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第十八話 夕焼け空の下で

 大きな籠を手にした瑠美子は家路を急いでいた。そろそろ日が沈むかという時刻には、辺りに彼女以外の人影はない。時折巣へと帰る鳥たちの鳴き声が響くばかりだ。籠の中身を再度確認して彼女は微笑む。

「これで明日のパーティーは豪勢になるわね」

 トリュの肉を大量に仕入れてきたし、値下がりしていたナンクルの実も十分に買ってきた。花束は明日買いに行った方がいいだろう。カーネーションに薔薇、百合、ティティフ、モノトフ、どれを主体にするべきだろうか? ディーターは意外と可愛らしい花が好きだったなと思い返しながら、彼女はふと立ち止まった。

 今日は一日天気良く、雨の気配もなかった。それを象徴するような綺麗な夕焼け空に、鳥の影が黒く小さく焼き付いている。あれは何の鳥だろうか。

 すると、不意にリコーダーの旋律が流れた気がして彼女は顔をしかめた。まただ。ソイーオがいなくなってからしばらく経つが、メロディーが流れる回数は増える一方だ。その度に胸がざわついて落ち着かなくなる。

「あーあ」

 軽くうなだれてからため息を吐き、彼女はとぼとぼ歩き始めた。明日はディーターの誕生日。一人に戻ってしまったディーターを元気づけようと、盛大なパーティーを企画したというのに。しかしこれでは逆に心配されてしまう。彼女の不調にディーターは敏感だった。

「私って駄目ね」

 このままではいけないと、彼女は背筋を伸ばした。もっと面白い事を考えよう。たとえば先日の見合いのこととか。あの男性は本当に変わり者だったと、思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。異世界人だけが異端のように思っていたが、生粋のヌオビア人にも妙な人はいるものだ。

「ルミコ!」

 すると背後から聞き慣れた声が響き、彼女は振り返った。ノギトだ。背中にぼろぼろの袋を背負った彼は、疲れを滲ませない笑顔で走り寄ってくる。立ち止まった彼女は籠を両手に抱えて首を傾げた。

「ノギト、今日は早いのね」

「今日が早いんじゃなくていつもが遅いんだ。……自主練習してるからな」

「いつも遅いってことは今日が早いってことじゃない。変なの」

「いや、だから早く帰ろうと思えば帰れるって――」

「あ、そう」

 ノギトの自慢話には飽き飽きだと、彼女は素っ気ない返事をした。いつの間にかリコーダーの音は消えている。いつもそう、誰かが話しかけてくると消えるのだから寂しい病の一種だ。情けないとは思うが彼女にはどうしようもない。

 竜巻にさらわれた人々はどこへ行くのだろうか? やはり異世界なのだろうか? ソイーオたちは皆どこかへ無事辿り着いたのだと、願うより他なかった。

 ヌオビアに流された瑠美子はこうして元気でやっているのだから、別の世界へと飛ばされた人たちもきっとそうだろう。半ば希望にも近い思いを抱いて、今日も彼女は生活している。

「そうだ、ルミコ。この間の見合いはどうだった?」

 隣へと並んだノギトが、思い出したように尋ねてきた。彼女はちらりと彼の方を見ると、できるだけ不敵に微笑んで籠を右手に持ち直す。思い出すだけでもおかしくなる人というのは、今の彼女にはありがたかった。

「もちろん、お断りしたわよ。ルロッタさんがしつこいから一応会ってはみたけど」

「まさか黒い瞳だったから、って理由じゃないよな?」

「そんなわけないじゃない」

 からかってるのか心配してるのかわかりづらいノギトの言葉を、彼女はぴしゃりとはね除けた。ノギトはいつもそうだ。気遣ってくれてるとは思うのだが、どうも詰めが甘い。いや、デリカシーがないとでも言うべきか。

「相変わらずだな、母さんもルミコも」

「もう何度目だって話よねぇ」

 ソイーオが消えてから傍目にもわかる程落ち込んでいた瑠美子を、ルロッタも心配していた。だがそこで選んだ作戦というものがおかしかった。ならば誰かが傍にいればいいのではないかと、盛んにお見合いを勧めてきたのだ。瑠美子にとっては迷惑この上ない話だ。

「母さんもしばらくそっとしておけばいいのに」

「私が結婚しないと安心できないみたいよ。ディーターさんにもいい人いないかって聞いてたくらいだから」

「聞く人間違ってるだろ、そりゃ」

 苦笑するノギトに相槌を打ち、瑠美子は唇を結んだ。ソイーオが消えて寂しく思っているのは彼女だけではない。それをルロッタが理解していないとは思わないが、傷の深さはその想像を超えているのかもしれなかった。流され疑われそして消えた彼のことを、そう簡単に忘れられるわけがない。

