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リサが教室に入ると、心なしか、いつもより静かに感じられた。
(今日もいない……)
口論があってから次の週、バッタリとアリーチェが来なくなったのだ。プライドが許せなくなったのか、それともただ単に風邪をひいてしまったのか。なんとなく、気になってしまう。
それでもお昼前の授業は、お腹がすくことに意識が向かう。ちゃんと聞かなきゃ、と思うのだけど、糖分が減ると、頭が回らなくなって集中できなくなる。
授業終了のチャイムが鳴ると、リサは解放感に包まれながらセルビアを探した。
「セルビアちゃん、一緒にご飯食べよう!」
リサが誘うと、セルビアは笑顔で快諾してくれた。教室の移動時間、廊下を歩きながら、おしゃべりをする。
廊下は、食堂へ流れ込む人たちで混雑している。
ふと、従者の後ろを歩く人が目に止まった。背が高く、スラリとしている。ぱっと見た感じでは、美人だと思った。大人びた雰囲気のその人は、時の流れが違うかのように反対方向へ進んでいく。
(あの人……)
リサは立ち止まって振り返った。通り過ぎてから、誰だったのかを思い出した。もう一度見ようとすると、女性は人混みの中に隠れてしまった。
「どうしたの?」
セルビアが、リサに気がついた。
「いたんだ」
リサはつぶやいた。
「ドリレウムの……ううん、地元の人が今歩いてて、学園にいたんだって思って」
「地元の人? 世間は狭いわね」
セルビアはコメントを返す。リサは浮かない表情をしたままだった。
「うん。領主の娘さん」
(できたら、向こうが、気がつかないといいんだけど)
と、リサは思った。
食堂に到着し、トレイに今日の料理を乗せて席に着く。そして、待ちに待った焼きたてのパンを頬張る。舌の上であつあつが転がる。やっぱりパンは出来たてのふわふわが、一番美味しい。
ご飯を食べていると、だんだんと視界が明るくなってくる。まだ消化していないのにも関わらず、口に入れただけで明るくなるのは何故だろう。食物自体に含まれる栄養以外にも、何か生命エネルギーを摂取しているのかもしれない。
リサは心の余裕が出てくると、さっきの女性を思い出して、セルビアに説明した。
「さっきの人はドリレウムの領主の娘さんでね、マヨナさんっていうんだけどね、でもあたし、ちょっと苦手かも……」
「あら、そうなの?」
「あの人、ノーヴさんのこと、すごく悪く言うの。特に、本当の……あのね、これは秘密なんだけど」
リサは誰か聞き耳を立てていたらどうしようと、周りを気にして少し視線を動かしてから、打ち明けることにした。セルビアなら、口外しないと思った。
「ノーヴさんの養子って、もう一人いるんだけどね、その人のことが嫌いみたいで、悪口たくさん聞くの」
今度はブラウンシチューをスプーンで運ぶ。染み渡るジューシーな口どけ、と思いきや、苦手な野菜が入っていたので、口を曲げた。
「何があったのかしらね」
セルビアが言った。
「三年前に、王様の使者が来たんだけどね、ノーヴさんは会わなかったでしょ? そうしたら領主さんが、会わせないと自分の面子が潰れるからって、無理やり家から出そうとしたんだって。
でもその頃に、領主の娘さんが悪夢を見始めたらしいの。本当かどうかもわからないんだけどね。その悪夢が、ノーヴさんのせいだって、すっごい騒動になって」
悪夢だけではなく、日中に幻も現れて、彼女を苦しめたという。その噂が原因で、ノーヴは「夢と幻を操る恐ろしい魔女」と、一方的に言われるようになった。
それを街の人たちは、わざとノーヴの評判を下げて、いたたまれなく感じさせて、何がなんでも外に出てこさせようとする見苦しい行動だと受け取った。リサもそう思っている。
でも、領主は他の地域の人との交流を持っていた。外部の人たちの耳に入りやすいのは、領主の主張だ。
(ノーヴさん、そのせいで、余計に風評被害を受けているのかも……)
と、リサは思っていた。
