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消えない傷跡  作者: 桜雪月
8/10

8

雅之とは最寄り駅で待ち合わせをした。映画館がある駅は、私達の最寄り駅から、急行で十五分である。

「今日は楽しみだな!」

半袖半ズボンで、野球帽を被っている雅之は、既にワクワクしていた。

駅で乗車券を買って、ホームに降り立つ。次の急行まで五分ほどだ。

「なあ、南。気分が悪いのか。顔色悪いぞ」

心配そうに、顔を覗き込んできた。正直、脇腹や背中の痣が腫れていた。

「別に。なんでもない」

ほんとか、大丈夫か、としつこく聞いてくるので、鬱陶しかった。

「だから、平気だって言っているじゃん」

「な、何だよ!気に掛けているだけだろ!」

急行電車が到着した時、雅之は不機嫌になり、むすっとしていた。そのまま十五分、お互いに無言のまま電車に揺られた。

目的の駅に着くと、乗車客の大半が、一斉に降りた。

「…混んでいそうだな」

「ほんと」

一ラリー、会話をして、再び沈黙する。改札口を出て、映画館があるショッピングモールへ向かう。土曜日ということもあって、多くの家族連れや学生がモール内にいた。

「なあ、折角の映画だから、楽しくいこうぜ」

雅之がぽつりと話してきた。

「そうだね。ごめん」

客観的に考えて、非があるのは私なので、一言謝る。

「俺も、ごめん」

ぎこちない空気はまだ続く。

「あ、あのさ。今日映画午後三時からだろ。終わったら夕飯食べるか?」

わざとらしく、話題を投げ掛けてくる。

「食べる」

痛みを代償にして抜き取った四千円が、私にはある。

雅之はぱあっと笑顔になった。

「よーし。決まりだな。俺三千円くらいしかないけど、南は」

「四千円」

「えっ、すげえな。お前の母ちゃん優しいな」

羨ましそうに見てくる。うちの母に会ったら、そんなことは言っていられないだろう。

「まあ、どこへ行くかは映画終わったらで良いか」

映画館で、雅之が予約していたチケットを買う。私は小学生料金で八百円だ。

「ポップコーン、買う派?」

ポップコーン売り場の前には、長い行列が出来ていた。並んでまで欲しくはない。

「いらない」

映画の上映時間十分前だったが、早めに入った。雅之曰く、映画の予告編は見て損は無いらしい。確かに、全く興味が無いアメコミ映画の予告編も面白かった。


映画泥棒や、マナーについての映像が流れた後、映画が始まった。

物語序盤から、当然のように、ゾンビが出て来た。化学兵器の影響、未知のウイルス、新種の病気など、ゾンビが発生する原因は一切説明されていない。数少ない人類は、ゾンビに殲滅されかかっている。

そこへ現れたのが、地球外生命体であるエイリアン。彼等はゾンビを食糧として捕食する。

一見すると、人類の救世主かと思われるが、エイリアンはゾンビのみならず、残っている人間まで捕食対象としている。

主人公の軍人ウィルは、ゾンビとエイリアンどちらとも戦いを繰り広げる。

隣に座っている雅之は、血飛沫のシーンが出る度、おわ、ぎょえー、とリアクションを取っている。これではっきりとした。雅之はB級映画マニアだ。

よく分からないストーリーとグロさを取り敢えず入れとこうという姿勢。この映画にはそれらが勢ぞろいしていた。

死ぬ間際、叫びながら銃をぶっ放す人、手榴弾を抱えてエイリアンに突撃する軍人、うまく隠れていたのに、恐怖で悲鳴を上げる女性、最終的にエイリアンに乗っ取られるというバッドエンド。どれを取っても、ふざけたような内容である。

「いやー、最高だったな!」

映画を見終えて、雅之は興奮していた。

「映画史に残る傑作だな。特にハッピーエンドで終わらせない所に、監督としてのプライドを見させられたっていうか」

「謎の終わり方だけどね」

私が変な発言をしたかの様なリアクションを取る。

「いや!それは、こちら側の解釈に委ねられている所でしょ!」

これ以上揉めたくはないので、追求はしない。

雅之は腕時計を見た。

「丁度五時半か。南、なんか食べたい物あるか?」

「ピザ、ラーメン、餃子、パスタ、たこ焼き、アイス、うどん、お好み焼き、オムライス」

「どれか一つだったら?」

頭の中で反芻する。強いて挙げるならば…

「オムライス」

「いいね!久しく、オムライス食べていないわ!喫茶店に、大体オムライスあるからさ。探そうぜ」

駅付近には、おしゃれなお店が並んでいる。店先に観葉植物を置いている雑貨屋、ペットを連れて入ることの出来るカフェ(オムライスは提供していない)、親子が行列を形成しているクレープ屋。

「お、いいじゃん」

雅之が関心を持った店は、古風な喫茶店だった。喫茶生田と書かれた木の看板は、チェーン店にない雰囲気を醸し出している。店前に置かれているミニ黒板には、絶品オムライス八百円と記載されている。

