最終話
「妃殿下ー!ツムギ様ー!」
筆頭騎士の声に、顔を上げる。紙に息を吹き掛けてインクを乾かしながら、紬喜は返事をした。
「ルート、そんな大声出さないで」
「またこんな所に…………どうして部屋に居ないんです?いい加減、その放浪癖を直して下さい」
げっそりしたルートは、白銀の髪に包まれる頭を抱えた。彼は高い位置のポニーテールが似合う、赤目の青年だ。小言の多い事が玉に傷で、今もぶつぶつ文句を言っている。紬喜はそんなルートを横目に、さっさと歩き始めた。
部屋は広いし明るいし、家具も好みの物で申し分無い場所だった。しかし青陶器が居るから一人にはなれない…………紬喜はその自室を得て数十年経った今でも、一人の時間を求めて広い宮殿を歩き回る。それが放浪癖と言われる由縁だ。
「ツムギ様、先に行かないで下さいよ!」
「クリスの準備が出来たんでしょう?何時もの部屋?」
「そうです…………」
ルートは騎士にしては細身で、年齢も私より若い正真正銘の年下男子だ。見た目通りの性格に、何とも言えない安心感がある。この国の大人達は、二十歳ほどの外見で数百年を生きていく。見た目通りの中身と思ってかかると、確実に痛い目を見るのだ。
「ルートは、このままヒヨッ子でいて欲しいよ」
「あんまりですっ!」
彼をからかいながら歩くと、前からアルフレートがやって来た。黒を基調とした衣装に、クリスの側近を示す薄紫のタイ。白銀の髪をさらりと揺らし、赤い瞳が甘く微笑む。
「紬喜様、殿下がお待ちですよ」
「うん、アルフレートさんも探してくれたの?」
「ルートに任せたら、日が落ちてしまいます」
「ルートは迷子になるもんね」
「聞こえない!僕は何も聞こえない!!」
クスクス笑うと、赤い顔で睨まれた。迷子になるのは事実だ、諦めたまえ。紬喜は自身の過去を棚上げし、黙ってアルフレートの先導を受ける。
今日は特別な日だった。
手に持つ一枚の紙は、職人に作らせた透かし花のハガキ。裏面の半分に絵師の描いた新たな家族の肖像画と、日本語で一文を書き添えてある。表面は切手の代わりに、料金別納郵便の文字と自宅の住所。こうすれば、このハガキは差出人の手元に戻る。懐かしい自宅に。
「紬喜、あまりルートを困らせてはいけないよ?」
笑いを含んだまま窘めてくるクリスに、説得力は皆無だ。私が鍛えてるんですよ、そう言ってハガキを渡す。クリスはそのハガキを見詰めて、本当にこれで良いのかと聞いた。
「私は、これで充分だよ」
ヴァスカディアに来て三十年。クリスは私が人だった時の物…………切った髪を使って、日本との性質制限付き移転魔法陣を完成させた。この国では、質量制限や魔力量制限といった数種類の移転魔法が存在する。性質制限にしたのは、生物の転移予防と、その閉じやすさが理由だ。
この魔法陣は、幸か不幸かポストの中に繋がっている。私のハガキと此方に召喚してしまった手紙を送り、今日この陣を閉じるのだ。それで二つの世界は、完全に干渉が出来なくなる。
「じゃあ、始めようか」
クリスの声に頷いて、魔力供給の補助をすべく差し出された手に手を重ねる。すかさず絡む指に思わず見上げれば、水色の瞳が静に見下ろしていた。
「紬喜」
低い声音が名前を呼んで、視線に想いが込められる。爽やかな空色は急速に熱を孕み、何かを言いかけた唇を一瞬で奪った。
「ハガキにあんなことを書くなんて」
「えっ!」
日本語読めるの!?頭の中が真っ白になる。彼なら、それくらい出来てしまいそうだ。慌てた紬喜に、クリスは笑みを深めた。それが手紙を読まれた羞恥心をより煽る。
「私が、私が、幸せだって分かって貰うには!」
思わず叫んだ紬喜は、みるみる赤くなって言い訳を始めた。
「愛する人と幸せな家庭を築いていますって、書くのが一番なんですよ!異世界生まれの孫に期待して下さいって!!」
「…………そんな事書いたの?」
「え?」
絡んでいた指が手首を掴み、ふわりと抱きしめられた。視界の隅で、アルフレートに引き摺られたルートが部屋から出されていくのが見える。
待って!今、二人にしないで!!
「クリス!」
「子どもを期待されているなんて、初耳だな」
「そっ、そういう事は!」
「ベッドの中で話したい?」
「ちちちがぁ!」
抵抗は虚しいものだ。紬喜はそれをよく知っていた。この腕の中に囚われたら最後、逃げられた試しが無い。頬に添えられた手が顎にかかり、顔を上げさせられる。口付けが額に落ちて、思わず閉じた瞼にも柔らかく触れた。そのまま頬を辿り、唇が重なる。どこまでも優しくしているのに、腕の中で紬喜は僅かに強ばった。
何時まで経っても、慣れない。
その様子に、クリスは妙な恥ずかしさを覚えた。ここで目を開けば、紬喜は見た事がない照れている夫を拝めただろう。けれど何時も、一枚上手なのは彼だった。角度を変えて深く口付ければ、彼女の瞳がより硬く閉じられていく。緩やかに甘やかし、時より深く貪って、呼吸と喘ぎが交ざり合う。
「紬喜」
弱々しく開く瞳が、欲を宿して見えるようでは重症だ。クリスは、その目が見えないように、胸にしっかりと抱き込んだ。紬喜が甘く痺れた唇で、彼の名を呼ぶ。舌っ足らずな言葉は、煽るだけだと何故気付かないのか。
何時になく長い口付け。それに抗議しようとして、紬喜は段々と諦めた。くすぐったいような、優しいキスの方が好きだ。なのに気を抜くと、境界線を越えて中まで押し入って来る。来ないで、と言えない状況で翻弄されるしかない自分が、何より恥ずかしくて苦手だった。
その拗ねた様子が、年下の女性をより幼く見せる。
「可愛いよ紬喜」
小さく笑いながら言われた。彼女の無自覚と無防備は、一向に直らない。クリスは抱き寄せたまま指と指を絡め直し、魔法陣を起動する。同じ魔力が溶け合い、一切の抵抗も起こさずに陣を満たしていく。
クリスは容赦が無くて意地悪もするけれど、約束を必ず守ってくれる。だから紬喜は、此処でこれ以上されないと安心してすり寄った。服越しに感じるぬくもり、それがほっと出来て好きだ。すっぽり収まる腕の中も。すき。
幸せと恥ずかしさは、仲良しだ。
彼の背に腕を回し、湧き上がる愛しさに笑みが零れた。私は変わらず元気です。幸せに生きています。だからハガキにそれを込めた。
淡い紫色に染まる魔法陣の傍らで、紬喜は最後の一文を口にする。
「愛する、二人の幸せを願って」
最後までお付き合い下さり
ありがとうございました。




