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第6話 神の仕事




阿波國、第5地区。


こうして言葉にすると、いかにも仰々しい響きである。


現世の人間どもは、徳島県とか、吉野川市とか、鴨島町とか、その時代ごとに都合のよい呼び名で土地を切り分けて理解している。もちろん、それが間違っているわけではない。人間の社会には人間の社会なりの管理と利便が必要であり、道路を引くにも、税を取るにも、誰かが責任を負うにも、名前と区切りはあったほうがよい。私とてその理屈は理解している。理解しているのだが、神の側から土地を見るとそれだけでは少々足りない。


風の流れがある。


水の筋がある。


土の記憶がある。


長い時間をかけて染みついた信仰の癖があり、災いが溜まりやすい場所があり、逆に穢れを弾くように澄んだ場所もある。人間が勝手に線を引いた境界と、土地そのものが持つ“性格”は、綺麗に一致するとは限らん。そこで必要になるのが、神の側の区分である。


私は火の国である『南海道』に属している神の一人だ。


南海道、という名を聞いて、現世の教科書に載っていた旧国名を思い出す者もいるかもしれんな。あれはあれでそこそこ近い。神々の世界における南海道も、大まかに言えば四国一帯を束ねる区分として機能している。火之迦具土神様を頂点に戴く、火の神格圏の一帯。熱量と破壊と再生を司る火の理が支配する地域であり、土地に根づく神々もまた、その影響を色濃く受けている。


その南海道の中に存在する四つの大区画が、讃岐國、伊予國、土佐國、そして阿波國だ。


現代の地図に当てはめれば、讃岐は香川、伊予は愛媛、土佐は高知、阿波は徳島にあたる。人間どもが県境だの市町村合併だのと忙しなく地図を塗り替えても、土地に流れる理そのものはそこまで軽々しく変わらない。川の流れ、山の連なり、海風の入り方、そこに生きた者たちの祈り、その積み重ねが土地の輪郭を決めているからだ。


阿波國は、南海道全域を統括する大神、火之迦具土神様の直轄部隊である「鳳凰院」の担当区域に置かれている。


鳳凰院。


この名を初めて聞いた時、少し気恥ずかしかったのを覚えている。何しろ、鳳凰である。炎を纏い、死と再生を象徴し、天空を渡る瑞鳥。所属部隊の名としては文句なく格好いい。格好よすぎて、配属されたばかりの頃は少しだけ肩に力が入った。もっとも、現実の業務は報告書だの巡回だの悪霊退治だの、地に足のついたものばかりで、鳳凰の優美さに浸っている暇などすぐに消え失せたのだが。


阿波國には約三十にも及ぶ地区が存在する。


“約”とつけるのは、境界の揺らぎや管轄再編が定期的に発生するからだ。小さな祠だけを抱える極小区画もあれば、複数の街と山間部をまたぐ大きな区画もある。第5地区はその中でも吉野川に面した中区画に分類されており、さらに四つの小区画を内包している。人間の行政用語に近づけて説明するなら、“普通地方公共団体規模の街を一つ管理する中区画”といったところか。神々の世界にまで行政用語を持ち込みたくはないが、現代の者へ説明するにはそのほうが早い。


(で、どうするわけ?)


鞘の中から、ヒロの声が響く。


神器として私の腰に提げられているくせに、その口の利き方は相変わらず遠慮がない。


「まずはこの前の痕跡を追う。悪霊どもは同じ場所を好む傾向にある。前回もそうだったが、恐らくこの土地に所縁のあるものだろう。いなければいないで仕方がないが、どうも気になってな」


(気になるって?)


「悪霊は基本的に自我を持たない。不完全体のものであるならまだしも、あれは完全に転化した後の魔物だ。ところが、ヤツの霊力を読み取る中で、不自然な部分があった」


(不自然?)


「うまくは言えんが、本能だけで動いているようには見えなかった」


(そうか? 俺にはそうは見えなかったけど)


「お前は鈍感だからな」


(うるせぇ! 悪霊にも色んなタイプがいるだろ。姿形だって、決まった形があるわけじゃないし)


「そう単純な話ではない。前にも話しただろう? 悪霊とは、“生命の本来の姿”であると」


(……聞いたけど、よくわかんねーんだよな)


「どうしてヤツらが、決まった形で存在しないかわかるか?」


(さあ)


「それはヤツらが、“自由”を欲している存在だからだ」


(自由……ねえ)


「そう難しく考えるな。ようは、“生きようとする意思”そのものだと思えばいい」


(……いや、余計ややこしいわ)


