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消えない傷跡  作者: 桜雪月
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白からの連絡は途絶えた。夏休みが終わり、私は新しい小学校に通うことになった。ホームルームが終わるなり、質問責めされて、正直鬱陶しかった。

軽くあしらっていると一週間後、誰も話しかけて来なくなった。それで良かった。人間関係なんて面倒だ。雅之で十分だ。

雅之は最近、アメコミのヒーローに嵌っているそうだ。

「アイアンマンのプラモがさ、二万円するんだよ。実家の店番だけじゃ、とても買えねえ。親にバイトしたいって、言っているのに、うちの手伝いをしろ、だと。もう頭にくるよ」

「大変そうだね」

「まあ、南に愚痴っても、仕方がないんだけどよぉ。やってられねえぜ」

それから、話題は私の新しい学校へと変わった。

「どお、慣れたか?」

「そこそこ」

「嫌な奴とか居ないか?」

「今のところは」

「友達出来たか?」

次から次へと、質問を投げかけてくる。

「雅之、お節介」

「俺はだな!南のことを心配して!」

画面上からでも、雅之が鼻をぱかぁ、と開かせている様子が分かる。

「知っている。ありがと」

雅之は、本当にいい奴だ。欠点もそれなりにあるけれど、それを補って余りある、優しい心の持ち主だ。

この世界に神が居るとしたら、そいつはクソである。だって、この世界自体がクソだから。でも、細やかな希望もあるにはある。

柄でもないことを考えていると、アプリの通知が来た。フレンドからの新着メッセージだ。

雅之が、またなんか、愚痴っているのかな、とアプリを開く。

「この前の話、まだ有効?」

それは、白からであった。

「どうしたの?何かあった?」

返信を待っている間が、とても長く感じた。壁に掛けてある時計が、たく…たく、と秒針を刻む。

「今週の土曜日の午前十一時、前の猫カフェで会えない?」

文面では伝えたくないらしい。

「分かった」

何があったのだろう、白の決意を固める様な出来事。何よりあの話には、私の母を代わりに殺して欲しい、という条件を付けている。白はそれも承知しているのか、それとも考えられないくらい、ショック状態に陥っているのか。

土曜日まで、私の頭は白のことでいっぱいだった。雅之から、連絡が来ていた。それもスルーした。他の事に気を回す余裕が無かった。

猫カフェに入るのに、気分が余り上がらなかった。こんな日が来るなんて。私は、約束云々よりも白が心配だった。

店内に入ると、白はもう席に座って居た。付近の猫に目もくれず、ただじっと、人形の様に固まって居た。

声を掛けようか、どうか迷った。刺激を与えれば、今すぐに砕けてしまう。そんな雰囲気を纏っていた。

白が私に気が付いた。相変わらず綺麗な顔だったが、目は暗く澱んでいた。見ているこちらまで悲しくなる、その様な目だ。

「…ミケ」

暗黒から雫が生じては、落ち、また生じる。白は嗚咽を漏らし、手で顔を覆った。異変に気がついた店員が、こちらに寄って来る。白は途切れた声で、だい…じょ…ぶです、とそれを退けた。

自然と体が動いていた。白の隣に椅子を置いて座る。震える背中を、ゆっくりとした動作でさする。白の背中はとても小さかった。衣類越しにも、骨が浮いていることが分かる。

涙を出し尽くし、再び顔を上げた時には、白の目は真っ赤に腫れていて、声も嗄れていた。

「酔っ払った母がね、部屋に入って来たの。多分、気に食わないことがあったんだろうね。私を見るなり、殴りかかって来たの。意味も分からずに、私はごめんなさい、ごめんなさい、そう言い続けた。『お前を産まなければよかった』母は何度も叫んだ。勝手だよね。自分が産んだくせに。一度落ち着いて、タバコを吸ったかと思えば、また激情して。これ見て」

