肉食小夜子の旅の終わり 1
小夜子が聖ハイデンの使徒となってから数日が経った。
小夜子は今帝国の屋敷にて、アリーと戯れ、アレクシスと寄り添い、何も予定を入れずにその日暮らしをしている。
全てが終わり天上から地上へ戻った小夜子は、小夜子の事情の全てを余す事無く夫達に話して聞かせた。
「私は以前、別の世界で生きていたんだけど、女神ティティエの不注意で死んでしまったの。だから慰謝料代わりに思いつく限りの能力、スキルを備えた体をティティエに作ってもらってこの世界に生まれ変わったのよ。生まれ変わったからには好きなことして生きてやろうと思ったんだけど、私の運のランクだけが物凄く悪くてね。このままだと周囲にも災いを招くってティティエに脅されて、運のランクも上がるからっていう事でティティエの神力を集める旅をさせられていたの。でも今にして思えば、運のランクだってティティエの匙加減一つで操作できたのかもね」
小夜子を良いように使い、ティティエは自分の目的を遂げようとしていた。聖ハイデンの話を聞いた後では、ティティエの言い分の全てが疑わしく思えてくる。
ティティエの言う事を疑いもしなかった自分の間抜けさにがっかりもするが、その時は小夜子の考え得る最善を尽くしたのだ。腹は立つが過ぎた事はもう考えないようにする。
「それでその内、ティティエが神力を集めるだけでは飽き足らず、聖ハイデンを倒すって言い始めたのよ。昔の信徒達の願いや呪いに囚われて禍つ神に転じた女神を聖ハイデンも見過ごせなくなって、結果ティティエが聖ハイデンから返り討ちにされたって訳。邪神ティティエは私が完膚なきまでに叩き潰してこの世から消したから、私自身にも私の周囲にも災いが降りかかる恐れはもう無くなったの。信じられないかもしれないけど、これが私の抱えていた事情の全てよ」
「そういう訳だったのか」
「そっかあ。大変だったねサヨコ」
自分で言っていても荒唐無稽な話だと思うのだが、小夜子の夫達は驚くべき柔軟さでこの話を受け止めてくれた。
イーサンは小夜子の説明のつかない不可思議な言動に何度も触れており、納得の行く所が多々あった。
アレクシスは小夜子の能力に関しては理解の及ばぬ部分がほとんどであったが、小夜子の作り出す先進的な建築物や道具は、他の世界の知識から作り出される物だったのかと腑に落ちた。ヴァンデール帝国より数十年先の発展を見せる、海の向こうのウルスラ共和国でも小夜子の作り出す建築物や機械と同等の物はまだ作り出せないだろう。
これまで感じていた小夜子の異質な部分の説明がついてすっきりした2人だった。そしてそれ以前に大空に映し出された神の啓示を世界中の人間が目撃している。この事だけでも小夜子が聖ハイデンの使徒である事を否定できる者はこの世界には居ないだろう。
「サヨコ。私達を巻き込まぬために1人で戦っていたのだな。辛い思いをさせた。だがこれからはなんでも話してほしい。私達は生涯苦楽を共にすると聖ハイデンに誓ったのだから」
「そうだよ、サヨコ。これからは何か問題が起こったらみんなで悩んで解決していこう。もう1人で抱え込まないでね」
本当に小夜子の夫達と来たら、小夜子が言われて嬉しい言葉ばかりを言ってくれるのだ。
「アレクシス、イーサン、ありがとう。これからも頼りにしてるわ」
ほんの少しだけ不安もあったのだ。
ティティエに創り出されてこの世界にやって来て、今度は聖ハイデンに体を作り替えられて使徒の身となった。人の身から完全にはみ出した存在になった小夜子をアレクシスとイーサンはこれまでと変わらず受け入れてくれるのかと、今回のカミングアウトは小夜子も少なからず勇気を要する物だった。
しかしアレクシスとイーサンは小夜子の話を躊躇いもせずに受け入れてくれた。小夜子のこれまでの孤軍奮闘を労わり、これからは悩みや問題があればかならず相談するようにと夫達は小夜子にその上で念押ししてきた。
