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夜叉の恋  作者: 皐月 綾香
夜叉の恋
9/11

八 数日

 

 巨大な影に、月明かりに照らされた小さな影が掻き消された。

 大きな目を見開いて空を仰ぐ。

 悲鳴よりも前に振り下ろされた巨大な拳が地を裂き、間一髪で避けたものの、羽根のように軽い体は簡単に吹き飛ばされ転がった。

 それを狙っていたかのようにギラリ、爛々と輝く鬼の目が眼下の獲物を見下ろし笑った。


「……子供……鬼ノ加護、受ケタ人間ノ娘……」


 唸るように呟き、瞬間。


「喰ワセロ!!」


 拳が振り下ろされた。

 そして。


「失せろ」


 私の目の前で只の肉塊と化した鬼に、人の子は言った。


「今日の鬼は喋ったね。静さん」


 暢気に首を傾げて見上げるその頭に手を置き、


「そうだな」


 小さく笑う。

 命知らずの愚かな鬼の事など過去の事と言わんばかりに、血腥いその場から特に感慨もなく離れる──つもりだったが。

 徐に私の傍から離れたと思えば、キョロキョロと辺りを見回し何かを見つけたなづきは、その場にしゃがみ込んで手を出した。

 そして立ち上がったなづきは再び私の許へ戻って来ると、にっこりと笑って通り過ぎた。

 その手には名もないような野の花が一輪。

 小さな足を肉塊が浮かぶ血の海の前で止めると、しゃがみ込み、手を合わせた。

 足下には先程摘んだばかりの野の花。

 その様子を一頻り眺めた後、私は目を逸らすように空を仰いだ。

 目を閉じれば、好ましい夜の匂い。

 そして──血と、死の臭い。

 その中に混じる不似合いな人の子の匂いは、まるで日溜まりのようでありながら、すっかり慣れた私の鼻にはまるで空気のように馴染んでいた。

 やがて小さな足音が近付いてくる。

 満足げな笑顔を確かめて、私は漸くその場を離れた。


 たかが鬼の命。

 されど鬼の命。


 例えそれが自分を殺めようとした鬼だとしても慈悲を掛ける人の子の命に、殺めた鬼は慈悲など掛けはしないだろうに。


 何処までも優しく愚かな娘。

 人間らしい人間。

 それがなづき──私が拾った氷鷺の忘れ形見だ。





 「ねぇねぇ、静さん。静さんってば!」


 目の前に、いつの間にか膨れっ面のなづきがいた。

 どうやら私は暫くの間呆けてしまっていたらしい。

 柔らかそうな頬一杯に空気を溜めたそこをつついて空気を出してやると、私は「何だ?」と詫びるように訊ねた。

 すると益々膨れてしまったなづき。

 折角空気を出してやったというのに──


「何だ?じゃないよ! こっちは何で?だよ! 何度も呼んでるのに!」


 ……と、暢気に構えている私の想像以上にこの娘はご立腹らしい。

 いつもは真ん丸な栗色の目が今では三角だ。

 小さな唇を精一杯尖らせている様子はまるで小鳥。

 ピーピーと親鳥に餌をせがむかのように鳴いている。


「大切な話だったか?」

「そうじゃないけどっ……静さん、話聞いてくれないんだもん、酷いよ!」


 そして一通り喚いた後、「寂しかったんだもん」と眉を八の字にしてしょんぼりと肩を落とした。

 忙しい娘だ。


「今度からちゃんと聞いてね?」

「ああ、分かった」

「約束だよ?」

「ああ、分かった」

「ほんとに守る? ほんとのほんとに?」

「ああ、分かった。分かったから退け」


 詰め寄りながらしつこく念を押すだけでは足りなかったのか、木に凭れた私の膝の上にまでよじ登って来るなづきを牽制した事で、漸く機嫌が直り事態は収束したらしい。

 満足げに笑うなづきに、私は大きく溜息を吐いた。


 比重婆の許を訪れてから数日。


 私となづきは相も変わらず、特に宛もなくふらふらと気儘な旅を続けていた。

 強いて変わった事と言えばなづきの着物と、もう一つ。