「でもルロッタさんが重々しい顔で悩んでたら、それはそれで困っちゃうかも。結婚結婚って叫んでる方がルロッタさんらしいというか」

「……あのさ、ルミコ」

「ん、何?」

「もし、いい相手が見つからなかったら――」

 けれどもルロッタはそれでいいのかもしれない。そう思って瑠美子が一人納得していると、突然ノギトの声音が変わった。

 怪訝そうに首を傾げると、ノギトの視線が一瞬泳ぎ……そして止まる。不自然なタイミングで硬直した彼は、まるで息を止めてしまったかのようだった。そんな彼の視線の先へと、彼女は眉をひそめながら双眸を向ける。

 その先にあるのは森だった。竜巻騒ぎのせいで立ち入り禁止となった森には、今は穏やかな時間が流れている。あの後竜巻は一度現れただけで、行方不明者が増えることはなかった。その静かな森を、ノギトは黙ったまま凝視している。

「ノギト?」

 名前を呼びながら瑠美子は目を凝らした。すると一様に見えた森の中に、小さな黒い影があるのがわかった。夕日を浴びて淡く茜色に染まった外套が、時折緩やかな風に煽られ揺れている。上まで黒っぽく見えるのは目深に被った帽子のせいだ。墨色のそれはつばが長く、同じ色の外套とほぼ一体となっている。

 ノギトが息を呑んだ。瑠美子も息を呑んだ。胸騒ぎが強くなり、またどこからかリコーダーの旋律が流れてくる。しかしそれはもの悲しくは聞こえなかった。情緒を込めて一生懸命小学生が奏でたメロディーには、切なさ以外の何かが込められている。

「ソイーオ?」

 つぶやくようにノギトがその名前を口にする。徐々に近づいてきた影は、すぐそこまで来るとおもむろに立ち止まった。そしてゆっくりと帽子を手に取る。

 喉から息が漏れた。言葉にはならなかった。日に焼けた頬はこけ、青銀の髪はぼさぼさで、外套も靴も土まみれになっているけれど。それでも見間違えるはずはない。ソイーオだった。一歩一歩、ゆっくりと瑠美子は前へ進み出る。

「ソイーオさん……!」

 泣きたかったが涙は出なかった。代わりにかすれた声が出た。駆け寄りたいのにそうすることができずに、彼女は覚束ない足取りでまた一歩を踏み出す。力が抜けた手から、籠が音を立てて落ちた。

「ど、どうして……」

「竜巻に巻き込まれたんじゃなかったのか?」

 彼女が声を詰まらせると、代わりに後ろでノギトが疑問を口にした。そう、あの時確かに二人は見た。ソイーオが赤い竜巻に巻き込まれて消えるのを。その後何も残らなかったのを確かに見たのだ。それなのに何故ソイーオがここにいるのだろう?

「巻き込まれましたよ」

 帽子を両手で抱えてソイーオはうなずいた。この穏やかな微笑みは以前のソイーオと変わらない。いや、むしろ頼りなさや儚さが消え、いっそう凛々しくなったように見えた。彼女はまた一歩前に進む。

「あの時は時間がなくて説明できなかったんですが。あの竜巻、異世界へ飛ばすものじゃあないんですよね。異世界から流れてきたことは確かだと思うんですが」

 ソイーオの声が遠い。眼を見開いた彼女は、彼の顔をまじまじと見つめた。背後でノギトが間の抜けた声を上げているが、それに反応している余裕はない。では竜巻に巻き込まれた人々はどこへ行ってしまったのか? 呆然として瞬きを繰り返すと、ソイーオはわずかに肩をすくめた。

「飛ばされる先は、同じ世界の別の場所なんです。どこへというのは決まってないようなんですが」

「え?」

「いつ発生するか、どこで発生するか、どこへ飛ばされるかわからない竜巻。失敗した魔法の成れの果てのようなんですがね。詳しいことは僕らの世界でもまだわかっていなくて」

 ソイーオの説明に、彼女は相槌を打つことしかできなかった。何をどう言っていいかわからなかった。今まで味わっていた喪失感は何だったのかと、急に泣きたくなってくる。腹が立ってくる。彼女は小走りでソイーオへと近寄った。

「な、何ですぐに戻ってきてくれなかったんですか!?」

 思わず声も荒げてしまった。心配していたのが馬鹿みたいだ。間抜けみたいだ。落ち込むディーターを気にかけ、皆に心配させまいと明るく振る舞っていた日々が思い出される。今までの時間は何だったのだろう? するとソイーオは帽子を片手に持つと、もう一方の手で首の後ろを掻いた。

「すいません、ちょっと遠くまで飛ばされてしまったみたいで。他の国でしょうか? よく考えると僕、このラノウラ地方って名前くらいしか知らなくて」

 脱力した彼女はその場に座り込みそうになった。もう限界だった。しかし伸ばされたソイーオの手によって、それはすんでのところで止められる。泣いていいのか笑っていいのか怒ればいいのかもうわからない。彼女が小さく鼻をすすると、ソイーオは困ったように微笑んだ。