「ここにするか?」

返事の前に、お腹が鳴った。雅之が腹を抱えて笑う。

「返答不要だな」

扉を開けると、チリン、チリン、と小さなベルが音を立てた。店内は多くても十五人程度しか入れない広さだ。おじいちゃんとお婆ちゃんが一つのテーブルに、向かい合って座っている。

「いらっしゃいませ」

五十歳くらいのマスターがカップを布巾で拭いている。

空いているテーブル席に、座った。

「オムライスだけ?それとも、他頼むか?」

雅之がメニュー表を見せてくる。

「オムライスの後に、メロンソーダ」

瞬時に答えた。

「オッケー。俺も決まった。注文いいですか」

マスターがじょうろのような物を片手に、二つのマグカップをもう片方の手に携えて、来た。

「コーヒーは飲めますか?」

ゆったりとした口調で聞いてくる。

「私、飲めない」

「分かりました。オレンジジュースを、持ってきますね。貴方は?」

雅之は躊躇った表情を一瞬したが、直ぐに笑顔で「飲めます」と答えた。

マスターはマグカップを一つテーブルに置いて、じょうろからコーヒーを注いだ。味は苦いので嫌いだが、コーヒーの香りはとても落ち着く。

「注文は何になさいますか?」

「ええと、オムライス二つお願いします」

「かしこまりました」

オレンジジュースを持って来てくれた後、マスターは奥の厨房へ消えて行った。

雅之はコーヒーに手を付けず、ずっと私がジュースを飲む姿を観察していた。

「飲まないの?」

「ん、ああ、飲もうと思っていた。俺、コーヒー好きだからさ。ショートケーキも苺を最後に食べる派で…」

途端に饒舌になった。

「雅之、コーヒー飲めないでしょ」

ぎくり、と顔を強張らせた。耳が真っ赤になっている。

「え、飲めるよ。何を言っているんだか。俺は大人だぞ!」

勇猛果敢にぐいっ、とマグカップを傾ける。喉が上下に動き、顔のパーツが中心に寄る。

「苦いっ!」

テーブル上に置いてある角砂糖を二個、口に放りいれ、舐める。

「ほら、飲めないじゃん」

雅之はしゅん、と小さくなった。

「いつもは、飲めるんだけどな…」


やがて、厨房から卵の良い香りがして来た。マスターは一つの皿を両手でしっかり支えて、私達のテーブルへ来た。

「お待たせしました。当店自慢のオムライスです」

光り輝く左右対称の楕円形。その上にジグザグとケチャップがかかっている。パセリとトマトがちょこんといるのも可愛らしい。

もう一皿来た時には、私達のお腹は、オムライスを熱望していた。

「「いただきます」」

スプーンで端の部分をすくい取る。断面には、薄オレンジ色のケチャップライスが現れた。一口食べる。卵のふわふわした感じと、バターの風味がライスを包み込んでいる。そのライスには甘い玉ねぎとコーンが、ケチャップと掛け合わされて、ベストパフォーマンスを叩き出している。

