表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この狭い世界の中で  作者: しば
方歴975年
3/3

 大樹の下に降り立った黒孤。

 その口元には、さっき上に有った光の実が咥えられていた。


「月夜…!?」

「ッ?!」

 名前を呼ぶと、暁の方をがばっ、と見据え身構える狐。

 一瞬の後、自分の姿を見られたことに気が付いたのか。あっという間に暁の横を通り過ぎて行ってしまった。

「お、おいっ…!?」



 

 そのままにしては置けないと、その後を追って辿り着いたのは…紅い花咲く、墓場だった。

「はー…はー…っ、なあ、君なんだろう、月夜っ。」

「……ッ。」

 黒孤は墓標を目の前にして、座り込んでいた。目印にしていた光の実は、もうその光を失ってしまっている。

 そして…ひとたび飛び跳ねると、瞬く間に。

 狐は、その美しい黒の毛並みをそのまま残すかのように、黒髪の着物の少女に姿を変えた。

「…やっぱり…。」

「…この姿でないと、…会話も、ままなりませんので…。」

「え?」

「一つ、知って欲しい事があります。…先程の姿では、人の言葉が通じないのです。」

「…聞こえないって、言う事か。」

「はい…。」

「「……。」」

 少しの静寂が、二人の間を包んだ後…ふと、月夜が口を開き始めた。

「…少し、昔話をさせて頂けますか。」

 暁は、無言でそれに頷いた。




「―――私の母は、この辺り一帯を守る…神子、の様な存在でした。」

「あの大樹は、御神木なのです。名を、月光樹と言います。」

 …御神木。

 なるほど、と呟いた暁に頷き、月夜は続けた。

「あの樹は、世界の各地に存在し、自然の力となっているといわれています。」

「…だからでしょうか、神子としての力は、自然界でも力の強いものに与えられます。」

「母は、500の年月を生きた狐…妖狐でした。」

「初めからそうだったのか、何かの拍子でその強い力を持ったのか。私には教えて貰えませんでしたが…。」

「…母は、ずっと変わらぬ姿のままの、不老不死の力を持っていたのです。」

「そしてその力で、一帯の自然が壊れぬよう、守っていました。」

「ですが―――あるとき、この深い山へ、一人の人間が迷い込んでしまいました。」

「人間は疲弊していました。母はその方を介抱してやったのです。」

「それが、父でした。」

「ですが…父は、母を裏切りました。」

「神子としての力の源…『神威の宝珠』を盗み出し、その力でこの周辺に丸ごと結界を張り―――私が生まれる前に、去ってしまったのです。」

「心身ともに弱った母が、私に教えてくれた事と言えば、薬草の知識と、その人生の一かけら、だけでした。」


「……。」

「そんな母が半年前に亡くなって…私は、こうやってこの場所から出られずに、暮らしているのです。」

「!…結界、っていうのは、月夜に対しても張られてるのか…!?」

「…そのようです。…この、通りに。」

 月夜が墓石の少し先を歩き、ある距離に至った時だった。

 ばしぃっ、と見えない何かに拒まれるようにして月夜の体を弾いた。

「っ…これが、父が張った結界です。」

「そんな…なんとか、出来ないのか!?」

 気色ばむ暁だったが、月夜は首を横に振った。

「…どうやら、私の母の『血』に反応するよう造られたようです。壊せるなら、母が既に行っていると思います。」

「…そう、だよな…くそっ!」

 拳を握りぶつける暁。

 そんな彼に、月夜は不思議そうに顔を見やった。

「…今の話を、信じてくれるんですか。こんな、突飛な話を…?」

 そう問いかける月夜に、さも当然かのように暁が答える。

「疑うわけ無いよ。だって、本当の話なんだろ。」

「は、はい…。」

 不安げに見せた月夜の眼に対して、真剣な眼差しで。

「…だろ?じゃあ、信じるさ。当然だ。」

「っ…。」

 月夜はそれに言葉を詰まらせ、俯いた。

「………貴方さまは、なぜ、そこまで…。」

「え…なんて、言ったんだ?」

 掠れるように呟いた月夜の言葉は花達のざわめく音に掻き消えて、暁には伝わらなかった。

「……っ、いえっ、何でもありません。…暁さま、これをお持ち下さい。」

 そう言って月夜が取り出したのは、小さな木の実だった。

「これは?」

「満月の夜に実る、月光樹の実です。万能薬として使われますので、帰り道、何かあった時の為に。」

「えっ…き、貴重な物じゃないか。貰えないよ、そんなの。」

「ふふ、何を仰いますか。倒れていた暁さまに使ったのも、この実ですよ?」

「えぇっ!?」

 驚いている暁の手に、重ねるようにして月光樹の実を手渡す月夜。

「私が持っていても使い道がありません。…お持ち下さい、私だと、思って。」

 にこ、と月明かりに微笑む月夜の顔を前に、暁が断れるはずも無く。

「…わかった。大切にするよ。」

 ぎゅっ、と手を握り合い、見つめ合う二人。


 ―――その後ろの墓標で、置いてある玉石が妖しく、煌いていた。




 …翌朝、出立の日。

「んーっ…おはよう、月夜。」

「おはようございます、暁さま。」 

 いつものように台所に立つ月夜と、起きる暁の姿があった。

「何か手伝う事、あるか?」

「そうですね、では…母の墓所辺りに生えている、香草を摘んできて貰えますか。一際強い紫色をしているので、直ぐにわかると思います。」

「わかった。紫色の香草だな。」

 そう了解すると、暁は軽く身支度をし始めた。

「料理に使うのか?朝から手の込んでそうな事してるけど…。」

 見ると、台所には様々な薬草や肉、木の実がそれぞれ切るなどして分けられていた。

「暁さまには、精をつけて貰わないといけませんから。今日は少し多めの朝食です。」

「そっか…ありがとう、月夜。」

「いいえ、どういたしまして。」

 そう答えながら料理をする月夜の姿は、なんだかとても楽しそうに、暁には見えた。

「じゃあ、ちょっと出かけてくるな。」

「はい、行ってらっしゃいませ。」


 言われた通り墓所に行くと、その香草はすぐに見つかった。

 ギザギザの形で、綺麗な紫色をしているそれを摘み、手に収める暁。

