頁:66 その【諸本】言語理解不可につき。◆挿絵有り
時間は少しだけ遡り、夜の帳がまだ交易都市を覆い尽くす頃合い。
東の空にほんのりと、明かりの兆しが見え始めた時間帯――
ニヴェイシア邸から少し離れた高台に、二つの姿が立ち並ぶ。
一つは銀白金と、もう一つは黒灰の淡く揺れる影。
アメトはセラが落ち着くまで、ずっと背中を優しく撫で続けていた。
嗚咽は徐々に小さくなり、やがて彼女は動かなくなってしまったのだ。
どうやらセラは泣き疲れたらしく、気絶するように彼の腕に抱かれて眠る。
長い睫毛はしっとりと濡れ、目尻は赤く腫れており、頬には涙の痕跡。
そんな聖女に不信感を覚え、顔を覗き込み、そして小さく息を吐き出す。
「こんな状況で寝られるの凄いね。 それだけ怖かったってことだよね。」
罪悪感か何なのか、理解できない熱が湧き上がり、彼女を抱きしめ項垂れる。
このままでは流石に、状況的にまずい。そう判断し、彼女の身体を横抱きに。
周囲に目を配り、溜息を洩らし転送を行使し、一気に自宅へと戻る。
(困ったね。 強がりな子だとは思ってはいたけれど。)
(ぼくの想像以上に、もしかしたら普通の女の子なのかもしれないね。)
彼女へ貸し出している部屋へと向かい、扉を開け、寝台にそっと身体を下ろす。
靴を脱がし、毛布を彼女の身体に掛け、眠る彼女の髪をそっと撫で、思考に耽る。
(綺麗な黒髪だこと。 とても目を引く色……。 羨ましいのか?)
(まぁ……ぼくには持ち合わせていない色だものね。 無い物ねだり……か。)
懐から小瓶を取り出し、少量口に含み、薬液を口移しで分け与える。
小瓶の中身は、ほんの少し、心を落ち着かせる薬――ほんの少しの贖罪。
唇を離し、自身の先程の行動を反芻し、後ろめたさに額に手を当てる。
「――あんな、恐怖の象徴のような姿……そりゃ嫌だよね、わかるよ。
せめて、今だけは安らかに眠って。 良い夢を、セラフィーナ。」
子守唄のように紡がれた言葉。彼女の胸に手を起き、寝顔を見つめる。
自分自身、本来の半魔の姿は好ましくなく、むしろその逆。
誰よりも嫌悪を感じる姿……よりにもよって、無様で情けない姿を晒し――
あまつさえ“利用対象”に恐怖を植え付ける等、本来予定になかった。
(できれば見られたくなかったし、見せたくなかったよ、ぼくだって。)
(本当に不本意だったんだけれどね。 まぁ、特に支障はないか。)
赤紫の瞳に聖女を映し、そっと瞳を閉じ、踵を返し部屋の外へと繰り出す。
向かう先は玄関ホール。やや足音に苛立ちを滲ませ廊下を抜ける。
音もなく忍び寄った老執事に、無表情で淡々と言葉を落とす。
「ぼくは魔物の視察に出る。 日が落ちるまで戻らない。
代理はきみに任せたよエルドリック。 不測の事態の備えは?」
屋敷の主の問いに、老執事は静かに「滞り無く。」と淡々と返す。
「ん、分かった。 それじゃ、何かあったらすぐにスクロールを使って。
それじゃ、あとは任せたから。」
「畏まりました、坊っちゃん。 いえ、失礼。 当主様……。」
「ボクに坊っちゃんは辞めてヨー? そんな歳じゃないヨ? ボク。
キミより年上だってのに。 ……全くこれだから。 ヒヒッ!」
老執事は喉を鳴らし「ホッホッホ」と笑い、そのまま音もなく姿を消した。
残された屋敷の主は掌をひらひらと振り、そのまま夜に紛れ、屋敷を後に。
まだ光と闇の境界にある街路を、銀白金の影が、幽鬼のように揺れ――
たちまち黒紫の霧を纏わせ、彼の姿は屋敷から消えていった。
◇ ◇ ◇
場面は食卓へと戻り、一同は食卓にて、今日の行動について会議中だった。
「それじゃあ会議のお時間だよっ! ヴェルカナ行きの定期船……
いつ出るのかを訊きに行かなければなりませんっ! 言わないでぇ……。
昨日の晩に市場の方に行って来たのに、聞いてきてないのかって……!」
小さくなるノアに対し、賢者も小人族も気に留める様子は無い。
賢者は一人だけ食事を終えて居らず、サラダを細かく切り分け、咀嚼中だ。
「ええとッ――昨晩ワタクシが気絶している間、どのような話し合いをッ?
