息が詰まる
カオルくんとの共同生活は思いの外長引いている。
同じテレビを見て、同じものを食べて、感想を言い合って。
思った以上に感性が近くて、でも変な事を言った時は優しく諭してくれた。カオルくんに諭されるのは嫌じゃなかった、全然。
朝の挨拶、いってきます、おかえりなさい、ただいま、寝る前の挨拶。
当たり前な人は何とも思わないんだろう。
気付いていなかっただけで、私はその当たり前に飢えていた。
この生活を終わらせろと理性が警鐘を鳴らす。
ズルズルと続けたなら、一人になった時に復帰出来ないからと。そうなったら傷付くのは自分なのにと。
カオルと呼んで欲しいといくら言われても、それは受け入れなかった。
無駄な足掻きだと分かっている。
私はこの、年下で、見目の良い青年に恋をした。
分不相応にも。
最初は家族ごっこが出来る事に喜んでいるのだと思っていた。実際、ままごとみたいなものだ、こんな生活。
だけど、カオル青年を通して行われる生活は、私に人としての営みの大切さと言うか、日々を丁寧に過ごす事で心のゆとりみたいなものを与えてくれた。
青年への想いが叶う事はあるまいと思う。
さすがに自分に好意があるかないかぐらい分かる。
彼のそれは自分を保護してくれている存在への優しさや感謝、気遣いなのだ。
私が彼に向ける思いとは全く別のものだ。
ただ私のその想いが表に出れば全てが終わってしまう。それが怖かった。だから、頑なにくん付けで呼んだ。
一線を引いているつもりなのだ、笑える。
どうしようもない。
本当にどうしようもない。
引き時だと分かってるのに。
私からは出来ないから、カオルくんから引導を渡して欲しい。こっちの生活に十分慣れたからと、私の前からきれいさっぱり消えて欲しい。
絶対辛い。
毎日泣いて過ごすと思う。
でも、喜びの後に、この幸せから手を離さなくてはいけない現実は思っていた以上に辛かった。
「性別が同じだったら良かったのにね」
「えっ?! 何でですか?」
「同じだったら私のフリして出来る事もあっただろうしさ」
カオルくんは笑った。
「別に僕は困ってませんよ」
そうは言っても、こっちでパートナーを探すのは大変だろう。なんと言っても戸籍がないんだから。
彼が元いた世界では落ち人、なんて呼ばれるぐらいだし、祖母が結婚してこうして孫までいるんだから、受け入れ体制もある程度は整っているって事なんだろうし。
「カオルくんのいた世界って、人はどうやって生活してるの? 職業とかどんなのがあるの?」
「職業ですか?」
頷くと、カオルくんは立ち上がって冷蔵庫から麦茶の入ったボトルと、グラスを二つ持ってきてくれた。
流石にネットワークみたいなものはなく、何というか、昭和初期のような感じだったから、彼の祖母が言う、大して変わらないと言うのは正しかったのだろう。
「こっちに来て、知れば知るほど驚きました。
祖母が僕のいた世界に来てからの六十年でこんなにも生活様式が変わっているから」
彼は元いた世界で会計士をやっていたらしい。
それなりに優秀だったのだろう、嫁を見つけて戻って来いと言われたと笑った。
働く女性も多いと言う。
彼のいた世界について聞いていると、珍しくスマホが電話の受信を知らせてきた。
兄だった。
カオルくんに断ってから電話に出る。
「はい、もしもし」
『ハルか?』
「うん、どうしたの? 珍しいね」
久しぶりの兄の声に、なんとなく嬉しくなった。
妹の事を気にしてくれたんだろうか? 最後に会ったのはいつだったか、そんな事を思い出していた。
それなのに。
『おまえさ、甥っ子になんか買ってやろうって気、ない訳?』
気持ちがいっぺんに冷えていくのが分かる。
本当一瞬でマイナスまで下がった。
「……なに、突然」
『この前嫁さんの実家行って、あなたの所の妹は、将来世話になるだろう甥にプレゼントの一つも寄越さないのか、って嫌味言われたよ』
「そう言うのって催促するもんなの? 祖父母がよくやるのは聞いてるけど、うちはいないんだし、仕方ないんじゃないの?」
将来世話になるだなんて決めつけるのもおかしいだろう。迷惑かけないでと義姉は私に何度となく言ったのに。
そりゃ、まったくないとは言い切れないけど。
『親父もお袋もいないんだから、おまえがやるのが普通だろ』
「は?」
苛立ちが簡単にピークに達する。
「普通って何? 私が甥っ子達の世話になるっていつ決まったの? 私は何度もお義姉さんにうちの子に迷惑かけないでって言われたから、そうならないように貯蓄してるんですけど?
それは当てにする癖に迷惑かけるな?!」
話しながらどんどんヒートアップしていく自分に気付いたけど、止められなかった。
私が何をしたのか。
甥っ子達に将来よろしくねと言った訳でもない。
プレゼントはなるべくあげていた。
それなのに、牽制するように迷惑かけるなと言ったかと思えば、プレゼントは寄越せ?
『甥が可愛くないのか?!』
「顔もまともに見た事もない甥っ子なんて、赤の他人以下だよ!
二度と電話かけてくるな!!」
電話を終了して、兄の番号を着信拒否に設定する。
不安気に私を見てるカオルくんに気がついて、ごめん、と謝った。
困った顔をしてカオルくんは首を横に振った。
「ちょっと頭冷やしてくる」
財布とスマホを持ち、上着を着て家を出た。
何処かに行きたい訳じゃなかった。
ただ、家にいたくなかった。
みっともない所を見せたな、そんな事を思いながら、自販機でホットココアを買って公園のベンチに座った。
視線の先には親子が遊具で遊んでいた。
きゃっきゃとはしゃぐ子供は可愛くて、見守る母親は笑顔で、子供が可愛くて仕方ないのが見ているだけで分かる。
……義姉もそうなんだろう。
自分の子が可愛くて仕方ない。だから自分の子供に将来迷惑をかけるかも知れない私の存在に、不安な気持ちを抱いてる。
それは良い。親ならそう思っても不思議じゃない。
他の家庭に比べて、片方の祖父母が欠けている所為で自分の子供が受け取るプレゼントが少なくて、悲しい顔をした子どもが、なんで僕にはおじいちゃんおばあちゃんが一人ずつしかいないの? とでも言ったのかも知れない。
我が子、可愛い孫の涙に私が憎く思えたのかも知れない。
子供を中心にして考えた場合、そんな考えになるのは分からなくもない。
でも、私の気持ちになって考えて欲しい。
迷惑をかけるなと言われて、愛情と金だけは寄越せと言われる私の気持ちを。
私が何をした? 結婚してないから? もし結婚出来ていても、子供がいなかったら同じ事を言われたのだろうか?
……そんなに、私が悪いのか?
差し出すだけ差し出して、ほどほどで勝手に死ぬのが望ましいと思われる程の事を私はしたか?
いるだけで駄目なの? こうして、いるだけも許されないの?
息が詰まる。




