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夜叉の恋  作者: 皐月 綾香
夜叉の恋
11/11

十 鬼と狐


 なづきが連れてきた妖狐のテンは、元は狐の死霊だった。

 妖狐と言えども所詮は二尾。

 その妖としての力はたかが知れており、精々人に化けるのが精一杯。

 少し離れた川辺で魚を捕る一人と一匹をぼうっと見遣りつつ、私は特にする事もなく今日も木陰で木に凭れていた。


「ほらテンちゃん、そっち行ったよ!」

「こ、こっちか!?」

「違う違う、反対だよー!」


 いつものように着物を捲り上げて帯に止めたなづきが上流で魚を一点に誘導し、それを狐、テンが捕る──という作戦らしいのだが、どうもテンには狩りの才がないらしい。

 今までどうやって生きてきたのか甚だ疑問だ。

 躓いて転んだテンに、なづきがけらけらと笑っていた。


「テンちゃんは魚捕るの下手くそなんだねぇ」


 流され掛けたテンの小さな体を抱き上げて、ぐっしょりと濡れた金色の毛皮を撫でるなづき。

 そんななづきに、「五月蝿いっ!」とそっぽを向くテンは可愛げがない。

 しかし、ツーンとしたその仕草も動物が好きらしいなづきには愛らしく映るらしく、「風邪引かないようにね」などと優しい言葉を掛けて、自分の着物の袖でその体を拭いてやっている。

 そんな事をしたら袖が濡れる。

 なづきが風邪を引いては元も子もない……というか正直、私にしてみれば義理も何もない子狐がどうなろうと知った事ではない。

 これを言うとなづきがまた怒りそうなので黙っておくが。

 やたら子狐に肩入れしているなづきは、魚捕りすら出来ない奴に一日中狩りから何から教え込むのが最近の仕事らしい。

 家族が死んだと聞いた。

 きっと家族に依存して生きてきたのだろう。

 ……しかし、子狐と言ってもテンはある程度成長しているように見える。

 普通ならば狩りを覚えたであろう齢。

 それなのに狩り一つ儘ならないとは、余程出来が悪いのか甘ったれなのか……。

 なづきに出会わなければ、あと一週間と持たなかったかもしれない。

 現に、なづきが食い物を持ってきてそれを食うようになったテンは、明らかに毛艶もよくなり痩せていた体も僅かだが元に戻りつつある。

 家族が死に、今度はなづきに依存するテン。

 ……小賢しいというか何というか。

 この雌狐を、私はどうにも好ましくは思えなかった。


「静さーん! 魚捕まえたからご飯にするねー!」


 なづきが遠くで手を振る。

 いつの間にか魚捕りは終わったらしく、岸では夕餉となる川魚がぴちぴちと跳ねていた。

 私に声を掛けると背を向けて駆け出したなづきは、これから火を熾すために木の枝を取りに行くのだろう。

 これこそテンにも出来るだろうに、何故かテンを置いてあっという間に消えたなづき。

 取り残されたテンも状況をよく分かっていないらしく、オロオロも跳ねる魚達の隣で回っていた。

 ……狐は案外馬鹿なのか。

 どうすればいいのか分からず、私の元へ来ようにもあからさまに私を恐れている様子のテンはその場で立ち竦んでいる。

 うなだれる耳と二本の尻尾。

 改めて思う。

 これでよく生き延びてきたな、と。


「テン。魚をこっちへ持って来い」


 見かねた私が声を掛ければ、ビクッと体を震わせ暫く固まった後、のそのそと魚を数匹くわえてこっちへ来た。

 その瞳は私を初めて見た時と同様怯えきっている。

 私は鬼だ。

 怯えられる事には慣れているし、寧ろ怯えられてこそ鬼というもの。

 ……が、仕方なくとは言え同行する奴に怯えられては居心地が悪い。

 魚を地面に置き、離れた所で俯いているテンを見て私は小さく溜息を吐いた。


「……何も取って食う訳ではない。そんなに怯えなくてもいい」


 徐に呟くように言えば、びくりと顔を上げるテン。

 今にも泣きそうだ。

 そしてやや間を置いて、テンは私に対して初めて口を利いた。


「……お主は鬼じゃ。それも一角の鬼じゃ。わっちは一匹では何も出来んが、何が危なくて恐ろしいかは知っておる。お主は恐ろしい鬼でありんす……」


 震えた小さな声で言うテン。

 その言葉に、私は微かに目を見開いた。

 ──一角鬼(いっかくき)