してワタクシですが、このような有様ですので、ご同行は叶いませぬッ!」
申し訳なさそうな賢者の声。
しかし、此処に居る全員は、彼の脆弱過ぎる体力を認知している。
「うん、大丈夫。 だから、パルとルルと僕の三人で港に向かおうかなって!
ついでに、路銀が底を突きそうなんだよね……アメトさんからのお金は――
そのぉ……うん。 なんだか手を出しにくくて、使ってないんだぁ……
だからね、冒険者ギルドに寄るのもありかなって!」
ノアの提案に対し、ルルは無表情でミルクを飲みながら言葉を投げる。
「あたし、ここで賢者ちゃんの助手しとくわ。 誰かおらんと不安じゃし。
セラちゃんも起きとらんけぇさ。 なんかあった時の為に残っとくわ。」
ルルの言葉に騎士は「だな。」と賛同の意を示し、ノアも頷く。
「そうだねッ! それじゃ、僕たちはそろそろ港に向かうね?
定期船の出航日の確認と、それと資金調達! 頑張ってくるからっ!」
「さて、賢者とセラの世話、頼んだぜ。 行くか、ノア。」
勇者と騎士の彼らは、軽い足取りで食卓から出ていった。
食卓に取り残された賢者と小人族――ルルがミルクを飲み終えると、席を立つ。
「ザーちゃんのメシさ、食い終わるの待っとったら、あたしの寿命が尽きちまう。
その間にこのお屋敷に本置いてる部屋ねぇーか、メイドちゃんに聞いてくるわ。
ザーちゃん……ゆっくり食うのはええんじゃけどさ。」
「周りのことも、ちゃんと考えんと駄目よー? んじゃー。 デュワーッ」
彼女はそれだけ伝え、パタパタと小気味よい足音を響かせ廊下へと向かう。
賢者の眼の前に広がるのは、未だに残っている大量の朝餉――
(そうは言われましてもな……ワタクシも、好きでこのような速度で……)
(いえ、辞めましょう。 ワタクシの身体は、自身にも良く分からぬのです。)
もそりと時間を掛け、丁寧に咀嚼し、ようやっと食べ終わり溜息を一つ。
「ワタクシも、可能であれば健康体に生まれたかったですよッ……。
しかし、これ以上の幸福を願うのは、お門違いというものでしょうなッ……。」
バルタザールは、屋敷の広さを理解していたがゆえ、無理に動くことは辞め――
代わりに懐から紙束を取り出し、それを宙に浮かし、凄まじい速度で読み漁る。
食卓に一人……孤独に紙束を睨む賢者は、どこか物悲しくもあった。
どの位そうしていたのか、紙束のパラパラとめくる音のみが響く食卓。
そんな中、ルルの弾む声が、紙束の音をかき消すように響き渡った。
「おまたせー」と声を上げた彼女の隣には、長身の爽やかな好青年の姿。
今朝方、世話になったばかりの庭師の青年が佇んでおり、彼は小さく会釈。
「本置いとる部屋なんじゃけど、あるっぽい。 書庫みたいなやつー?
規模はそんな大きく無いみたいなんじゃけど、結構本があるんじゃってー!」
「んで……こっちの庭師ちゃんは、さっき会ったばっかりのシリルちゃんー
なんか、ザーちゃんを今日運んだばっかり?とかって、きてもらったんよ。」
無表情でサムズアップをするルル。その瞳は妙に輝いていた。
賢者の彼は、半魔である正体を隠した“子爵”の家にある“書庫”と聞き――
胸が踊る気持ちで、興奮を抑えられない様子で言葉を返す。
「ニヴェイシア家の本の貯蔵庫ッ……! 閣下が直に集められた書物の数々ッ!
