ひどい! 私のこと好きじゃないの!?
8年ほど前の私はお姉ちゃんとともに病院で生活をしていた。
お姉ちゃんについていただけなのか、私も入院してたのかよくわからないけど。
実は私、シェアハウスに来る前の記憶がかなりぼんやりしている。
お姉ちゃん以外の家族の顔は知らないし、そもそも話にあがったこともない。
今思えば不思議なもので、誰もそのことに触れない。
気を遣ってもらってたのかも知れないけど。
なんかお姉ちゃんと病院以外の場所で一緒に暮らしていたはずなんだけどなぁ。
その場所が思い出せそうになると、霧がかかったようにまた見えなくなる。
最近までお姉ちゃんのことすらあまり思い出せなかった。
でも本人に再会できたおかげか、鍵が外れたかのように記憶が戻ってきた。
記憶って怖いよね。
覚えていなかったら体験したこともなかったことになっちゃうんだから。
思い出した部分で言うと、私はお姉ちゃんのいる部屋を中心に生活していた。
あの時の私はお姉ちゃんがすべてだった。
毎日お姉ちゃんのベッドで寝てたと思う。
そんなある日のこと。
検査か何かで、お姉ちゃんが看護婦さんに連れられて部屋を出ていった。
ひとりになった私は部屋を出て探検を始めたのだった。
お姉ちゃんの部屋から下の階はよく行くけど、上には行ったことなかった。
建物が4階建てで今が3階だから1つ上があるはず。
でもいつも使う階段はこの階までしか上がってこれない。
私は他に階段がないか探して歩くことにした。
しかし見つからない。
かわりに不思議な扉を発見した。
その扉は私が触れるとゆっくりと開いていった。
中はエレベーターになっていた。
そこにボタンらしきものはない。
私はただ上に行きたいと願っていた。
そのおかげかどうかわからないけど、扉が閉まり、エレベーターは上にむかって動き出した。
扉が開くと、別の世界が広がっていた。
そこは病院などではなく人が住むような場所で、まるで豪華なホテルみたいに見えた。
長く伸びた廊下を歩いていくと、しばらくして少しだけ開いたままになっている扉があった。
何かに導かれるかのように、何のためらいもなく部屋の中に足を踏み入れた。
そこで私はひとりの女の子と出会った。
なぜかはわからないけど、まるで天使のように思えた。
今思えば、それはひとめぼれだったのかもしれない。
その子はベッドの上からボーっと外を眺めていた。
私はただ部屋の入り口で固まっていた。
そしてようやく彼女は私の存在に気づいた。
私を見た瞬間、目を丸くし、そしてやわらかく笑いかけてくれた。
見た目からすると同い年か、少し年下くらいだろうか。
お姉ちゃんや看護婦さんばかりと話していた私には年の近い友達がいなかった。
この子と仲良くなりたい。
そう思い、私は女の子の元に歩み寄った。
それからはその子に頻繁に会いに行くようになっていた。
「お姉ちゃん、ちょっと遊んでくるね」
「はいはい、走ったりしちゃダメよ」
「は~い!」
「5時までに戻ってくるのよ~」
「は~い!」
私はお姉ちゃんに手を振って部屋を出た。
3時におやつをもらって、それを持ってあの子のところへ。
そして5時になったらお姉ちゃんのところに戻る。
それが私の日常になっていた。
「こんにちは~」
あいさつをしながら女の子の部屋に入る。
いつものようにボーっと窓の外を眺めていた女の子。
私が来ると小さく手を振ってニコッと笑ってくれる。
私はこの子のことを詳しく知らないし、知ろうともしなかった。
だけどこの子の中で私は特別な存在なんじゃないかと期待していた。
お互いに惹かれ合っていると勝手に思っていた。
別にそれが私の勘違いだったとかそういうわけじゃない。
だって確かめたりなんかしなかったから。
そんなことはどっちだってよかったから。
私はこの子と過ごす、この少しの時間が好き。
ただそれだけだった。
「今日のおやつは君の好きな、ホイップクリームの入ったどら焼きだよ」
「やったー!」
おやつを見せると目を輝かせ喜んでいる。
お姉ちゃんにお友達ができたという話をしたら、毎回おやつを持たせてくれるようになった。
その中で一番この子が好きと言ったのがこのどら焼きだった。
この辺りでは人気のお店のものらしくあまり手に入らないと言っていた。
でもこの子はこのお店のものが特にお気に入りらしい。
なのでお姉ちゃんはたまにどこからか手に入れてくれるのだ。
ちなみに私の好きなおやつはあんこ入りのシュークリームだよ、お姉ちゃん。
おやつの後はマンガや本を読んだり、ゲームをしたりして過ごす。
これもお姉ちゃんが渡してくれたものばかりだけど。
それを帰る時間まで楽しんでいた。
ただこの日は少し違った。
隣で女の子は顔を赤くしてモジモジとしていた。
「どうかした? もしかして具合悪い?」
「ううん、違うの、あのね」
なんかマンガで読んだような展開に似てるなと思った。
するとまさにその通りの言葉が出てきた。
「お兄ちゃん、私のこと好き?」
「え?」
ただちょっと私たちの状況とは合ってない。
「お兄ちゃんって誰?」
「あなたのことよ」
いや、私女の子だよ?
あれ? そうだよね?
「あのね、好きな人と一緒にいるとうれしくなるって、マンガに出てくるでしょ?」
「うん、そうだね」
お姉ちゃんの渡してくるマンガやゲームはそういったものが多い。
私が帰った後もこの子は気に入ったマンガを読み返しているようだった。
「私ね、あなたといると楽しいし、遊びに来てくれるとうれしい」
「それは私もだけど、なんでお兄ちゃん?」
「だって恋って男女でするんでしょ?」
「みたいだね」
マンガやゲームではそう描かれている。
私たちはそれ以外のことは知らなかった。
「私は女の子だから、あなたは男の子ということになるじゃない?」
「いや、ならないよ」
「ひどい! 私のこと好きじゃないの!?」
ええ~、なんでそんな話に……。
「別に好きなら女の子同士でもいいんじゃないの?」
「だ~め、お兄ちゃんはお兄ちゃんです!」
「そんなぁ……」
その時、この子の枕の隣に一冊のマンガが置いてあるのを見つけた。
あれは兄妹での恋愛のお話だったような……。
つまりはそういうことだ。
「お兄ちゃんはやめてよ」
「む~」
かわいくむくれている。
でもダメ。
「私には姫百合かなでという名前があるんだから、ちゃんと名前で呼んでね」
そこで私は初めて自分が名前を教えたことに気づく。
そしてこの子の名前を聞いてなかったことにも。
よく今まで気づかなかったなぁ。
「そういえば君の名前は何て言うの?」
「え?」
女の子はキョトンとしてから「あっ!」となった。
なんだ教えたつもりだったのか。
「私の名前はね……」
初めて聞くこの子の名前は……。
「私の名前は、神田いろはだよ、お兄ちゃん♪」