 その名の通り、一本の角を持つ鬼の総称だ。

 今は人に化けているし、妖気だって隠してはいないが潜ませている。

 高等な妖、或いは余程鋭い者くらいにしか分かりはしない。

 私を見た瞬間に怯えたテン。

 出会い端に分かったという事は──……少しばかり見くびっていたのかもしれない。

 仮にもこの国で生き抜く妖。

 あの壊滅的な狩りの才を補うだけの天性の勘を持っているのだろう。

 それに偶然か否かは知らないが、なづきと出会い味方に付けた。

 その小賢しさは本物のようだ。


「そうか」


 一言答えて、私は目を伏せる。

 そんな私をそろりと窺うテンは、暫く躊躇った後徐に口を開く。


「お主は……静は何故、人の子なんかと一緒にいるのじゃ?」


 素朴な疑問。

 その言葉に、私はゆっくりと伏せていた瞼を持ち上げた。

 そして目を向ける。


「……ならば逆に訊こう。お前は何故、人の子なんかに付いて来た?」


 私の目に縮こまるテンを見つめる。

 答えない。

 ──幾つか見当は付くが、まぁいいだろう。


 今はまだ。





「静さーん! テンちゃーん!」


 やがて腕一杯に木の枝を抱えて駆けてきたなづきに、私はそちらに目を移し小さく微笑む。


「わっ、テンちゃん魚持ってきてくれたんだ! ありがとうっ」

「いや……」


 チラチラと私を窺うテンの視線に素知らぬ振りをし、帰ってきたなづきに「今度からテンに行かせろ」と提案する。


「えー、危ないよ? テンちゃん何も出来ないし」

「枝くらい拾える。心配なら一緒に行けばいいだろう」

「……静さんと仲良くなって貰おうと思ったんだけど……」


 それが狙いか。

 背中で手を組みながら上目遣いで思惑を明かすなづきに、私は盛大に溜息を吐いた。

 そんな私に、「いけなかった?」と心配そうに訊ねてくるなづきに、「いや」と頭を振る。

 なづきはなづきなりに気を利かせたつもりらしい。

 テンが同行する事に渋い顔をした私と、そんな私にあからさまに怯えたままだったテン。

 ……まぁ、気にするなと言う方が無理な話か。

 寧ろその辺りの空気になづきが敏感だった事の方に驚いた。


「静さん。テンちゃんはね、静さんが何か恐い鬼だから怯えちゃってるんだって言ってたよ。私は妖の事はよく分からないけど、出来れば仲良くなって欲しいなって……」


 珍しくもじもじと歯切れ悪く言うなづき。

 その言葉にテンが俯く。

 目の前の様子に、子守も大変だとつくづく思う。

 慣れない事はするものじゃない。


「──なづき。私は鬼の中でも獰猛と言われる一角鬼だ。それをテンは見抜いたらしく怯えていたんだ」

「イッカクキ? 角が一本なの?」

「ああ。太古の妖は皆、気性が激しいと言われる。その太古の鬼の血を継ぐのが一角鬼だ」


 私の説明に「ふぅん?」と首を傾げるなづき。

 そして暫く考えて、にっこりと笑った。


「でも、静さんは穏やかで優しいね。そんなに凄い鬼なのに、私もテンちゃんも纏めて面倒見てくれてるんだもん」


 太陽のような笑顔。

 全幅の信頼を迷う事なく寄せるなづきに、私は呆れて小さく笑う。


「そうか」

「うん、そうだよ! ね? だからテンちゃん、静さんは恐くないよ」


 足下から抱き上げると、テンを私の前に差し出すなづき。

 突然の事にわたわたと暴れるテンを見てけらけらと笑う。


「あ、もう毛が乾いてる。ふさふさだね」


 そしてふとその毛皮が乾いている事に気付き、金色のそこに顔を埋めた。


「なづき、やめんか!」

「えー、そんな事言わないでよ。テンちゃん、照れてるの?」

「そんな訳なかろう!」

「あはは、照れてるー!」


 キャッキャとじゃれる人の子と化け狐の子。

 いつまでも続きそうなその様子に「じゃれてないでさっさと魚を食え」と終止符を打てば、「はぁい」となづきの素直な返事が返ってきた。


「テンちゃん、火の熾し方教えてあげるね」

「火!? 火なんぞ見たくもない!」

「そんな事言わないで頑張ってよ」



 もうすぐ夜の帳が下りる。


 

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