「…そうだ。ここにももう、暫く来れないんだったな。」

 事情を知ったから、というわけでは無いが、少しの間祈りを捧げておこうと、暁は考えて。

 月夜の母の墓石の前で手を合わせて、しばし目を瞑る。

「……。」

 この方が安らかに眠れるように、月夜を守ってくれるように、幸せが訪れるように。

 そんな風に思いを連ねて、目を開けた暁の前に。

 …妖しい光が、現れた。

「な、なんだ…!?」

 それは、墓石に引っ掛けてある、玉石から放たれていた。

 見るも異様な、黒い光。

 そして。すぐに『あの声』が聞こえてきた。


 ―――――シ――ヲ――――


「!!」

 聞き覚えのある『声』に、体を震わせる暁。

 続けざまに、暁の背丈ほどある墓石がグラグラと揺れ始めた。

 危ない、と思ったが、思ったように体が動かなかった。

 それでも何とかして金縛りを解こうともがいている間に、墓石がこちらに向かって倒れてきて―――

「…く、っそぉ!!」

 ―――けたたましい音と共に倒れた墓石から、間一髪の所で逃れる事が出来た。

「はぁっ、はぁっ…!」

 体の疲労が一気に溜まり、肩で息をする暁の足元で、あの玉石がまだ黒く光っている。

「…これ、何だ…?」

 拾い上げ、それを見ているうちに、遠くから駆け寄って来る音が聞こえてきた。

「―――暁さまっ、先程の音、は…!?」

 それは、墓石の倒れる音を聞いてやって来た、月夜だった。

 彼女は荒らされた墓所を目にして、戸惑いを隠せずに暁に問いかけた。

「…どうしたんですか、これは…?」

「あ…ち、違うぞ?これは俺が壊したわけじゃ無くて、勝手に墓石が倒れてきて…!」

 雰囲気を察した暁が、直ぐに弁解するが。月夜の疑いの眼差しは、暁の手の上に向けられていた。

「…ではその、母の玉石は何なんです…?貴方さまが、取ったのでは無いですか…?」

「え…。」

 見ると、さっきまでの黒い光は嘘のように、綺麗な玉石が暁の手の平に有った。

「っち、違うんだ、さっきまではこれが光っていて、変な声が聞こえて、それで…!?」

「…っ!」

 月夜は、そんな狼狽える暁の事など無視して、彼の手から玉石を奪うと。

「ッ!?」

「……!」

 暁の頬に、平手打ちをして。

「つ、月夜…。」

「…最低です、こんなの…そこまでして、この玉が欲しかったんですか!?」

 月夜の目には、涙が溜まっていた。

「ちが…!」

「やっぱり…人なんて、信じなければ良かった…!こんな、母の大切な墓を壊してまで…っ!」

 そう言うと、振り返って家の方へと走り出す月夜。暁はそれを追いかけようとするが…。

「月夜、話を聞いてくれ…!」

「ついて、来ないでっ!!」

「!」

 突き放す月夜の言葉に、暁は足を止めてしまった。


 やがて、荒れた墓所に一人になった暁。頬には叩かれた熱が籠っていたが、それよりも今は、胸が痛かった。

「…どうして、こんな…。」

 月夜に言われた一言一言が、心を抉っていた。

 さっきまで、普通に会話をしていたのに。

(ダメだ、このままじゃいけない!)

 こんな簡単に、しかも思い違いが理由で関係を壊してしまうなんて、考えたくなかった。

 そう思い直し、月夜の家へと向かおうとした暁の背後から…

 …巨大な何かが、迫ってきていた。


・・・・・・・・・・


 玉石を手に家へと戻り、戸を閉めた月夜。あの後、追ってくる暁の気配は無かった。

(やっぱり、人間なんて…!)

 結局の所、人というものは欲深くて罪深い生き物だと、母に教えられた通りになってしまった。

 父が母を裏切ったように、あの人も、私を裏切ったのだ。

「…?」

 そこでふと、玉を見ようとして、着物に何か挟まっている事に気が付いた。…彼に頼んだ、香草だった。

 そうか、あの人を叩いた時、持っていた物が落ちて挟まったのだ。

「……。」

 台所に用意していた、あの人の為に作った朝食が目に入る。


 …盗みを働くような者が、あんな実直に頼みをきいてくれるだろうか。

 …今までの彼を見て、そんな事をするような人物に思えただろうか。

 …彼は、何か弁解をしようとしてはいなかったか?


 …熱の入っていた頭が、急に冷えてきて。

 それでも、追ってこない事を考えると月夜の胸の中にまた小さな怒りの火が灯った。

(本当に理由があるなら、ここに戻って来ても良い筈なのに。)

 月夜は、それが身勝手な言い分だと自分でも思いながら。

 戸の向こう側の様子をちらりと覗いた。

 そこに、暁は居ない。

 …胸の中が、今度は不安に襲われた。

 もしかして、そのまま帰ってしまったのだろうか?

 そうだとしたら、もう彼に会うことは出来ない。

 胸が不安で一杯になる。

 追わなくては、

 …追わなくては。と。


 ―――そう思っていた時。向こうから、大きな叫び声が聞こえた。


・・・・・・・・・・・・


「―――グガアァッ!」

「―――くっ、そぉっ!」

 …それは、巨大なヒスイグマだった。

 前に会ったのとは比べ物にならない位に齢を重ねた、大きな個体。

 その違いは、即ち毛皮の硬さ厚さに現れていた。

 ヒスイグマは、その名の通り翡翠のごとく硬く鋭い毛皮に育つ。

 目の前にいるのが、正に翡翠熊と言える個体だったのだ。

 …当然、翡翠の毛皮にただの弓矢が通じる訳はなく、暁は苦戦を強いられていた。

 唯一皮の無い両の目を狙うものの、その熊はこちらに向かって襲って来るため、その攻撃を避けるだけでも精一杯だった。

 しかも、その目がまた、異様だった。

 一片の光も無く、直視すると呑まれそうな漆黒に染まっていた。

 暁は、その視線から逃れつつも、月夜の家から離れるように気を付けていたつもりだったのだが。

 矢を打ちながら、逃げ回る様にしている内に…いつの間にか、大樹の近くまで下りてきてしまっていた。

「ッ!っなんで、こんな奴が、俺を狙って―――っく!?」

「グゥオオォッ!!」 

 鋭く、大きな爪が避けた前の木を抉った。

 躱しながら打った何度目かの矢も、また硬い額に弾かれてしまった。

(だめだ、くそっ…!!これじゃあ、埒が明かない!!)

