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夏休みも終わりに近付いていた。頻繁に家へ訪れる、龍のタトゥーの男から逃げる様に、私は雅之と一緒に過ごした。
今日は雅之の家でスマブラをやっている。
「喰らえ、pkファイア」
大振りの攻撃をかわして、小攻撃のコンボを決める。
「あっ、ちょっ」
ハメ技からの、強攻撃で吹っ飛ばす。
「やべ」
復帰しようとするのを、メテオで落とす。雅之は単調すぎる。
「ぐわぁ。10連敗かよ」
「雅之、弱過ぎ」
「いや、南が強いだけだ。お前、大会に出られるぞ」
煎餅をばりばり食べながら、喋る。食べかすが飛んで来る。
「そう言えば、アプリ使っているか?」
一枚煎餅を取る。
「いや、やっていない」
必要性を感じていなかった。
「勿体ねえな。同じ趣味の人とかと繋がれるのに」
「興味がない」
「そっか、それより!アチいしさ、プールでも行かねえか?」
半袖のシャツをパタパタとさせている。
「いや」
雅之には、リストカットのことは隠している。言う必要も無いし、言いたくは無かった。
「釣れねえな〜。じゃあ、映画は?」
「なんの?」
「ゾンビ映画」
あー、と呻きながら手を伸ばす。
「それなら良いよ」
雅之の表情が明るくなった。
「お、まじ!」
「いつにする?」
「今週の土曜は?」
「オーケー」
「そうと決まれば、予習でもするか」
ゲーム機の電源を落として、隣にある棚をガサゴソあさっている。
「あれー、あったはずだけどなぁ」
「何を探しているの?」
「ザ・ゾンビ。ゾンビ物と言えば、それだろう。確か三年前に買った筈だけどな」
何処だ、雅之は根気よくDVDを探している。
「あった、これだ」
棚の中から、DVDを取り出す。
「名作中の名作。CGは古いけれど、楽しめるよ」
リモコンを操作して、DVDプレーヤーを開けた。ディスクを載せて、読み込む。
「南、今の内にトイレへ行っトイレ。ちびるかもしれねえから」
「その親父ギャグ、面白いと思っているの?」
「うるせえ」
トイレから帰って来た私を見るなり、リモコンの再生ボタンを押した。
オープニングが流れる。不気味で恐ろしい音楽が聞こえて来る。
「怖いぞ」
隣に座る雅之が、警告してきた。
舞台は、田舎町。新人警官であるサムが、連続殺人事件を追っているうちに、人外の存在に気づき、戦うという話だ。よくあるような話である。
舞台終盤、ゾンビの群れに囲まれたサムは、ここまでか、と諦めかける。絶体絶命の大ピンチ、そこに現れたのは恋人のアン。大型車両でゾンビをなぎ倒して、サムを助ける。
エンディングは、サムとアンのキスシーンで締め括られる。ちりばめられた伏線を、いくつも無視した強引な終わり方で、名作とは言い難い。
「な、怖かったけど、最後は感動しただろ」
雅之は隣で泣いている。
「これどの監督?」
「ロベルト・ウィリー。「君が恋に落ちるまで」とか、「僕とドラゴンの友情」とか、決して有名とは言えないが、一部のマニアには大人気の監督だよ」
一度も聞いたことのないタイトルだ。
「予習として、他のゾンビ物も見るか?」
顔をワクワクさせて、尋ねてくる。
「いい。土曜の楽しみに取っておく」
「それもそうだな」
雅之は手に取っていたDVDを棚に戻した。
金曜日の夜、映画資金調達の為に、母が帰ってくるのを待っていた。夜八時ごろ、お酒に酔った母がぐったりとした様子で、帰って来た。目の周りには青白い痣が目立っている。
畳に転がり込むなり、泣き喚いた。
「なんで、殴られなきゃいけないのよう。痛いよ、辛いよ、怖いよ」
赤ちゃんみたいに泣く母は、醜く、汚らしかった。鼻水を垂らして、化粧を涙でぐちょぐちょにして、グロテスクである。
早く眠らないかな、と見ていると、突如こちらをきっと睨みつけた。
「何見てんだよお」
呂律が回っていない。
「別に…」
「舐めてんじゃねえぞ!」
ばん、と立ち上がって、ふらついた様子で接近してきた。やばい目をしている。危険を察知して、避けようとしたが、あちらの方が早かった。
ばしん、と押し倒される。背中に刺激が走る。
「ごめんなさい」
息つく暇もなく、ローキックが脇に当たる。
「うぐっ、…なさい」
酩酊していて、聞く耳を持たない。
「ねえ!私、可愛そう、でしょ。出来の悪い、娘を、持って」
ひと蹴り、ひと蹴りが重い。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
降りかかる激痛を耐えながら、明日の映画のことについて考えていた。
(これが終われば、映画。後何十分耐えれば映画)
20回ほど私の体を蹴り上げた後、母は気持ち良さそうに眠りについた。その寝姿は幸せそのもので、気味が悪い。ずきずきする脇腹を抱えながら、母のバッグを漁る。
中の財布には、四千円入っている。有り金全部抜き出して、捨てるように財布をしまった。
久方ぶりにカッターを手に取った。しっくりくるということは、私の体が求めているということだろう。
長袖を捲る。腕に刻まれた横線が、うっすらとしている。傷のガイドに従って、刃をすーっと入れる。やはり痛い。母から殴られたり、蹴られたりするのとは違う痛さ。自分の命を削って減らす、そういう表現が当てはまる。皮膚が裂かれて、血が出てくる。体内から解放された、自由な血だ。
歪な真一文字が出来た。しょうがない、やり方を忘れていたのだから。これからまた慣れていくだろう。
すーすー眠る母を見た。無防備で、警戒をしていない。
もし、このカッターで母を切り裂いたら、殺せるだろうか。多分殺せる。首にぶっ刺して、ぐりっと捻る。首から夥しい量の血液が飛び散る。きっと美しい。噴水のように、血を出して、母は苦しみながら息絶えるだろう。そうしたら、あのタトゥーの男もこの家に来なくなる。いいことだらけではないか。頭の中で何回も予行演習をする。そっと近付いて、がしゅ、と刺して、捻りこむ。
覚悟を決めて、寝ている母に接近する。力強くカッターを握り込んでいる。これで苦しみとはさよならだ。殺す、殺す、殺す、殺意を鳴り響かせて、母の首にカッターを…カッターを…手が震える。
なぜだ、どうしてだ、こんなにも憎いのに、こんなやつ居なくても、なんとも思わないのに。
カッターが手から零れ落ちる。腕がだらりと下がって、膝から崩れ落ちた。
「なんで、親子らしいこと一度もしていないじゃん。切り捨てればいいじゃん。どうして…どうして…」
片方の目から雫が流れる。私の意志に反して、体が悲しんでいる。悔しい。どんなに憎んでいても、私は母を殺せない。




