第三章12 『夢の答え合わせを』
目を覚ました時、まず感じたのは、水が流れる音だった。
次に風。
濡れた衣服を冷やし、急速に体熱を奪っていく。
あたりは真っ暗で何も見えない。俺は手探りで周囲の安全を確かめた後、ゆっくりと体を起こした。
「……」
ずいぶん長い間、眠っていたような気がする。
俺は……市街地でキエリと別れた後、レッテルと遭遇し、それから、彼女に扇動された市民やローラーから襲われていたところを、ラメドに救われた。
そして、今。
俺はよくわからないジメッとした暗闇の中で、自分の状況が掴めず途方に暮れている。
前後の記憶はハッキリしている。だが、間に重要な何かが抜け落ちているような気がして、俺は無意識にそれを思い出そうとした。そうしなければ今にも消えてしまいそうだったから。
長い夢。断片的な光景は浮かぶが、それは千切れた線のようで、本当に掴み取りたい情報はあまりにとりとめがなかった。
残っているのは古傷を抉られたような感覚と、そこから放たれる痛みを帯びた「熱」。この熱には何か大きな意味がある。傷口の痛みでありながら、それが修復される前兆でもあるような……不思議な感覚だ。
つながり。愛。信念。
ひとつひとつの単語は思い出せる。だが、それらがつまるところ何を意味するのかがわからない。
よくある表現だが、思考にモヤがかかったかのようだった。
しかしそこで、はたと、気になる単語が脳裏に浮上する。
「紅龍王……!」
そうだ。俺は夢の中で紅龍王と出会った。
何を話したんだっけな。たしか、俺と紅龍には深いつながりがあるとか何とか……。
俺は異界の人間で、この世界の紅龍とは縁もゆかりもないはずだが、あれはどういう意味だったのだろうか?
そもそもなぜ紅龍王は俺の夢に出てきたのか。そしてもっとそもそもの話、あれは本当に紅龍王だったのか……。
疑問は尽きない。だが、やるべきことはハッキリしていた。俺は背中を押されるような気持ちで立ち上がる。
このことをキエリに伝えなくては。
あいつはずっと探していたんだ。紅龍を絶滅から救う希望を、自分の命よりも大切な存在を、ずっと、ずっと探してた。
キエリを探さないと。あいつは今どこにいる?
「というか……俺は今どこにいるんだ?」
「メルブレンの地下水道だ」
「どうりで水の音がしたわけだ。あと、びっくりするから急に話しかけないでくれ、ラメド」
ボッと光が灯り、暗闇の向こうからラメドの顔が現れる。
彼は立った状態でこちらをしげしげと観察し、それから「無事でよかった」と安堵のため息をこぼした。
「君は三日も寝ていたんだ」
「三日……?」
「ああ。あまりに起きないから、死んでしまったのかと気が気じゃなかった」
「じゃあ、ずっと看病してくれてたのか。悪いな」
「医者に連れて行こうかとも思ったんだがな。地上では聖教会とやらが血眼になって君を探していたから、致し方なかった。
それにしても、まったく聖教会とは野蛮な連中だな。君が転生者だからと殺すつもりらしい」
あれだけの騒ぎを起こしたんだし、そうなるのも無理はないだろうな。
自分もその聖教会の一員だとは微塵も思っていなさそうなラメドに、俺は苦笑しながらそう返す。
「ともかく、無事で本当によかった」
「ああ、お前のおかげだよ。ありがとう」
「君は記憶喪失の俺に親切にしてくれた。これぐらい当然さ」
ラメドは地上から買ってきたというパンをこちらに差し出し、それからとてつもなく善良な微笑みを向けた。
罪悪感で胸が痛い。
とはいえ、記憶喪失のラメドを騙して利用しようととしたのは俺だが、それ以外はほぼ全部あのバカのせいだ。
今ごろ牢屋で臭い飯を食っているだろう。ブーカには死ぬほど迷惑をかけられたし、これを機に反省してくれると嬉しい。あいつが大人しく檻の中でじっとしているとは思えないが。