「同じ頃にね、ちょうどノーヴさんの養子さんが帰ってきてたみたいだから、それでさらに、ノーヴさんのせいにされちゃって」
養子からしてみれば、タイミングの悪い時期に帰って来たしまった、と言えるかもしれない。帰ってきただけで、とばっちりを食らって、自分の悪口をたくさん振りかけられたのだから。
セルビアは、リサの話を興味深そうに聞いていた。それからポツリと、自分の意見を吐露した。
「私、てっきり養子の話は、ノーヴの魔女の作り話だと思っていたわ」
「えっ」
「ドリレウムの魔女が未来予知で有名だ、というお話は、何度も耳にしたことはありますけど、ほら、数十年前の戦争で侵略を予言した、ですとか。あと偽書騒動も有名よね」
セルビアの言っている戦争は、最近のものではなく、一世代前の戦いだろう。
三十年ほど昔にガンドレッドから侵略を受けた時、ダーネス王国は大きな被害を受けた。危機に際してノーヴは、国王をはじめとして諸侯、権威を持つ聖職者、その他有力者に防衛策を記した手紙を出したという。
けれども、名前も知らない一個人からの手紙だ。取るに足らないと一笑に付して捨てる者も多かった。しかし、ある街では壊滅的被害が出たが、そのすぐ近くにある町では、手紙の内容を実行したところ、敵軍が諦めて去ったという衝撃的な事件が起きた。それを境に、手紙の信憑性について、あちこちで話し合われるようになった。
戦争が終わった後のダーネス王国は、ノーヴが英雄視されるのを恐れた。一個人の意見によって、重大な政治を動かされたとなっては、国王の尊厳も何もないからだ。前代国王はノーヴに褒賞を与えるどころか、その存在すら認めようとしなかった。
ノーヴの名が国中に知れ渡ったのは、偽書騒動があってからだ。この事件をきっかけに、かえってノーヴの先見性が認められることになったが、その頃になるとノーヴは、政治との関わりを拒むようになっていた。王の使者が伺いに来ても、「言うことは特にありません」と突っぱねた。
ようやく認められるようになったのに何故……という思いが、周りには強いのだろう。あの手紙は誰かの代筆で、答えられないということは元々無能なのだという説も、まかり通っている。
それもあって、学園でノーヴの名前を出すと、微妙な反応をされやすい。先入観にとらわれず、リサを一人の人間として見て仲良くしてくれるのは少数のようにリサは感じる。
「でも養子がいるという話は初耳で……正直、リサちゃんを入学させるための口実だったのかしらと」
「え、いるよ。私一度、会ったことあるもん」
リサは意外に思って、間を割って言い返す。
「そう、それなら、私はそんなふうに勝手に思ってしまったみたいね」
セルビアは申し訳なさそうに微笑んだ。そんな表情しなくていいのにと、リサも申し訳なく感じたので、慌てて自分の記憶を頼りに話し始めた。
「えっとね、確か、その養子さんに、ノーヴさんが学校のことを話したんだけど、旅の途中だから帰ってこれないって、断ったんだって」
「その人、旅をしていらっしゃるの?」
「うん。そう……ノーヴさんが、『可愛い子には旅をさせよう(・)』って、世間を学んでほしいって」
「ええっと、それは比喩ではなくて?」
「本当みたい。だからあたし、ほとんど出会ったことないの。一度会ったけど、でもそれって、もう5年……? ううん、6年くらい前のことだからあんまり顔も覚えていなくて」
話しているうちに、なんとなく自信がなくなってきた。同じ田舎町に住んでいて、名前も顔も知らない人がいるということが、今更のように不思議に思えた。
リサがあまり、興味を持って訊かなかったからかもしれない。ノーヴさんに訊いても、「そんな都会で、誰も会った人なんていないし、絶対大丈夫よ」と答えられ、そういうものなのかなあと納得してしまっていた。
「その人、どこで何をしていらっしゃるのでしょうね」
「どうなんだろ……?」
謎が深まった。
(今度お手紙で、ノーヴさんに訊いてみよう)
固くなってきたパンのひときれを、口に入れながら、リサはそう決めた。