これからは夫達をもっと信じて頼らなければと、この点は小夜子も反省する所である。
とにもかくにも夫達への隠し事も無くなり、心身共に非常にすっきりした小夜子だった。
夫婦間の話し合いが終わると、イーサンはオーレイに戻っていった。
イーサンはコルネリアに新婚旅行に行ったからと、しばらくは小夜子との時間をアレクシスに譲るのだそうだ。
しかしイーサンは父親業を休むつもりはないようだ。コルネリア滞在中にアリーと会えなかった分、イーサンはオーレイから転移でヨーク邸にやってきてはアリーと存分に触れ合い、気が済めばオーレイに戻っていく。
夫達は王国と帝国で住み分けをするとか言っていたような気もするが、気が付けばイーサンは気ままにオーレイとヨーク邸を行き来するようになっており、アレクシスもそれを許している。
屋敷の守りはまだ私兵が充足しておらず、王宮から近衛兵を借り受けている状況だ。小夜子が屋敷に居ればこれ以上望めない最強の守り手となるのだが、ふらりとヨーク邸に顔を出す現役Sランク冒険者でもあるイーサンは、アリーの警護の観点からも屋敷の使用人達には非常に歓迎されている。
周囲が友好的に関係を築いてくれている事に小夜子は非常に感謝しているが、周囲は夫達を筆頭に小夜子の生活が恙なく回る事に心血を注ぐチームとなっているのだった。
帝国に戻ってきてしばらくは親子でのんびりと過ごし、携帯通信機も放り投げ見向きもしなかった小夜子だったが、久し振りに通信機を見てみるとライアンからの連絡が何十件と入っていた。他はジェイムズが1件、ジェフが1件、レインから1件、着信があった。
ライアンと比べると他の面々は何とも遠慮深く、折り返しの連絡があるまで小夜子をそっとしておいてやろうという気遣いを感じる。小夜子はジェフに無事の報告をし、レインにはもうしばらくしたらオーレイに顔を出すと約束し、ジェイムズにはスチュアート家の訪問をヨーク邸で受ける約束をする。
最後にライアンに電話をすれば案の定、コルネリアにお願いだから一度顔を出してくれと懇願される。大司教に頼み込まれているのだろうが、小夜子としては教会案件は出来る限り後回しにしたい。出来れば関わらずに済ませたい。ライアンへはそのうちにと伝えて通信を切る。
聖ハイデンとは個人的な繋がりができたと言えなくもないが、小夜子と教会自体は何ら関係が無いと小夜子は思っている。
しかし小夜子と繋がりを持ちたい教会やら、貴族やら、どこぞの国やらが小夜子の友人達を困らせるような真似をするならば、躾をして回らねばならないかもしれない。非常に面倒ではあるが、必要に迫られたら動こうとは思っている。
とにもかくにも、女神ティティエとの悪縁は晴れて切れた。これからは不運や災いの心配などせずに、愛する家族と親友、隣人達と、心の赴くままに交流を深めていけるのだ。
小夜子はこれからの生活基盤をどうしていこうかと、アリーの成長も考慮しながら楽しみに考えていた。
しかし、時間が経つにつれ小夜子の周囲の騒がしさは、落ち着くことは無く増していったのだった。
今日はスチュアート家一同が揃って、ヨーク邸を訪ねて来てくれた。
アレクシスは仕事に出向いており、女主人の小夜子がにこやかにスチュアート家一同を屋敷へ招き入れた。格好は相変わらずの冒険者スタイルだが、女主人としての歓待を小夜子から受けるとはと、ジェイムズとロレーヌも非常に感慨深いものがあった。
本日のスチュアート家のお供には珍しくルシアンも随行しており、アンドリューに手土産を渡している。今日の手土産はスチュアート家の料理人が腕を振るった、糖蜜のタルトがワンホール。甘さとスパイスがガツンと来る、小夜子も大好きなスチュアート家の名物スイーツだ。