白は艶めく髪を上げた。髪の生え際に、ケロイド状の火傷痕が浮き出ていた。素肌が綺麗なだけに、余計それは痛々しく映る。

「私は、おもちゃじゃない!こんな扱いもううんざり。ミケもそうでしょ」

「うん」

殺意が芽吹いて来た。自分の母と白の母が重なる。

「私は間違いなく、白の母親を殺せる」

「私も、ミケを苦しめる悪の権化を消せる」

私達は一つの想いで通じ合っていた。肉親という鎖を、自分達で解くのだと。

「本当の名前を聞いても良いかな?私達運命共同体でしょ?私柚子。変な名前だよね」

「全然。私は南」

「素敵な名前だね。それじゃあ、南。一緒に頑張ろう」

柚子が差し出して来た手を、握る。細い腕なのに、強い握手だ。揺るぎない意志を感じ取れる。

「それで、具体的にどうする?」

「簡単な話。家の合鍵持っている?」

「うん、持っているよ」

「それを使って忍び込む。相手が大人だろうが、奇襲なら殺せる。これは実証済み。まず私が柚子の母親をナイフで殺す。次に、柚子がそのナイフを使って、私の母を殺して」

「どういうこと?」

「この国では、柚子が殺人罪を犯すと、罰せられる。だけど私ならば、保護法とかいうやつで、守られる。私の指紋の付いたナイフを使えば、柚子は捕まらない。もちろん、手袋を付けてね」

「南に罪を着せるなんて…」

柚子は、わなわな、体を震わせている。ここに来て迷いが翳りを見せて来た。

「良い?私は捕まらない。でも、柚子は捕まる。簡単な話」

柚子は顔を俯いて、黙ってしまった。

「ねえ、聞いて。私と柚子は親に縛られて来た。もし母を殺せても、捕まったら、いつまでも自由になれない。自由になろうよ?」

柚子が顔をこちらに向けて来た。微かな光が目に映し出される。

「…自由」

「そう。殴られることも、蹴られることも、命令されることも無い。本当の自由。ずっと望んでいたでしょ?」

「私、幸せになれるかな?」

「なれる。私と柚子で、掴もう。ね?」

一つ一つ言葉を解釈していく。深い溜め息を吐いた。覚悟が決まった様だ。

「うん!」

決行日は、明日。私は、明日柚子の母を殺して、彼女は私の母を殺す。心臓がどくどくする。私は興奮している、人を殺すことに。


業務用スーパーで包丁を購入して、リュックに入れた。電車に揺られている間、不思議と心が落ち着いていた。この感覚を、さざ波一つ立たない、と言うのだろうか。

柚子の最寄り駅は、案外近かった。電車で一時間未満だ。人の乗り降りも多く、盛況している。北改札口を出ると、そこには柚子がきょろきょろしていた。

「お待たせ」

「あぁ。南。良かった、来てくれた」

「ばっくれるとでも」

「疑っていた訳では無いけど…心配で」

目元には、隈が出来ている。昨夜眠れなかったのだろう。

「今ならまだ止められるけど、どうする?」

「そんな気は無いよ!覚悟はもう決まっている」

柚子の案内で、家へ向かう。

「徒歩十五分くらいだから。それで、凶器は」

周囲に、人の往来は無い。背負って居たリュックを前にして、開ける。ビニール袋に入っているそれを、柚子に見せる。

「長めのを選んだ。人の体なら簡単に貫通する。一突きで仕留められなくても、致命傷は与えられる」

「当たり前だけど、普段手にするカッターとは、違うね…」

柚子は固唾を呑んで、見つめている。

「大丈夫。今日で自由になれる。そうでしょ」

「うん。そうだね、もう少しで…」

それからは、黙ってただ歩いた。青空が広がっていて、雲一つ見えない。気持ちの良い陽光が道路傍の樹木を通って、私の肌に届く。鳥の囀りだけが聞こえる。タイトルを付けるならば、恐らく「平和」だろう。