 …と。

「キュオォンッ!」

「…なっ、つ、月夜!?」

 熊と暁との間に姿を現したのは、あの黒孤―――月夜だった。

 月夜は一瞬だけ暁の事を見やると、以前やってくれたように熊を牽制する動きを始めてくれた。

 だが、流石に今回は月夜が相手でも、熊は怯むことがなかった。

「グァアッ!」

「キュゥッ!!」

 お互いに攻撃をし、躱し合う二匹の獣。

「やめろ、月夜っ!あんなのと戦ったら危険だ!」

 だが今となっては、黒孤が戦う姿など、暁は見たくなかった。

 暁の言葉も空しく、彼を守るために月夜は前に出続けた。

「…ッ!」

 止むを得ず、弓矢を構える暁。月夜の動きに合わせての、ニ対一の戦いが行われていた。

 熊の爪が空を切り、月夜の爪と暁の矢が熊の目元を掠める。

 自然界ではあり得ない状況の中での攻防が続いて。

 それでも、熊は退く事をしなかった。…余程の執着が、自分に合ったかのように、暁には感じられた。

「月夜、あいつの狙いは俺だ!君だけならまだ、逃げられるから!…頼むから、逃げてくれ!」 

 その言葉に月夜は一端暁の所まで引き、寄り添い見上げた。

 …月夜は、その姿のまま首を横に振った。どうやら、逃げるつもりは無いらしかった。

「月夜…!どうして、君は…!」

 その時、目を離していた隙に、暁に向かって熊が突進してきた。

「しまった…っ!?」

 暁に避ける暇は与えられなかった。そのままヒスイグマの巨躯を受けるかと思った、その瞬間。

「…キュンッ!!」

「…うわぁっ!?」

 …月夜が突然跳び、暁を突き飛ばした。

 衝撃で暁は熊の突進を受けずに済んだが、代わりに月夜がそれをまともに食らってしまった。

「きゅ、ッ…!!」

 しかも、月夜の小さな体が吹き飛んだ先は、大樹よりも外側になっていたらしい。

 結界にも弾かれて、月夜の身は二度続けて打撃を受けてしまう。

「っ、月夜ッ!?」

 熊を回り込み、直ぐに倒れた月夜の下へと駆け寄る暁。彼女の体は、満身創痍と言えるほどにぼろぼろになっていた。

 すると、あまり体力を消耗したからなのか、彼女の姿が一瞬のうちに人間に戻った。

「…暁さま、お逃げ、下さい…後は、私が何とか…。」

 そう言う月夜の横に立ち、熊の方を牽制しながら。

「馬鹿言え!月夜一人、置いていける訳無いだろうが!!」

「…ごめんなさい…さっきは、叩いたり、してしまって…。」

「そんな事言ってる場合じゃ無いだろ…っ!?」

 その時だった。

 熊の様子がおかしくなっている事に、気が付いたのは。

「グ…ガァア、オォ…。」

「…なんだ…?」


 ―――オオ―――ツキ、ヨ―――


 さっきにも聞こえた、あの不気味な声が木霊した。

「!?」

「…あの、声は…?」

「…月夜にも、聞こえるのか!?」

「は、はい…あれは…もしかすると…。」


 ―――ナゼ―――ニンゲント―イル―――


「…お母、さま…?」

「え…!?」

「あれは、お母さまの、声です…。」

 お母さまだって、と、暁は衝撃を受けた。

 山に入ってからしていたあの声が、亡くなった月夜の母のものだったというのか。

 すると、月夜がぼろぼろの体を引きずり、立ち上がって。

「…お母さま…何故、こんな事をするのですか…!」


 ―――ニクイ―――ニンゲン―――


「…憎い?まさか…暁さまを、狙っているのですか…!?」


 ―――ウラギリモノヲ―――コロス―――タメ―――


「く…何故ですか…それは父の事でしょう…!?暁さまは、関係ありません…!!」


 ―――グ―――ヲォ―――


 月夜の言葉に苦しむ様子の熊。

 そこで、月夜は暁に頼みをした。

「暁さま…お母さまを…どうか、暁さまの力で仕留めてあげて下さい…。」

 え。と暁が聞き返すが、月夜の決心は変わらないようだった

「…もう、お母さまは正気では無いようです。…だから、お願いします。…どうか…。」

「…わかった。」

 頭を押さえてもがき苦しむ様子のヒスイグマ。隙だらけのその姿へ、眼へと打つ事は暁にとって容易だった。

 ぎりぎりと弓が軋む音を立てて、矢に力を溜め…熊目掛けて、射抜いた。


 ―――グアァアッ!!―――


「ギァアアッ!?」

 二つの叫び声が響き渡り、それと同時に熊の体から突然黒い闇が抜け出るように溢れた。

 我に返ったかのように、ヒスイグマはその黄色い隻眼をこちらに怯えたように向けると、結界の外側へと逃げて行ってしまった。


「暁さま、ありがとう…ございまし、た…。」

「っ月夜!?」

 お礼を言うのと同時、倒れ込みそうになる月夜を支えてやる暁。月夜の体力は既に、限界を迎えているようだった。

「すみません…体、動かなく、て…。」

「謝らなくても良い、とにかく家に戻るぞ!」


 月夜を抱きかかえ、家へと急ぎ戻った暁。

 彼女を横に寝かせてやった後、包帯のある場所を探したが、見つからずに。

「月夜、包帯はどこにある?」

「…そこの、棚の箱、に…。」

 言われた場所に有った薬箱には、包帯と、その横にあの万療草が保管してあった。

「どこをやられたんだ?足か、腕か。」

「う…で…を…。」

 着物の腕部分をはだけると、確かにそこには傷と血だまりがあって。暁はそれを塞ぐように包帯を巻いてやった。

「ここだけじゃないよな…月夜?…おい!?」

「……。」

「月夜…!?」

 さっきまで返事をしていた彼女の顔から、血の気が引いていた。

 血を流し過ぎたのだろうか、薬師でもない暁には理由が分からなかったが…。

 …とにかく、意識を取り戻させなければ。そう思った暁に、一つだけ心当たりがあった。

「…そうだ、月光樹の実!」

 懐から取り出した小さなそれを、暁は月夜に食べさせようとする。

「ほら月夜、口を開けて…!この実を、食べろ!」 

「……。」

 が、彼女に意識は無く、口はぴくりとも動かなかった。

「おい、月夜…!頼むから返事してくれ…!」

 狼狽えるばかりの暁。

 こんな事になるなら、心得を月夜本人から聞いておくんだったと、後悔した。


 ―――シッカリシロ、バカモノ―――!


 その時、声と共に、『白く』輝く玉石が、月夜の胸に迸った。 

「…!?」

 先程、『黒かった』玉石とは違い、声もはっきりとしたものに変わっていて。

 

 ―――シンノゾウヲキイテミヨ、マダイキハアルダロウ―――


 …心臓の音?