 ただ一つ確かなことはある。会えて嬉しいというこの純粋な気持ちだ。もう二度と会えないと思っていた、その顔を見ることはないと思っていた。それなのに今目の前に彼がいると思うと、どこにいるのかわからない神に感謝したくなった。会えただけで十分だという気になる。

「……よかった」

 ソイーオが無事でよかった。何事もなく帰ってきてくれてよかった。会えてよかった。もちろんやつれ具合や恰好を見れば、ここに辿り着くまでの旅路が平坦ではなかったことがうかがえる。けれども彼は帰ってきてくれた。それが何より嬉しい。

「そうだ、ノギトさん。僕の疑いもう晴れました?」

 すると黙りこくった彼女の肩を支えながら、ソイーオは後ろのノギトへとそう尋ねた。いつの間にか近づいてきていたらしく、彼女のすぐ後ろで「ああ」という返事が聞こえる。ぶっきらぼうな声だった。

「お前がいない間にも、一度竜巻が流れてきてたからな。申し訳ないって、ディーターさんところに謝りに来てたぞ」

「そうですか、それはよかった」

「ああ、ディーターさんが喜んでた。いや、もっと早ければって嘆いてたかな」

 苦笑気味なノギトの返答に、ソイーオは安堵の息を漏らした。きっとディーターにも早く会いたいだろう。そう思って彼女が足に力を込めると、軽くソイーオが肩を叩いてきた。

「はい?」

 衝撃から立ち直り書けていた彼女は、突然のことにぼんやりしながら顔を上げる。近い。疲れの滲んだ緑の双眸は、それでも真っ直ぐ彼女へと向けられていた。今まで見たことがない、いや、どこかで見たことがあるような力強い眼差しだ。

「ルミコさん」

「は、はい」

「それではあらためて申し込んでもいいですか?」

 何を、と聞き返そうとして彼女は頭を傾けた。だがそうするより早く、彼は口を開いていた。肩から手が離れると同時に、穏やかな声が鼓膜を震わせる。

「僕と結婚してくれませんか? といっても四年後の話になってしまいますが」

 余裕さえ滲ませる口調、微笑。彼女は呆然と彼を見上げながらもう一度瞬きをした。それは見合いで傷ついた日に、彼が口にした言葉と同じだ。答えは保留のまま、その後バルソアの件でうやむやになってしまっていた。

「無事に帰れたらはっきり言おうって、決めてたんです。もちろん、四年後までにはちゃんと頼れる人間になってますから。ノギトさんが認めるような」

 彼女が声を詰まらせていると、追い打ちをかけるようなソイーオの言葉が続いた。そしてその視線が曰くありげにノギトへと向けられる。しかしノギトは何も答えなかった。ただその代わりに大きな嘆息が聞こえてきた。そしてルミコ、と催促するような声が続く。

 会いたかった。とにかく会いたくて仕方なかった。その時のことを思い出して、彼女は無理矢理微笑みを浮かべた。

 今でも自分に自信がないし、このヌオビアで役に立っているとは思えない。バルソアと聞くだけでも体は強ばるし、夕焼け空からは目が離せなくなる。自分は弱いという自覚があった。弱くて情けなくてどうしようもないという思いがあった。

 けれどもソイーオのためなら、少しずつでも強くなれる気がする。ソイーオと一緒ならば変わりたいと思える。『家族』に守られてばかりな生活に、別れを告げられそうだった。何より、もう彼と離れたくない。

 彼女は大きくうなずいた。そして離れたソイーオの手を取った。土で汚れたその手首にはもう腕輪の痕跡も何もない。あの時の傷も見あたらなかった。

「私も、四年後までには少しでも強くなりたいです」

 泣きそうな声で彼女は告げた。それが彼女の答えだった。ソイーオは相槌を打つと嬉しそうに微笑み、手を握り返してくる。ずっと外を歩いていたにもかかわらず、ほんのり温かい手だ。

 これでルロッタの見合い攻撃も止むだろうかと、そんなことが彼女の脳裏をよぎった。ディーターは……ソイーオが帰ってきただけで喜んでくれるだろう。明日のパーティーはさらに賑やかになりそうだ。

「四年後に頼れる奴になってなかったら、俺は容赦しないからな」

「ええ、いいですよ」

 ため息混じりのノギトの言葉に、ソイーオは静かに首を縦に振る。その拍子にぼさぼさになった青銀の髪が音もなく揺れた。彼女はソイーオの手をそっと離すと、瞳を細めて空を見やる。

 昨日と変わらないように見える夕焼けも、実際は全く違う空で。同じように繰り返されている日々にも変化はあって。彼女も知らない間に少しずつ変わっているのだろう。それが少しでも良い方向であればいいと、願わずにはいられない。

 こうしている間にもゆっくりと日は沈んでいる。紫へと変わり始めた空には、薄い雲がたなびいていた。

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