「うめえ!」

雅之は一心不乱にオムライスを食べている。野生のイノシシみたいだ。

中央に食べ進むにつれて、卵のとろとろ具合が本領を発揮してくる。とぅるん、と口の中でとろけて、消えていく。

「こんな、美味しいオムライス初めて」

「だよな!最高」

最後の最後まで、美味しいオムライスだった。お腹は一杯である。

「もう、入らないだろ?」

「メロンソーダは頼む」

「まじか」

甘い物は別だ。驚く雅之を他所に、メロンソーダを注文する。

「いやー、南の食い意地には負けるよ」

私がアイスをたいらげるのを眺めて、雅之は感心していた。


会計を終えて、喫茶店を出る頃には、外は暗かった。

「七時半か。もう帰らなきゃ」

あの家に帰る、雅之の言葉で一瞬のうちに、夢から醒めた。

「今日は楽しかったな」

帰りの電車で、雅之は何度もそう口にした。

「うん」

何度もそれに答えた。いつまでもあの世界に居たいと心から願った。

電車の窓から見える風景が、段々と馴染みのある景色へと変わっていく。それに対応して、私の気分も落ち込んでいく。

夜遅くに、小学生が、一人で歩いて帰るのは危険だと、雅之は家の前まで送ってくれた。

「今日は楽しかった。また一緒に行こうぜ!」

「私も…楽しかった」

変な間が空く。

「もう、帰って良いよ」

「南がきちんと家に入るまで、俺は見守っているよ」

「そ、じゃね」


視線を背中に感じながら、ボロい戸を開けて、ゆっくり鍵を閉めた。母と男の汚らしい声が居間から聞こえる。靴を脱いで足音を立てないように、自分の寝床へ向かおうとした。

ずさずさ、床に積まれている雑誌を蹴り倒してしまった。

居間にいる二人の声が途絶える。母が居間から出て来た。

「あんた、どこ行っていたの?」

「そ、そこら辺を散歩…していた」

「嘘。私の財布からお金奪ったでしょ!返しなさいよ!」

頰を叩かれる。

「ぬ、盗んでいない」

更に強烈なビンタをされる。

「朝起きたら、四千円無くなっていたのよ!あなた以外に考えられないでしょうが!」

母の怒号とともに、唾が飛んで来て、私の鼻に付いた。不快感で、顔を顰める。

「何よ、その反抗的な態度は!」

今度はグーで頭を叩かれた。

「わ、私は盗んでいない!」

頭頂部を抑えながら、必死で訴える。

「もっと痛い目に合わなきゃ…」

怒りで目が釣り上がって、大きく拳骨を振りかぶった。痛みに耐えるため、目をぎゅっと瞑った。

「ごちゃごちゃうるせえ!」

どん、と何かを蹴り上げて、タトゥーの男が居間から出て来た。母は恐怖で身を竦める。

「おい、財布から金を取ったんだろ?」

鋭い目つきで、問いただしてきた。がっしり掴まれた目線は外す事が出来ない。

「ぬ、盗んでいません」

次の瞬間、空間がぐねりと歪んだ。天地が逆転して、床に叩きつけられた。ぎゃ!叫び声に遅れて、痛みがやって来た。

「痛い!痛い!痛い!」

床をのたうちまわる。体のどこか一部分が取れてしまったかの様な激痛だ。鼻から血が吹き出る。

チャイムが鳴って、扉がバンバン叩かれる。

「おい、南!どうした!おい!」

まだ帰っていなかったのか。

「雅之!たす、けてっ」

這いずって、外へ逃げようとする私の首を、巨大な手が掴んだ。ぐい、と持ち上げられて、息が出来ない。

「海外では窃盗は、絞首刑だ」

逃れようとするが、両手は空を掻くだけだ。

「お…母さん…たす…け」

母は座り込んでいる。両目を瞑って、両耳に手を当てている。これから起こる惨劇を見聞きしない様に己を防衛していた。

涙が両目から溢れる。最後の最後まで、くそったれ…

小さな雷鳴みたいな音が轟き、ドアが蹴り破られた。

「南!」

雅之が一直線にタックルする。首を絞める力が弱まったので、両手の爪をぐっと突き刺す。があっ、男は私を投げ飛ばした。

壁に思い切り叩きつけられた。夕飯の中身を全てぶちまける。体のあらゆる部分が悲鳴を上げて、上手く呼吸が出来ない。

「南!よくも、この野郎!」

雅之が殴りかかるが、大人の男との体格差は絶望的だ。腹にボディブローが入る。雅之も胃液を吐き出した。腹を抱える雅之の顔面を躊躇なく殴りつける。白い塊が空を舞う。それは私が倒れている場所に、ころんと転がり込んだ。

雅之が口を押さえて泣き叫ぶ。負傷箇所を押さえている両手からは、血が滝の様に流れ出る。

「はは!歯が抜け変わりの時期か?」

男はコメディショーの俳優の様に、手を叩いて笑っていた。理由は分からないが、下半身がとてつもなく膨らんでいた。

私はこの男を殺さなければならない。フラフラの体に鞭を打って、起き上がった。男は私に気がつく様子も無く、雅之を嘲笑している。無様な姿を至近距離で見ようと、屈んでいる。

凶器になりそうなものを、探す。付近には、ビール瓶が転がっていた。ためらう事なく、それを掴み、男の後ろに接近した。まだ気がつく様子が無い。

純度百パーセントの殺意を込めて、ビール瓶を振り下ろす。男の後頭部と瓶が触れた瞬間、バリンという音が響いた。瓶が割れて、男は後頭部を押さえて、じたばたしている。

回復する期間を与えずに、割れた瓶を男の首に突き刺す。男は目を見開いた。

何度も、何度も、何度も、首や顔面に突き刺す。咆哮が終わる頃には、男の顔は原型を留めていなかった。

母が悲鳴を上げた。その声は悲しみというか、恐怖心を表していた。母を無視して、雅之に駆け寄った。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないよ。そ、それよりも…」

口から血を出しながら、男だった物の方へ、目線を移した。

「仕留めた。しっかりと、息の根を止めた」

雅之の表情が一変した。

「南!お前…」

悲しげに、顔を歪ませる。

「何で、悲しそうなの?どうして?こいつはクソ野郎だよ?」

「確かに、とんでもないクソ野郎だ。でも、この世界では、人殺しは最も許されない行為なんだ」

「どうしてよ!もう少しで、雅之が危なかった。こいつなんかの命より、私は雅之の方が大切」

何で分かってくれないの?

「ごめん、ごめん、俺がもっと強ければ…」

雅之は再度号泣した。私もそれを見て号泣した。私にとっての正しいことは、この世界では受け入れられないらしい。

誰が呼んだのかわからないが、二十分後にサイレンが鳴った。警察車両と救急車が到着し、雅之と私は別々の救急車両で近くの病院まで搬送された。救急車に乗車する直前、警察の人が母に事情聴取をしている姿が見えた。


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