 ハッとした暁が、月夜の胸に耳を当ててみると、そこにはしっかりと鼓動が感じられた。

「あ…あぁ!ある、有るぞ!」


 ―――ゲッコウジュノミハ、キサマガカンデタベサセヨ。キツケノコウカガアル―――


「俺が…そ、それは―――」

 口移し。その手があった、が。

 それは、少なからず躊躇する事だった。


 ―――ドウシタ、ハヤクセヨ!ツキヨヲミゴロシニスルツモリカ―――! 


 …頭の中に響いてくる声に急かされる様に、暁はそれに従って月光樹の実をかみ砕いた。

 恐ろしく渋く苦いその実を、月夜の口元へと運び…口移しにした。

「ん…ッんんぅっ、…ッ…!」

「んく、…ッ。」

 その苦さに反応したのか、びくっ、と顔を逸らそうとする月夜に、暁は両の手で彼女の顔を固定し、実を飲ませてやった。

「…っは…!こ、これで良いのか!?」


 ―――マダダ、ヒヲオコセ!チヲナガシ、ツキヨノカラダガヒエテイル―――!


「わ、わかった…!」

 暁は置いてあった石で囲炉裏に火を点けると、その横に布団を敷いて上に月夜を寝かせてやった。


 ―――イシキガモドルマデ、キサマガショクジヲアタエルトイイ―――


「あぁ、分かった…しかし、あんたは…?」

 暁は月夜の胸元にあった光る石を手に取り、問いただした。


 ―――ワタシハ―――ツキヨ、ノ―――


 が、突然石の光が弱くなっていき始めてしまう。

「!どうした、おい!?」


 ―――…ム―――タノム―――ツキ―――ヲ、マモ…テ―――クレ―――


 その一言を最後に、石は光を無くし、声も聞こえなくなってしまった。




 その後暁は、月夜の呼吸が安定するまで横で看病を続けた。

 頭が熱くなっていたのを、湿らせた布で冷ましたり、痛めた腕に添え木を付けてやったり。

 あの声が無くとも、自分に出来る限りの事はしたつもりだった。 

 夜になって。

 暁が万療草と、今までに月夜が作ってくれた薬膳料理を手本に混ぜ合わせ、お粥にして作っていた時だった。

「…う…。」

「!…月夜っ!?」

 意識を取り戻した月夜の声に、暁は彼女の下へ駆け寄った。

「月夜、痛い所は無いか?」

「…ここ、は…?」

「月夜の家だ。…安心してくれ、熊は逃げていったし、月夜の手当てもしておいたよ。」

「…そんな…私、血を、流して…それで…。」

「月光樹の実を食べさせたからだ。それで回復したんだと思う。」

「そう、ですか…ごめんなさい、迷惑…かけてしまって…。」

「そんな事気にしなくていいから。…ほら、今お粥作ったぞ。食べられるか?」

「あ…は、い…。」

 半身を起き上がらせた月夜に、暁は器に盛ったお粥を運んでやった。

「あ、痛っ…!」

「あぁ、無理して起きなくていい!俺が食べさせるよ。」

「っ…はい…。」

 枕を宛がって食べやすい体勢にさせてから、暁は匙で掬い上げたお粥をふーふー、と冷まして月夜の口元へ寄せた。

「ほら、あーん。」

「…あ…ん、…ぁつ…っ。」

「あ、ご、ごめん、熱かったか?」

「…いえ…おいしい、です…暁さま…。」

「そ、そっか。…ふーふー、ふー…ほら、あーん…。」

 そこで、一瞬だけ月夜の目が暁とは反対に泳いで。

「どうした?」

「いえ…何だか、恥ずかしいものだな、って、思って…」

「…俺だって、恥ずかしいって。」

「あ…ふふっ、そ、そうですねっ…ごほっ、ごほんっ!」

「お、おい大丈夫か?」

 暁がお粥を横に置き、咳き込む月夜の背中をさすってやる。

「だ…だいじょぶ、ですからっ…。」

「無理するなって、ゆっくり食べればいいよ、な?」

「…はい、ありがとうございます…。」



 夜中になって、戸がガタガタと揺れる程の突風が吹き始めた。

 暁が外の様子を見ると、どうやら雪が降り始めてきたようだった。

「…今夜は寒くなるみたいだ。俺が火で部屋を暖めておくから、月夜はもう休め。」 

「…はい…。」


 寝床の横で火の番をする暁に、月夜はうわ言のように喋りかけてきた。

「暁さま…今朝の事、なんですけど…。」

「ん…今朝って?」

 余り色んなことがあって、どのことを言ってるのか分からない暁が、月夜に聞き返した。

「あの、…母の、お墓での…。」

「あ、あぁ、そうだったな。…あれは、」

 お供え物の玉石を盗んだと勘違いされた件だろう、と、弁解しようとした暁を、月夜が遮った。

「わかって、います…暁さまは悪くないって、事…。」

「え?」

 横になりながら、胸元の白い玉石を手に持った月夜が、ゆっくりと話し始める。

「…この石は…生前、母が首から掛けていた物でした…。」

「その時は、今のように真っ白な石だったと、憶えているのですが…母が亡くなった後、これは黒くなっていたのです…。」

「…きっと、あの熊は…母が悪いものとなって、この世に現れたもの、だったのでしょう…。」

「…だから、人間を…暁さまを、襲ったのです。」

 暁はそれを聞いて、さっき聞こえてきた声の主に心当たりが付いた。

「…そうか…あれは、月夜のお母さんだったのか。」

「え…?」

「…実は…月夜の手当て、『声』が教えてくれたんだよ。」

 声?と聞き返してくる月夜に、その石を示してやった。

「その石が光って、声が聞こえてきたんだ。厳しそうな、でも頼れそうな…女の人の声だったよ。」

「…!」

 暁のその一言に、月夜は石を握って答える。

「…そう、ですか…お母さま、らしいです…暁、さま…?」

「ん?なんだ。」

 こちらに、と呼びかけられて、暁は寝そべる月夜の前に移る。と…

「…っ?」

 月夜から手を差し伸べられて、頬を撫でられる暁。

「痛かった、ですよね…?…ごめんなさい…。」

「そ、そんな大袈裟な…。」

「でも…ほら、こんなに熱くなっています…。」

「それは…。…と、とにかく、大丈夫だから…。」

「…ぁ。」

 月夜の手を頬から離そうと、触れた暁の手に、しかし月夜がぎゅうと捕まった。

「…つ、月夜…?」

「…暁さまの、お手…大きくて、温かくて…。」

「月、夜…。」

 やがて視線が結ばれる二人。

 しかし、ふと我に返った暁によって、それは手と共に解かれてしまって。

「ぁ…っ。」

「っほ、ほら…寝てなきゃ、ダメだろ…。」

「…そう…ですね…はい…。」

 どこか寂しげに離れた月夜は、元通りに布団の中へ潜る。

 その様子に、安心させようと暁が言う。

「俺さ、月夜が快復するまではここに居ようと思う。」

「え…でも…?」

「きっと、月夜のお母さんはそれが心配で俺の事、呼んだんだと思うんだ。」

 そう考えれば、合点がいった。

 母親が自分の娘を一人残して、心残りが無い筈が無い。

「呼んだ、って…暁さまがここに来たのは…。」

「あぁそうか、言って無かったな…俺、あの『声』に呼ばれて、この山に入ったんだ。」

「そ、それは…申し訳ありません、私の母のせいで…。」

「いや、良いんだ。…だからさ、やっぱり月夜の事、放ってはおけないから。」

 暁は、弱くなっていた囲炉裏にたき木をくべながら言った。

「ちゃんと、ここに居るから。」

「…暁さま…。」


 月夜が寝静まった後、暁は揺らめく火の傍で思案にふけっていた。

 本当に、自分がここに居るのは、月夜の怪我が快復するまでで良いんだろうか。

 それで自分は、心から納得するのだろうか。

 答えは、違っていた。

(出来る事なら、ずっと月夜の傍にいてやりたい)

 しかし、それは難しい事だった。

 たった今も心配しているであろう、村の皆はどうする?妹の陽は、慎たちは?

 暁の願いを叶えるには、とにかく一度帰らなければいけない事が最優先だった。

 それにまだ、その思いを月夜本人に伝えていない。

(あぁ、くそ)

 自分の優柔不断さに苛立つ暁。

 そんな考えが浮いては消えていく中、夜は更けていった。



 