本当に理解の悪い小僧である。


もっとも、ヒロだけが特別愚かなわけではない。悪霊とは何か、その具体的な答えを、神々でさえ十分に説明できている者は少ない。在籍期間の長い神であっても、悪霊の発生機序を完全に理解している者は多くない。日々それと戦い、浄化し、記録し、被害を抑えているくせに、その存在の根にあるものは案外掴みきれていない。この世界には、そういう“わかっていないのに運用されているもの”が意外と多い。


わかっていることがあるとすれば、いつ、どこで、生まれやすいかだ。


常世には数多くの“漂流者”が住んでいる。


漂流者、という表現も、現世の者には少々わかりづらいかもしれんな。簡単に言えば、現世で死んだ魂たちのことだ。死を迎えた者の魂は、いきなり黄泉の国へ渡るわけではない。常世へ流れ着き、そこで自らの“罪”を洗い落とし、浄化され、ようやく次の段階へ進む資格を得る。


(罪って言うと、なんかすげえ悪いことしたみたいに聞こえるんだけど)


「そこが人間の短絡だ。お前らは“罪”と聞くと、盗みだの殺しだの、目に見えて悪い行いばかりを連想するが、その“範囲”はもっと広い」


(もっと広いって?)


「理性を持つこと、生きようとすること、誰かを好きになること、誰かを憎むこと、何かを選び、何かを切り捨てること、その全部に偏りがある。偏りは穢れにもなる。生きるとは、そういうことだ」


(生きるだけでアウトみたいな言い方やめろよ。救いがなさすぎるだろ)


「救いならある。洗い落とす工程があるからな」


人間どもは“三途の川”という話を好む。


あの世とこの世を隔てる川。罪の重さで渡り方が三つに分かれる、というあれだ。仏教由来の言葉であり、餓鬼道、畜生道、地獄道を示す“三途”から名が来ている、という説もあるし、川の渡り方が三通りあるからそう呼ばれる、という説もある。死後七日ごとの法要と十王信仰の結びつきまで含めれば、なかなかよくできた物語だと思う。


実際に三途の川という名の川が、そのまま存在しているわけではない。


あれは、常世で起きている浄化と審理の流れを、人間が理解しやすいように神話や宗教へ落とし込んだ創作に近い。創作と言うと語弊があるかもしれん。要するに、仕組みをわかりやすく翻訳した表現である。


人は死後、魂となって常世へ渡る。


そこで自らの記録を抱えたまま、一定の時間を過ごす。


この“時間”がまた面倒でな。常世そのものには時間の流れがないくせに、漂流者には現世で過ごした時間と同量の“罪を洗うための時間”が課される。生きた分だけ、自分の持ち込んだ穢れと向き合わされるのだと思えばいい。二十年生きた者には二十年分、八十年生きた者には八十年分。そこで、記憶、執着、恨み、喜び、未練、愛着、そういったものが少しずつ削がれ、流され、薄められ、やがて魂は生まれたままの姿へ戻っていく。


「罪を洗う」という表現は、現世の感覚で言えばずいぶん残酷に聞こえるかもしれんな。せっかく生きてきた記録を削ぎ落とすのだから当然だ。人間は記憶に執着する。生きた証に執着する。誰かと過ごした時間を何より尊いものと考える。その感覚自体を私は否定はせんが、そのまま黄泉へ持ち込めるほど世界は甘くない。


(それって、結局は全部忘れるってことだろ)


「そうだ」


(なんか嫌だな)


「嫌かどうかで仕組みは変わらん」


(お前、そういうところ本当に容赦ないよな)


容赦がないのではない。


あるものをあると言っているだけだ。


魂は浄化され、生前の記憶と記録を捨て、純粋なエネルギーへ戻る。そのエネルギーが、新たな生命を生み出す礎になる。循環の仕組みとしては極めて合理的だ。生命とは常にそうやって回っている。


問題は、その浄化の過程で零れ落ちる“残り”である。


悪霊とは、死後魂になった人間が、その罪を拭い終えた後に残る“残骸”だと言われている。


記憶を失い、記録を流し、黄泉へ渡る資格を得た後にも、なお捨てきれなかった何か。純粋なエネルギーへ戻りきれず、偏りだけを残したもの。生きたい、残りたい、壊したい、欲しい、逃げたい、そんな原始的な意思の欠片だけが形を取り始めると、悪霊になる。