「……はぁ」
正面の壁にどっかりと腰を下ろすラメドを尻目に、俺は小さくため息を吐く。
「まだ気分が優れないのか?」
「ブーカを檻から出さないとだし、人間爆弾も見つけないとだし、他にも聖教会とか、レッテルとか、ローラーとか……やることが多すぎる。だんだん憂鬱になってきた」
「レッテルとやらが提示した期限まであと四日もある。俺も協力するから、ひとつひとつ対処していこう」
あと四日か……。長いようで短いタイムリミットだ。
優先順位をつけるとしたら、爆弾人間やレッテルはまず後回しになるだろう。非情な判断だが、最悪街を見捨てて逃げるということもできるからな。
今は何よりも体勢を立て直すことの方が重要だ。とにかくここから万全の状態で抜け出して、キエリ達と合流しないと、動こうにも動けない。
ラメドにそれを伝えると、彼も同感だったようで、「すぐに動こう」と荷物を整え始めてくれた。
俺も立ち上がって準備を始める。
「……そういや、ずっと思ってたんだけどさ」
「む?」
「その手、何?」
俺はラメドの左手を指差す。
彼の手はまるで光の塊のようになっていて、そこから放たれる眩い光が、この暗くジメジメとした地下水路内を明るく照らしていた。
「ああ、これか。便利だろう?」
「いや確かに便利だけど……違和感とか、痛みとかないのか?」
ラメドの光はそこそこの熱を帯びていて、離れている分には安全だが、近づき過ぎると火傷してしまいそうだった。
「出力を抑えているから、たぶん大丈夫ら」
「……たぶん?」
「俺もよくわからない。レッテルとの戦闘中に、自分の体が光ることに気づいた」
閃光のラメド……か。
察するに「自分の体を光に変える能力」、といったところだろうか。少なくとも魔法ではないのは確かだろう。
「ラメドの力は魔法でなく、むしろ転生者の能力によく似ている」とキエリから聞いたが、俺も今ここで同じことを感じていた。
どちらも使ったことがある俺だからこそわかる。魔法は無意識で使えるものじゃない。つまり「戦闘中に使えることに気づいた」なんてケースが発生することはまずありえない、ということだ。
しかしラメドの力が能力だったとして、彼はその力をいつ、どこで、誰から手に入れたのだろうか……。
あまり彼の記憶を刺激したくなかったので、ラメドの謎については極力触れないようにしてきた。しかし、こうなってくると無性に気になってきてしまう。
ラメドはいったい何者なのか。
聖教会最強戦力、閃光のラメド。
彼が抱えている謎の奥には、聖教会の根幹に関わる重大な秘密が隠れている。どうにもそんな気がしてならなかった。
「よし、準備完了だ」
思考の沼に浸かっていた俺の一方で、腰に二本の剣を携えたラメドがそう口にした。最初に会った頃は剣など持っていなかったはずだが、敵から奪ったのだろうか。
「善は急げ。とにかく外に出よう。三日もこんあ場所にいて、君も憂鬱だろう?」
「ああ、そうだな……」
俺は考え事を中断し、ゆっくり彼の方へと向き直る。
「でもその前に、そっちは大丈夫なのか?」
「さっき言ったぞ。準備万端だ」
「持ち物じゃなくて、体の方だよ」
きょとんとするラメド。俺は声を落として彼に詰め寄る。
「お前、怪我してるだろ」
「……」
ラメドは咄嗟に口をパクパクさせたが、嘘をつくことができなかったのか、それからぐっと黙りこんだ。
迷惑をかけたくないのだろう。しかしそうは問屋が卸さない。一度でも医療を志した人間を前に、怪我を隠すなんて言語道断だ。
「右の脇腹」
「……!」
「重心がやや横にズレてる。それでわかった。
基本的に戦闘慣れしてるやつの姿勢は一般人と比べて安定してるんだ。なのにそうも不安定な姿勢をとるってことは、そうしなければならない特別な事情がある。違うか?」