「う…あぁっ…!」

「…月夜?どうした!?」

 その後、何日経っても熱にうなされる月夜に対し、暁は看病をしてやった。

 怪我の治療や食事の用意などをしているうちに、外の景色は一変した。

 ちらつく白は地面に降り積もり、気温は下がる一方だった。冬が始まっていたのだ。

 決断の時が、迫っていた。


「…暁、さま…。」

「どうした、月夜?」

 そんなある日の夜、包帯の替えを用意していた暁に、月夜が問いかけた。

「良いのですか…?暁さまは、そろそろ村に戻らなくてはいけないのでは…。」

「……。」

 暁は一瞬黙った後、努めて明るく振舞った。

「…良いんだ、大丈夫。」

 月夜に笑いかけて、彼女の横に座る。

「言ったろ?俺は、月夜が良くなるまで一緒に居るって。」

「でも…!それでは暁さまの帰りを待っている方々が…!」

「良いんだ。」

 暁は、もう心に決めていた。

「月夜。俺は君が好きだ。」

 突然の暁の告白に、月夜は呆気に取られてしまう

「…ぇ…。」

「だから。…一緒に居る。それじゃあ、だめか?」

「…そ、そんな、…ぁ…っ!?」

 ふらついた月夜の体を抱きとめ、…ぎゅっと、包み込む暁。

「ずっと、君を一人にさせたくないって思ってた。」

「あ、暁さ、ま…。」

「…俺じゃダメかな、月夜。」

「そ、それ、は…。」

 初めは強張っていた月夜の体が、少しずつ和らいでいった。

「…私も…暁さまの事…。」

 目を瞑った月夜が一言、溢す。

「…お慕い、しております…。」

「…月夜。」

 想いの通じ合った二人、今度こそ視線が結び合って。

 そして、そのまま…口づけをした。

「…、ずっと暁さまに、お伝えしたかった…この、暁さまと同じ、人の姿で…。」

「…はは…あの綺麗な孤の姿も、俺は好きだけど。」

「…も、もう…恥ずかしい事、言わないで下さい…。」

 照れ隠しの様に、月夜が胸に飛び込んできて、それをぎゅうと暁が抱きしめ返した。


 …いつしか二人は、同じ布団を掛け、囲炉裏に向き合いながら身を寄せ合っていた。

「初めは。」

「ん?」

「人間なんて、と助けようともしていませんでした。…初めて暁さまと、お会いした時。」

「?」

 要領を得られない暁に、柔和な微笑みを浮かべた月夜が答える。

「私は、これまでは殆ど狐の姿で過ごしてきたんです。最初、私の姿を見てはいませんでしたか?」

「…あ…あの時の、黒い影。」

「はい。」

「一応、会ってはいたんだな。あの時に。」

「そうですね。それからは暁さまに合わせて変化を繰り返していましたが…。」

「月光樹の実を取る時に、俺が見ちゃったってわけか。」

 こくり、と目を伏せて月夜が頷く。

「…あの、気味が悪くは、ありませんか…私のこと…?」

 その後、少し不安げに聞いた。

「月夜が?どうしてだ?」

「その、…狐と人の子、だと言う事に、です。」

 そんな質問に、今更なこととばかりに暁が答える。

「…狐の姿でも人の姿でも、俺と月夜の関係は変わらないだろ?」

「あ…は、はい…。」

 それに安心した月夜だったが、彼女にはまた新たな疑問も浮かんだようだった。

「?…暁さまと私の関係、って…?」

「…それは…。」

 その問いに、暁は一瞬言いあぐねた。が…

「…実は、さ。俺…月夜とずっと一緒に居たいと、思ってる。」

「!」

 その言葉に月夜も察したようで。

 暁が、月夜の肩を優しく引き寄せた。

「…月夜。俺と、夫婦(めおと)になって欲しい。」

「…っ。」

 その言葉を聞いた月夜は顔を伏せ、手元にあった暁の手を掴んで、握った。

「…月夜?」

「ダメ、ですっ…暁さまは、『それ』がどういう事になるのか、分かっていらっしゃいません…!」

「分かってるよ。」

「だって、私と一緒になると言う事は…!」

「この山から一生出られないって、事だろう?」

「だったら…!」

 顔を上げ訴える月夜に、暁は落ち着いた声で語りかけて。

「そんなの、俺は構わない。月夜をこのまま一人にしておきたくないんだ。」

「暁さま…。」

 月夜の目に涙が浮かんで、それが零れる前に月夜の手によって拭われた。

「っ、ばかです、貴方さまは…っ。」

 そんな月夜を、暁は抱きしめた。

「ぅ、…ぐす…っ。」

 泣く月夜を、暁が宥めてやる。

「…もう、寝ようか。夜も遅いし、な?」

「っ待って…下さい…。」

 布団を敷き直そうと立ち上がった暁の足に、月夜がすがった。

 …その目には、何か物欲しげな眼差しが含まれていて。暁は胸を密かに高鳴らせた。

「どうかしたのか、…月夜?」

「…暁、さま…。」

「あ、……。」

 視線が結ばれて、近づいて、口づけ合う二人。

 初めの触れるだけのものとは違う、求め合うような接吻だった。

「っは、ぁっ…」

「……月、夜。」

「暁さま…私…。」

 月夜が、着物の帯に手をかけ、緩く解いて。


「私…お情けを…頂戴、いただきたく…存じます…。」




 …その夜、二人は本当の意味で繋がり合った。




「暁さま、暁さま。」

「ん…月夜…?」

「やっと起きましたね、もう。朝食が出来上がりましたよ。」

「…え…?」

 気が付けば、もう日の光が家の中に差し込んでいた。

「月夜、もう大丈夫なのか?」

「何がですか?」

 可愛らしく小首を傾げる月夜の動きに、少し戸惑う暁。

「い、いや…体調とか、さ」

「はい。何だか今日は調子が良いんです。…さあ、どうぞ。」

「あ、ああ…。」