だから決まった形を持たん。


人の名残が強く出る者もいれば、獣じみたもの、影そのもののようなもの、水の塊みたいなもの、骨だけのもの、匂いだけのもの、音だけのもの、姿はいくらでも崩れる。あれはもはや“人”ではない。人が人であれた理由をすべて失った後の、意思の燃えカスみたいなものだ。


それでもなお、自由を欲する。


器を失って、形を失って、理性さえ失って、それでもどこかへ行こうとする。何かになろうとする。あの姿を見ていると、生命というものがどれほどしつこく、面倒で、哀れかを思い知らされる。


(自由って言い方、なんか変だな)


「どこがだ」


(悪霊って、もっとこう、ただのバケモノって感じじゃねーの? 自由って、なんか前向きっぽく聞こえる」


「お前は“自由”を、好き勝手に振る舞える状態くらいにしか考えていないだろう」


(違うのかよ)


「違う。自由とは、形を持たぬことでもある。何者にも定義されず、何者にも留められず、どこへでも行けるということだ。肉体はそれを制限する。理性も制限する。名前も、役割も、家族も、社会も、全部そうだ」


(……それがなくなると悪霊になるのか)


「極端に言えばな」


(やっぱ全然前向きじゃねえな、それ)


「最初からそう言っている」


そんな話をしながら、私は白夜の野を進んでいた。


常世の風は、現世の風より薄いくせに遠くまで匂いを運ぶ。瘴気の痕跡、水脈の揺れ、漂流者の気配、土地に残る古い祈り、その辺りが重なると、そこが“何かあった場所”だとわかる。第5地区は吉野川に面しているぶん、水と土の気配が強い。流れ込んでくるものも多いし、溜まるものも多い。豊かな土地というのは、たいてい恵みと厄介ごとを同時に抱える習性にある。


阿波國に属する神々の配置も、その土地の性質に合わせて組まれている。


南海道には、「鳥」を象徴とした八つの部隊が存在する。


私が所属している鳳凰院のほかに、朱雀院、鵺院、大風院、鴸院、共命鳥院、迦楼羅院、青鷺火院。名を並べるだけなら絵巻物みたいに華やかだが、実務はどの院もだいたい泥臭い。部隊によって役割は異なるし、管轄地区ごとの細かなルールも設けられているものの、正直に言えば横の関わりはそこまで深くない。合同で動く必要がある大規模災害でも起きない限り、各院は各院で自分の持ち場を回している。


阿波國では、鳳凰院と青鷺火院が主に管轄を担っている。


そのため、時折、合同演習や情報共有を兼ねた会合がある。会合と聞くと、神々がずらりと並んでありがたそうな議論をしている場を想像するかもしれんが、実際はもっと現実的だ。汚染度の推移、漂流者の増減、悪霊発生の傾向、結界の補修予定、書記官の配属調整、そういう数字と報告の応酬が大半である。新米の神にとっては、ありがたみより眠気のほうが先に来る。


(合同演習って、お前ちゃんと出てるのか?)


「必要があればな」


(今の間、絶対サボったことあるだろ)


「うるさい。私には私の仕事がある」


実際、合同演習などあってないようなものだ。新米の神が参加したところで、大御所たちの動きに振り回されるだけという場合も多い。学べることがないとは言わんが、現場で悪霊を追い回しているほうがよほど身になる、というのが正直な感想である。


この前遭遇した人型の悪霊についても、合同演習の資料に載せたところで「珍しい個体が出たな」で終わる可能性が高い。それが面白くない。私は、あれが単なる珍しい個体ではない気がしていた。


痕跡は、川沿いの古い道に濃く残っている。


このあたりは昔から、人も神もよく通る場所だった。渡し場があった時代の記憶が土地に残っているし、供養が途絶えた社の気配もある。そういう場所は漂流者の流れが滞りやすく、悪霊の残滓も溜まりやすい。


「……この辺りだな」


私は足を止め、地面に屈み込む。


草の上に見えるものは何もない。人間の目にはただの野原だろう。私には、薄く青黒い筋が地を這っているのが見えた。瘴気の擦れた跡だ。しかも散発的ではなく、意志を持ってルートを選んだような引き方をしている。


(ほんとにわかるのか?)


