#046 Langsam
連絡用に、と父がスマホを買ってきました。もともと非常な心配症であることもあって「連絡がきたらどうしよう」と思っているところ、大学の講義中に着信音。緊急を要するものであるとすれば、父が倒れたか母が事故か、そんなことを思っていたら。
メーカーでした。ここまで真剣な殺意はなかなか持てるものではない、貴重な経験ですね。電話会社に殺意をたぎらせつつお送りいたします。
どうぞ。
ミサの心持ちは、お世辞にも明るいものではなかった。というより迷いや悩みが混沌と渦巻く、枯葉やごみを巻き込んだ竜巻のようなものが彼女の現在の心情である。
ずっと近しい相手だったから好きになる。それはいけないことだろうか。一定以上の強さの結びつきがあればそれは好意に変わる、そう思ってはならないのか。そもそもの家族は愛情で結ばれているはずだ。その愛情が恋に変わる、それではだめなのだろうか。
近親相姦と言う言葉は、この場合成立しない。
家族全員が赤の他人だ。極論してしまえば、両親が夫婦でなくなればそれと結ばれることもできないことではなく、そして手続きさえ踏めばきょうだいと結婚することも不可能ではない。そういう状態なのである。遺伝学上のつながりは皆無だ。
法律がそれを縛るとしても、事実上それは無効化されていると言える。
と、すれば。
やはり伊吹俊御と伊吹美沙が結ばれることは可能なのだ。ずっとそう思っていたし彼自身も美沙に対して好意を抱いていないはずはない。そのような前提で伊吹俊御と伊吹美沙の人生は進んできた。きた、のだ。
そこにリセイという人間が割り込んできた。
兄がいまひとつ分からず迷っているのを尻目に、美沙はとっくの昔に、というより出会った瞬間にこの人物が女性であることを見抜いていた。現実を調べるまでもない。好意を持っている態度や様子から見れば、それは女性のものだと知れる。男性からすれば不可解な事実だが、いわゆる女の勘というものなのだろう。
伊吹俊御が、もしもリセイを選んだら?
彼女の頭はそれでいっぱいだった、わけではない。
その場合は諦めねばならないのだ。諦める理由を探すために彼女は必死だった。
恋でない可能性はないか。男性として好きなのではなく兄として好きなのではないか。思春期の幻想なのではないか。兄に期待しすぎているのではないか。いずれ幻滅する日が来るか。
種々雑多の悩みと迷いを巻き込んだ竜巻は、やはり晴れなかった。
リセイが魅力的でなかった場合、万が一にもないとは思われるものの男性だった場合、リセイが選ばれることはない。だが労せずして良い知らせを期待するほど愚かしいことはないものである。
(お兄ちゃんの好みどストライクだったらどうしよう……)
兄の保存しているエロ画像、萌え画像を統計学的に分析すると、伊吹俊御の好みは巨乳の髪の長い華やかな雰囲気を持つ女性である。黒髪であればなおよい。
(貧乳で茶髪ショートカットのけばいくらい派手な不美人だったらいいな)
可能性として否定はできない。
だが女性の体そのものにコンプレックスを持っているのではないか、と兄に分析される人物の体は、おそらく必要以上に女性らしい外見であろう。要するに兄の好みどストライクである。分が悪いことこの上ない。
(……可愛くない人とか……)
それは、それだけは有り得る。巨乳で髪が長くて華やかだがちっとも可愛くないとかむかつくような性格をしているとか、それはあるかもしれない。あとは兄の好みの顔でないとか、人を見るとからかいたくなる性格だとか。かわいげがないと言う意味なら、いくらでもいることだろう。
インターネットの向こう側だ、彼女の人格さえうかがう方法はない。ましてや彼女の容姿を気にして何になると言うのだろうか。それが嫉妬だとしても、嫉妬するほどのことではないかもしれないのだ。もしかしてリセイはただの女の子だったら、そう思えばミサは少しだけ楽な気分になれた。
