Don't disturb!
少し前まで。
私は全力で廊下を走り、兄さんの元へと駆けていた。過去形。現在停止中。
なぜなら、
「――七草!」
呼び止められた。しかも、よりにもよって、
「……川口先輩……」
川口先輩は、その大柄な体で私の行く手を塞いで、どこか寂しそうな感じの、まるで捨てられた犬みたいな目で、私を見つめていた。
「七草、俺の話を、ちゃんと、聞いてくれ」
川口先輩は、一単語ごとに、聞き分けの悪い子供にしっかりと言い聞かせるように、力の込めて吐き出した。
……何だろうね。本当に。この人、まさか昨日の今日でまともに話し合いなんかできるとか考えてんじゃないだろうか。
しかも、私が道を塞がれうろたえたのを良いことに。川口先輩はべらべらと長いお話を始め出してしまった。何でも「昨日殴ってしまったのは悪かったと思っている。でも――」と始まり、「お前が悪いんだ。お前が他の男に――」と責任転嫁を始めて、「そもそも俺達の関係は――」と何か勝手に付き合っていたことにされた挙げ句。「――だから、」
「だから?」
「やり直そう」
何とも自分勝手に話をすすめて結論付けてくれやがりました。はい。めでたし、めでたし。いや。めでたくないけど。特に私が。
「……ダメ、だろうか……?」
「本気で言ってるんですか?」
「当たり前だ」
冗談。
まともな話し合いができるとかどうとか、それ以前の問題じゃない。コイツ、本気で自分が正しいと信じてる。
「そうですか。でしたらその無駄に一途な情熱を別の方に向けて下さい」
「――っ」
なるだけやんわりと皮肉を言って必殺スマイル。
それだけで川口先輩は口許を引きつらせて形相を変えた。何とも醜く、無様に縋るような情けなく歪んだ顔。
「七草! ちゃんと俺の話を聞いてくれ!」
「十分聞きましたよ。実につまらない、でき過ぎた、一方的に私が泥を被ってるツンデレヒロインで、先輩が純朴主人公の甘ったる過ぎる――ただの妄想なら」
びしり、と。音を立てて、川口先輩の表情は歪んだそのままに、今度こそ固まってしまった。
「そんな――だって……」
「先輩」
私は、この時、いったいどんな顔をしていたのだろうか。
「好きだ好きだ、って散々言ってくれてますけど。いったい私のどこが好きだというんですか?」
少なくとも、頭の中だけはこのムカつく先輩への怒りでいっぱいだ。昨日から本当に、私につきまとうだけつきまってくれているのだから、迷惑以外の何でもない。
「それは――」
「顔ですか? 体ですか? それとも、こんな性悪の中身ですか?」
川口先輩は、黙って俯いてしまった。
元から答えられるわけなんてないとは思っていたけど。だって、
「アンタが惚れているのは私じゃなくて、アンタの妄想の中で勝手に作った私のイメージだろ」
川口先輩から、答えはなかった。
完全に押し黙って、私から顔を逸して、
「……そうかもしれない、な……」
認めた。
嘘でも何か適当なことならべて引き止めるくらいするかと思ったけど、どうやら今の彼にはそんな余裕もないのかもしれない。
「でも、そんなことはこれから直す。――だから、」
訂正。コイツ、けっこう余裕あるわ。あと案外打たれ強い。
「俺の側にいてくれ」
しかも、無駄にポジティブ。臭いセリフを平然と吐くし。心なしか目なんかキラキラ輝いてる気がする。
ここまでされると、怒るを通り越して呆れると言うか何と言うか……。
とにかく。今は一刻も早くこの場を立ち去りたい一心に次の言葉を考えていると、――川口先輩が強引に私を抱き寄せやがって下さいまして、一言。
「好きだ」
ウザっ。
何コイツ? 何を馬鹿みたいに一人で熱血ドラマ演じて私を巻込んでくれちゃってんの?
「離してください」
「嫌だ」
いや。離せよ。
何が楽しくて私は昨日フったばかりの男に抱き締められてなきゃいけないわけ。暑苦しい。汗臭い。むさくるしい。うるさい。締められてる体が節々痛い。つーかウザい。
「……離せよ」
「離さない、絶対に」
私の冷たい声に川口先輩は今度は揺るがず、余計に強く私を抱き締める腕に力が込められた。
ヤバい。さすがにこのままだと苦しいし。あくまでか弱い女の子である私はこのまままったく好きでもない暑苦しい男の腕の中で眠ることになるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
「ほんとに、離してよ」
「お前が、俺を好きだ、と言うまで、離さない」
いや。死ねよ。
「絶対に、だ」
どんどん私を締める力が強くなってきて骨が軋む。
あー、もー……。
「――っ」
「離せ、って言ってんだよ」
何度言っても聞いてくれないこの先輩の股の辺りを、思いっきり膝で蹴り上げてやった。一回。二回。三回。四回。五回……。途中から数えるのがめんどくさくなったけど、それでもまだ蹴り続けた。
「な、七草! 止め――」
「だったら――」
最後に、腕の力が緩んで少し自由になった身体の重心を落として、下半身の筋肉と骨のバネを生かして――渾身の膝蹴り!
「――いい加減、離せよ」
できるだけ低く冷たい声を作って、膝から崩れていく川口先輩の耳元に、周りに聞こえないよう囁いてあげた。いや、でも、たぶん聞いちゃいないだろうけどね。
だって、
「あと、何もかけずにそんなとこで寝ると、いくら最近暖かくなってきたとはいえ風邪ひきますよ」
白目をむいて泡を吹く先輩に、私からの優しい一言。
最後に、廊下のど真ん中で寝てしまった川口先輩を廊下の隅へと蹴り転がして、たまたま通りかかった人に「後はよろしく」と肩を叩いてやって――。
「さて、と。兄さんのとこへと急がなくちゃ」
再び、私は急ぐのでした。
学食のおばちゃんが変わってからラーメンのチャーシューが前よりも薄くなった気がする婀凛栖です。おはよう? こんにちは? こんばんは? いや。どれでもいいのですが。
今回のお話は大学の無機化学実験のガイダンス中に教授殿がなぜかエンジニアとしての云々について暑苦しく語っておられる最中に書いていたものです。本当に、何でいきなりそんな云々な話になってしまったのでしょうか。退屈でしょうがな――げふん、げふん。素晴らしいお話に耳が痛くなってしまいましたよ。ええ。本当に。
さて、今回、なんと川口先輩再登場させちゃいましたけど――ぶっちゃけ川口先輩はいらない気がします!
だって、出てきても何かこんな扱いばっかりだし! あと書いてて本当に自己嫌悪したくなるくらいにムサいし! あとそろそろ兄さんをまともに出したいから、もう川口先輩はいらないかと。と思う、今日この頃。
ほんと、彼、どうしましょう……?
……さて、なんか無駄な内容を書き過ぎてしまって字数がなくなってきてしまったため、今日はここまで。次回では本当にお兄さんを出したいなぁと思いつつ、また次回へ続きます。
では、また次回も出ることを祈りつつ、――シーユーアゲインっ!