「わかる」


(便利だなあ、神って)


「お前も少しは読めるようになれ。いつまで鈍感でいるつもりだ」


(風の匂いで悪霊の履歴書まで読むとか無理だろ)


「履歴書は読めん。せいぜい癖だ」


「やっほー、和茶ちゃん♪」


軽やかな声が、頭上から落ちてきた。


見上げれば、巨大な鎌を肩に担いだ少女が、木の枝の上からこちらを覗き込んでいる。薄青の髪が水の流れみたいに揺れ、目元にはいつものように妙な余裕があった。腰を軽くひねって枝から飛び降りたその動きには、まるで水が落ちるみたいな無駄のなさがある。


本庄海石榴。


神号は、八坂刀売神。


水神、農業神、温泉の神、国造りの神、そのあたりの性質を帯びた神格を持つ、第5地区の同僚である。


「どこ行くの?」


「見てわかるだろう。“仕事”だ」


「えー、出没したって連絡は来てないけど」


「この前もそうだったんだ。どうも、霊力を自在に操れるやつでな」


ツバキは目を丸くした。


目を丸くしたまま、手にした鎌をくるりと回す。あの鎌は水の神力を帯びているため、刃の縁が青く光る。見た目に反して使い手の性格はだいぶ軽い。いや、軽いという表現は少し違うか。抜くところは抜き、締めるところでだけ締める、面倒くさがりの天才肌というやつだ。


「自在に操れるって??」


「報告書に書いていなかったか? さてはお前、“大社”に帰っていないな? 祥太郎に全て任せているのだろう?」


「あはは。バレた? 帰ったってすることないし」


「責任者のお前が行かないでどうする。そのうち突っ込まれるぞ?」


「訓練生の教育で忙しいの。和茶ちゃんだって、いつまで一人でやってるわけ?」


「私は一人でできるから大丈夫だ。書記官など必要ない」


すると鞘の中でヒロがもぞっと気配を揺らした。


(いや、そこは俺がいるだろ)


「神器は書記官ではない」


(なんか急に線引き厳しくない?)


厳しいのではない。役割が違う。


“大社”というのは、各地区の中央に鎮座している大きな神社のことだ。地区内に存在する複数の神社を統括し、神々の業務のハブになる場所であり、人間社会で言えば事務所でもあり本部でもある。神になったからには、戦っていればそれで済むわけではない。担当区域の汚染度調査、結界の保守、漂流者の統計、悪霊討伐の件数、被害報告、労務状況、合同訓練への参加記録、各種資材申請、もう、思い出すだけで面倒くさい紙仕事が山のようにある。


一週間に一度は報告書を出さねばならん。


管轄内の汚染度の調査報告書、週ごとの業績、月次の推移、労務状況などをまとめた書類を提出する必要がある。神だというのに“労務状況”とは何事かと思わんでもないが、働く以上は管理が必要なのだろう。放っておくと、訓練中の者を酷使する者もいるし、逆に暇を持て余してぐうたらする神も出る。……後者については、まあ、少しだけ心当たりがなくもない。


そうした事務を補佐し、日々の業務内容や進捗のデータ管理を担う者たちが「書記官」だ。


書記官は、将来神号を与えられる可能性を持つ“器”の候補者たちでもある。いきなり神になるわけではない。知識を学び、霊力を鍛え、現場を知り、書類も覚え、人や漂流者と関わり、悪霊退治の基礎を叩き込まれ、その上でようやく上へ進む。


クラスは、下から訓練生、二級書記官、準一級書記官、一級書記官、裁判官の順だ。


裁判官クラスともなれば、神号を与えられていないだけで、単独行動と独自ルートによる治安維持活動が認められる。悪霊退治の技量も高く、事実上、神に準じる戦力として扱われることも少なくない。もっとも、そこまで辿り着く者は極めて少ない。


全国の裁判官の数は約五百人。


訓練生から一級書記官までの延べ人数が十万人規模に及ぶことを考えれば、その希少さがよくわかる。裁判官になる前に神号試験へ進む者も多いし、逆に漂流者として魂の契機を結び、黄泉へ向かう道を選ぶ者もいる。才能だけではなく、継続と運と覚悟が全部要る。人間社会の難関試験より、よほど容赦がない。


ツバキには、訓練生が三人、二級書記官が一人、付き人としてついている。


「帰ったってすることないし」と笑っているが、あれでも教育担当としてはそこそこ評判がよい。面倒くさがりのくせに、教える時だけ妙に丁寧なのだ。本人は無自覚だろうが、そういう神ほど弟子が育つ。


「和茶ちゃんも一人くらい書記官つければいいのに」


「いらん」


「またそういうこと言う。報告書だって毎週ためてるでしょ?」


「ためていない。たまに後回しになるだけだ」


「それを“ためてる”って言うの」


(完全にためてるやつじゃん)