 囲炉裏を囲んで、朝食が運ばれた。

 そして向かい側に月夜が座って、言われるままに食べ始めた。


 朝食を食べながら、月夜は何気なく話し始めた。

「暁さま。」

「ん?」

「昨日の話の続きですが、…やっぱり、暁さまは、今日にでも家の方へ帰った方が良いと思います。」

「―――え。」

 そんな事を、さも何事でもないように言われて固まる暁。

「私の体調も快復した事ですし、暁さまの家族に心配をかけるわけにはいきませんからね。」

「っで、でも!急に、そんな…!」

「でも、じゃないです。元々そういう話だったではないですか?」

「…!」

 暁は、そう言われたら返すことが出来なかった。

「もう外には雪が積もり始めています。遅ければ遅いほど、帰るのが難しくなるでしょう?」

「だけど!月夜はそれで良いのか!?一人になっちゃうんだぞ!?」

「……。」

 思いの丈を強くぶつける暁。

 ―――しかし、月夜はただの一瞬顔を伏せたかと思うと、またにこやかに微笑んだ。

「…大丈夫。だって暁さまはまた、来てくれるのでしょう?」

 そんな事を言われ、暁は言葉を詰まらせてから、必死に返した。

「…月夜は…その間、耐えられるのか。」

「はい。」

「いつになるか、分からないんだぞ。それでも、良いのか。」

「…はい。」

「…そっか。」

 そこまで話してから、朝食をすませて、笑いかける暁。

「ごちそうさま。…じゃあ、用意を済ませるか!洗い物も手伝うよ。」

「は、…はい。」




「…忘れ物は、ありませんか?」

 帰り支度を済ませた暁に、月夜が訊く。

 戸の外に出ると、強い日差しが暁を照らした。

「ん…ああ、大丈夫。弓矢も、獲物も持ったよ。」

 ずっと家に置いてあった獲物の毛皮や牙なども担いで、後は返り道を行くだけ、という状態の暁。

「…玉石が白いままですから、恐らくもう母の悪霊は出ないと思います。心配せずにお帰り下さい。」

「わかった。色々食糧とかも貰って、ありがとな。」

「いいえ。…暁さま、これを…。」

 月夜が懐から何かを取り出した。…何かの入った竹筒、だった。

「これは…?」

「私の事を、簡単に妹の陽さまに向けて手紙にまとめました。帰ったら、お渡しください。」

「そ、そうなのか?悪いな。」

「…途中で開けて盗み見るなんて事、しないで下さいね?」

「わ、…わかったよ。」

 それを聞いて軽く微笑んだ後、ふっ、とまた顔を暗くした月夜。

「…暁さま。」

「え、なん、…わっ…!?」

「……っ。」

 暁に突然抱き着く月夜。その肩は、何故か震えていた。

「…ご無事でありますよう、願っています。暁さま…。」

「月夜…あぁ、君の方こそ…元気でな。」

「はい。」

「また、春になったら皆を連れて帰ってくるから。」

「…はい。」

「…またな。」

 ぎゅうと抱きしめてから、離す。月夜の肩の震えは、もう止まっていた。

「…暁さま、お元気で…。」

 再び願われて、後ろ髪を引かれながらも帰り道を一歩、暁は歩き出した。


「…どうか、どうか良き、道を…。」

 その最後の呟きは、彼には伝わらなかったが。




 帰り道は険しかったが、迷いはしなかった。

 一歩一歩を踏みしめるごとに、月夜から離れていくのを感じた…それだけが、重荷だった。


「―――兄さんっ!?」

「…っよ。今帰ったぞ、陽。」

 村に帰って、いの一番に家に戻ると、驚いた表情の妹の姿がそこにあった。

 当然だろう、結局三か月近く家を空けた兄の姿に、陽は涙ながらに駆け寄った。

 叱られ、恨み言をしこたま言われた後、陽は暁に泣きついたのだった。


「―――それで、どうしてこんなに帰るのが遅くなったの?」

「だから言ってるだろう、山に女の子がいて、その娘を看病して、…いや、されて、というか。」

「もう。兄さんの言っている事、よくわからないわよ。」

「だーかーら…お、そうだ。忘れる所だった!」

 その日の夜、山であったことを妹に話していた暁は、月夜から手紙を預かっていた事を思い出した。

「手紙?誰から?」

「その、お世話になった娘からさ。」

 月夜から貰った竹筒を、陽に手渡す。

「実はな、陽…俺、そこで会った娘に、求婚したんだ。」

「…えぇっ!?きゅ、求婚って…?」

「夫婦になろう、って言った。…愛してるんだ、その娘の事。」

「……はあぁ…。」

 陽は呆れたような、衝撃を受けたような微妙な声を絞り出し、その後暁の事を伏目がちに睨みつけた。

「…まぁ、兄さんだもの、多少の事は覚悟してたけど。」

「なんだそれ…。」

「じゃあこれは、私が読んで良いのね?…どれどれ…。」

 竹筒から手紙を取り出して、それを読みふける陽。

「なんて書いてあるんだ?」

「…兄さんが迷惑掛けたんだろうなー、って事、かな。」

「ええ…何だよ、気になるな。」

 内容を気にしつつも耐える暁に、更に手紙の先を読んでいった陽。

 …が、その目の動きがある所で止まったようだった。

「…え…。」

「どうした?」

「……。」

 暁にも返事をせずに、その手紙を最後まで読み進めて…陽が、眉をひそめた。

「兄さん、その人の事、迎えに行くって約束したの…?」

「あ、あぁ…春になったら、一緒に住もうと思ってるんだ。」

「……。」

 辛そうな顔をしながら、竹筒からもう一通の紙を取り出した。

「…なんだ、これ。」

「兄さんに向けて…月夜さんが書いた手紙だよ。」

「え…。」

 渡された手紙を広げると、そこには確かに『暁さまへ』と書かれていた…。