「ここ」

柚子が立ち止まって、指を指した。私の家よりはましだが、それでも綺麗な家では無かった。壁は所々剥がれていて、狭い庭には雑草が生い茂っている。

「この時間は、まだいない。昼過ぎに帰ってくる」

おいで、と手招きをして、柚子は鍵を戸に入れた。がたがた音を立てながら、横にずらす。

「ぼろいよね」

自嘲気味に柚子は、言った。

「うちの方が酷い。雨が防げるだけ良い」

玄関に入って、靴を脱ぐ。忘れないように、持参したビニール袋にそれを仕舞う。

家の中も、やはり汚かった。衣類は散在して、ごみも地面に転がっている。座れる場所を作る為に、柚子は足でごみを隅に追いやった。

「後、一時間かな。あの人が帰ってくるまで」

「そう、帰ってきたら、まず何処に来る?」

「ここ、このリビング。お酒も入っているから、容易に殺せるよ」

「分かった。柚子は、どうするの?」

「どうするって?」

「私は、柚子の母親を殺す。それも、滅多刺し。もしかしたら、強いショックを受けるかもしれない」

「心配しないで。もう決めたこと。それに、私もそれをやろうとしているんだから、気後れなんてしない」

柚子は低い声で続ける。

「絶対に、あいつの最期を見届けてやるんだから」

その気迫に気圧された。初めて、柚子に対して、恐怖を抱いた。鳥肌がぞわり、と立って収まらない。

「大丈夫、南?」

もう元の柚子に戻っていた。

「何でもない」


頭の中で動きをシミュレーションする。心臓を右下から抉り出すように狙う。もし腕でガードされたら、直ちに引き抜いて、二撃、三撃を食らわせる。最初、足を狙って体勢を崩させた後、首を搔き切るのも良いかもしれない。

「そろそろ帰って来る時間だ。私はそこの押し入れに隠れているけれど、南はどうする?」

「違う部屋に居る」

包丁を片手に、リビングの音が良く聞こえる隣の部屋へ移った。万が一ここへ来ても、死角から一突き出来るだろう。

目を瞑って、感覚を鋭敏にする。自身の鼓動が感じ取れる。通常運転だ。右手にはずしり、と重い武器がある。今や、手にしっくりくる。

ハイヒールを地面に叩きつける音が、聞こえて来た。家の扉が乱暴に開かれて、標的は帰って来た。

「あー、しんどっ!」

アルコールが大分入っている。声も震えているし、ヴォリュームの調整が出来ていない。

靴を脱ぎ捨てる音と共に、奴は家に上がり込んだ。重低音を響かせながら、歩く。私はこの部屋へ入って来た時の準備をする。包丁を強く握った。

隣の部屋の扉が開かれる音がする。完全には閉め切っていない。倒れ込む様な音がした後、マッチを擦る音がした。タバコを吸っている、ということだろう。今、今がチャンスだ。