「ぐ……」
「あと声に抑揚がない。腹筋に力をこめると痛むんだろ? ろれつも回ってないぞ」
ラメドは目を白黒させてこちらを見つめる。
とうとう観念したらしい。彼は感嘆の混じったため息を口から漏らした。
「す、すごいな……君は医者だったのか」
「医者じゃなくて、医者になろうとしてただけだ。まあ、とにかく見せろよ」
傷口を確認しようと一歩前に出ると、それと同時にラメドが一歩後退する。
「俺のことは気にするな。こんなことで時間を奪いたくはないからな」
「……すぐ終わるから」
「出血は止まっている。もう大丈夫だ」
「それを判断するのは素人じゃない」
皮膚は治っているように見えても、臓器が傷ついていれば後々重大な後遺症になる可能性だって十分ある。何より恐ろしいのは感染症だ。傷口から感染するタイプのウイルスはごまんといるし、怪我の修復中は免疫力が著しく低下する。
加えてこの地下水路という不衛生な環境……中世レベルの医学知識では問題ないだろうが、俺からすれば一大事どころの騒ぎじゃない。
「とっとと服を脱げ、ラメド」
「いやだ」
「俺は力づくでもやるぞ」
「なっ……! 君がそこまでハレンチな男だったとは、失望したぞ」
「なに意味わかんねえこと言ってんだ。純然たる医療行為だろうが」
「……ふ、ふん。ならやってみるといい。どうせ君にはできな」
「了解」
――ゴスっ!
右フック。ラメドの脇腹に遠慮なくぶちこんだ。彼の口から「ゔっ⁉︎」という情けない悲鳴がこぼれる。
まともな力勝負でラメドに敵わないのはやらなくても理解できていた。ならばどシンプルに不意打ちをするだけのこと。
まさか傷口をいきなり殴ってくるとは思うまい。こちらの狙い通りもんどり打って倒れこむラメドに、俺は半ば勝ち誇ったような気分で近づいた。
「こいつはさすがに予想外だったろ?」
「こ、この外道め……!」
「なんとでも言え」
抵抗されないようにラメドの手を両足で踏みつける。そして間髪入れずに彼のシャツを引っぺがした。
「……」
かなり酷い状態だ。刃物で切られたと思われるその傷口は、へそにまで届きそうなほど長く、そして深い。素人の手つきで雑に縫合されているが、その中心部にはまだ微かに血が滲んでいた。
ほとんど致命傷と言っても差し支えないほどの深傷。常人なら平然と振る舞うことはおろか、立っていることすら困難だろう。
慎重に診断をしていく俺の一方で、ラメドはなんとか拘束から逃れようともがき始める。まだ痛むのか力はさほど強くない。
「はなへ……!」
ろれつの回らない口調。
彼の顔をよく見てみると、表情がやや強張っているというか、引きつっていた。
最初は痛みでそうなっているのだと思っていた。だが、違う。これは麻痺だ。表情筋が麻痺している。
麻痺、傷口、感染症……。
俺の頭の中で、一つ、嫌な「病名」が浮上する。
「破傷風……ッ⁉︎」
「……?」
「筋肉が強張るような感覚は? 口とか、首筋とか、肩の筋肉が張るような感覚はあるか⁉︎」
俺はラメドの肩を揺らす。
腹の傷などこの際どうでもいい。
今、こいつの体の中には、太平洋戦争で猛威を振るった致死率50%のウイルスが巣食っているのだから。
「お前の命に関わることだ! 答えろ!」
「あ……ある」
「いつからだ!」
「今朝、起きた時から……」
つまり怪我をしてから三日。破傷風の潜伏期間としては最短だ。
「……ふざけんな」
口をついて出た言葉。
俺はなぜか怒っていた。「自分を大切にしろ」とか「嘘をつくな」とかそんな高尚な怒りじゃなくて、もっと幼稚で、人間臭い怒りだった。
「この、大馬鹿野郎ッ――! なにが『大丈夫』だ⁉︎ へたな嘘つくんじゃねえよ!」
「な、なにを……さっきから何を言っているのか、俺には少しも理解できない」