 暁さまへ。

 何と書き出せば良いか、迷っています。陽さまと違って、普通に話した事のある人に手紙を出すというのは、なかなか難しいものですね。

 先ずは、私が暁さまに嘘を付いた事について、謝らせて貰おうと思います。




 ごめんなさい、やはり私は、貴方さまの妻になることは出来ません。

 

 お母様に襲われ、怪我を負って暁さまに介抱して貰っている間、ずっと考えていました。私はやはり、あなた方人間とは、違う世界の生き物なのだと。

 住む環境も、生活のさまも、体のつくりだってまるで別で、一緒に居るのにはそれだけで難があるほどに、私と暁さまは違うのだと思いました。

 それだけではありません。

 もっと大きな隔たり――――『幻呪』の結界があります。




 『幻呪』の結界―――これには、暁さまにも説明していない、もう一つの性質があります。

 それは、結界外からそれを見るものに『幻』を見せる、という事です。

 例えば、『私』が『そこ』に確かに存在している、と言う事を理解していないものには、『私』を見る事が出来ない、というように。

 だから私は、暁さまが結界から出てしまう事をしないよう、注意していました。

 一度出てしまうと、感覚の優れていない『人間』である貴方さまは、私を認識できなくなるでしょうから。




 隠していて、ごめんなさい。


 暁さまに結界の事をお話しした時、そんな事は問題じゃないと直ぐに突っ撥ねて、私に求婚して下さいましたね。あの時は本当に、内心舞い上がってしまうくらいに嬉しかったです。

 でも、どうか思い直して下さい。

 暁さまには、陽さまを初めとした、皆々さまとの長く深い付き合ってこられた繋がりがあります。それは、簡単に捨てられるものでは無い筈です。

 その人達から、私が暁さまを奪い取って良いとは思えません。きっと皆、暁さまの事を必要な筈です。

 暁さまには、元々繋がりあっていたその関係の中で生きていくのが、一番良いのです。だから、私の事は気にせずにこれまでと同じ人生を歩んで欲しいのです。 


 陽さまにもお願いしましたが、危険を冒して私の所在を探すのはお止め下さいね?

 もう山から出てしまった暁さまを、私はもう連れ入れるなんて事は、するつもりはありません。


 分かっています。貴方さまがいま私の目の前に居たら凄く怒ると。そしてその後、そんな事関係ない、とあの時と同じように言ってくれるのだと思います。

 暁さま。暁さまは私が独りぼっちでいる事に、とても心を痛めていましたね。

 確かに、暁さまと出会った頃、私は独り孤独でした。それは、周りに誰も居ないというだけじゃなくて、誰とも分かり合える事が出来ないという考えを持っていたという意味も含めてです。

 家族はもう誰も居ませんでしたし、獣は狩り狩られるの関係でしかありません。人間なんてもってのほか、なんて思っていましたから。

 

 暁さまはそんな私に、他者との繋がりというものを教えてくれました。

 傍に居なくても信じあう絆を教えてくれました。

 真剣に向き合えば、分かり合うようになれるのだと信じさせてくれました。

 もう私は独りぼっちじゃありません。この心のなかに、皆さんと繋がっている、暁さまが在ります。

 だから、此処で生きていくのは私だけで充分。どうか、心配しないで下さい。


 どちらかというと、私は暁さまの方が心配です。

 あまり狩りに夢中になり過ぎて、逆に怪我を負うなんてしないようにして下さいね。

 子供みたいに無茶な事をして、周りを不安にさせないで下さいね。

 お人好しが過ぎて、いい様に人に使われ過ぎないよう気を付けて下さいね。

 山で迷って行き倒れないようにして下さいね、もう、私は助けてあげられないんですから。そんな事、想像するだけで死んでしまいそうになる位、悲しくなります。




 もう少しだけ注意しておきたい事があったのですが、もう夜明けが近いのでこの位にしておきます。また、起きてきた貴方さまに後ろから突然声をかけられると困ってしまいますから。

 暁時。新しい日が始まります。以前この時分は、静けさが無性に寂しくて布団に籠っていたというのに。人とは、変われば変われるものですね。 


 暁さま。

 貴方さまは、まわりの人を幸せに出来る方です。色んな人を、助ける事の出来る存在です。

 どうか壮健で。そして、他の皆さまと共に、幸せな道を歩み続けることができますように。


 

 

 さようなら。この狭い世界が全てだった私に、あなたの広い世界をおしえてくれてありがとう。

                                             月夜より

 



「……ッ!!」

「兄さん…っ!?」

 がばっと立ち上がり、家の出口へ走り出そうとする兄を、妹は腕を掴み止めた。

「ダメよ、どこへ行くつもりっ!?」

「離せっ!月夜の所に行くんだ、放っておけるかっ!!」

「兄さんッ!!」

「くそっ、馬鹿だ、俺…!こんな事にも気づけなかったなんて!!」

 止めようとする腕を振り払い、家の外へと飛び出そうとする暁。

 が、その目の前に男が立った。『暁が帰って来た』という一報を聞いてやって来た、妹の許婚である慎だった。

「うお…っ暁!?」

「慎、兄さんを止めてっ!!」

「どけ、慎っ!!」

「…ッ!?どこへ行くつもりだ暁、こんな夜更けに!!」

 慎に羽交い絞めにされて、暴れる暁。

「山に戻るんだッ!月夜の所にッ…!!」

「…兄さんッ。」

 ばしぃ、っ!