もう一度、我が身の状態を確認する。至って正常だ。徐々に呼吸回数を減らす。体勢を低く、重心を前方に移す。ゆっくりと部屋の扉を開ける。

微かに開かれた隣の部屋から、タバコの煙が漏れ出ていた。銘柄はセブンスター。母が吸っているブランドだから、すぐ分かった。

隙間から中を覗く。そこには、金髪で化粧の濃い、女が居た。目は鋭く、口は歪んでいる。柚子の母ということは、元々美人だったろうに、その原型は留めていない。

包丁を持つ右手を背中に回して、扉をそっ、と開ける。

女と目が合う。明白に驚いている。二拍置いた後、叫び始めた。

「は?あの子の友達?私が居ない時に、勝手に人を呼んだ訳ね!あなたもあなたよ!家主の許可無く家に上がるんじゃないよ!」

表情一つ変えず、柚子の母に接近する。豚みたいに喚き散らしている彼女は、立ち上がった。

丁度間合いに入った。隠していた包丁を女の心臓目掛けて、突き刺す。刹那、縦皺が刻み込まれている黄色がかった顔が、歪んだ。それは、汚い映像であった。

「ぎゃーー!」

包丁は心臓を庇った標的の左腕にめり込んだ。すかさず、引き抜こうとする。しかし、肉と肉の隙間に入っているのか、中々抜けない。

人間とは思えない雄叫びを上げて、女は右手で私を突き飛ばした。いとも簡単に、私は壁に頭を打ち付けた。平衡感覚がぐにゃりと曲がり、立ち上がれない。

「殺す、殺してやる!」

血走った目をした柚子の母親は、倒れこんでいる私の首を右腕で掴む。気道が塞がり、呼吸が出来ない。段々と首を絞める握力が強くなる。意識が朦朧とする。

私は最後の力を振り絞って、左腕に刺さっている包丁をぐりん、と回した。

「があっ!」

柚子の母は私を離し、左腕を庇った。解放されて、酸素を一心不乱に肺へ吸入する。頭もすっきりして、思考が安定する。

相手に休む暇を与えない。しゃがみ込んでいる柚子の母を蹴り飛ばす。体重差があるので、地面に転がる程度であったが、それで良い。馬乗りになって、左腕に刺さっている包丁を掴む。引き抜けないことは分かった。ならば、切り落とす。自分の体重を乗っける形で、包丁を奥へ沈ませる。下でジタバタ暴れているが、決して離さない。血が水鉄砲の様に私の顔にかかるが、目を閉じない。固い筋を切り終えた時には、柚子の母はショックで気を失いかけていた。

真紅に染まった包丁を心臓に突き立てようとする。

「…ず」

死を目前にした女の最後の言葉に、私は手を止めた。先程まで有り余っていた力は、風船が萎んでいく様に、放出された。

からん、と包丁が床に落ちる。私は茫然と死に近づく女を眺めていた。

目が虚ろで、肌はカサカサしている。やはり醜かった。

覚束ない足で、押入れまで行った。

「もう終わった。出てきて良いよ」

返事が無い。もう一度伝えても、音沙汰が無かったので、開けるよ、と言って戸をずらした。

そこには、蹲ってぶるぶる震えている柚子が居た。失禁している様で、アンモニア臭がツンと来た。

「大丈夫?」

手を肩に添えると、柚子は顔を上げた。涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにして、折角の整った顔が台無しである。

「ごめん、ごめんなさい!南が危ない!と思って、助けに出ようと思ったけれど、怖くて。私、あなたを見殺しにしていたかもしれない」

許しを請うように、柚子は何回もごめんなさいと叫んだ。

「別に良い。結果、無事だったし。それより、あなたの母親、死んだよ」

死体の方を指差す。柚子は、のっそりと押入れから出て来た。恐る恐る、死体を覗く彼女、それを眺める私。

「死んでいる。あの母が死んでいる!」

泣き崩れていた時とは、打って変わって、今度はハイな状態になっている。満面の笑みで死体を見つめた後、顔を踏んだ。

「あまり、触らない方が良いと思うけれど」

「ああ、そうだよね!私嬉しくて」

柚子は、飛び切りの笑顔で私を見る。それは今まで見せた中で、一番光り輝いていた。

「もう、怯えなくて良いんだ!殴られない、蹴られない、死ねって言われない。だって、本人が死んでいるから。キャハハ!」

声量、表情、仕草、どれを取っても、女優みたい。一頻り母親だった物を観察した後、満足したのか、急激に興味を失った彼女は私の方を向いた。

「本当にありがとう。南のお陰で、私は今幸せ。シャワー浴びて着替えた後に、今度はあなたのお母さんを私が殺しに行くね」

無邪気な表情で軽やかに、柚子は浴室へ向かう。私は死体と二人きりで、リビングで待っていた。


「じゃあ、行こうか!」

爛々とした柚子は、手袋を入れたリュックを背負い、帽子を被っている。装備だけ見たら、遠足に行く人みたいだ。

私は、彼女の母親が死に際に放った一言を反芻していた。

「柚子」

確かに、あの女は最期にそう言った。何故だろう。あいつは日頃から、柚子に暴力を振るったり、死ねと言ったりしていたのでは無いか。娘への愛情なぞ、とっくに失っている筈だ。

でも、あの瞬間彼女は柚子を想っていた。クズでゴミだが、あの瞬間だけは、彼女は柚子の母親に成った。動物の本能か?人間には、皆当てはまる現象なのか?

私の母はどうだろう。柚子に殺される最後の一時、娘の名前を叫ぶのだろうか?私はそれを聞いて、どう思う。

「何笑っているの?」

柚子が私の顔を覗いている。笑っている?指摘されて、私は自分の口角が釣りあがっている事に気がつく。頬が痙攣するほどだ。

「別に…」

「変なの」

柚子は不思議そうな顔をした後、すぐにやりと笑って、家の扉を開ける。

外から燦々とした陽光が体を照らし上げる。気分が朗らかだ。

私はこれから母を殺す。


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