私の決意
会社を休んだ。
泣き過ぎて目が腫れたのもあるけど、カオルくんが休めと言うから。
カオルくんが焼いてくれたパンケーキに、これでもかとメイプルシロップをかけて食べる。
甘くて美味しい。
甘過ぎるけど、美味しい。
泣いてすっきりしたのか、昨日のような絶望感はなくなっていた。
会社を辞めようと決めていた。
「ねぇ、カオルくん」
「なんですか?」
「あのさ、私の持ってるもの全部あげるから、私をカオルくんの世界に連れて行ってくれないかな?」
カオルくんの目がまんまるになる。驚くと人って本当に目が丸くなるんだね。
って言うかコレ、絶対誤解してる。
慌てて否定する。
「あ、嫁にって事じゃないよ? カオルくんの元いた世界に移住させてもらえないかなって思っただけで、カオルくんの妻になりたいとかそんな身の程知らずな事は望んでないです」
「……僕のいた世界で暮らしても良いって事ですか?」
「うん。事務処理は得意な方です。一日中やってられます。あ、言語とか覚えなくちゃいけないのか……」
言語は生きる為に必要不可欠だし、何としても覚えなくちゃいけないな、うん。
ここにいて、毎日に絶望しながら生きるなら、新天地で忙殺されながら生きた方がマシだ。
そんな事ないってみんなは言うだろうけど、このまま孤独に生きる事を考えたら、ここじゃない何処かに行きたくなった。
課長と一緒に新しい会社に連れて行ってもらう事も考えたけど、課長の足を引っ張りたくない。
お世話になったのに、恩返し出来ない所か更に迷惑をかけるとかしたくない。
そんな事になったら自分が許せなくなる。
「言葉は大丈夫です。僕が教えますから」
「それは助かるけど、カオルくんはこっちに戻ってお嫁さんを探すんだから、気持ちだけ受け取っておくよ」
さすがにそこまでお世話にはなれない。
「僕がこっちの世界で生活出来たのは、ハルさんが家に置いてくれたからです。恩を返すのは当然です」
「いやいや、本当に大丈夫」
嫁を探しておくれ。
もし異世界に移住しても良いと言う人が見つかったら、カオルくんは戻って来るんだから、速やかに自立しなければ。
失恋した相手の幸せを身近で見続けるのは辛いし。
でもきっと大丈夫だろう。
失恋と言っても、好きだと私が思ってるだけで、何も始まってないんだから。
「とりあえずその話は置いといて、ハルさんはこっちの世界に未練はないんですね?」
「まったくない訳じゃないけど、ここにいたくない」
未来は一つじゃない。ここにいたって何かしら変えられるものはあるかも知れない。
でも、ここにいたくない。
死にたい訳じゃない。
ここじゃない何処かに行きたい。
高望みはしないから、世界の片隅で穏やかに暮らす事を許して欲しい。
甘い考えなのも、ただの逃げなのも分かってる。
それでもここにいたくない。
「じゃあ、準備しないとですね」
思いの外あっさりとカオルくんは私の異世界移住を受け入れてくれた。
本人も嫁探しの為だけに自分のいた世界を飛び出しちゃうぐらいなんだから、フットワークが軽いんだろう。
「うん」
そうと決めてからは早かった。
お金はどうしようかと思ったけど、カオルくんの祖母のようにこっちに孫が来る為の軍資金になった例もあるし、意地が悪いと言われても、私の残したものが兄夫婦にいくのがどうしても許せなかった。我ながら心狭い。
しばらく経ったら気持ちも変わるのかも知れないけど、今の正直な気持ちは、迷惑かけない代わりに何もやらん、だった。性格悪くて結構だ。どうせ残したってあの人達はラッキーぐらいで私を心配する事もないだろうから。
だから不要なものは全て換金するか廃棄する事にした。
それにもし、どうしても戻りたいってなった時、先立つものは必要だ。
課長には笑われても良いから、馬鹿正直に話した。
驚いた顔の課長を見るのは初めてだったけど、最後まで話を聞いてくれた。
カオルくんに会わせろと言われたので、ランチを三人でとる事にした。
私抜きで二人で何やら話す事があると言われて追い出され、休憩時間もまだ残っていたから一人ぶらぶらと周辺を彷徨っていたら仁科に話しかけられた。
「よぉ」
「お疲れ」
「おまえ、また前の生活に逆戻りなんだってな」
どうしてそれを仁科が知ってるんだろう?
それに、どうして嬉しそうな顔をするんだろう?
「和を乱すような事するからだぞ」
和。
誰かを犠牲にして成り立つ生活を和と表現するのか。
「まぁ、辛くなったら話ぐらい聞いてやっても」
「平坂、待たせた」
仁科の話を課長が遮る。
気まずそうな仁科に、冷たい視線を向ける課長。
私としてはここを離れるからもう、どうでも良い。
「ハルさん、お待たせしました」
「話、終わった?」
「はい」
カオルくんを見て驚く仁科。
多分下衆な勘繰りをしているんだろう、きっと。
誤解だけど、このまま誤解しといてくれ。
自分が軽んじた女が、若くてイケメンな男子と一緒にいるのを見て、少しはショックを受けてくれ。
例え相手が草臥れた女であっても、これからはもう、軽い扱いをしないでくれと思う。
「オレ、先戻ってるんで」
そう言って逃げるように去って行った仁科を、課長もカオルくんも冷たい目で見てた。
「本当にどうしようもないな、アイツは」
「私がみんなの前でやり返したのが、よっぽど気に食わなかったんでしょう」
「それは最初に自分が始めた事なんだから、文句を言うのはお門違いだろう」
私や課長の感覚ではそうだけど、そうじゃない人もいて。足立さんや仁科なんかは後者だ。
でももう、顔を見る事もないんだと思えば、腹も立たない。
「コレを持って行け」
課長から差し出されたのは名刺で、それはいつも見慣れたものだった。裏返すと住所やスマホの電話番号、メアドなどが書いてあった。
「もし戻る事があれば、ここのどれかに連絡を寄越せ」
「いや、さすがにそんな迷惑は……」
「お守り代わりで良いから持って行け」
お守り。
そう言われると凄く力強いものに思えるから不思議だ。
「はい、ありがとうございます」
「私物だけ今日中に引き払っとけよ」
「分かりました」
最低と言われるのを覚悟で、明日から有休消化に入る。
退職前によくある奴だ。
繁忙期に入る前だから、会社としても私の有休消化を拒絶する事は出来ない。
「じゃあ、先に家に帰ってます」
「うん、気を付けてね」
カオルくんが地下鉄の入り口に入るのを見送ってから、課長と私は職場に戻った。
「持ち帰れないもんは宅急便で送っとけ。捨てて良いものはそのままで良い」
「なにからなにまですみません」
「気にするな」
「課長にはお世話になったから、恩返ししたいって思ってたのに、最後までお世話になったままですね」
「良いんだよ、そんなの。
返して欲しくておまえを育てた訳じゃない」
「ありがとうございます、課長」
こんな風に言ってくれる課長が、私がやっていた事が全て無駄ではなかったと思わせてくれる。
でも、私がいたいのはここじゃなくなった。