これは……大変興味を唆られますぞッ! 飽くなき探求の心ッ!
尽きぬ知識への渇望ッ! コレは――滾りますぞーーッッ!!!」
賢者はついに椅子から立ち上がり、指先を天高く掲げ、高らかに宣言。
そんな賢者を容赦なく、庭師の好青年は「それじゃ、失礼しまーす」と横抱きに。
賢者は「エッ!?」と大きな悲鳴をあげるが、シリルはお構いなし。
「ウムッ……もう、何も言いませぬ。 全てはこのスットコドッコイな――
ワタクシの身体が悪いのですッ! 情けないですが受け入れますぞッ!!」
ついに彼は開き直り、やたらと堂々とした姿で、好青年に横抱きにされていた。
シリルもルルも、まるで気にする様子はなく、書庫部屋へと向かう。
靴の音を響かせ廊下を渡り、二階の一室。奥に位置する部屋へと辿り着いた。
ニヴェイシア邸の、簡素だが整えられている書庫部屋。
規模はそう大きくない。整然と並べられた本棚には、びっしりと本が並ぶ。
薬学の知識に長けた屋敷の主だけあり、植物や茸の書物が多い。
背表紙からでも伝わる、歴史を感じる書物や、賢者の見たことのない物まで。
落ち着いた雰囲気のその場所には、小さな机と椅子が複数並べられている。
年季の入った書物から発せられる独特の香りが、鼻腔を擽った。
庭師は賢者を下ろし、賢者に対し小さなハンドベルを手渡し、言葉を伝える。
「では、俺はこれにてっ! ゆっくりなさってくださいね、お客様っ!
こちらの呼び鈴ですが……また何かお困り事があれば鳴らしてくださいっ!
どんなご用事でも、音が届けば誰かが駆けつけますのでっ!」
「飲み物が飲みたいとか、そういった軽い用事でも大丈夫ですっ! じゃっ!」
庭師はそれだけ伝え、ぴっしりと一礼し、賢者と小人族から離れていった。
「な、何から何まで至れり尽くせりで申し訳がッ! スミマセヌ……いえッ!
誠、感謝ですぞッ!! 誠心誠意の感謝の念をッ!!」
小さくなる庭師の姿に、賢者は何度も頭を下げ、感謝を伝えていた。
賢者の隣に居る小人族も、彼と共に庭師を見送ると、視線を隣へ向ける。
二人きりになると、賢者はぐるりと部屋の周囲を見渡し、深呼吸。
眼鏡を押し上げ、本棚をざっくりと見渡し、腕を動かし本を手繰り寄せた。
浮いた本を側まで運び、そのままドサドサと机に積み重ね――
肩掛けバッグをガサゴソと漁り、白紙の紙と羽ペンを複数広げた。
そのまま椅子のある場所まで移動し、腰掛け、再び腕を動かし本を宙へ。
数冊ほど、宙へ漂わせた本を更に放射状に並べ、凄まじい速度で読み進める。
それと同時に無記入の紙に、羽ペンでサラサラと文字をしたためていく。
「前から思っとったけど……凄いよねそれ。 念動っていう〈技能〉じゃっけ?」
賢者の姿に感心し、語りかける小人族に、賢者は自嘲気味の言葉を返した。
「ハハッ……。 はい、念動ですな。 確かに便利ではありますがッ……
コレがなければ、ワタクシの身体はスットコドッコイですからなッ……
ワタクシ、この〈技能〉が無ければもっとひどい有様ですぞ……」
「んー? ま、ええんじゃねー? “短命同士”お互い頑張ろーなー?