小夜子がタルトを喜べばルシアンもニコリと小さく微笑む。
事前に断りをもちろん入れていたが、離宮の一件があってから今日は初めてスチュアート家からのスイーツが小夜子に届けられた。小夜子が喜んだと聞けば、スチュアート家の料理人達も文字通り泣いて喜ぶだろう。
今日はスチュアート家使用人達にとっても喜ばしい、主一家のヨーク邸への訪問であった。
早速糖蜜パイをテーブルに並べ、小夜子とスチュアート家の久しぶりのお茶会となった。
やはり最初の話題は、数日前の聖ハイデンの啓示についてである。
世界中の大勢の人々に目撃された神の啓示の中で、どれだけ贔屓目に見ても小夜子の振舞いにはいささか問題があった。
「サヨコ、君がうら若き女性の髪を掴んで床に引き倒し、躊躇もせず殴り始めた時はどうしたものかと思った」
「でもその女性がみるみる姿を変えて魔物になったから、サヨコは正義の戦いをしてるんだってホッとしたよ」
ジェイムズとパーシーの、先日の天からの啓示を見ての感想である。
「本当に驚いたけど、サヨコは聖ハイデンの使徒様だったって言う事なのよね?」
「・・・・まあ」
エリザベスの質問には、物凄く歯切れ悪い回答を小夜子は返す。
神や魔法が存在する世界なので、小夜子が使徒だと聞いても皆驚かないのかと思ったが、使徒も神も聖典の中の話だとスチュアート家は笑っている。
そうであれば今回の神の啓示は世界を揺るがす大事件であったと思うのだが、有り難い事にスチュアート家の面々は以前と変わらずに小夜子に接してくれる。何なら普通の娘を心配する親のようにジェイムズは小夜子に言葉をかけてくれるのだ。
「とにかくサヨコに怪我が無くて良かったよ。サヨコは結婚して母親になったんだ。これからはあまり危ない事はしないように」
「わかったわ」
怪我どころか死にかけたのだが、本当の事はとても言えない。小夜子はジェイムズに良い返事だけを返しておいた。
そしてスチュアート家を屋敷に招いたのは、最近のスチュアート家の近況の確認をしたかったからもある。
「スチュアート家やスチュアート商会には私の所為で何か問題が起きてない?」
「対外的には何も問題は無い」
「対外的には?」
「サヨコ。コルネリアのお祖父様が、父上の通信機にひっきりなしに連絡をしてくるんだよ。それが問題と言えば問題」
「ああー」
小夜子にも非常に心当たりがあった。
朝な夕な、ライアンからは小夜子に連絡が入る。
コルネリアで巻き起こっている騒動について、ライアンから逐一報告があがってくるのだ。コルネリアは常時、熱心な信徒達が聖地の巡礼に集まっている。各国の駐在員もコルネリアには常駐している。その状況で、今回の聖ハイデンの啓示が全世界に下された。小夜子がティティエを殴りまくるのに終始する内容だったのだが、その啓示の解釈はコルネリアの教会本部で行われ、また世界中に啓示の意味が発表されるのだそうだ。
啓示の意味も何も、見たそのままの出来事でしかないのだが、宗教的な意味を持たせなければ更に世界の混乱を招くのだろうとは小夜子も察する所だ。
「ライアンから私にもひっきりなしに連絡が入るの。とにかく一度コルネリアに来てくれって。でも、ゴメン。行きたくなさ過ぎて。後回しにしてたのよねぇー」
小夜子のげんなりした様子に、アリーをあやしてくれていたロレーヌが笑う。
「サヨコさんが行きたくないなら行かなくっても良いんじゃなくて?聖ハイデンの使徒様に無理強いをするのは良くないわ。公女様もそう思いますわよねー?」