(たぶん大外れだけど)
今の時点でこれだ。
後になれば、鎬を削るライバルになるに違いない。
◇
まず彼らが理解したのは、この機械は少々扱いが難しいということだった。VRIDこと仮想空間現実感覚化機械装置には何重ものセキュリティーシステムが仕掛けられており、一つでも潜り抜けることができなければ即座に罠にはまる。結果がこれだ。
『隊長、もはや意思を挫かれた者しかおりません』
『昔から日本製品は優れているのがスタンダードだったが…… ここまで来ると狂気すら感じないではいられないな』
購入前から住所と氏名と電話番号の控えを作らせる念の入れようだ。指紋と掌紋と脳波を個人認証し、それだけは簡易申請ですませられるものの、それ以外はすべてかわすことができない。住所と氏名と電話番号の控えはすぐに確認され、もしも本当のことを書いていなかった場合は書き直しになるか帰されるかどちらかになった。
アプリケーション購入の際も万が一不正を感知すれば即座に凄惨処刑に移る。脳波も掌紋も指紋も、少しでも違えば即座に警告が鳴り響き確認に入る。事前に登録したものでなかった場合はパニッシュメントが待っていた。
『私がやる』
『ぼ、ボス! それはあまりにも危険です! ボスまでもが意志を失えば……』
『思い出せ。我々の資金力は、十万日本円を惜しむほどのものか?』
『いえ、一千万日本円でも使えます』
そう大きな集団ではないが、裏のつながりや不労収入を得るところはある。それを考えると安定した収入は十分にある。大型のミサイルを買っても余る金額だ。
『思い出すのだ。我々は未だ社会的に認知されていない存在だ。そうだな?』
『はい、ボス』
彼ら自身は、危険な思想を「育てている」に過ぎない。彼らを危険因子とみなすのはごくごく一部のジャーナリストや専門家のみであり、あえて活動しないことによってその警戒すらも弱めている。また、犯行声明を出さなければ念入りな調査がない限り彼らは捜査線に浮かび上がってこない。彼らは完璧なテロリスト集団だった。
『では、現住所を使ったところで何の問題もない。そうだな?』
『……危険です、ボス』
『人間存在ダニエル・フロードとしての住所はそこだ。だが社会の救世主である我々、ただのインターネット・カルト集団と目される「サイバーセイヴァー」のボスである私の住所はそこではない。日本国内でしか使えない機械? だったら日本で使えばよい』
『具体的な方法としては、どのようになされるのですか』
数人をプレイヤーとしてアウルムオンラインに潜伏させる。そのうえで内外から破壊工作を行い、プレイヤーをゲーム内部に閉じ込めたり、高度な防壁を突破するノウハウを奪取したりできる。ゲームだと言うので馬鹿にされがちだが、このゲームにおけるノンプレイヤー・キャラクターの現実の人間に対する対応、ほかコンピュータ・グラフィクスのモデリングや言語を適切にまとめる能力、それらは明らかに異常な水準に達している。
『日本人はやはり頭がいかれているとしか思えないな。ここまで協力するとは』
『ここまでの企業が手を組むとは……。夢は金になる、とは言いますが』
昔から夢見られてきた仮想空間の実現である。莫大な収入を見込んで膨大な予算がつぎ込まれ、それらは完成した。当然のように無限にも近い収入がもたらされ、またあまり関係ないところや直接の関係を持たないところにも臨時的に大きな収入を記録させる。
当然、医療用としてもそれは大きな数字を叩き出した。視聴覚補助デバイス、精神疾患に罹患した患者のためのデバイス、薬物中毒者のための正常な脳機能を取り戻させるデバイス。革新的、かつ他のどこにも真似することができないものが大量に生み出されたのである。これらは争いのもととなることもなく、輸出されても模倣不可能なものであった。