「うるさい」


ヒロまで便乗してくるのが腹立たしい。


たしかに私は書記官を置いていない。必要性を感じない、というのが表向きの理由だ。実際、単独のほうが動きやすいという面はある。書類の遅れについては……まあ、その、少しばかり見逃してもらいたい部分もある。訓練生をつければ指導もしなければならず、四六時中誰かの気配が増える。それが落ち着かないのだ。


「祥太郎がまた文句言ってたよ。“和茶は報告の粒度が荒い”って」


「細かい男だな、あいつは」


「事務方だからしょうがないでしょ」


(めちゃくちゃ正論だ)


「お前はどっちの味方だ」


(常識の味方)


本当に腹立たしい小僧である。


ツバキは枝に腰をかけるみたいな気軽さで近くの岩へ座り、鎌の柄を肩に担いだままこちらを見ていた。こうしていると、遠足の途中で偶然友人に会ったみたいな気楽さだが、帯びている気配はしっかり神だ。水の神格を持つ者特有の、柔らかいくせに底が見えない圧がある。


「それで、その“自在に操れる”ってやつ、ほんとに第5地区の中にいるの?」


「その可能性が高い」


「ふーん。水辺の痕跡は?」


「薄い。完全に水属性へ寄っているわけではないな。土地への執着が強い」


「土地に所縁があるってやつか」


「恐らくな。漂流者上がりの残滓が、このあたりでこじれたのかもしれん」


ヒロがそこで小さく口を挟んだ。


(なあ、漂流者って、常世で普通に暮らしてるんだよな)


「そうだ」


(じゃあ、その人たちがみんな悪霊になる可能性があるってことか?)


「全員ではない。浄化が進み、黄泉へ渡る資格を得る者が大半だ。悪霊になるのは、洗い落としきれなかった偏りが突出した場合だと思えばいい」


(“思えばいい”って、お前それほんとに完全にはわかってないだろ)


「細かいな」


(図星かよ)


図星で悪いか。


わからぬものをわからぬと言う勇気も必要なのだ。神だからといって万物の答えを握っているわけではない。そこを勘違いしている人間は多いが、こちらだって日々試行錯誤の連続である。


ツバキがくすくす笑う。


「和茶ちゃん、ヒロくん相手だとほんと遠慮ないね」


「必要ないからな」


「向こうも遠慮してないけど」


(まあな)


「そこ、誇るな」


この気安さが、外から見るとどう映っているのか少し気になる時はある。神と神器、主と武器、契約者と加護者。もっと厳粛で、もっと上下のはっきりした関係を想像する者もいるだろう。私たちのそれは、どうも少し違う。もちろん戦闘になれば切り替わるし、命令系統も明確だ。普段がこの有様なだけで。


「ところで和茶ちゃん、その痕跡追うなら、あたしも少し手伝おっか?」


「珍しいな。お前が自主的にそう言うとは」


「失礼だなあ。やる時はやるよ? それに、霊力を自在に操る悪霊って、ちょっと気になるし」


「祥太郎が聞いたら泣くぞ。お前が報告書より面白そうな案件に食いついたって」


「泣かせとけばいいじゃん」


本当に自由なやつだ。


とはいえ、ツバキが加わるのは悪くない。第5地区の四人の担当者の中でも、こやつは現場の勘がよく働く。水神系統の感知は瘴気の流れを見るのに向いているし、鎌の射程は人型相手にも相性がいい。


「訓練生はどうした」


「法界堂に投げてきた」


「投げるな」


「今日の座学、あたしが見てるより講師に任せたほうが効率いいし」


「そういうところだぞ、お前が責任者として微妙に信用されきらんのは」


「和茶ちゃんにだけは言われたくないかなあ」


痛いところを突かれた気がしたので黙っておく。


法界堂というのは、全国各地に設けられた書記官育成のための施設だ。訓練生たちはそこで悪霊討伐の基礎知識、神道や仏教を含む死生観の歴史、土地の読み方、結界の張り方、霊力操作の初歩などを学び、現場経験を積みながら階級を上げていく。必ずしも神と常時行動を共にするわけではない。むしろ、最初のうちは独断で神の足を引っ張るくらいなら基礎を叩き込まれたほうがまし、ということも多い。


(訓練生って、みんな神になりたいのか?)


