報告が入る。
私の退職を知った同僚達は面白いぐらいに狼狽えたらしい。足立さんなんかは顔色が変わってたとかなんとか。
部長は怒りで顔を真っ赤にさせていたみたいだけど、正式に命令を受ける前に辞める意思を表示してるから、怒るに怒れないらしい。
何を怒る気なんだか……。
性格悪いので言わせてもらうなら、その時が来たらやれるんだから、今から頑張ってね。
って言うかごめん、もう無理です。頼りにされたいとは思っていたけど、便利に使われたいとは思えません。
アパートの契約を月内に解約する事を不動産屋さんを通して伝え、必要経費を請求してもらうよう頼む。
スマホはせっかくなんで向こうに持っていく事にした。
直ぐに使えなくなってしまうだろうけど。
不要な家具をどんどん処分していく。
最後はちょっとホテル住まいをしようと思う。贅沢に。
と言っても、高級ホテルではないけど。
あっちに持って行きたいものを購入していたら、カオルくんが困った顔をする。
「そんなに持っていかなくとも、用意しますよ?」
「いやいや、連れて行ってもらうだけでも有り難いのに、これ以上迷惑はかけられないからね」
そうでなくとも落ち人として届け出とか、話を聞いていたら色々あったんですよ、やる事が。
保証人とか。
まぁ、いなくてもあっちの公的機関が付けてくれるらしいんだけど、カオルくんがなると言って聞かないので、そこは甘えさせてもらう事にした。
こうして、異世界移住への準備は着々と整っていった。
どうやらカオルくんと私が結婚するみたいな話になっているらしい。社内で。
あの日私と課長、カオルくんの三人の姿を見た仁科が話したらしくって。
足立さんが切れてたらしい。なんでだよ……。
メアドに兄からメールが来ていた。
子供みたいな事を言ってないで現実を見ろとか、意味の分からない事が書いてあった。
自分達の幸せだけ考えて、人の懐をあてにしないで堅実に生きれば良いのに。
迷惑をかけない代わりに何も残さない。それは、そう言う関係だったからとしか言いようがない。
今までだって特別繋がりもない関係だった。
血の繋がりがあったって、こんなものだ、うちは。
そうじゃない家も沢山あるんだろう。でもうちはそうじゃなかった。
一つずつ、一つずつ、私とこの世界の繋がりが消えていく。
そうなってくるとやっぱり心細くなると言うか、寂しくなると言うか。
でも、ここでの未来を想像して、気持ちを奮い立たせる。
生まれた家も性別も世界も、自分では選べない。
そんな中でも自分で色々と選択して生きてきたつもりだ。だけど、自分の努力でどうにもならない事はあって。
一人で生きたい訳ではなかった。恋人も欲しかった。結婚だってしたかった。子供だって持ってみたかった。
努力が足りなかったと言われたらそれまでだけど、まったくしてない訳でもなかった。
選択を失敗したのか、それ以前の問題だったのか分からないけど、私はここでの未来を諦めて、新しい世界での未来を選択した。
幸せになれる保証はない。そんなものは何処に行ったってない。
逃げから始まる移住だけど、やれる事をやると決めている。それしか私に出来る事はない。
「シルキーと契約するにはどうすれば良いの?」
「彼女達は一軒家を好むんです。
それで、廊下に彼女の為の椅子を置いておく。
そうすればシルキーが来てくれます」
「シルキーにお礼って言うか給料? は普通に払えば良いの?」
シルキーと契約したい私は、条件などを確認する。
直ぐには無理でも、いつか迎えたいシルキー。
「彼女達に給料は必要ないんですよ。居場所を用意する事が大事みたいです」
居場所と聞いて胸が痛くなった。
自分の事を言われたみたいで。
「何かをあげる事は許されるの?」
「大丈夫です。受け取ってくれます」
一軒家か。
落ち人が一軒家を手に入れるのは大変かも知れない。
うん、でもそれを目標にしよう。
「本当に、この世界を離れる気持ちが固まっているんですね」
「うん」
実は私が移住する事に反対なんだろうかと思っていると、カオルくんが笑顔になった。
「新しい事を始める時は大変ですけど、気持ちが前を向いているなら大丈夫ですね。
サポートします」
この青年は人が良すぎるのではないだろうか。
だから好きになってしまったんだけど、それにしてもね。
あ、彼がまたこっちに来る時の軍資金として、持って行ったお金をあげよう、うん。有効利用だ。
カオルくんには十分過ぎるものをもらったんだから。
「カオルくん、私の事を世話好きとか言ってたけど、カオルくんこそ世話好きだよね」
料理とか掃除とかアイロンとかさ……。
完敗です。
カオルくんは困った顔をする。
男子的には褒め言葉にならないかな。私は心から褒めてますが。
「そうだ、あっちに行く前に写真を印刷していこう」
「写真?」
私は頷く。
「カオルくんのお祖母さんの妹さんと一緒に撮った写真、お祖母さんに会えるんだから渡そう。ラミネートした栞と一緒に」
そうですね、と頷いてカオルくんは嬉しそうに笑う。
彼としては大好きな祖母にまた会えるんだし、思いがけずに祖母にお土産も出来たもんね。
とは言え、彼はまた、こっちに戻るんだろうけど。
それでもね。
カオルくんの世界に移動するのは深夜が良いだろうと言う事で、私達が初めて会ったあの道にやって来た。
道幅が広く、等間隔に街灯が並んでいるものの、人通りは少ない。
昼間は真逆で沢山の人が通る道。
なんか知らんけど丁度良い場所らしいよ?
「ハルさん、手を」
向き合い、差し出された手に自分の手を重ねる。
「良いですか?」
「うん、お願いします」
会社も辞めた。
スマホも解約した。
アパートも。
銀行も、カードも。
どうしても持って行きたいものだけ鞄に詰め込んだ。
あっちに行ったら行ったで後悔はするだろう。
私は弱い人間だから、するに決まってる。
でも、どっちにいても後悔はするだろうと思う。
だから良いんだ、これで。
その時、やりたい事をやって、駄目ならもう仕方がないじゃないか。
やるだけやって駄目ならもう、運命だよ。
カオルくんの身体が光って、その光が私も包んで。
「目を閉じて下さい」
言われた通りに目を閉じると、繋いだ手を強く握りしめられた。
身体の中で浮くような、言うなればジェットコースターの、落ちて行く時の感覚に似た浮遊感がして、次には身体が散り散りになるような、それ以外なんて形容して良いのか分からない感覚が私を襲った。
漠然と、私はこの世界からいなくなると理解した。
さようなら、私のいた世界──……。