夢を利用すると言う汚いところにおいて、日本は非常に優れている。諸外国の模倣ではあるものの、文化の形態によく似合ったものを作り出す点は、素晴らしいの一言だ。
『コンカツやナロウを見れば分かることだ』
『それもそうですね』
日本人の作ったものだが、外国人が使ってはいけないという法はない。
外国から提供された技術は、少し使われているのだろう。であれば、その恩を取り立てて問題はないのだ。
『私に付いてくると言うものはいるか?』
『はい!』
これは伏流だ。ひとたび隠れ、そして。
いずこからか噴き出す。その地点を予測できるものはいない――
――はずだった。
◇
物思いに沈んでいる感じのミサや超絶ニコニコしているリセイをほっぽって、俺は四苦八苦していた。俺は俺で事情があるのだ。ミサの悩みは後で聞くし、リセイおいにやにやしすぎだろと後でからかうつもりではいるが、今は忙しい。そのうちにミサは仲間と狩りに行って、リセイは待っているが、浮かない顔になっていた。
あんまり効果を盛りすぎると重複している箇所が弱くなったりすることが確認できた投げ武器に塗る毒だが、例の投げナイフさんとしてはできるだけ物理と異常を両立したいと思っている。ということはまだまだ試行が続くわけで、もう疲れたぁとかやってらんねーよおいとか言うことは言えないわけだ。
少しずつHPゲージを削り、最大で二割削ると効果が切れる「毒」。呪術によりちょうどダメージが通りやすいくらいの硬さになってしまう「防御力ダウン」。
これらを一緒に扱うことはできるが、毒と猛毒とか、そういう無茶なやり方は無理らしい。ところが麻痺と睡眠と猛毒というめちゃくちゃなものは可能だったり、視覚鈍化と移動速度低下と攻撃力ダウンと出血という若干盛りすぎなものも作ることができたりした。だがこれらが実際に有効なのか、というより、全部の効果がきちんと現れるのかということはまだ実験もしていない。
「にしても、さっきのはなかなか良心的だったよな」
「そこそこまともな人が増えて来たってことです」
「そうか? バカも増えてると思うけどな」
「それは否定できませんけどね」
やっぱりかよ。
「あのお店はごく普通の人がやってるお店なので、俗っぽいところはあんまりありませんよね。ゲーマーには矜持があるので、どうしても価格を不自然に吊り上げてしまうんですよ。相場や取引のプロならもうちょっと話は違うんでしょうけどね」
「もうちょっと商売のうまいやつはいないのか?」
それを聞いたリセイはまたむっとした顔になった。
「まーた無自覚なこと言ってますね。これからのこのゲームの商売は、どれだけ商品に価値があるか、じゃなくなりますよ。むしろアフターサービスとか売ってる人の人柄が重要になってきます。そう言う意味ではゼルムさん、あなたは人柄も品質も兼ね備えてる人なんですよ。もちろんあなたが基準だから、ってことですけど」
俺が基準とはどういうことだろう、と言う顔をすると、察したのかリセイが続ける。
「もともと強気な値段か弱気な値段、これらが普通だったんです。もしくはオークションですね。性能がどうだろうと、どっちも信用ならないです。このままだとデフレかインフレのどっちかだったんでしょうけど、あなたがちょっと乱暴に防いでくれたんですよ。売り手と買い手、双方の意識改革です」
安かろう悪かろうというつながった一つの言葉がある。
どういうことか真に理解してるわけじゃないが、つまり安くせざるを得ないようなゴミを売っているようなやつは商売をやめろということじゃないだろうか。極端に安いものにいいものはないのだ。
高価なものは大体いいものだが、詐欺もある。不当な値段を付けることができるこのゲームだから、スキルで鑑定でもしないと元の値段を判断する方法はない。おまけに作ったプレイヤー以外はどうやっても材料を調べられないので、原価も分からなかった。もちろん製作者がメモしている可能性も少ないし、俺自身、投げ武器のレシピは単純すぎるのでメモしていない。公開されているレシピにのっとって作ったものはそう書いてあるはずだし非公開のものはそう書いている。