膝の上のアリーに話しかけ、ロレーヌはよいしょとジェイムズにアリーを手渡す。喜んでアリーを受け取ったジェイムズは、危なげなくアリーを膝の上に乗せた。スチュアート家とヨーク家はもはや家族ぐるみのお付き合いとなっている。アリーは定期的に交流のあるロレーヌとジェイムズには安心して身を任せ、嫌がらずに抱っこされている。パーシーとエリザベスは赤子への接し方の勝手が分からず、まだまだおっかなびっくり遠巻きにしている所だ。たまに2人がアリーを膝に乗せられ、お互いに緊張している様などは見ていて非常に微笑ましい。
アリーをジェイムズに預けたロレーヌは、アリーに向けていたのと同じ柔らかな表情で小夜子に微笑んだ。
「サヨコさんは、十分に頑張ったわ。きっと私達が知らない所でも、今まで沢山頑張って来たのよね。離宮でも辛い事があったわね。色々な事を乗り越えて我慢して、こんなかわいい盛りの公女様と愛しいヨーク公から離れて。遠くコルネリアにまで行って大業を成して、それを世界に示したの。だからこれ以上は私達もサヨコさんに求めてはいけないわ」
「ロレーヌ・・・」
不覚にも小夜子の目頭が熱くなる。
今回もスチュアート家に降りかかる困難があれば解決しなければと小夜子は考えていた。しかし、スチュアート家は小夜子が思う以上に小夜子に寄り添う家族のようになってくれていたのだ。
小夜子はこれまで知り合った人々の全てを守るべき存在だと思っている。それは今でも変わりないのだが、小夜子と知り合った人々が小夜子へ寄せる想いには思えば無頓着だったかもしれない。
小夜子は一方的に知人や友人を守護し、それで満足していた。
しかし、夫達やオーレイの爺婆達はもちろん、ポート町のノエルやジェフ、王都のバトラー家、そしてライアンから繋がりを得たスチュアート家、思い返せば皆が小夜子を心配し、労わってくれていたのだ。
今頃気付くとは、なんと周りが見えていなかったことか。
ポロリと一粒小夜子の目から涙が零れると、隣のエリザベスが小夜子の手を両手で握った。
「そうよね。小夜子は凄い力を持っているけど、何も感じない訳じゃないわよね。何か大変な事や辛い事があったら、何でも私達に言ってね。ヨーク公爵様とイーサン様がいるから、大抵の問題は片付くとは思うけど、女同士でたまには愚痴を言い合ったりしましょうよ」
「頼りないだろうけど、僕も話を聞く位なら出来るし。力になれる事があればいつでも言ってよ」
反対隣りのパーシーも力強く小夜子の手を握ってくれる。
スチュアート家の温かな気遣いに感激した小夜子は唐突にやる気を出した。
「よし、やるわ!私、ごちゃごちゃ騒いでいる奴らを、片っ端から黙らせて回るわ!!」
「待ってサヨコ。母上の話を聞いてた?サヨコが周囲に煩わされないように、みんなで対応するよって話だったよね?」
「うん。みんな、本当にありがとう。良く頑張ったって言ってくれて嬉しい。すごく嬉しかったから、私は大切な友人達のためにやれる事をやる」
「サヨコ、無理してない?私達のために気が進まない事をしなくてもいいのよ?」
スチュアート家の面々は小夜子を気遣わし気に見つめる。
「私にもライアンから連絡は入ってたの。また周りが騒がしくなるのかって思ったらちょっと憂鬱だったんだけど、みんなのお陰で元気が出たわ。それに面倒臭いだけで、無理じゃないから大丈夫。面倒だからって後回しにしていても今回の騒ぎは収まらないだろうしね。だから、とっとと片付けるわ!」
小夜子自身、自分を客観的に見ても人の枠からかなり外れてしまったと思う。
神と混同され、周囲から畏怖と共に遠巻きにされるか、もしくは様々な思惑の人間達が小夜子に群がってくるのか。とにかく小夜子を取り巻く状況は一変するだろうと思われる。
しかしオーレイやスチュアート家の面々のように、以前と変わらず小夜子に接してくれる者達もいる。小夜子が大切に思う近しい者達が小夜子を分かってくれているのなら、それで十分ではないか。
思い立ったらすぐ行動する小夜子は、早速これまでの及び腰が嘘のように精力的に活動し始めた。




