第1話 青春18きっぷで島根へ
3話まで続く予定です。
青春18きっぷを握りしめて山陰本線に揺られている。
今回の目的地は、島根。2泊3日の電車旅だ。
窓の外の田んぼと川と、ぽつぽつ並ぶ家が
10年前の自分の時間を少しずつ連れてくる。
妙に懐かしく、胸の奥が落ち着く風景だ。
いつも自分の気持ちより、周囲の誰かを優先してしまう。
「これ言ったら相手はどう思うかな」
「迷惑じゃないかな」
「遠慮したほうがいいかな」
そして空気を読みすぎて、気がつけば心が疲れ切って何もする気がおきなくなる。
そういうときは、誰の空気も読まなくていい時間をあえて作って、復活する。
ソロ活は、数年前からはじめた。私なりの心の疲労回復行為なのだ。
誰にも合わせなくていい1日は、私にとって薬より効く。
私のソロ活の基本ルールはシンプルだ。外食はほとんどしない。
ご当地グルメにそこまで執着はないから、地元のスーパーで総菜を調達して、
宿泊先でひとり宴会をするのがいちばん気楽でいい。
今日の宿泊は駅前のネットカフェ。
鍵付完全個室じゃないけれど、この秘密基地みたいな感じが、私には何よりの贅沢だ。
10年前、仕事の関係で島根に1年ほど住んでいたことがある。
あの頃の私は、まだ「ちゃんと」大人でいようと必死だった。
職場の人間関係にも、仕事にも、自分の将来にも、無駄に気を遣っていた。
当時、職場の同僚たちが「せっかく島根にいるんだから」と言って、
何度か車で観光地に連れて行ってくれた。ありがたい話ではある。
けれど正直なところ、私は少し窮屈だった。
自分が気に入った場所で、好きなだけぼんやりしていたいのに、次のスポットへと急かされる。
誰かの運転に乗せてもらっている以上、行き先も滞在時間も、
自分ひとりの都合では決められない。
なかでも、心残りだった場所がひとつある。
島根ワイナリーだ。
私はワインが好きだ。銘柄に詳しいわけではないけれど、赤も白もロゼも、
グラスに注がれた液体の色と香りを楽しむ時間が好きだった。
島根ワイナリーの試飲コーナーは、当時からかなり充実していて、
観光パンフレットを見た瞬間から、私はそこで試飲三昧の午後を過ごす自分を想像していた。
けれどその日、運転してくれていたのは、同僚のめぐみの夫、テルさんだった。
40台前半の大工さんで、がっしりした体に優しそうな目をした人だ。
助手席にはめぐみ、後部座席には私と、同じ職場の年下の同僚、こうすけくん。
めぐみは30代後半。実家は工務店で、事務仕事を手伝ったりしているらしい。
ただし、どんなに働いても、給料出ないのよ、と笑っていた。
テルさんとは、不倫の末に結婚したと、本人から聞いた。
「まあ、いろいろあってさ」と肩をすくめていたが、いろいろの中身を想像して、
私は苦笑いすることしかできなかった。
2人が結婚してから15年。
テルさんには前妻とのあいだに子どもがいて、前妻が育てている。
めぐみは
「前の奥さんにも子どもにも悪いからね」と言って、
2人のあいだに子どもは作らない方針を貫いているらしい。
私が応援としてこの職場に赴任してから、1か月ほど経った頃。
やっと取れた数少ない休日に、めぐみたちは「島根のいいところを紹介したい」と言って、
ドライブを計画してくれた。
ありがたいし、嬉しくもある。なのに、心のどこかで身構えている自分がいた。
独り身の女が珍しいのか、車内ではやたらと結婚の話題になる。
「結婚しても子ども作っても、仕事は続けられるよ」
「島根の男と結婚して、ここに永住しなよ」
めぐみは冗談めかしながらも、本気半分のテンションで言ってくる。
私は、あくまで応援だ。プロジェクトが軌道に乗ったら、元の職場に戻る予定になっている。
そう説明しても、めぐみはあきらめない。
ターゲットは、どうやら後部座席のもうひとりに設定されているらしい。
こうすけくん。30代前半で、すらりとした体型に整った顔立ち。
いわゆる「シュッとしている」タイプのイケメンだ。
決して人には言わないが、自分の容姿は「中の下」どころか、最下位だと思っている。
そういう自覚があるからこそ、見た目のレベルが離れた男とつるむことが、
いかに面倒かを経験上知っていた。
私とこうすけくんでは、釣り合わない。
だから私は、彼とどうこうなるつもりなんて、これっぽっちもなかった。
そんな過去のことを、今の私は、電車のシートに身体をあずけながら、
滑稽なドラマでも見るような気持ちで思い出している。
出雲市駅に着く。
10年前と、駅前の空気はあまり変わっていない気がした。
駅舎の匂い、少し湿った風、見慣れたはずなのに、どこかよそよそしい街の音。
10年前、運転を買って出た親切な知人に遠慮して、飲みたくて飲めなかったワイン。
今日こそは、誰にも遠慮せず、好きなだけ味わうつもりだ。
それが、10年前の私にできなかったことだから。