「あ、確かに良心的にやってるかもな」
「まあ、自分で思ってる人も少ないですからね」
「そんなに自信過剰じゃねえよ」
自画自賛にもほどがあるだろう。ちょっと冗談で言ってみただけのことだ。
「毒はそれなりにできたけど、時間が遅いな」
「日曜日にしますか?」
「つながりのあること言え」
「土曜日がいいですか? あ、一緒に戦います?」
つながりがない。言葉と言葉の間がめちゃくちゃに空きすぎている。
「リセイ、大丈夫か? 精神状態いかれてないだろうな」
「だいじょぶですよ。ストレス溜まってるだけです」
「大丈夫じゃねえよそりゃ」
それはダメだ。
「どういう感じのやつだ」
「うーん、人間関係ですかね」
リアル事情なんぞ知ったことじゃないが、ふわふわしたことくらい言える。
「あんまし病んでるのはまずいぞ。言えることあったら言えよ、聞くぜ」
「むう。有名人すぎてめんどくさいんですよ」
「それ、俺と一緒だろ」
「ゼルムさんのはゲーム内でしょ。リアルめんどくさいのはいやです」
「どういう事情だよ、言ってみろ」
リセイは押し黙った。黙って言おうとしないので、俺はしばらく待つ。毒作りの待ち時間が長すぎて仲間たちと狩りに行っていたミサが、俺がリセイの言葉を待つうちに戻ってきた。つまりそれくらいリセイは黙ったままだったのだ。
「笑いませんよね?」
唐突に切り出されたそれがどういう意味を持つのか、俺は考えた。
それと同時に、俺はリセイがえらく自信なさそうな表情なのに気付く。これまではリセイはわりと自信たっぷりなやつだったし、人をからかうのが趣味だとでも言いたげなにやにや笑いを浮かべているのがいつもの様子だ。
答え方を工夫している場合じゃないな。
「他人のこと笑えるほど高級な人生送ってねえよ」
「そうですか……」
リセイの表情は、ちっとも明るくならない。
「リセイさん。そんなにつらいことですか」
ミサが言っても、抵抗する言葉を発しすらしなかった。
「自分でまいた種なんですけどね。きちんと挨拶してたら、知らない間に街中から顔を覚えられてて、挨拶しないわけにはいかなくなったんです。友達もいっぱいできて、知り合いもたくさんいて、いいんですけど……。なんだか、不満に思うようになってしまって」
「確かにめんどくせえな」
真面目なやつと言うのは生きにくいんだろう。もっとも本人が真面目にやっているからそうなったのであって他人に責任がないことを分かっているだけましだ。
「そんじゃ、明日はゲームな。それからしあさっての日曜日は石民で待ち合わせ」
励まそうと思ったわけではなかったが、リセイはぱっと顔を輝かせる。
「はい。時間もあれですし、今日はこれで」
リセイがログアウトしたのを見て、俺はログアウトした。
用語解説
「VRID」
Virtual-Reality Incarnating Deviceの略。意訳として「仮想空間現実感覚化機械装置」という言葉があてられる。キャッチコピーとしては「魂の飛翔」という言葉が頻繁に用いられている。
神経に接続して意識の一部を読みとり、それらを機械の操作に結びつける技術の応用として開発されたものであり、通常の人間が使用する目的には適していないと言ってもよい。おもに「ものが持てる義手」の操作を行うためにインプラントされた神経接続を、抵抗力や体力の問題で埋め込み手術が行えない人にも使えるようにと開発されたものである。
外科処置なしで複雑な機械の操作を簡単にしたりすることができるため非常に有用なものとされる。しかしセットアップを自動で行う機能について、セキュリティーを自動的に突破してしまうため、悪事に利用されはしまいかと危ぶまれている。