「っ!!」

 陽の手を頬に受け、暁の動きが止まった。

「…今行っちゃ危険なのくらい、兄さんにもわかるでしょう!?」

「…陽、でも…ッ!!」

「月夜さんに、手紙で頼まれたの。『こうなるだろう』って、言っていたから。だから…。」

 目に涙を溜めながら、暁を見て言った。

「…行かないで、兄さん…月夜さんの為にも…っ!!」

「陽…。」

 だらり、と暁の体から力が抜け、慎の腕から滑り落ちた。

「くそっ…!…っくっそおおぉ…!」


 …雪の積もる村に、暁の慟哭が鳴り響いた…。






 花がぽつぽつと咲いている野山に、日光に輝く金色の毛並みをした子狐が走っている。

 見る物全てが新鮮そうな、そのきらきらとした目には、一人近づいてくる女性の姿は映っていないようだった。

「―――(こん)、あまりお家から離れてはダメですよ?」

「…あっ、かあさま!」

 母の存在に気付いた子狐は、その周りをくるくる回り始めながら訊ねた。

「ねえねえ、あれはなあに、かあさま!」

「あれ?」

 ぴたっ、と動きを止めて母を見上げ、楽しそうに尻尾をゆらゆらさせながら。

「あの、ひらひらしてるの!」

「ああ…あれは蝶々、ですね。」

「ちょうちょ!わーい!」

 名前が分かって嬉しいのか、その黄色い蝶々と戯れる子狐。

「ふふ…じゃあ、私は家に戻ってご飯の用意をしていますからね。何かあったら大声で呼ぶんですよ。」

「はーい!」


 …暁さまと出会ってから、もう季節が五つも回り巡っていた。


 あれから、暁さまが言っていた不作の影響はこの山にも及び始め、獣や植物の実りは減少した。

 そして、月光樹もその例に漏れず、ゆっくりと力の衰えを見せていて。満月の夜にも、実がならない事が増えてきている。

 そのことから、朧気ながら分かった事があった。

 不作とは、お母さまがここから居なくなった事に始まりがあったのではないか、と。

 神子であるお母さまがそうでなくなった事、そして亡くなった事が、この地から力を失わせているのではないかと。

 こう考えるようになった時、つまりこれからの私たちの生活が苦しくなっていく事が約束されているようで、心が暗くなった。


「やったーっ、つーかまーえた!…あれっ?」

 でも、人生とは悪い事ばかり起こるわけじゃ無い。

 暁さまとの間に授かった私の娘、昏が産まれたことは、今まで生きてきた中でも暁さまと会えた事くらいに嬉しい出来事だった。

 …あれからあのひとは、どうしただろうか?

 たまに遠くから人の声が聞こえたりした時もあったが、それももう2、3年前の事になる。 

 ―――私の後を追う事を、諦めただろうか。

 そう、願わずにはいられなかった。まだあのひとが、私という存在に囚われてしまっているなどあってはならない。

 自由気ままに遊ぶあの子のように、新たな人生を歩んでいて欲しい。

 …もっとも、肝心の私がこれではいけないのだけれど。

 そうだ。今の私は、あの子と生きていければ、それで良いのだ。

 もう、独りぼっちじゃないのだから。

 

 さあ、あの子が遊んでいる間に、夕食を作らなくちゃ―――

 




「まてまてーっ、えいっ。」

 きいろいひらひらをおいかける。

 なんでだかわからないけど、それがたのしい!

 いつもはニンゲン?のみためでいるのに、このからだになってみるとうごくのがとってもたのしかった。

「?あれっ…。」

 …きがつくと、そこはいつもとはちがうトコロ。

 さっきまでとぜんぜんちがう、くらいもりだ。

 どうしよう、かあさまのいるトコロがわからなくなっちゃった。

「きゅーん。…?くんくん。」

 そうして、きがつく。このからだになると、ニオイがすごくよくわかった。 

 なーんだ、かあさまのにおいをこれでたどればいいんだ。

 ほっとしたら、なんだかむこうのほうからもっといいにおいがした。

「くんくん…こっち!」

 くらいもりのおくまで、たったかとはしる。

 すると、その『いいにおい』のするなにかをみつけた。

 やいた、おにくだ!

 がまんできなくて、ぼうにささったそれを、わたしはくちいっぱいにほおばった。

 おいしーい。

 けど、なんでこんなところにおにくがあるんだろう?

 そうおもったわたしのそばで、なにかがうごいた。

 はじめ、おっきなからだだったから、クマだとおもってびっくりして、とびはねた。

 でも、そのどうぶつは、わたしにこわいきもちをもっていないのがわかった。

 …ニンゲン?

 それは、みたこともないどうぶつだったけどかあさまにどこかそっくりだった。 

 それに…かあさまみたいにあったかくて、いいニオイだった。

「―――あなた、だあれ?」




「…昏?どこに行ったの?」

 夕暮れ時になっても、あの子が戻って来ていない事に気がついて、私は辺りを見回した。

 咄嗟に狐の姿に変化し、強い嗅覚であの子の匂いを辿った。

 ―――いけない。結界の外に出かかっている。

 一声遠吠えをし、あの子を呼び寄せた。

 すると、昏は慌てたその顔を、すぐに飛んできて私のもとに見せてくれた。

 私は安心して変化を解き、人間の姿になってあの子を迎えた。

「昏!…だめでしょう、あんまり遠くに行っちゃ!」

 昏はきゅーん、と一鳴きすると、尻尾を下げて下を向いた。『ごめんなさい』の意味だ。

「全くもう…さあ、ご飯にしましょうか。」

 この件はこれでおしまい、と笑みを浮かべる私に、昏は何かを言いたがっているようだった。

「…昏…?…っ。」

 びゅう、と風が、彼岸花の花びらを運んだ。

 その色は、あの母の一件以来、何故か変わった真白な色。




 ―――視線は、自然とそちらに向いていた。


「…昏っていうのか。…可愛い、良い名前だな。」

「―――」


 …信じられなかった。

 その、目の前の光景が。


「えへへ、うんっ!かあさまがつけてくれたんだよっ。」

「あはは、そっか。」

 その人に、変化を解いたあの子が駆け寄る。

 まるでずっと一緒に居たかの様に、自然な、親と子の姿の様に。


―――神のきまぐれか、あるいは二人を繋ぐ強固な縁とでもいうのか。

狐の一族にかけられた結界と、『幻呪』の結界は、破られた。昏の中の血―――『妖狐の血』が薄まる事によって。


「…どうして―――」


 やっとの思いで口から出た言葉は、それだけで。


「約束。」

「ぇ―――」

「ごめんな、五年もかかっちまった。」


 その方は、以前と全く変わらない微笑みを、私にくれた。




「…これからは、俺と、この子と。ずっと一緒に、いてくれるよな。…月夜。」

「―――っ、暁、さまぁっ…!!」


 ―――わたしは、駆け寄った。


 愛しく焦がれた、その人の許に――― 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