「お前は早くて来週に死ぬってことだよ! そのどデカい傷口から感染したウイルスでな!」
口をぽかんと開けるラメド。
まだ状況がうまく飲み込めないらしい。俺のイライラが急ピッチで加速する。
「病気にかかってんだよ、お前は!」
「だが、咳は……」
「咳が出ない病気もある。傷口を清潔にしてたらこんなことには……クソっ」
俺は乱暴に頭を掻きむしり、極めて絶望的なため息を吐いた。その深刻さから察したのか、ラメドは神妙な目つきでこちらを見上げる。
「そ、そんなに大変な病気なのか?」
「今は大したことないだろうな。でもじきに体中が石みたいに固まって、最終的に呼吸困難で死ぬ」
「治せないのか?」
「無理だ……破傷風は予防する以外に対策がない」
厳密に言うと、抗生物質か、あるいは抗体があれば治すこともできる。だが、この中世世界にそんな薬があるとは思えない。
……いや、待て。
ここはただの中世世界じゃない。転生者が定期的にやってくる、中世ファンタジーの世界なのだ。
もし過去に医者の転生者がやってきて、抗生物質の作り方を世に残していたとしたら……聖教会がその技術を隠し持っている可能性は十分ある。
俺は、ラメドを見つめる。
「……」
こいつは俺の恩人だ。助けてやりたい。
だが同時に、極めて強大な敵でもある。彼を聖教会に連れて行けば、連中は間違いなくラメドを助けるだろう。しかし、もしそれでラメドの記憶が戻ったりしたら……。
『彼は正義感の強い男ですから』
キエリの言葉が反響する。もしラメドの記憶が戻ったとして、彼が優先するのはどの正義か?
自分を騙した恩人か。世界が憎む転生者を殺すか。
答えは考えるまでもなかった。この世界はことごとく転生者を歓迎しない。
だが……ここでラメドを見捨てることが、果たして俺にできるのか。
救える命を。今まさに死に行く命を。俺なんかを助けてくれた、命を。
『構わないさ。君が誰であろうと恩人は恩人だ』
あいつはそう言い切った。ざわつく大衆を前に、迷うことなく。
俺には「命を大切にする」という信念が、正義があった。だから俺はからっぽじゃない。キエリやラメドが教えてくれた。
ここで彼を見殺しにしたら、俺は真のからっぽになってしまう。
「っ……!」
どうすればいい?
信念を通すには最善の手を尽くすべきだ。しかしそれが招くのは最悪の結果だ。
だが、信念を失えば俺に残るものは何もない。またからっぽへと逆戻り。
「信念には、二つの答えしかない。貫き通すか、捨ててしまうか……」
俺には答えが必要だ。それが、今この時だったというのか?
「だ、大丈夫か?」
「悪い。少し黙っててくれ」
ブツブツ独り言をつぶやく俺にラメドが声をかけるが、それは思考を妨げるノイズだった。俺は狭い室内を左右に往復する。
俺には答えが必要だ。
信念を捨てるか。信念を貫き通すか。
どちらも辛い。しかし、そのどちらでもないことはもっと辛い。
いったいどこの誰から聞いた言葉だろうか。もう思い出せそうにないが、とにかくその考えがどうしようもなく腹落ちしていることも事実だった。
俺には答えが必要だ。絶望の未来を回避するために。俺はここで自分の信念に折り合いをつけなくてはならない。
俺はもう一度、ラメドを見つめる。
困惑。不安。あらゆる感情が入り混じった表情。しかしその目には、確かに信頼と親愛の情が見てとれた。
彼と俺の間には、決して脆くはない「つながり」が、確かに生まれていた。
「ラメド……」
ならば答えを出そう。たとえそれが絶望の未来を確定させたとしても。
俺は決意を固めて口を開けた。
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(追記)
遅くなって申し訳ない。