 鬼の襲撃だ。


 と言っても多くは言葉を解せない下等な鬼ばかりだが、奴等は皆なづきを喰らう事を目的として襲って来ていた。

 そして昨夜。

 珍しく、言葉を解すのみならず意味のある言葉を話す事の出来る鬼が現れた。

 その鬼の言葉により分かった事は、鬼共は人の子という生き物ではなく“なづき”という人の子を特定して狙って来ていたという事だ。

 奴はなづきを“鬼の加護を受けた人間の娘”と言った。

 “鬼の加護”──つまり、鬼である私の加護。

 そう考えるのが妥当だろう。

 何せ私となづきは暫く行動を共にしているのだから。

 しかし解せないのは、何故ここ数日で突然鬼が襲って来るようになったのか。

 そう、突然。

 まるで惹かれるかのようにわらわらと集まって来る。

 ……何故。

 まぁ、十中八九──


「きゃー!! また出たー!!」


 ──いつの間にあんなに遠くへ行っていたのか。

 着物を翻しながら慌ただしく駆け寄ってくるなづきの背後には、鬼。

 最早日常となりつつある光景に特に何を思うでもなく、ふと目に止まった足下に咲く小さな野の花を手折って、ゆったりと腰を上げた。


 ──比重婆。

 大妖ともなればその糸だけですらこんなにも“加護”があるらしいぞ。

 それにてっきり、あの姿からして蜘蛛とばかり思っていたのだがな……。


 近い内に対策を講じなければ。


 ここ数日の内に殺めた鬼の顔を思い浮かべる私の脳裏で、比重婆が笑っているような気がした。





 「静さん、静さん。見てこれ、鬼!」


 そう言ってなづきが頭に手をやり、私を得意気に見上げた。

 その手には一対の角。

 無論、歴とした鬼のモノだ。

 にこにことしてその角で鬼の真似をするなづきに私は何と返していいか困惑していた。


「……そんなに大切にしなくてもいい」


 そして出た言葉がこれだった。

 そんな私に頬を膨らませてなづきは言った。


「初めて自分でやっつけた鬼の角なのに!」

「……そうだな。悪かった」


 思わず謝った私は、未だに答えが見つからない。


 比重婆の許を訪れてから数日後。

 鬼の怒濤の来襲が始まってから数日後。


 ……そして、更にその数日後。


 相も変わらず押し寄せる有象無象を相手取る日々の中、なづきは、まるで夏の草木のようにすくすくと成長していた。



 人の子の成長は目まぐるしい。

 それを心底実感する事になった。



 数日もあれば、逃げ惑うしかないはずだった強大な鬼を前にしても臆さない。

 更に数日もあれば、私という鬼の手を借りずとも小さな子鬼程度だったら撃退出来るようになる。

 用を足すために向かった茂みから帰ってきたなづきの頬や手足には、まるで喧嘩の後のように無数の傷──否、勲章。

 そして小さな手にはしっかりと鬼の象徴である角という戦利品を持っているのだから。


 たかが数日。

 されど数日。


 鬼の私にしてみれば瞬く間の特に意味のない時間だが、人の子にとってはそれは限られた瞬間の中での大切な時間なのだろう。


 怖いものなど、不可能な事などないかのように。

 あっという間に逞しく成長して、あっという間に衰えて死に急ぐ。

 鬼にも勝る人の成長──それは比重婆の“警告”か。


 知る由もないが、私は思う。

 鬼も人も、遅かれ早かれいつかは大人になり、そして土へ還るのだ。

 ならばせめて。

 只々無垢に、健やかに。

 ゆっくりと大人になればいいと──そんな芽生えた小さな想いは愚かだろうか。

 


 数日。

 私は、考えた。

 

 季節は巡る。

 

 ふと強い日差しに顔を上げれば、澄み渡る青空。

 夏が始まる。


 

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