あたし、ちょいメイドちゃんにミルクコーヒー作ってもらってくるわー
ザーちゃんもいる? いるよなー? ちょっくら行ってくる、じゃあの。」
彼女は颯爽と、軽やかな足音を響かせ、書庫部屋から居なくなったが――
賢者は彼女の最初の言葉が脳裏に残響し、逡巡。彼女の言葉の意味を考える。
「短命、同士?……はて、ワタクシ……【加護】の事しか話していないはず。
ウウムッ……まぁ聞くのは野暮でしょうな。」
取り残された賢者は、多少の寂しさを感じつつ、書物に目を通す。
大図書館でも取り扱いのない書物に、彼の知的好奇心を擽るには十分だった。
煌陽国の歴史だけではなく、他国の歴史を記した書物や、童話や寓話等。
魔族に関する他国の歴史書などもあり、彼は全てに目を通し、紙束に記す。
だが、ふと……念動で動かした覚えのない、一冊の古びた書物が目に留まった。
どこから出てきた書物なのだろう?と、書物を開き、内容を確認するが――
冒頭からすでに、自身の知識にない文字で構成された文章。
所々、見たことのあるような文字もあるが、一部しか理解できない。
「これは――魔族言語……ですなッ……各国の文字や文法……。
すべてワタクシの頭の中にありますがッ……これはワタクシの知識外ッ!
それすなわち……魔族言語以外考えられませぬぞッ……!?」
「しかし興味深い……この文字の形態ッ!……煌陽国の王歴二百年頃――
その時期に使われていた文字に酷似しているッ? ああッ!知りたいッ!
この書物の内容が知りたいのですぞーーーッッ!」
読み進めていくが、まるで内容は理解できない。
それでも一先ずは、後で読み直せるように、内容を写していく。
魔族文字に関する書物が他に無いか、周囲を散策するが、それらしきものは無い。
仕方なしと切り替え、その書物の写本を尋常でない勢いで作り上げる。
作業に没頭していると、部屋の外からやたらと軽い足音が響いてきた。
開けっ放しになっている扉から、ルルが姿を表すが、その腕には銀色の盆。
銀盆の上には、小さなポットとティーカップ。砂糖入りの小瓶。
「戻ってきたぜー。 どんな感じ? なんかオモロイもんあったー?」
彼女は別の机にて、ティーカップに珈琲とミルクを注ぎ、撹拌。
混ぜ合わせたそれに、大量の砂糖をドバドバと追加し、さらに混ぜ合わせる。
同じ物を二つほど作り、恐らくは激烈に甘さのある、珈琲牛乳を作り上げた。
それを銀盆に乗せ、賢者の元へ寄り、彼の側にそっとカップを置く。
「“オモロイ”かどうかはさておき、ワタクシの知識の外にある書物を――
こちらですなッ……恐らくは魔族の言語で書かれたモノでしょうッ!
すでに複写を開始しておりましてッ!!」
「あとはこちらの複写したモノから、文字を判別し……ふむッ……?
大変興味深いですなッ……文字の形態が煌陽国と異なるようで……ッ!
って、ええ!? これもしや……とんでもない文字数になるのではッ??
これは……ニ、ニヴェイシア子爵閣下に直接お話をッ!!!」
「なりませぬーーーッ!!!ワタクシ!!ワタクシッ!!!
興奮で、熱が出そうですぞッ!!」
言葉通り彼は興奮しているのか、眼鏡は白く曇り、頭から昇る蒸気。
そんな賢者の調子に、ルルの瞳には優しさが宿っていた。
賢者の側にぴたりと身を寄せると、賢者へ甘すぎる飲み物を差し出す。
「あんま興奮しとると、また熱だすぜー? とりま、ほいコレ。
あたし特製のミルクコーヒー。 ぶちうめーぞー? ほれ、飲みんちゃい。」
「ふむッ!有難うございますッ! ……甘ッッッいですなッッ!!!」
賢者は喋りながらも本を読み進めていたが、飲み物を口につけた瞬間――
口を離し、なにやら怪訝な目をカップへと向けていた。
どうやら甘すぎたらしく、吹き出しそうになり、カップを机に戻した。
「えー、全部飲まんの? せっかくのあたし特製のやつなのに。」
「あまりに一気に糖分を取りすぎると、身体に障るのでッ……
ですので、少しずつ頂きますぞッ! 美味には美味ですがッ……!
少々ワタクシには甘味が過ぎますゆえにッ……!」
賢者と小人族の彼らは、何気ない会話をしながら、甘い時間を過ごす。
それはまるで、彼女の作ったミルクコーヒーのような――甘いひとときだった。