ヒロが訊く。


「一概には言えん」


私は歩きながら答えた。


「神号を与えられる器を持っていても、全員が神を望むわけではない。現場を知るほど、向いていないと悟る者もいるし、漂流者として次へ進む道を選ぶ者もいる。神になるというのは、格好いい肩書きをもらうことではない。日常も記憶も、ある程度は切り捨てる覚悟が要る」


(……重いな)


「軽いと思っていたのか?」


(ちょっとは)


「おめでたい頭だ」


ツバキが笑いながら口を挟む。


「でもまあ、訓練生くらいの子たちって、最初はわりと“なんかすごそう”で来るよね」


「来るな」


「来る来る。“神様の近くで働けるんですよね!”みたいな顔してる子とか、けっこういる」


「そして書類の山と汚染調査で顔が死ぬ」


「和茶ちゃん、経験者みたいに言うじゃん」


「……見てきたからな」


新米の頃、自分がどういう顔をしていたのかは覚えていない。覚えてはいないが、現場の泥臭さに最初から完璧に順応できたとは思えん。神号を得て力を持ったところで、書類と組織が消えるわけではないのだ。むしろ増える。世界を守るというのは、得てして地味な作業の積み重ねで成り立っている。


私たちは痕跡を辿りながら、川沿いの旧道へ出た。


常世での地形は現世のそれと完全には一致しないものの、土地の“意味”は反映される。ここは昔から人が往来し、別れと再会が繰り返された場所だ。そういう場所には、感情の滓が残りやすい。


「止まれ」


私は手を上げた。


風が、ぴたりと質を変える。


水の匂いに、わずかな焦げ臭さが混じった。火ではない。瘴気が地脈へ擦れた時の匂いだ。ツバキもそれを感じ取ったのか、鎌を構え直して目を細める。


「いる?」


「近い」


(マジか)


「騒ぐな。気づかれる」


(お前が“近い”とか言うと心臓に悪いんだよ)


心臓に悪いも何も、お前は今刀だろうが。


そう言い返そうとした時、視界の端で、水面のように空気が揺れた。


人の背丈ほどの高さ。


輪郭は不明瞭。


顔があるようでなく、腕があるようでなく、煙と泥を混ぜたような体が、木立の陰でゆらりと揺れる。その中心部だけが妙に黒い。見た目だけなら、そこらの上級悪霊と大差ない。気味が悪いのもいつも通りだ。


問題は、その気配の“運び方”だった。


こちらを見ている。


見ているくせに、すぐ逃げない。


本能だけで動く悪霊なら、もっと単純な揺らぎ方をする。獲物を見れば寄るか、危険を察せば散る。ところが、こいつは間合いを測るみたいに立ち止まっていた。


「ほらね」


私は小さく呟く。


「不自然だろう?」


ツバキの表情からも笑みが消えていた。


「……たしかに、いやな感じ」


(どうする?)


「どうするも何も、追う」


「和茶ちゃん、無茶しないでよ。街の外縁近いんだから」


「わかっている」


悪霊は、こちらが踏み込むのを待っていたかのように、すっと後ろへ滑った。


走るのとは違う。地面を蹴ってもいないのに、影だけが吸われるみたいに距離を取る。


「ヒロ」


「おう」


私は鞘からヒロを抜いた。


童子切弘宗。


まだ名負けしている部分はあるにせよ、この小僧はこういう時だけ反応が早い。風を纏わせれば刀身が薄く青白い光を帯び、水気を含んだ常世の空気の中で輪郭が冴える。


「ツバキ、お前は左を切れ。逃がすな」


「はいはい、了解」


「雑だな返事が」


「和茶ちゃん相手ならこれで十分でしょ」


十分ではないが、今はよい。


悪霊がまた揺れた。


そのまま背を向けて走り出す……のではなく、こちらをちらりと振り返るような気配を見せてから、木立の奥へ溶け込む。


本当に、気持ちの悪いやつだ。


生き物の本能だけで動いているなら、ああいう“見せ方”はしない。挑発か、それとも誘導か。どちらにしても、考えている。


(おい、追うってことはまた管轄ギリギリ行くんじゃないだろうな?)


「うるさい。今は集中しろ」


(帰ったら始末書の相談するからな)


「その時はお前にも書かせる」


(刀にどうやってペン持たせるんだよ!)


くだらぬことを言いながらも、私は足を踏み出した。


第5地区の仕事は、いつもこうして始まる。


土地を読み、痕跡を拾い、面倒ごとを見つけ、結局自分からその中心へ飛び込んでいく。


神とは、つくづく損な役回りだ。


……まあ、少しばかり面白いのも事実なのだが。


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